一番怖いのは
彼女はもう泣いていなかった。平民に戻ったことにショックを受けているのかと思いきや、違った。
彼女が発した言葉は、この場にいた全員を恐怖させた。
「そうだ!私、セリアの弟の……えっと、リカルド?と結婚します!そしたら私は王妃になれるんですよね」
名案!みたいに手を叩いた。満面の笑みで。
王妃になれないのは彼女が生粋の平民であるからだと説明したのに伝わっていない。
リカルド殿下に歩み寄った彼女は、婚約者であるフラスレイス嬢の前でリカルド殿下の両手を包み込む。
「セリアから聞いてるわ。リカルドはいつも婚約者にキツい言葉でいじめられていると。安心して。私はいじめなんて最低なこと、絶対にしないから」
あんなに彼と真実の愛で結ばれていると誇らしげだったのに、手の平を返してリカルド殿下と結婚すると。
覆らない現実に絶望している彼は、彼女の声なんて聞こえていない。もしくは聞こえないふりをしているのか。愛を誓い、赤い糸で結ばれたはずの相手が他の人、しかも実弟と結婚すると言っている。都合が悪いどころではない。平民になるよりも、現実から目を逸らしたいだろう。
──私にはどっちでもいいけど。
リカルド殿下は期待させるような柔らかい笑顔。受け入れられたと勘違いした彼女の表情は明るい。
「ふざけるな」
力いっぱい手を振り払った反動で尻もちをついた彼女を見下ろす目は冷たい。
「なぜ僕が、好きでもない女性と結婚しなくてはならない?」
「だってセリアが言ってたのよ。リカルドは政略結婚をさせられて可哀想だって」
今、わかった。
彼女は本当の本当に物語の主人公になったつもりなんだ。
主人公はヒロインで、将来王妃を約束される。最後は必ずハッピーエンドを迎える存在。
だからこそ、相手は誰でもいい。自分を王妃にしてくれる王太子こそが、運命の赤い糸で結ばれた人。
その証拠にアッサリと彼を捨てた。いや、そもそも。捨てたという感覚さえないのかも。
恋心が冷めたわけではなく、いらなくなったから興味を失くしただけ。
最初からそうだったわけではない。貴族になってから、現実と妄想の区別がつかなくなっているのだろう。
彼の影に隠れていたけど、一番怖いのは多分……。
「確かにミリアは口調こそ厳しいけど、私が王太子として未熟だからだ。私が間違わないように、道を踏み外さないように見ていてくれている。そんなミリアを私は愛しているんだ。貴女のような人に想いを寄せるなんてありえない」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ。私は全部、わかってるから」
「先程から不敬ですよ。たかが平民が王太子である私に馴れ馴れしい」
「え?あ……でも!私は貴方と結婚して王妃に……」
「平民が王妃になれると本気で思っていたのですか?」
「だって貴方は私の婚約者だから……」
「はぁ?私の婚約者はミリア・フラスレイスただ一人だ!!貴女の婚約者はそこにいる平民のセリアでしょう」
リカルド殿下は脳内お花畑の婚約者とは違う。外見ではなく中身で人を判断する。
フラスレイス嬢は動揺を出さないものの、顔を赤くして明後日の方向を向いていた。
話をしたことはないけど、見る限りでは可愛い人。きっと、フラスレイス嬢もリカルド殿下を好きなのだろう。
振られるなんて想定外のことに焦りながらも、彼女は私のほうに走ってきた。
──なんで!?
「アンリースさん!みんなが私をいじめるんです!助けて下さい!!」
頭が真っ白になった。
悪役令嬢に仕立てようとしていた相手に助けを求めるなんて異常。
純粋な瞳。
ヒロインになりきっているからこそ、助けてもらえると謎の自信に満ち溢れている。
初めての友達ではなく私を選んだのは階級でだろう。男爵より公爵の発言権のほうが力があると見越して。
彼よりもっと恐ろしい怪物が目の前にいる。
今まで自分がしてきたこと、言ったことを綺麗さっぱり忘れて、大勢からいじめられる悲劇のヒロインとなった。
悪意なくやっていることが、よりタチが悪い。
「平民が貴族の名前を気安く呼ぶなんて無礼よ」
助けてあげるつもりもなければ、理由もない。
無自覚に私を攻撃しておきながら、都合が悪くなれば手を差し伸べてもらえると思えるとは。
どうりで会話が通じないわけだ。彼女は自分の世界でしか生きていない。
色んな物語を読んで、色んな世界が混ざり合っている。ヒロイン像が統一されていないのは、そのせいか。
「ど、どうしてそんなこと言うの?私達、友達でしょ?」
「友達?初耳ですわ」
「嘘つかないで!助けてよ!」
抱きついてきた彼女を引き剥がし軽く頬を叩いた。
乾いた音が響く。
「無礼だと言ったはずですよ。平民のデイジーさん」
甘やかされ、大切に育てられた彼女が受ける初めての痛み。
「皆さん!今の見ましたか!?暴力です!アンリースさんが突然、私を叩いたんです!!」
頬を抑えながら訴える姿が母親と重なる。
一時とはいえ、父親だったクラッサム男爵は見るに堪えないと目を伏せていた。
言葉遣いも礼儀作法も、平民のときのまま。大人よりも子供のほうが覚えはいいはずなのに。
多少無理をしても家庭教師を雇っていればと、後悔している。彼女の場合、家庭教師がいてもいなくても変わらないと思う。
自分の好きなタイミングで泣ける彼女の器用さには拍手を送りたい。
誰にも助けてもらえないのに、ヒロインで在り続ける勇気。
普通の人は痛みで夢から覚めて現実を見るものだけど、彼女は普通ではなく異常。決して夢から覚めることはない。
物語は現実ではないのだ。そのことに気付くことが出来たのなら、貴族のままでいられたかもしれないのに。
「ダメだ。僕以外が王太子なんて誰も認めない!!」
妄想に取り憑かれたもう一人も復活してしまった。
「リカルド!これは遊びじゃないんだ!お前の気まぐれで多くを混乱させているのがわからないのかい!?」
リカルド殿下に掴みかかった。手が出る前に取り押さえようと騎士が動こうとするも、リカルド殿下は制止した。
大丈夫。そう言っている。
「その通り。遊びじゃありません。それをわかっていながら、貴方はなぜアンリース嬢を蔑ろにしたんですか!?婚約者がいる身でありながら、他の女性と関係を持つなんて人として軽蔑します」
弟に正論で反論されてかなりのダメージを食らった。
とにかく味方を集めようとお父様、ノルスタン公爵、ハリア侯爵、ランウィール伯爵。他の貴族にも必死になって声をかける。このままでは本当に王太子がリカルドになってしまう。それでは困るだろうと。
皆、口を揃えて答えた。何も困らないと。
「アンリース!君は!!僕が王子でなくなったら嫌だろう?」
「いいえ?」
「よく考えるんだ!愛している男が……」
「いい加減にして下さい!!私は何度も言いました。貴方のことは好きではない。一瞬足りとも惹かれたことはないと申し上げたはずです」
「だったらなぜ、僕と婚約したんだ。僕のことが好きで、公爵家の力を使ったんだろう」
「王命だからですよ。そうでなければ貴方との婚約など、するわけがない」
「う、嘘だ。そんなの……僕は信じない」
「信じないのは勝手ですが、それが真実です」
再び現実から目を逸らす前に陛下から告げられる。
この後に説明を受けたのちすぐに、リードハルム領に移るようにと。
会場にいる全員の心の声が聞こえてきた。
初めて二人を「可哀想」と同情している。
リードハルム領に行くぐらいなら、田舎の貧乏男爵を継いだほうがマシ。朝から晩まで監視され、自由などない。牢に閉じ込められるよりも息苦しい生活を強いられる。
最低限の人としての尊厳さえ奪われるのではと危惧されているみたいだけど、多少、困難な暮らしになるだけ……のはず。




