第89話 受け入れがたい現実
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「……おい、生きてるのか?」
「……ぅ……?」
誰かが、声をかけてくる。それにより、いつの間にか消えていた意識が戻ってきて……ゆっくりと、目を開ける。そこには、吹雪により白くなった空と、覗き込んでくる男の子の顔。
「そっちも、終わったみたいだな」
そこにいた男の子は、この吹雪を起こした張本人、氷狼のユーデリアだ。これだけ吹雪いているのに、藍色の体毛には雪一つ乗っていない。
きっと、ユーデリアの体自体が吹雪の発生源だからだろう。氷狼ってのは、つくづく生き物の常識を超えてるよな、体から雪を出せるんだもの。
ま、ドラゴンとかいるこの世界じゃそんな常識、あってないようなものかな。
「そう言うってことは、そっちも終わったんだ?」
「あぁ」
さっきまで戦いに挑んでいたユーデリアが私の所に来た理由は、ただ一つ……ユーデリア自身の戦いも、終わったということだ。
そしてユーデリアが生きてここにいるということは、戦っていたバーチという男に、勝ったということだ。
「殺したの?」
「ボクの村を滅ぼした奴を、慈悲とかで生かしてると思う?」
殺したか、か……野暮な質問だったかな。私ならわかるはずだ。自分の世界をめちゃくちゃにした相手を、生かしておくなんて甘ったれたことは、しないということを。特に、この子は。
ユーデリアのこの答えが、全てを物語っていた。もはや、辺りは近くにいるユーデリアしか目視できないほどに、吹雪いている。
きっと、死体となったバーチは、この吹雪く雪の中のどこかに、埋もれてしまったのだろう。
「……」
辺り一面の、白景色。……それは私の見えている範囲だけなのか、それともマルゴニア王国全体に及んでいる規模なのかは、わからない。
だけど、少なくとも……私が感じ取れる中で、生きている者は私とユーデリア以外にはいない。
バラバラに砕け散ったウィルドレッド・サラ・マルゴニアや、最後には肉体だけでなく精神が壊れてしまったグレゴと、同じように、誰も生きては……
「……ぁ」
…………エリシアは、どうなったんだっけ? 確か、急激に頭が痛くなってから……それから、彼女の声だけが、聞こえたような。
それに、あの痛みや気持ち悪さも、なくなっている。……いったい、どうなってるんだ?
「しかし、あんたもむごいことするな。……いくらボクでも、そこまではしないわ」
「……は?」
そこへ、ユーデリアがわけのわからないことを言ってくる。むごい、だなんて……今さら、なにを言っているの?
だけど、ユーデリアが言っていたのは、私が人々を殺してきたことに対してじゃないと、すぐにわかることになる。……顎で指されたそこに、答えは転がっていた。
「あんたよく、人の目ん玉なんか食えるな。しかも生きた状態から。その女に、よっぽどの恨みでもあったのか?」
……そこには、エリシアが、横たわっていた。それだけなら、なんてことはない光景だ。気絶した彼女は、運良く雪に埋もれることなく、そこにいた。それだけのこと。
問題は……左目が、なくなっていたのだ。それも、まるで無理やりくり抜かれたように、空洞になっていた。
眼球のあったはずの場所にはなにもなく、痛々しく大量の出血があった。こんな、ひどい……こんなこと、いったい、誰が……
「……わた、し?」
ユーデリアの言葉が、彼女の姿を見て突如フラッシュバックする記憶が……目の前の惨劇は、私が行ったと言っていた。
そうだ、私は……エリシアを押し倒して、無理やり眼球を……それがとても、おいしそうに見えて、それを、食……
「お、ぇえええぇ!!」
瞬間、胃からなにかが上り詰めてきて、それを抑える間もなく、胃の中にあったものを吐き出す。あまりの衝撃に、生理的な嫌悪が湧き上がってきた。
人の……それも、生きている人の、眼球を……えぐり、取って……私は、た、食べ……
「うぇえ、っぇえ!」
「汚いなあ」
雪の上が、嘔吐物で汚れていく。そんなこと、どうでもよかった。ただ、この行為は、胃の中にあるであろう眼球を吐き出そうとしているのか、ただ気持ち悪いからやっているのか……どちらかわからなかった。
食べたものが、胃液が、血が、吐き出される。その中に、眼球と思われるものはない。すでに形もわからない状態で吐き出されたか、それとも……
すでに、消化されてしまったか。
「ぅ……!」
考えただけで、また吐きそうだ。もう、胃の中になにも残ってないのに。
「……なあ、あんたの目、桃色だったっけ?」
「……え?」
涙と嘔吐物で、今私の顔はひどいことになっている。そんな顔をまじまじ見られたくはないのだが、隠す余裕なんてない。そして、ユーデリアの疑問が、私からさらに余裕を奪っていく。
私の目が、桃色かって? そんなわけがない。私は瞳の色も髪の色も、純粋な黒だ。染めたことや、カラーコンタクトを入れた経験だって、ない。
第一、今まで私の顔なんて何回も見ているはずだ。なのに、今更瞳の色の確認なんて……
それに……桃、色……だって?
「ぇ……?」
今、ユーデリアは桃色って言った? 桃色? 桃色の瞳と言えば……私の中で思い浮かぶのは、エリシアしかいない。そのエリシアは、眼球をえぐり取られて……その眼球を、私は……
「ぅ……ねえ、鏡……板! 氷の板、出して!」
「はぁ? なんでそんなもん……」
「いいから!」
今この場に、鏡はない。ならば、即席の鏡を……ユーデリアの氷で、板を作ってもらう。氷の板ならば、鏡のように反射して、顔を映すことが出来るはずだ。
作ってもらった板を奪い取り、自分の顔を映す。そこには、当然私の顔があって、その瞳の色は……
「……桃、色……」
あるはずのない光景が、そこにあった。本来、黒色のはずの私の瞳は……桃色へと、変色していた。




