第85話 まるで呪いのような
暴かれた過去……それはこの男の推論でしかない。だけどその推論と事実は、気持ち悪いくらいに一致していた。それを聞いて、少なからず動揺してしまったのは間違いない。
このまま頭突きをすれば、それだけでこの男の命を奪える……なのに、私の体は動かなくなってしまっていた。さっき体が動かなかったのとは、また別の感覚だ。
「そう、なんだね。そうか、つらかったね……けど、それでこの世界の人たちを殺すのは間違ってる。今からでも遅くないさ、こんなこと、やめるんだ」
その言葉は、私の耳に届き……奥のその奥にまで染み渡るような感覚さえ、思わせる。まるで、恋人に甘い言葉を囁くような……不思議だ、抗おうにも抗えない。
私の動きが止まり、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアはにこにこと笑顔を浮かべている。それは余裕の表れではなく、私がこの男と初めて会ったときに浮かべていたものと、同じだった。
最初は、イケメンゆえにその笑顔を疑うことなくころっと信じてしまった。でも今では、その笑顔に胡散臭さしか感じない。
それを理解しているのに、体は動かない。それは私の心を揺さぶる、魔力を感じないのに、まるで魔法みたいだ。
「……わかった」
「そうか、わかってくれたか……」
「……とでも、言うと思った?」
もしもこれが、ハッピーエンドの物語なら、この男の言葉にうなずいた私は改心したのかもしれない……けど、こんな戯れ言で、私の復讐心が消えるわけがない。
私の言葉が予想外だったのか、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアは目を丸くしている。そう、その顔……ここにきてようやく、あんたの余裕な表情を崩せた気がするよ。
「私のことをわかった気になって、言葉で誘導できればちょろいと思った? 私に起きたこと……それはお前の推理通りだよ、くそったれなことに。でもその復讐心を、お前の戯れ言なんかで、消し去れるとでも思った?」
少し、わかったことがある……この男は、一般的に魔法と呼ばれるものとは少し違うものを使っている。さっきの金縛りや今の、この男の言葉が私の心に染み込んでくる感覚……それは魔法とは違うけど、魔法よりも強力なもの。
ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの言葉には、そういった強制力のあるものだ。それがなにかは知らないけど、こいつの余裕の表れはそのせいだろう。
魔法ではない……相手に、なにかを強制させる力がある。そう、まるで『呪い』のような……
「アンズ……しかし、ボクの言うことは間違ってないだろ? キミのしていることは、ただの……」
「八つ当たり……そうだよ、わかってる。わかった上で、私は私のすべきことを……いや、したいことをしているんだ。私は、もうここに来るまで、全部失ったんだよ」
私が、取り戻すはずだったもの……家族も、友人も、恋人も。信頼も、親愛も、なにもかも! 全部、全部全部全部全部全部全部全部、全部!! 失った……もう、戻ってこない。
「だから私は、お前たちを、絶対に許さない。誰だろうと、この世界全部を、憎む」
復讐……それが正しいかどうかなんて、私にはわからない。けれど、少なくとも私は、この行いに後悔なんて、ない。誰に恨まれようと、なんと思われようと、私は私の復讐を果たす!
「私を言葉で誘惑しようなんて、百年早い!」
「うっ!?」
ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの言葉の強制力を、私の気持ちが上回ったのか……止められていた体は、動きを取り戻す。
頭突きの最中で動きが止まっていたから、動き出したことでなにに邪魔されることもなく、頭突きを打つことに成功する。
しかし、止められていたことで勢いが殺されていたのか、一撃で殺すには至らなかった。打たれた額を押さえ、後ずさりする奴の額からは、血が流れているのみだ。
「っつ……アン、ズ……」
「もう私の名前も呼ぶな。寒気がする」
この男から名前を呼ばれるだけで、背筋が震える。悪寒が走り、吐き気さえ感じる。
だけどそれも、ここまで。この男の『呪い』のような強制力はもう私には効かないし、この男に私に敵うほどの戦う力なんてないのはわかっている。今度こそ、邪魔するものはなにもない。
「お、落ち着けアンズ。ほら、この国の王子であるボクを殺したら、いよいよ近隣国も黙ってない。そうなったら、本格的にこの世界を敵に回すことに……」
「言ったはずだよ、全部が憎いって。わかってるでしょう、私はそもそも、この世界に復讐しに戻ってきたんだよ。そんなの、脅しにもならない」
世界を敵に回すのが怖いなら、元々復讐なんて考えない。考えても、こんな大規模なものは実行に移さない。
私は、身を滅ぼしてでもやらなければならない。止まれない。お前たちが、私からなにを奪ったのかを、わからせるために。
自分たちだけが助かったのに、助けてやった私だけがすべてを失うなんて……そんなの、許せるはずがないだろう。
「! た、頼む! 待ってくれ、話そう! 話せば、わかるはずだろう、アンズ……!」
さっきまでの余裕が嘘みたいな、慌てよう。あぁ、名前を呼ぶなと言ったのに。
兵士や魔法術師は私たちの相手にならないし、そもそも近寄ろうにもユーデリアの強大な冷気が、人も魔法も通さない。
グレゴやエリシアは気絶し、動ける状態ではない。側近のあの妙な男は、復讐に燃えるユーデリアが相手をしている、ご自慢の言葉攻めは、もう効かない……
この男に余裕を持たせていたそれらの要素は、もうこの男を守ってはくれない。それがなくなったとたん、うろたえるなんて……所詮は、この程度の男だったってことだ。迫る死を前に、取り乱す醜さ。
こんな奴のために、私は……!
「違う、ボクはただ、召喚しただけだ! 召喚したのがたまたま、ボクだっただけだろう!? 他の人間だった場合だって、あるじゃないか!」
もう、なにを言っても耳障りな音にしか聞こえない。それに、誰が召喚したとか、もう関係ないんだよ。
「だいたい、八つ当たりで復讐するなんて……それも世界になんて、馬鹿げてる! そんなことしても、意味ない……キミの不幸がなくなったことには、ならないんだぞ!? なにも戻りはしないんだ!」
ゆっくりと距離を詰める私から逃げ、追い詰められていくウィルドレッド・サラ・マルゴニアだったが……ついに、壁を背にして逃げ場を失ってしまう。
逃げる場所も、助けてくれるものも、もう、なにもない。
「ひ、いぃ!?」
私は、自分が今どんな顔をしているかはわからない。だけど、私の顔を見たウィルドレッド・サラ・マルゴニアがひどく青ざめた表情をしていることから……ひどい顔を、しているんだろう。
逃げ場のなくなった男の顔に、ゆっくりと手を伸ばし……その首に、手をかける。片手で、男にしては細いその首を絞め上げ、体ごと持ち上げていく。
どう殺してやろうかと、思っていた。せめてもの慈悲に、一気に殺してやろうかとも思っていたけど……気が変わった。こんな奴、あっさり殺したらもったいない。
じわじわと、恐怖を味わわせながら、殺してやる。




