第86話 たいした忠誠心
「ぐ、かっ……ア、ン……」
手をかけたウィルドレッド・サラ・マルゴニアの首は細く、両手を添えれば女の私でも、簡単に折れてしまえるのではないかと思えるほどだ。ま、今の私には片手しかないし、私なら片手でもいけそうなんだけどね。
その体を持ち上げると、私が手に力を込めなくても重力の関係で、自然と体重がかかる。
それが原因となり、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの首はなにもしなくても絞まっていく。このままなにもしなくても……死ぬ。
「ぁっ、が……たず、け……!」
あの余裕な態度はどこへやら。今じゃ目に涙を浮かべ、私に助けを乞うている。口からはよだれを垂らし、とても見られたもんじゃないほどにだらしない姿だ。うわ、汚いなぁ。
じわじわ殺すと数秒前に決めたけど、もう気が変わりそうだ。この男のこんな顔、こんな至近距離でこれ以上見たくないし……もうこのまま、殺しちゃおっかな。手に力を入れるだけで、簡単に首を折ることが……
「……」
ガキンッ……!
「あー、さすがにモタモタしすぎたかな」
視界の端に映った、銀色に光る物体。体が自然に反応し、避ける……寸前に、どこからか飛んできた『呪剣』がそれを受け止める。銀色のそれは、鈍く光る剣だ……剣を持つのは、倒れていたはずのグレゴだ。
さっきまで倒れていたはずの彼がいるってことは……なにも邪魔が入らなかったとはいえ、少しモタつきすぎたか。ただ、それでもこの短時間で意識を取り戻し、その上私に剣を向けるなんて、さすがの精神力だ。
この精神力こそが、さすがグレゴが『剣星』と言われる要因の一つだろう。
「げほっ、アンズ……王子は、やらせ……ない!」
「ありゃ、おとなしく寝てればいいのに。多分、内臓ぐちゃぐちゃなはずだよ」
……凄まじい精神力だが、私にはわかる。グレゴの体は、もうボロボロだ。平気なふりをして立っているし、外見からはそんなにダメージが目立たないからたちが悪いだけ。外じゃない、中がボロボロなんだ。
本人も、それはわかっているはず……
「かま、わん……王子、を、殺させは……しない……!」
なのに、引かない。一歩も。わからない、なんでこうもボロボロになってまで、グレゴは、こんな男のために戦おうとするのか。
この男に、命を懸けるほどの価値なんてない。ただ、それを言っても今のグレゴの耳には届かないだろうし、それこそ殺さない限り、何度でも這い上がってくるだろう。
こうまで何度も私に向かってきたんだ。ただ殺すのはなんだか、つまらない。どうせなら、グレゴにも絶望を与えたところで……
「あ、そうだ」
いいことを、思い付いた。このままウィルドレッド・サラ・マルゴニアを絞め殺すよりも、そっちの方が面白い。それはグレゴにも、効くだろう。
「グレゴ、そんなに力を込めたら危ないよ……」
グレゴは今、私に剣を振り下ろしている状態。そしてそれを、なぜだか『呪剣』が受け止めている。
だから私は……ウィルドレッド・サラ・マルゴニアから手を離し、『呪剣』の柄を掴む。それによって、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアは地面に尻餅をついた状態だ。
「うっ……げ、ほぉ! ぅえ、えぇ!」
今まで首を絞められていたんだ、解放されたことで本人は咳き込み、呼吸を整えようとする。その行為に夢中で、他のことには注意がいっていない。それどころではないらしい。
で、私はと言うと……受け止めていたグレゴの剣の、軌道を変える。受け止めていた状態から、軌道を導くのだ……すでに勢いの乗ったそれは、止まることはない。
受け流された剣の軌道……それは私が操作し、振り下ろされていく。その先に、あるのは……
ザクッ……!
「!? ぎ、ぁあああぁあ!?」
「お、王子!?」
肉を断つ嫌な音。ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの右腕……それは、グレゴの剣によって切断された。正しくは、私が誘導したグレゴの剣によって、だけど。
ただまあ、結果だけ見れば……グレゴが、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの右腕を切り落としたということだ。
「あぁあっ、右腕! ボクの、み、右腕ぇええぇ!?!?」
「これでお揃いだね。全然嬉しくないけど」
切断面から出血し、ウィルドレッド・サラ・マルゴニアの顔はみるみる青ざめていく。先ほどまでくっ付いていた、あって当然として過ごしてきたものが突然なくなれば、当然か。
私と同じ苦しみ……そんなの、外見だけの話だけど。心の傷は、同じになるはずもない。
「あ、あぁ……お、おれ、の、剣で……王子を……」
さすがのグレゴといえど、自分の剣が守るべき者を傷つけた事実に、動揺を隠せない。肉体も、精神も……グレゴには、相当こたえたようだ。
自らの意思でないにしても、たった今行なった自身の行為……その事実は、消えないし手の中に残る。
いかに精神力の強いグレゴでも……守るべき者に危害が加わったとなれば、弱い。それが自らの手で下したとなれば、なおのこと。
「ごめんねグレゴー。でも、何度も邪魔するから悪いんだよ?」
これでも、グレゴの剣でウィルドレッド・サラ・マルゴニアの命をとる、という行為をしなかったのだから褒めてもらいたい。まあ、それは自分のためだけど。
自分の手でとどめを刺せないんじゃ、意味がないから。
「あぁああっ、腕、うでぇええ! 頼む、アンズ……血を、せめて血を、止めてくれぇえええ!!」
「……」
この状況で誰かに助けを求める気持ちはわかるけど……よりによって私に、なんてね。
「あぁあ、血がなくなっ、て……し、死ぬ……し……」
「安心しなよ、これで死んだら私がとどめを刺したことにならないし」
私が魔法で血を止めるのは、もちろんこの男を助けるためではない。右腕を失った程度で、私の気持ちが晴れるわけない。グレゴの剣による出血死なんてしちゃったら、私が手を下したことにはならないじゃないか。
グレゴにこれ以上の絶望を与えるならそれもありだけど……ここまできて私の手でヤらないのは嘘だろう。どのみち、グレゴはすでに放心してるしね。
「あぁ、血が、止まって……ぅあ、ぐぅっ……」
血は止める。ただし、痛みが消えるわけではない。狙ってやるのではない、私の回復魔法は、傷口のみを治すものなのだから。
しかも、こんな大けがを治すことができるのは、エリシアくらいだ。ここにいる魔法術師では話にならない。そのエリシアも今は、気絶しちゃってるけどね。
筋肉ゴリラのグレゴと違い、エリシアに私の一撃は重すぎたかな。
よってエリシアの助けも、ない。え、同じく腕を失ってる私はどうなんだって? 痛いに決まってる。油断すれば泣きたくなるくらいには。
その痛みを凌駕するくらい、今は復讐の気持ちでいっぱい。アドレナリンドバドバなだけだ。
「民、臣下、腕……次は、なにをあんたから奪おうか?」




