第64話 震えるほどの狂気
目の前に広がるのは、自我を失い、本能のままに暴れ狂う奴隷たちの姿。ある者は同じ奴隷同士で取っ組み合い、ある者は自分達を奴隷にした憎き商人を襲い、ある者は人気のあるところへと向かい……
そして標的は、側にいたユーデリアにも向けられる。しかし……
「ぐあぁ! おっ……」
ユーデリアは、正気を失ったとはいえ同じく奴隷の境遇を共にした者を、容赦なく切り裂いていく。一人、また一人と……切なげにすら聞こえる奴隷の叫びは、ユーデリアの動きを鈍らせるには至らない。
境遇を同じくした、いわば奴隷仲間だ。それを、躊躇なく……いや、それ以前に、人間を殺すことをためらいなくやってのけるとは。
あの動きは、人を殺すことに慣れているのか? 初めてなら、それはそれですごいことだけど。
「……はっ!」
ザシュッ……
傷つけても、骨を折っても、腕すら切り落としても……彼らは、倒れることはない。痛覚が、ないから。痛みを感じていないから。
そんな彼らを倒す、唯一の方法……命を絶つことだ。立てなくなるまで殴り続けても意味がない。それなら、命を奪うほどの一撃をおみまいすることだ。
「はぁ!!」
私も、寄ってくる奴隷たちを打ち倒していく。この拳ならば、常人相手なら体を貫くことも可能だ。
脅威なのは、痛覚遮断だけ。一撃の下に葬れば問題ないし、確実に命を絶ってしまえば動き出すことももうない。
これならば、魔物の大群を相手にするよりも楽だ。魔物はどこからもなく沸いてくるが、こいつらの数には制限がある。それに、ユーデリアのようにうまく剣から逃れている者がいれば、それ以上数は増えない。
もしユーデリア以外にも、『呪剣』から逃れている奴隷がいれば、一緒に連れていってもいいんだけど……
レロォ……
「ひぃ!?」
その時だ。足首になにか、違和感。まるでなにかに舐められたような感覚……なにこれ、気持ち悪!
群がる奴隷を吹き飛ばし、足下を見る。そこには、ボコボコに殴り飛ばしたはずのコルマがいた。地面を這ってきたのか、いつの間にか足下にまで到達していたのか……いや、そんなことはどうでもいい。
問題は、コルマが舌を伸ばし、私のことを見上げながら気色の悪い笑みを浮かべていることだ。今の、妙な違和感……なにかに舐められたような、感覚の正体は……
「ぅえへへ……アンんん……」
「いやぁああああ!!」
こいつ、今、舐めたのか!? 私の足首を!? 信じられない!
「死ね変態!!」
「ぶぺっ!?」
歪んだ笑顔を浮かべる顔を、思い切り蹴る。爪先を、コルマの鼻にめり込ませ……蹴り飛ばした。
あれだけやって、まだ動けるのか……確かにとどめこそさしてなかったが、コルマは別に『呪剣』に斬られているわけじゃない。なのに、『呪剣』に斬られた者と同等の耐久力を持っている。
まさか、『呪剣』の使い手は自我を失わずして、斬られた者と同じ効力を得るとか……? それなら、コルマの様子にも納得はいくが……
……うぇ、ダメだ。舐められた足首が気持ち悪すぎて、考え事に集中できない! 拭いたいけど、触りたくない! なにか拭くもの拭くもの……
「アンんんん……」
なおも立ち上がってくるコルマ。そこにあるのは、震えるほどの狂気。その執念だけは見上げたものだが……もう、ここで終わりにしてやる。
痛覚が遮断されているだけで、もはや動くこともできないほどの体……その動きを完全に停止させるには、やはりこれしかない。
「うぁああああ!!」
ザシュッ……!
「かっは……!」
コルマの胸元に、風穴が空く。それは、私が拳を突き刺し……肉体を貫通するほどの、威力を持っていたからだ。
確実に、心の臓を捉えた。生きている限り動き続けるそれが……ゆっくりと機能停止するのが、伝わってくる。
「ア、ン…………おれ、は……キミが、欲し……」
「もう黙りなよ」
未だなにかを言おうとするコルマ。もうこいつの声は聞きたくなかったので、体を貫いた腕を引き抜く。栓をなくした体からは、止まっていた血が一気に溢れだす。
最後に軽く蹴り飛ばし、コルマは仰向けに倒れていく。その間も、私から目を離すことは決してなくて。歪んだ笑みを、浮かべたままに。
「ぁ……アン、キミ、にも……わざ、わい……が…………この、先……のろ、われ……」
「いいから早くくたばりなよ」
最後に、なんだか意味深な言葉を吐きつつも……ドサッ……と、コルマは地面に倒れ、完全に息の根は止まった。はずだ。はずなんだけど……もはや確認するのも面倒だ。
念には念を入れておこう。
「…………さよなら」
…………そして数分と経たないうちに、自我を失った奴隷たちは全滅した。奴隷だけではない。奴隷商人であるリーブスも、ロッシーニも。そして、今私の足下にいるコルマも。
コルマは、単に自我を失った奴らとは違う反応を見せていた。それが『呪剣』による、使用者への呪いの影響なのか、今となってはもうわからない。それを彼の口から聞くことは、もうできない。
いかにしつこく、立ち上がってきたとはいえ……頭を潰されればもう、奴の生命活動は、完全に停止しただろう。




