第60話 教育しきれていない獣
「……っ!」
首輪を外した瞬間、目の前の少年は大きな口を開けて飛びかかってきた。私の首筋を正確に狙う氷狼族の少年の名は、ユーデリア。私が買った奴隷だ。
彼の狙いは、完璧だ。とても、さっきまで奴隷として拘束され、死んだ目を浮かべていたとは思えないほどの行動力。そして……殺意。
なるほど、あんな目にあっていたのに、この子の目は死んでいない……私を、いや奴隷の敵を殺すための憎悪で満ちている。
いい殺意と、いい狙い、それにいい目だ……だけど、足りない。
「……ふっ」
飛びかかってくる殺意の塊。それは、体をそらすだけで簡単にかわすことができる。一直線に飛んでくるそれを、体勢をずらすことで回避……その隙に、がら空きのボディに拳を打ち込む。
「! かっ、は……!」
なんの防御もなく、もろに拳をボディにくらい、ユーデリアは受け身もとれずその場に倒れこむ。
「く、クーマ殿! 貴様ぁ!」
一瞬の出来事。すべてが終わったあと、ようやく事態を把握したリーブスが、驚愕に顔を歪める。
それはそうだろう……今までおとなしかった奴隷がいきなり飛び出し、あまつさえ飼い主の喉笛に噛みつこうとしたのだから。
その上、それは失敗。代わりに、私にカウンターを決められたことで、動けないほどにダメージを感じているのだろうから。それでも、彼の目から憎悪は失われていない。
「まだそんな目を……! どうなるかわかっているんだろうな」
「!」
怒りに震えるリーブスが、懐から鞭のようなものを出し、それを勢いよく地面に叩きつける。バチンッと乾いた音が響く。
その音聞いた瞬間、先ほどまであんなに殺意にまみれていたユーデリアが肩を震わせ、気配が小さくなる。その目も、憎悪を孕んだものから一気に怯えたようなものに。
あーあ、せっかくいい目をしていたのに。
……それに、ユーデリアだけではない。その音を聞いた瞬間、他の奴隷も皆一様に震えている。なるほど……奴隷達の心を縛っていたのは、電撃だけではなかったってことだ。
この男そのものが、恐怖の象徴か。
「落ち着いてくださいリーブスさん。私はこの通りピンピンしてますから」
「し、しかし……」
飼い慣らしたと思っていた奴隷に、まだ自分達に楯突くだけの気力があったのだ。驚き……よりも、怒りの方が強いのだろう、リーブスには。
それにしても……驚愕に顔を歪めるリーブスやおろおろしているロッシーニと違い、コルマはその様子がない。涼しい顔をしている。
私が死のうがどうでもいいのか……私が攻撃をかわすのを、わかっていたのか。
「申し訳ありません! 充分躾けたつもりでしたが、まだそんな気力が残っていたとは……そんな欠陥品、お売りするわけにはいきません。私共で、再教育いたしますので」
「……!」
再教育……その言葉を聞いた瞬間に、ユーデリアの目は絶望に染まる。おそらく、これまでと……いや、これまで以上のひどいことをされてしまうと思ったのだろう。さっきの殺意の塊はどこへやらだ。
教育と言えば聞こえはいいが、その実調教と言ってもいいだろう。飼い主に噛みついたのだから、当然と言えば当然だ。が……こんないい獣を殺すなんて、とんでもない。
「いえ、それには及びません。ますます気に入りましたよ、この子」
「へ……?」
「……っ?」
気に入った……それは事実だ。その意味を理解していないリーブスも、当のユーデリア本人も、頭の上にはてなを浮かべているが。
だって……こんなぼろぼろになっていても、私に、いや世界に抗うほどの殺意を持っていたんだもの。あの時の殺意は、ゾクッと来たよ。
「ねぇキミ……ユーデリアくん、だよね。私はアン、これから仲良くしよーね」
「ぐっ……げほっ! ふ、ふざ、けるな! 誰が……」
ようやくしゃべったと思ったら……身動きがとれないのに、反抗的なんだから。大丈夫、おねーさんは怖くないよー。笑顔笑顔。
「仲良く、しよーね?」
「……!」
……ほら、おとなしくなった。うんうん、こっちが好意で迫ってるんだから、いつまでも反抗的じゃ困るよ。
「……食えない女だ。……まあいいじゃないですかリーブス殿、アンもああ言ってるんですし」
「しかし……」
前半、コルマがなにか言ったようだがよく聞こえなかった。しかし、コルマはリーブスのように渋るわけでもなく、むしろ私の後押しをしてくれる。
この男は本当に、どこまで私のことを……私の心を、読んでいる?
「ぬぅ……まあコルマ殿が、なにより本人がいいと言うのだから、これ以上なにも言えませんな」
「ありがとうございます」
結局はリーブスが折れ、これで正真正銘、ユーデリアは私の奴隷となった。ちなみに、首輪は外したままだが、ユーデリアから戦意は消えていた。
消えていたけど、この子……『いつでも寝首をかいてやるから覚悟しろ』みたいな顔しちゃってまぁ。そんな殺意バレバレの顔されると、こう……ゾクゾクしちゃうな。
いけないいけない、私に対する殺意は後回し。まずは、協力者になってもらわないと。
「それにしてもすごいなアンは。この奴隷も素早かったが、それをかわしてカウンターまで決めるなんて」
「たまたまですよ」
「たまたま、ね。とてもそんな動きには見えなかったけど?」
まただ……なんなんだ、この男は。まるで、私のことを値踏みするように、一つ一つ言葉を選んでから発しているようだ。
「惜しいな……アンみたいな奴隷がいれば、一生仲良くやっていける自信があるのに」
「…………」
呟くような言葉……だけど今度こそは聞こえたぞ。こいつ……つまり、私を奴隷にしたいって、思ってるのか? やだ、気持ち悪い……!
今こいつの中では、私が奴隷であった場合どう犯し、侵し、なぶるのかを考えているのだろう。鳥肌が立つ。考えただけで吐きそうだ。
「なぁアン……アンみたいな、強くて美しい奴隷……はぁ、はぁ……どこかに、いないかな……」
……ついに、隠しもしなくなったか。ていうか鼻息荒くしないでくれないかな。本当に気持ち悪いよ。
「それは、リーブスさんとロッシーニさんのお二人に期待してくださいよ」
「それもそうだね。安心しなよ、アンが奴隷だなんて、そんなこと妄想でしか考えて……あぁいや、でも……はぁ、あぁっ。だ、ダメだよ。そんなこと、考えちゃ……あぁ!」
「……?」
なんだこいつ、様子が……おかしい。鼻息は荒いし、私のことを性的な……いや変な目で見てくるし、なんか変な声出してるし。
さっきから様子が変だ。元々変人なのを隠していたのが、オープン変人になったような……なにか原因でもあるのか? 私が、ユーデリアを撃退したから、それで変なスイッチ入った?
「あぁっ! そのすべすべそうな白い肌、何事にも物怖じしない精神力、フードから覗く美しい髪、先ほど見せた戦闘センス、膨らみかけの胸、隠しきれないその殺意……その、強い瞳」
「ひっ……」
な、なにこいつ……気持ち悪! 肌!? 髪!? 胸!? 顔はもちろん、体だって公にさらしてるわけじゃないのに……どこ見てんの!? それに、殺意って言った!? 殺意は殺してたはず!
急に、壊れたラジオみたいに変貌して……こんなキモいやつ、魔族にだっていなかったよ!
「はぁっ、は、あぁ……も、もう我慢できないぃ! アン、俺の、ど、奴隷になれぇ!」
「!」
まるで、抑えていた欲求が爆発したように、コルデは叫び……顔を歪ませ、剣を抜く。その動作と、振るわれる剣に向けて私が拳を振るったのは、ほとんど同時だった。




