忍務21 たねあかしと、はじめてのきょうどうさぎょう
あるとき、一匹の魔物が生まれた。小さな身体の、ちっぽけな虫の魔物だった。知能は無きに等しく、ただ生きるために魔物としての生を送っていた。魔族に率いられ、その魔物は戦場へと出た。虫使いの魔族の配下として、多くの同胞とともに魔物は人間を食らい、成長していった。
やがて、虫使いの魔物は冒険者との戦いで命を落とす。その魔物も、そこで討伐され短い命を散らすはずであった。だが、その魔物は小さく、か弱い虫の姿であった。そのため、冒険者たちはこれを見落とし、凱旋していった。魔物は虫使いの死骸を食らい、奇跡的に知能を受け継いだ。それが、魔族ジブラータンの誕生の瞬間だった。
ジブラータンは自我を得て、虫を操る術を手に入れる。研鑽を重ねて、やがて高度な幻術を操るまでに成長を遂げていったジブラータンは、群魔という二つ名を持つ強力な魔族となった。
ジブラータンの幻術は、質量を伴っているために見破ることは困難を極める。術の仕組みに気付いた者は過去に存在しない。見敵必殺の意をもって、彼は敵対者の全てを眷属の虫たちとともに食らってきたのだ。色々な意味で、彼は人族にとって災厄ともいうべき存在であった。
森を抜けて、駆けつけたダクとエルファンが見たものはゴンザの無残な姿であった。黒い忍者服はボロボロになり、手を前に出したままうつ伏せに倒れ伏している。周囲にはゴンザの得物である鞭が、力を失った触手のように散乱している。そして、ゴンザの前にはローブを纏った魔族が立っていた。
「ほえ、ゴンザさま!」
魔族の手から、黒い魔力球が放たれる。飛び出したダクは、魔力球が着弾する直前にゴンザの身体を掬い上げ、横っ飛びに駆け抜けた。
「ほう、新しい獲物が飛び込んできたか」
魔族の男が、ごろごろと転がるダクとゴンザに右手を向けた。
「どこを見ている。マジックアロー!」
エルファンが背を向けた魔族へ、魔法の矢を放つ。頭に二本、背中に一本の魔力の矢が魔族に突き立った。
「くっ、煩わしい!」
魔族が吐き捨てるように言いながら、ぶるりと全身を震わせる。突き立っていた魔力の矢が抜けて、光になって消えた。
「ゴンザさま! ゴンザさま!」
ゴンザを抱えたダクが、大きくゴンザを揺さぶりながら呼びかける。
「ぐ、おお、だ、ダク、揺らすでない、傷口が」
「ほえ?」
苦しそうに呻くゴンザの胸元に開いた、大きな傷口から血が溢れる。
「なめておけばなおります!」
「限度があるわ、馬鹿者! あいたたた……」
ゴンザの胸をはだけ、傷口を舐めようとするダクをゴンザが一喝して止める。どうみても重症で、舐めたくらいでは治りそうにない。絵的に誰得な光景を、変えたのはエルファンだった。
「癒しの精霊よ……ヒール!」
いつの間にかダクとゴンザの側へと立ったエルファンが、傷口に手をかざす。ゴンザの傷口が、みるみるうちに塞がっていった。
「お、おお……エルファン様!」
エルファンの姿を見止め、ゴンザが声を上げる。
「留守居ご苦労、ゴンザ」
エルファンがゴンザの巨体を持ち上げ、肩に担ぎながら言う。ゴンザの表情が、悔しげに歪んだ。
「相すみませぬ、エルファン様……頭目の留守居を任されておりながら、このありさまで」
「あまり喋るな。魔法で傷は塞いだが、深手は治っていないのだ」
むせび泣くゴンザを俵持ちに抱えながら、エルファンはダクに目をやった。
「ダク、私はゴンザを館へ連れ帰る。あいつの相手は、お前に任せるぞ。時間を稼ぐだけでいい」
エルファンの言葉に、ダクはこっくりとうなずいた。
「ほえ! エルファンさま……べつにたおしてしまっても、かまいませんか?」
「その発言は、フラグというものだからやめておけ」
悠然と、ゴンザを抱えたエルファンが魔族に背を向け歩いて行く。
「随分と余裕のようだが……我の前から、逃げおおせるとでも思っているのか?」
存在感をアピールするかのように、魔族が足元から虫を召喚し、エルファンへとけしかける。
「忍法、かまいたち!」
ダクの左手が一閃し、現れた虫たちは黒い塵となって消えた。
「な、何ぃ!」
驚きの声を上げる魔族に対峙したダクが、左手を前に構える。
「ほえ、ぼくがあいてだ!」
低い体勢になったダクの姿が、ブレるように消える。一瞬の後、連続した打撃音とともに魔族の身体が吹き飛ばされた。
「ゴンザさまと、げにんのみんな……それに、ダンゴさまのかたきうちだ! やっつけてやる!」
膝をついて体勢を立て直そうとする魔族へ、ダクがさらに追撃を入れる。
「お、おのれ、この群魔のジブラータン、お前ごとき小童にやられるものか!」
ローブをはためかせて、ジブラータンが虫を呼び出し盾にする。激しい戦いの、始まりだった。
ゴンザを抱え、エルファンは館への道を歩いて行く。右手でゴンザを支えて、左手には落ちていたゴンザの鞭が握られている。
「しばらくは、持つことだろう」
背後のダクと魔族の戦いの音を聞きながら、エルファンは呟く。
「し、しかし、かの魔族は手ごわいですぞ、エルファン様。ダクには、少し荷が重いのでは」
ゴンザの言葉に、エルファンは不敵な笑みを浮かべる。
「タネさえわかってしまえば、どうということもない相手だ」
物陰から襲い来る虫を、鞭の一閃で消し飛ばしてエルファンは言う。虫は死骸を残さず、塵へとなって消えていく。
「……幻術、ですか」
ゴンザの口から、声が漏れた。鞭を振るい道を作りながら、エルファンはうなずく。
「そうだ。少し観察すれば、わかることだぞ、ゴンザ?」
「面目次第もございませぬ」
エルファンの言う通り、虫の死骸を調べれば判ることであった。だが、突然グロい虫たちに襲われ、死骸を調べられるほどの精神的余裕が、下忍たちには無かったのだ。さらに、体育会系脳筋思考のゴンザが下忍たちの指揮を執っていたこともまずかった。まんまとゴンザは、ジブラータンの術に嵌められてしまっていたのだ。
「今後の働きで、此度の恥は雪ぐと良い。今は、しっかりと傷を癒せ」
「虫どもは、如何いたしましょう? 幻術とはいえ、数が多すぎまする」
ゴンザの問いに、エルファンの顔から表情が消えた。
「あいつを、使う。もう戻っている頃だろう」
エルファンの口から出た人物に、ゴンザの心当たりはひとつだけだ。
「頭目を、動かされるのですか」
「そうだ。此度の襲撃も、あいつが不用意に留守などするからここまで事態を進められてしまったのだ。少しくらい、働かせても罰は当たるまい?」
エルファンの言葉に、ゴンザはぐっと呻きを漏らす。
「今回の襲撃の件は、全て私の至らなさが招いたことです。どうぞ、頭目には寛大な処置を……」
「僭越だな、ゴンザ。部下の不始末は、上司が責任を取るものだ。心配せずとも、別に罪に問うことはない」
ゴンザは何も言えず、息を飲み込んだ。エルファンもそれ以上は語らず、沈黙のまま歩みを続けていった。
ダクに向かって、ジブラータンの右手が突き出される。射出される魔力光線をかわし、ダクが左手の鎌鼬でその右手を切断する。
「おお、実に痛いな」
言葉とは裏腹に、ジブラータンは切断された右手を平然と捨て置いて左手をダクにかざす。
「忍法、かまいたち!」
ジブラータンのローブが千切れ飛び、左手がごとりと落ちた。
「ふはははは!」
だが、ジブラータンは笑う。そして、失った左右の腕がその身体から生えた。
「ほ、ほえ? どーなってるの? てごたえは、たしかにあったのに」
目を丸くするダクに、ジブラータンは得意げな表情である。
「切られる瞬間に、手を引っ込めておいたのだ。簡単なトリックだよ」
ローブの袖をぶらぶらさせて、ジブラータンが言う。
「ほえ、それなら!」
ダクの姿が掻き消え、ジブラータンの背後へ現れる。
「忍法、かまいたち!」
無慈悲な鎌鼬の一閃が、ジブラータンの首をとらえた。鮮血を上げながら、ジブラータンの首が地面に落ちる。
「おっと、そんなことをされては死んでしまう!」
だが、おどけた調子のジブラータンの声とともに、切り落とした部分から首がにょっきりと生えてくる。
「ほええ?」
驚くダクの前で、ジブラータンはからかうように首を縮めてローブの中に出し入れしてみせた。
「トリックだよ、トリック」
同時に、ダクの左右から虫が襲い掛かる。バック転をしながら、ダクは両足で二匹の虫を蹴りとばす。虫は塵となり、空中に溶けるように消えた。
「無駄だ、無駄だ! お前のような単純馬鹿に、我のトリックは破れん」
「ほえ……それなら! 忍法、もぐらたたき!」
懐からハンマーを取り出し、ダクはジブラータンの背後へ回る。そして勢いよくハンマーを、その頭部へと振り下ろした。ごつん、と星が散る。
「おおお、痛い痛い!」
痛がるジブラータンの手足を、ハンマーでさらに叩く。ジブラータンは首や手足を引っ込め、巧みにハンマーの一撃をいなしていく。
「ふはははは! それ、こっちだぞ! お、違った、こっちだ!」
ジブラータンの頭部が、手や足のある部分からひょこりと出てくる。だが、ダクがハンマーを振り下ろすと引っ込んでしまうのだ。緊張感の無い攻防戦が、しばし続いた。
「ほえぇ……もうだめ」
先に参ったのは、ダクである。重いハンマーを振るい、ジブラータンの頭を追って動き続けていたからだ。さらに、たまに横やりを入れてくる虫に対する対処もあった。
「忍法もぐらたたき、敗れたり!」
仁王立ちになったジブラータンが、どや顔で言う。悔しいことに、ダクにはどうすることもできなかった。
「そろそろ、終わりにするか」
肩を落とすダクの周囲に、十数匹もの虫が殺到する。全方位からの、隙の無い布陣だった。ジブラータンも右手を出して、魔力球を発している。
「なかなか楽しかったぞ、小童」
「ほ、ほえ……こうなったら、忍法、ふーじん……いたい」
両手を構えようとしたダクが、苦痛の呻きを上げる。ダクの右手の負傷は、治りきっていなかった。強い痛みが右手から這い上がり、ダクの忍法に必要な集中を妨げる。絶体絶命であった。ダクは目を閉じ、最後の時を待つ。
十秒、時が流れた。ダクは恐る恐る目を開ける。
「ほ、ほえ?」
対峙するジブラータンの様子が、どこかおかしい。空を見上げ、わなわなと身を震わせている。
「ば、ばかな……我が、眷属が……眷属たちが……」
首を傾げて見つめていたダクが、上に飛び上がる。ダクの足元に群れていた虫たちに、細い刃物が突き立ったのはその直後のことだ。核を貫かれ、虫たちはなすすべもなく塵へと帰る。
「な、何だ、この気配は……!」
戦慄の声を、ジブラータンが上げる。同時に、ダクがジブラータンに背を向けて跪いた。
「ほえ! とーもく!」
「ダクよ、時間稼ぎ、大儀であった」
正体不明の声とともに、黒装束の忍者が現れる。全身を、そして顔面までも黒の衣装で覆う異形の忍者。それは、エルファン領の忍者の頂点、頭目の姿である。その外見からは、それが男であるのか女であるのか、老いているのか幼いのか、そして人族であるのか魔族であるのか、何もかもが判らない。理解できるのは、周囲の大気が歪むほどの威圧感が、そこにあるということだけだ。
「とーもく、どうしてここに?」
地に膝をついたまま、ダクが首を傾げる。
「エルファンより、話は全て聞いた。後始末をするために、私自らがここへ足を運んだのだ」
言いながら、頭目の右手が霞んだ。
「のぐおぅ!」
くぐもった悲鳴を上げて、ジブラータンがのけぞる。頭目の放った鎌鼬が、ジブラータンの胴体を切り裂いたのだ。
「ダク、鎌鼬は放てるか?」
切断されたジブラータンの胴部が、再生してゆく。その光景に目もくれず、頭目がダクに視線を送る。
「ほえ! かまいたちなら、まだだいじょうぶです!」
元気よくダクはうなずき、頭目の隣でジブラータンに向き直った。
「忍法、影縛り……」
頭目の左手から、細い刃物が投じられる。それはジブラータンの足を深々と貫き、地面へと縫いとめる。
「く、だが、こんな刃物で我を倒せるとは思わぬことだ!」
ジブラータンが叫ぶ。だが、その身体はぴくりとも動かない。
「影を縛ったのだ。お前はもう、動けぬ」
頭目の両手が、印の形に組み合わされる。
「ダクよ、私の術に合わせて鎌鼬を放つのだ……」
「ほえ! わかりました、とーもく!」
ダクもまた、左手だけで空中に印を描く。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前……」
「りん、ぴょー、とお、しゃ、かい、じん、れつ、ざい、ぜん!」
天の空気が、そして地を流れる風が、二人の忍者の周囲に集まる。密度の高い烈風が、ばりばりと音立てて吹き荒れ始める。
「お、おのれ、身体が動かん! 眷属は……い、いない! 全滅だと?!」
焦りの声で、ジブラータンが虫を召喚しようとする。だが、足元からは何も現れない。どうやら、打ち止めのようだった。
「忍法、雷神竜巻! ダク、鎌鼬を!」
「忍法かまいたち……ほええ、かみなり!」
ダクの放った鎌鼬が、頭目の手から生み出された竜巻に飲まれていく。竜巻は周囲に放電をもたらし、雷を見たダクが腰を抜かして座り込む。
「合体忍法、斬撃神嵐!」
頭目の掛け声とともに、竜巻がジブラータンの全身を包み込む。鎌鼬と雷によって、ジブラータンのローブがずたずたに引き裂かれ、中から一匹のコガネムシが姿を見せた。
「おのれ! 覚えておれ! いつかお前を倒し、魔族の世を……」
傷だらけになりながら、コガネムシが竜巻の中を飛んでいく。
「ダク、奴が逃げる。とどめを刺せ!」
頭目が、ダクに声をかける。術の制御で、頭目は手が離せないのだ。制御を失えば、竜巻は領主の町を破壊し尽してしまう。ダクは、しかし、動けなかった。
「か、かみなりこわいー!」
頭を抱え、身体を丸めてダクは悲鳴を上げていた。物心ついたころから、ダクは雷が苦手だったのだ。
「え?」
正体不明の、気の抜けた声が漏れる。呆然とする頭目と、頭を抱えるダクの前でコガネムシの魔物は竜巻に乗り、空高く飛んで行った。
「ダク、しっかりしろ」
竜巻が消え、周囲にそよ風が吹き始める。頭を抱えるダクの側へしゃがんで、頭目がダクの肩を揺さぶった。
「かみなり……こわい」
ぽてり、と気を失ったダクの身体が頭目の腕の中へ倒れ込む。ぽん、と頭目の覆面の中で音が鳴り、覆面の内側から尖った何かが布地を押し上げる。
「ク、ククク……」
すっかりと平和の戻った町の中に、愉悦を含んだ正体不明の含み笑いが響いていった。
こうして、エルファン領を襲った魔族、ジブラータンとの戦いは幕を閉じたのであった。




