忍務19 領主さまの手当
今回も、短めです。
魔物の軍勢は、最初は核となる一匹の魔物から始まる。魔界を出て人族の領土を侵し、魔物は増殖してゆく。地形や食料の質などに合わせて、核の魔物は性質を変化させたりしながらその数を殖やしていくのだ。
そうして一定の量に達した魔物を率いて、魔族はさらに侵攻を繰り返す。己の持つ魔物の繁殖と、破壊の本能に従って侵攻は大規模になってゆく。
増殖した魔物は、核となる魔物を倒すことによって野生化する。知能や強さ、そして繁殖スピードが著しく減少してしまうものの、倒されない限りは自然に絶滅するものは少ない。環境に依存して変化した性質が、生存に適したものになっているからだ。そうして野生化した魔物は、冒険者たちによって狩られることとなる。
物資の少ない魔界において、大軍は存在することが難しい。厳しい山脈に囲まれているため、大軍を必要とする場面はほとんど無い。そのため、魔族たちは核となるシモベを数体従え、少数で侵攻する者がほとんどである。魔物の増殖に必要な空間だけならば、魔族の強大な力であれば個人で確保できる。
もちろん、例外もある。群体として存在する魔族だ。それらは平時においても殖え続け、魔界に様々な影響を与える。そして彼らが人族の領土へ侵攻する際には、初めから大軍をもって大地を侵してゆくのだ。
目を開けたダクの視界に、一人のエルフの姿があった。華奢な長身を仕立ての良い貴族服に包み、ダクの右手へと包帯を巻いている。
「気が付いたか」
女性の硬質な声が、ダクの耳に届いた。
「ほえ、ここは……?」
半身を起こしたダクの頭が、ふらふらとした。視界もぼやけたり、波打って揺れたりと安定しない。
「無理はしないほうがいい。血が足りていないのだから」
そう言って、エルフの女性はダクに手を差し伸べた。手を借りて立ち上がり、ダクは改めて周囲を見る。簡素な木の壁と床があり、ダクが寝かされていたのは寝台らしかった。
「ここは、私の領内の森だ。お前は空から降ってきて、森の中に倒れていた。たまたま、偶然に通りかかった私がここへ連れてきて、手当をしたのだ」
ダクの右手を持ち上げて、女性が言った。偶然、をやけに強調していたが、ダクはあまり深く考えない。
「ほえ。おねーさんが、たすけてくれたの?」
ダクの問いに、女性はこくんとうなずいた。それからダクの右手の指を取り、一本一本確かめるように動かしていく。
「不調は、あるか?」
ダクも自分で右手を握ったり、開いたりしてみる。きゅっと、女性の指を握る。動かすことは、問題ないようだ。ダクはにっこり笑い、首を横へ振った。
「ほえ、だいじょうぶ。ありがとう、おねーさん」
無邪気なダクの様子に、女性は安心したように息を吐いてダクの頭を撫でた。
「無事でなによりだ。礼には及ばない」
女性の指がダクの髪を滑り、長い耳を指でなぞる。あっ、とダクは慌てた。
「あ、あの、その……えっと」
掟により、外部の者にダークエルフと知られることは禁じられている。だが、この女性には気を失っている間に手当されてしまっており、今更隠し立てはできそうにもない。もしこれが頭目やゴンザに知られれば、ただではすまない。重い拳骨が頭に浮かび、ダクは顔を曇らせた。
「どうした? ダークエルフのダク」
にやり、と女性が笑って言った。何かを企んでいる顔つきだった。
「ほ、ほえ、ぼ、ぼく、ぼくは」
慌てるダクの耳を、女性は愛おしげな手つきで撫で続ける。
「おねがいします! どうか、ぼくのことはないしょにしてください!」
残像のできそうな速度で、ダクのしたことは土下座である。ちらり、とダクが女性を見上げると、ククク、と女性は含み笑いをしていた。
「心配するな。お前のことは知っている、下忍のダク」
「ほえ?」
愉悦の様相を見せる女性に、ダクはぽかんと口を開けた。ダークエルフであることは、隠していない耳を見られれば分かる。だが、忍者であること、そして下っ端の下忍であることは、忍者組織の外にいる者では知りようの無い情報だ。
「からかいが過ぎたな、済まない。お前の慌てる様が、可愛らしかったのでついやりすぎた。私は、エルファン。お前たち忍者の頂点、頭目を使う者だ」
がん、とダクの頭に拳骨の落ちたような衝撃があった。ダクたち下忍はもちろん、中忍、そして上忍にとって頭目は絶対の存在である。その頭目を使いだてできるとすれば、それはもう雲の上の存在なのだ。
「ほ、ほえぇ! とーもくのうえのひと!」
ダクはまん丸に目を見開いて、ゴンザのように額を床へと打ち付けた。とたんに、ぐらぐらと床が揺れる。
「そうかしこまることはない。それに、あまり暴れると小屋が落ちる」
片手を挙げて、エルファンがダクを制した。よくよく床の継ぎ目を見てみると、太い木の枝と地面が見える。どうやらここは、木の上に建てられた小屋らしい。
「ほえ……とーもくよりえらいひとに、きずのてあてを……」
「気にするな、ここには、他の者の目も無い」
ダクの目の前にしゃがんで、エルファンは顔を近づける。じっと見つめてくるその瞳には、好奇心が強く表れていた。
「この小屋も、頭目に作らせたものだ。なかなかの手際だったが、少し作りが甘かったようだな」
「ほえ、とーもくが!」
先ほどの土下座で、小屋が揺れてしまった。もしも小屋が壊れれば、作った頭目のメンツは丸つぶれである。なんとなく理解したダクは、身を震わせた。下手に、動くことはできない。かちんと音立てて固まるダクの顔を、エルファンは面白そうに見つめ続けた。
「それにしても、お前は私を疑わないのだな」
エルファンが、ダクの表情の奥を覗き込んで言う。
「ほえ? とーもくよりもえらいひとを、うたがうんですか?」
ダクがこくん、と首を傾げる。エルファンも合わせて、まったく同じ角度に首を傾げた。
「私が嘘をついていたら、どうするのだ? 頭目よりも偉い、と言われた者には、お前は逆らえないということなのか?」
「ほえ。エルファンさまには、うそをつくけはいがありませんから。ぼくも、げにんのみんなも、しゅぎょうをしているのでわかるんです」
「なるほど、な」
ダクの答えに、エルファンは満足そうにうなずいた。それからダクの頭を、くしゃりと撫でる。
「気に入った。館に帰るまで、私の供をせよ、ダク」
「ほ、ほえ! みに……あまるこうえいです! でも、とーもくのめいれいがないと……」
「なに、あいつには私から後でしっかりと言っておく。心配はいらない。それとも、ダク……私の供は、嫌か?」
エルファンが、横目でダクを少し睨んで言う。ダクは両手を胸の前で振り、首をぶんぶんと振った。
「ほえ、とんでもありません! おともします!」
ダクの返事に、エルファンは快くうなずきを返した。
「では、行くとしようか。もう動けるな、ダク?」
「ほえ! でも、エルファンさま……」
「どうした、まだ、何かあるのか?」
立ち上がるダクに、エルファンが問いかける。
「ほえ。ぼくはにんむのかえりみちに、たくさんのまものにおそわれて……やっつけきれなかったので、まものがうろうろしてるかもしれないです」
「魔物、か。わかった、用心しよう」
不安な顔のダクをよそに、エルファンは壁に立てかけた弓と矢筒を取って、身に着ける。ダクも、寝台の側にあった忍者服を身に着けた。
「準備は、できたようだな。行くぞ、ダク!」
「ほえ!」
小屋の入口に立つエルファンの横を抜けて、ダクは外へ出た。木の枝を蹴り、地面へ足を着ける。背後で、エルファンも着地した。
気配を探れば、そこかしこに魔物を感じる。森の薄闇を、無作為に動き回っているようだった。背後のエルファンにうなずいて見せると、うなずきが返ってくる。それを待ってから、ダクは駆けだした。ごそり、と森の空気が一匹の魔物のように、動きを見せた。




