忍務11 いもうとができました。
パンアンの町は、ゴロンド公爵領内の最北部に位置する町だ。付近の村より集積した農作物が集まり、金貨に変わる。
町の道路には荷運びや旅人相手の、安い屋台が建ち並んでいる。訪れる客は労働者と、そして警備兵がいた。
屋台から出た警備兵たちは、町の四方にある詰所へと戻っていく。詰所がある町の四隅を、石壁が辺として繋いでいる。この町は、かつては砦であったのだ。
この地にあった戦火が終息し、砦はその役目を終えた。そこへ目をつけたのが、チゴヤ商会である。物資の集積所としては、砦は最適だった。余分な施設を解体、改造して、生まれたのがこの町である。町の財貨を守るため、詰所を残して警備兵を配置した。田舎町としてそこそこの繁栄をみせるこの町は、チゴヤ商会の隠し財産を守る砦となっていったのであった。
とてとてと、ダクは町の通りを歩いて行く。魔物の襲撃があったばかりではあるが、十歳ほどの少年を門番は警戒することなく通してくれた。のほほんとしたダクの空気に、危険は感じようがない。親切で子供好きな門番にもらった飴玉を、コロコロと口の中で転がす。
「ほえ……ひとがいっぱいだ」
麻袋を担いで走る荷運び、そして馬車ともすれ違う。初めて見る町の喧騒に、ダクはきょろきょろとあちこちを眺めて感嘆する。由緒正しい、おのぼりさんであった。
「ほえー……」
「よう、坊主。パン食わねえか?」
ぽけっと開けていたダクの口の中へ、パンのかけらが放り込まれた。もぐ、とひと噛みすると、パンはじわりと溶けて消える。
「おいしい!」
パンをくれた屋台の店主に、ダクは笑顔を向ける。店主はうなずいて、台の上に並べたカゴを指した。
「だろう? こんなに美味しいパンが、たったの銅貨五枚! 買ってかない手はないぜ、坊主!」
「ほえ? どう……か?」
首を傾げるダクに、店主があきれ顔になった。
「なんだ、カネ持ってないのか、坊主?」
「ほえ……うん」
「だったら、親父さんかお袋さんを連れてきな。パン、食いたいだろ?」
店主の言葉に、ダクはうつむいた。
「どうした、坊主?」
「ほえ……おとーさん、おかーさん、ぼくにはいないんだ」
ダクが言うと、店主はなぜか後ろを向いて肩を震わせる。
「そ、そっか。悪いこと、聞いちまった……」
「ううん、ぼくのほうこそ、おとーさんとおかーさんがいなくて、ごめんなさい」
ぺこり、とダクが頭を下げる。店主の肩の震えが、大きくなった。
「ええい、これ、持ってけ!」
後ろを向いたまま、店主が棒のような長いパンを突き出してきた。はし、とダクが両手で受け取る。
「ほえ? パン?」
ちょっと先っぽをかじったダクが、声を上げる。
「そうだ。うまいぞ……」
「くれるの? ぼく、どうか、もってないよ?」
「いいから、持ってけ! それからな……」
店主の大きな体が翻り、いきなりダクを抱きしめる。
「ほ、ほえ?」
殺気が感じられないために、ダクの反応は遅れた。店主のがっしりとした腕が、ダクの背中を抱きしめて擦る。
「強く、生きろよ……俺も生きてかなきゃいけないから、これ以上はしてやれない……だけど、いつかチゴヤみてえな大商人になって、そしたら……」
震える声で、店主はどこかに誓った。邪魔をしては、いけないかもしれない。そう考えて、ダクはそっと腕の中から抜け出した。
「ほえ……なんだったのかな」
屋台の通りを飛び越えて、細い路地にダクは着地する。店主から貰ったパンは、懐に仕舞う。
「……けて」
ダクの耳に、かすかな声が聞こえた。ダクは通りに誰もいないことを確認して、右耳をぐにぐにする。ぴょこん、と耳が飛び出しダークエルフの耳になった。そのまま目を閉じて、意識を集中する。
「あの子は、神様の使いだったんだ! ようし、俺はやるぞ……」
「安いよ、安いよー! よくわからないけど、安いよー!」
「旦那、そろそろ酒はやめといたほうが……」
「うめえ! この緑色の肉!」
「……本当に、食べてしまったのか?」
町の屋台の喧騒が、聞こえてくる。声の海の中から、ダクはひとつの声を拾い上げた。
「たすけて……だれか……」
ぴくん、とダクの右耳が動いた。
「ほえ、いまいくよ!」
気合の声と共に、ダクは駆けだした。路地の壁を蹴って、家の壁を足掛かりにダクは一直線に駆けていく。あっという間にたどり着いたのは、袋小路の行き止まりだった。幼い女の子と、そして大人の男が一人。
女の子は、何かを抱きしめるようにしてうずくまっている。身体のあちこちからにじみ出た赤い血が、粗末な衣服のあちこちに染みを作っていた。
対する男は、若草色のバンダナと軽装のいでたちをしている。右手に構えているのは、ナイフだ。銀色の刃に、柄に嵌め込まれた深紅の宝石がきらりと光る。まるで、盗賊のような格好の男だった。
「たすけて……たすけて……」
女の子の瞳が、救いを求めるように空を彷徨う。
「もう諦めろ、誰も来る気配は無いぜ」
盗賊の男が、探知の気配を発した。近くの壁に張り付いたダクは、そこへ壁の気配を返す。
『ぼくはかべです』
誰もいないことを確信した男が、ナイフを女の子の目の前に突き付ける。
「さあ、目ん玉に穴開けられたくなけりゃ、大人しくそれを渡しな」
「やっ……イヤ……」
大きく目を見開いた女の子が、壁に張り付いたダクに目を向ける。にこ、とダクは笑う。女の子の視線に気づいた盗賊が、振り返った。
「だ、誰だてめえ! いつの間に!」
「ほえ、おじさん、なにしてるの?」
壁から降りたダクが、袋小路の出口に立つ。
「俺の気配探知を破るとは……ただもんじゃねえな」
ナイフを逆手に構え、男が腰を落とす。男の曲げた足には力が込められており、奇襲にも逃亡にも転じられる、万全の体勢だった。対面するダクは、頭の後ろで手を組んだ、隙だらけの構えだ。
「ねえ、たすけてっていってたの、きみだよね?」
男の後ろを見ながら、ダクが声をかける。女の子は蒼白の顔色で、こくこくうなずいた。汚れきった恰好ではあるが、ふくふくとした頬とウエーブのかかった長い金髪が、人形のように愛らしい。
「……その耳、エルフ……いや、もしかして、てめえ……!」
男が、低い声で言った。とたんに、ダクは気づく。またも、耳を仕舞い忘れていたのだ。
「あ、ちがうよ、ぼくは、その、これ……」
慌てて、ダクは右耳に指を当ててぐにぐにする。決定的な隙を、男は見逃さない。足に溜めた力を解放し、弾丸の勢いでダクに襲い掛かる。
「くたばれ!」
裂帛の気合とともに、鋭い斬撃が放たれた。銀条一線、男のナイフが煌く。角度、速度ともに最高の一撃が、ダクの首へと迫る。
「ほえ、あぶないなあ」
気の抜けた声とともに、男のナイフは停止した。ダクの人差し指と中指が、ナイフの刃を挟んで止めている。
「んなっ!」
男は驚愕し、ナイフを動かそうとする。だが、刃は動かない。摘ままれているのですらなく、挟まれただけで武器を掌握された。それは、男の思考を一瞬で真っ白にするに充分なものだった。
「ほえ、おとなしくしててね、おじさん」
ぽい、とダクがナイフを取り上げて、男の腹部に軽く手のひらを当てる。それだけで、男はうずくまり悶絶した。
「おじさん、これみて」
膝立ちになった男の眼の前に、ダクは紐で結んだ石を懐から取り出して見せつける。ゆらり、とダクの手によって、石が左右に揺れる。
「ぜんぶ、わすれる。おじさんは、ぜんぶ、わすれる」
「全部、忘れる……」
男の目から、光が消える。それは、自白の術の応用だった。忍務の報告で二度この術を見ているダクにとって、それを行使することは容易いことだ。
「うん。いっていいよ」
声をかけて、ダクは懐に石を仕舞う。男はふらふらと立ち上がり、袋小路の出口へよろめきながら歩み去った。
「ここは、どこ……俺は、だあれ……ふふふふふ」
口から涎を垂らしながら呟くその様は、まさしく狂人もしくは廃人といえる。だが、ダクは気に留めない。下忍の中にも、同じような症状の人間がいたからだ。主に、辛い修行の後に。
「ねえ、きみ、だいじょうぶ?」
女の子の前で膝をついて、ダクは声をかけた。ぴくり、と小さく震え、女の子はダクを真っすぐに見上げてくる。
「たす、けて、くれた、の……?」
恐る恐る、口にする女の子にダクはうなずいた。
「うん。もう、だいじょうぶだよ」
にっこりと、ダクは笑う。袋小路に差し込む太陽の光が、後光のようにダクを照らす。銀髪褐色の美少年に、女の子はすがりついて泣いた。
「こ、こわかった! こわかったの、おにいちゃん!」
「ほ、ほえ? おにー、ちゃん?」
「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん!」
ぐしぐしと、全身を擦り付けるように女の子は泣き着いてくる。困惑するダクの胸元が、女の子の涙や鼻水でぐしょぐしょになっていく。しばらくそのままでいたが、やがて女の子は泣き疲れたのかダクの腕の中でぐったりと身を横たえた。
「ほえ、ちょっと待ってて」
女の子の身を離し、ダクは懐に手を入れパンを取り出した。長いパンの外側は硬くなっていたが、割ってみると白く柔らかい。ふわりと、良い匂いが漂う。女の子のお腹が、くうと鳴った。
「ほえ、たべていいよ」
女の子の口の前に、ダクはパンをもっていった。ぱくり、と女の子の口が、ダクの指ごとパンを食べる。
「ほえ……ちょっといたい」
「むぐ、ご、ごめん、おにいちゃん……いたかった?」
女の子が、舌でダクの指を舐める。
「ほ、ほえ、だいじょうぶ。ぼくは、がんじょうだから」
くすぐったくなって、ダクは指を引っ込めた。パンが足りなかったのか、女の子がダクを切なそうに見つめる。
「ほえ。まだ、たくさんあるから」
パンを差し出すが、女の子は首を横へ振って口を大きく開ける。
「あーん、して。おにいちゃん」
食べさせてほしい、という意思なのだろう。そう思い当たり、ダクがパンを少し千切って女の子の口の前へ運ぶ。今度は、指を咬まれないように少し大きめにした。つもりだった。
「ほえ……いたい」
ダクの指に、またも女の子の歯が食い込んでくる。
「むぐ……ごめんね、おにいちゃん。また、なめてあげるから……」
女の子の小さな舌が、またダクの指を舐める。
「ほえ、くすぐったいよ……きみ、なまえはなんていうの? ぼくは、ダクっていうんだけど」
女の子の口から指を抜いて、ダクが聞く。
「わたし、エリッサっていうの。おにいちゃんは、ダクっていうのね。ダクおにいちゃんね!」
花のような笑顔で、エリッサが言った。その瞬間、ダクの背筋にぞくりとした何かが走り抜ける。背後に、強力な圧力のようなものを感じた。
「へえ……ダク、ようやく追いついてみたら、こんなところで幼女と戯れているなんて……随分、余裕じゃない?」
首だけで、ダクが振り返る。腕組みをして、怖い顔をしたキャロがそこに立っていた。
「ほえ……キャロ。いまついたの?」
きょとん、と首を傾げるダク。あぐらをかいて座るその膝の上には、エリッサがちょこんと乗っている。外見年齢を少し高く修正すれば、それはイチャイチャしている恋人のようにも見えることだろう。
「あのひとだれ? ダクおにいちゃん」
ダクの首に手を回し、エリッサが問う。見る者が見れば、それは恋人同士の睦言の距離ともとれる。
「ほえ。キャロっていって、ぼくのなかまだよ。ちょっとおっかなくってよくもえるけど、だいじょうぶだよ」
何が大丈夫なのか、分からない説明である。エリッサはうなずいて、キャロに笑みを向ける。
「わたしは、エリッサ。よろしくね、キャロさん」
ぎゅっとダクにしがみつき、エリッサが言った。邪気の無い、言葉だった。
「……どういうことか、説明してもらえるかしら、ダク?」
エリッサのことを無視するように、キャロはダクの目を見て言った。ばちばちと、エリッサとキャロの間で何かが弾ける。ダクの綺麗な銀髪は、それを受けて逆立つのであった。




