表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/33

(終)ぼくの夢、わたしの夢

 

 幼い頃の私の夢。

 それは魔王になること。

 魔力という私の特性を生かし、へイン兄さんやナイローグをひれ伏させる存在になること。


 そういう意味では、ナイローグが私の前に片膝をついているこの状況は夢の実現だ。

 ……一応、夢の実現ではあるんだけれど。

 やっと母さんの説教から解放されて、懐かしい丘の上に逃げてきたと思ったら、これだ。いったい何が起こったのだろう。


「……えーっと、ナイローグ?」

「シヴィル・マデリアナ・アイシャー姫。あなたの手を取る栄誉をお与えください」

「ど、どうしたんだよ、ナイローグ! 手なんていつでも触っていいよ!」


 今日知ったばかりの自分のフルネームを初めて呼ばれ、私は動揺のあまり、お世辞にも姫らしくない言葉を口にした。

 でもナイローグの端正な顔はにこりともしない。恐ろしいほど真剣な顔で私の手を取り、跪いたまま手の甲に顔を寄せる。

 驚いて手を引っ込めようとしたけれど、グライトン騎士団団長さまの腕力に勝てるわけもなく、私は挙動不審なまま、手の甲にかすかに触れるだけの口付けを受けてしまった。

 それだけでも頭が真っ白になるのに、鮮やかな青いマントと黒い制服を着たナイローグは、片膝をついたまま私を見上げた。口付けを受けた手は、今なお彼の大きな両手に包まれていた。


「過去、現在、未来の我が武勲と地位、そして生命を全てあなたに捧げます」

「そ、そんなもの私に捧げないでよ!」

「太陽が砕け、月が消え、星が燃え尽きることがあろうとも、私の愛は永遠にあなたのものであり続けるでしょう」

「え、なにそれ? どういうこと? というか、私が独占なんて絶対にダメだと思うけど!」

「……シヴィル。これは定型文なんだから、大人しく聞いてくれ」

「定型文? よくわからないけど、単純明快な言い方をしてよ」

「つまりだな、わかりやすく言えば……結婚して欲しいということだ」


 ため息混じりの言葉に、私は思わず動きを止めてナイローグを見た。

 ナイローグは私をじっと見上げている。背の高い彼を見下ろすという感覚は素晴らしいけれど、今の言葉は……いやまさか……。


「いやいや、いきなり何を言っているんだよ!」

「……シヴィル、聞いていなかったのか? おまえはグライトン騎士団団長の許嫁として紹介されるんだ。形式だけと言っても許嫁だから、手順はきちんと踏めとエイヴィーおばさんに釘を刺されていただろう?」

「あ、ああ、そういえばそうだった。魔女として雇ってもらうんだった。……でもナイローグにいきなりこんなことされたら驚くよ」


 やっと話が見えてきて、私はほっと息をつく。

 でもナイローグは一瞬だけ言葉に詰まったように見えた。

 どうしたのだろう。どうしてそんなに傷ついたような顔をしているのだろう。


「……そんなに驚くような話だったか?」

「それはそうでしょう? だって子守りをしてくれた人からそんなこと言われるなんて、普通は考えないよ。ナイローグは慣れているかもしれないけど、私は色恋なんて全然縁がなかったんだし!」

「そうだな、普通はあり得ないか」


 ナイローグは目を伏せた。

 顔まで伏せたから、どんな表情かわからなくなった。

 でも私の手はまだナイローグに握りこまれていて、私は非常に落ち着かない。


「ね、ねえ、ナイローグ。そろそろ手を……」

「……あり得ないよな。あいつの妹で、子守もやった相手に何をやっているんだろうな。俺は農夫の子でしかないのに、何を高望みしているんだろうな」


 独り言なのか、ナイローグが俺と言っている。

 久しぶりに聞いた。発音もランダル風だし、昔に戻ったようで私はなんだか嬉しくなる。

 でもナイローグは疲れたようなため息をついた。


「ナイローグ?」

「……俺だって、こんなことは初めてしているんだ。最初で最後のことだから、最後までさせてくれ」

「あ、あのさ、こういうことは本当に大切な人にするべきだよ。ごめん、やっぱりナイローグに迷惑かかりすぎだね」

「やりたくてやっているんだ。よく考えてみろ。王家に連なる麗しき姫君と、形式だけでも婚約できるんだぞ? 騎士としては一生の誉れ。一度は夢見ることだ」


 私が一人で混乱しながら謝っていると、ナイローグは真面目な表情をわずかに崩し、見慣れた笑みを浮かべた。


「それに、お前を野放しにしないためなら、俺は何でもするぞ」

「野放しって、私は猛獣じゃないよ!」

「似たようなものじゃないか。とんでもない魔力を持っていて、少しも大人しくしていない。目を離すとすぐに逃げてしまうし、次に何をやり始めるか予想ができない。……情けないが、お前の行方がつかめなかった間、気になって仕事が手に付かなくなっていたんだ。だから……お前は自由に生きていいから、せめて近くにいてくれ。俺相手ではそんな気になれないのはわかっている。だから、形だけでいい。俺のそばにいてくれ」


 ナイローグから笑みが消え、片膝をついたまま私を見上げる。

 どうして、あんな真剣な目をしているのだろう。どうしてあんな……悟り切った顔をしているのだろう。

 やっぱりナイローグの人生にとって、私と形式上だけでも婚約なんて、汚点になってしまったのだろうか。私はそこまで迷惑をかけたくはなかったのに。

 申し訳なくて、私はひたすら焦ってしまった。

 どうしたら彼の優しさに報いることができるだろう。慌てながら懸命に考えて、腕輪を外してナイローグの顔の前に突きつけた。


「わ、わかったよ! ナイローグの許嫁になるから、これを受け取ってよ」


 食糧危機に陥る羽目になった、あの美しい紫色の魔玉だ。金の金具に付け替えて腕輪としていつも身につけてきた。サイズ調整ができる金具をつけているから、たぶんナイローグの腕にもはめられるはずだ。


「これは?」

「私の魔力を込めた魔玉だよ。騎士って怪我が多いんでしょう? これがあれば、少しだけだけど結界魔法が守ってくれるよ」

「私がもらっていいのか?」

「婚約したら、約束の証に物を贈りあったりするって聞いたよ。だから私からはこれ」

「しかし……確か魔玉というものは、非常に高価で貴重なものと聞いているぞ?」

「ああ、うん、確かに結構したかなぁ。でも、これは本当にびっくりするくらいお得に買えたんだよね。たぶん宮廷魔法使いが買うものより品質がいいと思うよ。それより、この色だよ! ナイローグの目の色に似ているから、つい衝動買いしていたんだよね。ずっと前に家賃を立て替えてもらっているし、ナイローグのお守りにちょうどいいと思うよ」


 ナイローグは私の手をようやく離した。かわりに、私が突きつけた腕輪を受け取ってしげしげと眺めた。


「私の目の色は、こんな色だったかな」

「そうだよ。あ、でももしかしたら、私は魔力が見えるから普通の人の見え方と違っているのかな。ほら、この奥の方でキラッと輝いているのとか、真っ直ぐ見ると青く見えるのとか、そっくりだと思うよ」


 私はそういいながら、魔玉の色とナイローグの目の色を比較する。

 ナイローグの黒髪の下にある、紫色の目。

 私が衝動買いした、上質の魔玉の紫色の輝き。

 ああ、やっぱり同じ色だ。

 記憶にあった通りの目の色で、今なお跪いて見上げてくるナイローグの目と同じ色の魔玉だ。

 ……でも、上から見下ろす紫色の目はあまり好きではない。


 昔の私は、ナイローグを平伏せさせたかった。でも、いざ跪かれてみるとあまり楽しいものではない。いいと思えるのは、ナイローグの頭頂部をじっくり観察できることだけだ。

 たまにならナイローグを上から見るのは楽しいけれど、私は下から見上げる方が落ち着く。

 丁寧な言葉より、いつもの口調が好きだ。

 手の甲に口付けされるより、並んで話す方がいい。説教されたり話題をごまかしたり、そんなことをしながら笑い合う方が楽しい。


「……あのね、私の夢を言っていい?」

「魔王は諦めたと言っていたよな?」

「うん、もう諦めた。……だから新しい夢だよ」


 私がそう言うと、ナイローグは何か言いかけたけれど、そのまま口を閉じてしまう。無言で私の言葉を待っている。


「私は……最強の魔女として、悪人に畏怖される存在になりたい」


 魔王になると言ったのは、ナイローグとの差が大きかったからだ。本当は対等に話がしたかっただけだ。私が彼をすごいと思うように、ナイローグにもすごいと思われたかったのだ。

 だから、根本的な趣旨は変わっていない。たぶん。


「それは……グライトン騎士団にいてくれると言うことか?」

「当然だよ。ナイローグと一緒にいないと、最強の騎士団の最強の魔女にならないよ。だから、これからもよろしくね。ナイローグ」


 私は笑いかけた。

 すると、ナイローグの顔は惚けたようになった。

 具合が悪くなったのではないかと心配するくらい長い間、目と口を開いてぼんやりと私を見上げていた。


「ナイローグ? 気分でも悪いの?」

「……大丈夫だ。……いや、大丈夫ではないかもしれないな。お前がそばにいてくれると思うだけで……自分で思っていた以上に重症だったようだ」


 ナイローグはそうつぶやいたようだった。それから腕輪を持ったまま、おもむろに立ち上がった。

 私が首を傾げている間に、彼は私に腕を回していた。頭が腕に包み込まれて、軽くナイローグの体にあたった。

 上から覆いかぶさるように包み込まれるのは、今日は二回目だ。

 父さんの場合は、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて苦しいくらいだった。

 でもナイローグは、私の頭をふわっと引き寄せただけ。首回りも体も開放されているから苦しくない。

 すっぽりと収まる感覚は意外に心地良い。

 私の頭に触れる手が動き、長く垂らした髪を整えるように柔らかく撫でた。


「言いそびれていたが……お帰り、シヴィル」


 ナイローグも普段は村にいない。今回は一緒に戻ってきている。でも私はおかしいとは思わなかった。だって私は村に……故郷に戻ってきた。父さんと母さんに再会した。

 だから、お帰りで合っている。

 ナイローグに言ってもらうと、帰ってきたことを実感できる気がした。


「……うん、ただいま」


 私は全身の力を抜いて、背の高い体に寄りかかる。ナイローグの匂いに包まれながら目を閉じると、子供の頃を思い出した。だから、つい昔のように腕を回して抱きつくと、幼い頃の記憶よりずっと速くなっていく彼の心臓の音が聞こえた。

 こんなに鼓動が早くなるなんて、いったいどうしたのだろう。

 不思議に思って見上げようとした。でもナイローグに押さえ込まれて頭を動かせない。ムキになって抜け出そうとしても、グライトン騎士団の団長様の腕力に勝てるわけがない。

 ちょっと腹が立ったので、もう一度体にくっついてぎゅうぎゅうに腕で締めつけた。すると、なぜかナイローグは急に狼狽えた。


「……もういいから、離れなさい」

「いやだ。まだ離れてあげない」

「シヴィル、頼むから……!」


 不思議なくらいにナイローグは慌てている。それが面白くて、私は笑いながら引き離そうとするナイローグの腕にしがみついた。

 木の上でカラスが騒がしく鳴き始めた。

 遠くから父さんのむせび泣く声と、それをなだめるヘイン兄さんの声が聞こえた気がしたけれど……今は無視することにした。

 

 


   ◇ 終 ◇



本編はこれで完結です。ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ