(21)十七歳で一歩前進 その1
腕組みして椅子に腰掛けた私は、テーブルの上に置いた木製の器を見つめていた。
いや、にらみつけていた。
場末の酒場でこの姿、理想的な若い娘がすべきことではない。
でも私は、男のように腕組みを続けて空の木皿をにらんでいた。
「お嬢ちゃん、もっと食わなくていいのか?」
横を通りかかった酒場の主人が声をかけてきたけれど、私は黙って首を振る。
だって、仕方がないのだ。
口を開けば、胃袋が欲するままに「おかわり!」と叫んでしまいそうだから。
十七歳の若い胃袋は、あと五皿分の料理を欲していた。でも年頃の娘としての理性はそれを止めている。何より……腹巻きにしまいこんだ財布は、青ざめるほどに軽い。
最近、私の財布はいつも軽かった。
都に潜り込んでいた頃は笑ってしまうほど稼いでいたのに、今は実にささやかな暮らしだ。
理由は簡単。
この辺りでは魔獣の飼育をしていないからだ。
危険手当がつく特殊な仕事だから、魔獣関係の仕事は稼ぎがいい。逆に言えば、魔獣に慣れていて魔力が強いだけの私は、普通の稼ぎ口しかない場所ではパッとしない。
威圧するような容姿ではないせいで、用心棒とか護衛とかの仕事は回ってこないし、私の技量では女性の花形職業であるお針子などには絶対になれない。
ならば都の近くで働けばいいのだろうけれど、最近は都の近辺は治安がよすぎるのだ。
あの恐ろしいグライトン騎士団がこまめに巡回していて、私のような魔王を目指す野心的な人間には居心地が悪い。国内外に大きな紛争がないから、治安維持に動いているらしい。
昨日も、東の盗賊団が討伐されたという話が入ってきて、酒場は大盛り上がりだった。
先月なんて、密かに売り込みに行こうと考えていた魔王級の悪人集団が討伐されてしまった。南方戦争で功を上げた黒将軍様がここでも活躍したそうだ。周辺住民は喜んだだろうけれど、私にとっては迷惑極まりない。
また、魔王への道が遠ざかってしまった。
そんな状況だから、いかに稼ぎがいいと言っても都に行くことはできず、魔王のところで雇ってもらうための就職活動を考えると、拘束期間が長い魔獣商人と契約するわけにもいかず。
気がつくと、わびしい食生活となっていた。
……いやたぶん、先週一目惚れして買ってしまった魔玉が高かったことが影響していると思う。
でも、あの魔玉は仕方がないのだ。
パッと見ただけで私の目は釘付けになってしまった。そのくらいとんでもない魔力貯蓄容量を持った魔玉で、しかもうっとりするほど美しい紫色だったのだ。素晴らしく希少な魔玉だから、つい足を止めてしまった。手にとってしまったのは、紫色の輝き具合がナイローグの目の色とそっくりだったからで、ハッと我に返った時には買っていた。
価値を考えれば格安だった。それは断言できる。でも……今の収入を思い出すべきだった。
後悔はしていない。でも、衝動買いだったとは思う。
その美しい紫色の魔玉は、銀の枠をつけて腕にはめている。袖で隠れていても、その重みとジワリと感じる魔力は心地良い。
いい買い物だったと満足ではあるけれど、おかげで今日も食事量が半分以下だ。
もうため息しかでない。
「……足りない……」
ため息を着いたら、本能の訴えまで言葉になってこぼれ出てしまった。
まだ近くにいた酒場の主人にも聞こえたようだ。笑いながら新しい皿を持ってきてテーブルに置いた。
「ほら、やっぱり足りなかったんじゃねぇか。もっと食えよ」
「……でも、お金が……」
「ツケにしておいてやる。お嬢ちゃん、今日はこれから飼育場清掃の仕事があるんだろう? しっかり食って行かないと、牛どもに吹っ飛ばされちまうぞ」
強面の主人は私の頭に手をポンとおいて、向こうに行ってしまった。
いつもだったら半分結い上げた髪型の乱れを気にするところだ。でも今日の私は飼育小屋清掃用の格好だ。髪は一つに編んで服の内側に入れてしまっているだけだし、服装も着慣れたヘイン兄さんのお古だ。
どこから見ても女顔の少年だろう。それでも酒場の主人がお嬢ちゃんと呼んでくれるのは、きちんとスカートをはいている普段の姿を知っているからだ。
十七歳という年齢だから、私も大人の女性らしく振る舞うようにしていた。すごい進歩だと思う。昔のままなのは、身長と言葉遣いだけだ。
私はそっとテーブルに目を戻す。
鶏肉の煮込みが入った皿は、私の視線を引き付け、鼻腔を刺激する。
なんといい匂いだろう。
母さんが作る煮込み料理は、匂いだけのがっかり料理だった。
でもここの煮込みは、本当に美味しい。この土地でよく食べる肉厚の葉物野菜はいい歯ごたえだし、しっかり煮込まれて柔らかくなった古鷄は味わい深い。何より、このスープにいい出汁が出ていて、最後の一滴まで飲み尽くさなければバチが当たる。
うっとりと匂いを堪能していると、お腹が派手に鳴った。
隣のテーブルの男が笑っているから、余裕で響き渡ったようだ。
年頃の若い娘のはずなのに。
でも私は……若いからこそ、恥じ入る前に食欲に負けた。
「おじさん、この恩は必ず返すから!」
そう高らかに宣言し、私は酒場の主人の好意をありがたく頂戴した。
ああ、美味しい。
ぽつぽつと一面に浮かぶ豆が美味しい。
骨についている鶏肉も美味しい。
本当は鳥肉の煮込みには小芋が欲しいところだけれど、この辺りでも小芋は作っていないようだ。その代わりに入っているこの肉厚野菜、初めて食べた時はこれをおいしいと言っていいのかと悩んだものだ。慣れた今では、歯ごたえと風味が絶品だと断言できる。
ああっ、今度の皿には香草も入っている! おじさん奥さんありがとう……!
言葉にならない感嘆の中、煮込みの皿はあっという間に空になってしまった。
正直言うと、まだ十分ではない。
空腹で倒れるようなことはないと思うけれど、どうも頭がシャキッとしない。魔力があふれそうになっている感じだ。制御はできているけれど、ただ座っているだけで消耗している気がする。
でも、これで今日は働ける。
魔力を使うような仕事ではないし、肉体労働なら今も得意だ。
美味なる煮込みの余韻を抱いたまま牧場に行って、牛たちに極上の笑顔を向けながら掃除をしよう。きっとこの高揚感は日が暮れるまで続くはずだ。
せめてものお手伝いを、と周辺のテーブルの分の皿も重ねて厨房に持って行くと、酒場の奥さんと娘さんが気合を入れるように拳を軽く突き出してくれた。
「男の子みたいな格好だけど、今日も最高にかわいいわよ、マーディ」
「いい笑顔だね。その笑顔なら、牛も犬も馬も、それから牧童のボウヤだって、一瞬で悩殺だよ!」
……意味がわからない。これはきっと、頑張れという激励なのだろう。
この辺りの言い回しや風習にまだ疎い私は、やや引きつった笑顔と拳を返し、首を傾げながらも軽い足取りで仕事へと向かった。
今日の清掃は、非常に順調に終わった。
いつもまとわりついて作業を邪魔していた犬たちはおとなしかった。
大きな体の牛たちは、お願いすると快く場所を移動してくれた。
気が荒く誇り高い馬たちは、威嚇も攻撃もしてこなかった。
いつもこうだったらいいのに。
それとも、動物たちにも笑顔で接するのは有効なのだろうか。ただ機嫌が良かったのが幸いしたような気もする。最近は物騒なカラスは近くに来ないから、あのカラスのせいではないと思う。
酒場のおじさんには早くお金を払わなければ。
ついでに皿洗いでも手伝おうかな。本当は配膳も手伝いたいところだけれど、奥さんとお嬢さんに表に出て働くことは厳しく禁止されているから仕方がない。
そんなことを考えながら手や顔を洗っていると、馬の放牧を担当している牧童の一人が、おずおずと近づいて話しかけてきた。
「な、なあ、マーディ。もしよかったら……お、お、俺とつきあってくれないか?」
「つきあう?」
私は手を拭き、顔なじみの牧童さんを見上げた。
牧童は馬や牛の放牧の仕事をする。大きな牛たちを相手にするせいか、牧童たちは体格がいい人が多い。目の前の牧童さんもそんな一人で、この牧場で一番背が高い。
私は村を出た頃からほとんど身長が変わっていないから、こういう背の高い人と立ち話をするためには思いっきり見上げなければならない。
しっかり距離を取らないと首が痛くなるけれど、こういう見あげる角度は嫌いではない。
五歩分以上離れている彼は、顔立ちは中の上くらい。不快感を与える作りではない。むしろ、濃い色の髪が気弱そうな顔立ちをスッキリ見せていて、たぶん若いお嬢さん方にはもてるタイプだ。
働き者だし、日雇いの私にも親切だし、なかなかの好青年と認識している。名前は……覚えていない。聞いた覚えはあるけれど、この牧場には牧童はたくさんいるから、聞いた端から忘れてしまった。
私はこういう人間だ。
こんな私なのに、好青年が付き合って欲しいとは……いったいどういう風の吹き回しなのか。
首を傾げたかったけれど、相手は真剣な表情だ。私も誠意を持って対応することにした。
「あー、遠くでなければ、おつきあいしますが」
至極真面目に応じたのに、背の高い好青年はなぜか絶句した。
このナントカという名前の牧童さん、どうしたのだろう。
私が首を傾げていると、ナントカさんは気を取り直したようにまた体を乗り出してきた。
「……そうだよな、まずは一緒に出かけるところからでもいいか。一週間後に隣の町で祭りがあるから、一緒に行こうよ!」
「一週間後か……」
私は腕組をして考えた。
そして姿勢を正し、申し訳ないけれどお断りすることにした。
「ごめんなさい。たぶん、一週間後はここにはいません」
「ええっ、どうして!」
「五つ向こうの町の辺りで、新しい仕事に関する噂があるから、そちらに行くつもりなんです」
もちろん、新しい仕事に関する噂というのは、魔王関係だ。
飼育場での仕事をした分のお手当は今日まとめてもらった。当面の生活資金は準備できたはずだ。
それでまず酒場の食事代を払う。それからそろそろ新しい服も作りたいけれど、この町には仕立て上がった服というものは売っているのだろうか。
裁縫が苦手だから、古着でも十分かな……。
私の頭は、すでに魔王のところへ向かう準備に移っていた。
でも、目の前の牧童のナントカさんのことも忘れない。
「そう言うことなので、申し訳ないんですが」
「あ、ああ、うん……」
牧童さんは、とてもがっかりしているように見える。
そんなに祭りに行きたかったのだろうか。もしかして一人では行きにくい祭りなのかもしれない。ナントカさんなら、誘われたら飛びつく女の子はたくさんいそうなのに。仕事が忙しいから、意外に出会いはないのかもしれない。
そう言うことはよくある。
顔と性格だけは極上のヘイン兄さんだって、二十代後半になってもまだ独身だから。
頭の中で兄さんを笑っていた私は、ふと思い立ってナントカさんを見上げた。
「ところで、この辺りに中古服の店はありますか?」
「そ、それならかわいい女の子の服がたくさんある店があるから、一緒に行こうか! 俺が選ぶよ! いや変なこと言っちゃったお詫びに俺がお金を出すから!」
「いや、買うのは男物なんで。その店は男物も揃っているといいんだけど」
「……う、うん、俺もよくそこで買っているから品揃えは十分だけど……でも男物って……そうだよね、そんなに美人だからそういう相手はいるよな……俺ってかっこ悪いな……」
一度は元気になった牧童さんなのに、また落ち込んだような顔になった。
せっかくの男前さんなのに。
この人には、笑顔の方が似合うと思う。
「あのー……あなたは素敵な方だと思いますよ。それに男物の服は、誰かに選ぶというより私が着るんです」
「……うん、いいんだ。マーディって優しいな。店まで案内するよ……」
背の高い好青年さんは、がっくりと肩を落として、それでも私を古着屋まで送ってくれた。
そんなに祭りに一人で行きたくなかったのか。
仕方がないとはいえ、断ってしまって悪いことをした。
私は深く反省して、街を出発する前に彼へのお詫びの品を牧場主さんに預かってもらった。
祭りで他のかわいいお嬢さんを誘う時に役に立つように、きれいなリボンだ。
酒場の娘さんも太鼓判を押すリボンだったけれど、贈る相手を知るとなんとも気の毒そうな顔をした。
やはり、彼には悪いことをしてしまったようだ。
そう反省しているがゆえのお詫びの品だけれど、この辺りの風習的にはもっと張り込むべきだったんだろうか。でも私にはこれが精一杯だ。
こうして、私は最後に腹いっぱい鶏肉の煮込みを食べて、二日後に街を後にした。




