(22)十七歳で一歩前進 その2
彼は、私の運命の人だろうか。
千鳥足で酒場から出てきた男を物陰から見守りながら、私は真剣に考え込んでいた。
ちょっと髪が薄くて、それゆえに思い切って頭をきれいに剃り上げていて、背が高い上に腹回りもぼったりしていて、ちょっと粗野なところがあるけれど、そんなことは些細なことだ。
彼は新進気鋭の魔王候補なのだ。
新しすぎて人手不足だったとしても、まだ魔王を名乗る前のただの悪人だとしても、それは私を待っていた運命と思えなくもない。
まだ無名であるために、こうやって場末の酒場でいい気分になっていても誰も気にしない。気にしているのは、彼を狙っている私くらいのものだ。
だからと言って、いきなり話しかけるのもどうなのか。
こういうときの自然な会話の始め方は、どうすればいいのだろう。
牛とか馬とか羊とか魔獣とか、私はそう言う存在とばかり付き合って来たから、対人的な駆け引きには疎いのだ。
物陰で唸りながら悩んでいた時、ふらふらと歩いていた男が足を止めた。
「そこの影にいるお嬢さん」
酔っ払いの男は、唐突にくるりと振り返った。
でも酔いのためか、回った勢いをこらえることができず、大きな体がぐらりと派手に傾いた。もともと丸みを帯びた腹部が、酒場で飲み続けた酒のせいでさらに膨らんでいるようだ。
一瞬、その腹に視線が引きつけられてしまった。
相手が女性なら赤ちゃんがいるのかと感動するところだけれど、男の場合はあの丸いお腹には何が入っているのだろう。
かなり本気で悩んだ私は、すぐに我に返った。そして頭から地面に転げそうになる男に気づくと、すぐに魔法で支えた。
「へぇ、お嬢さんは魔法使いさんだったのか。ありがとうよ」
「あ、いえ……」
未来の魔王様に礼を言われてしまった。
悪い気はしないけれど、この男は本当に魔王になる気はあるのだろうか。
思わず疑いたくなるくらい、丈夫そうなところ以外は非凡なところがない。ただの酔っ払った中年太りの男にしか見えないけれど……いや、疑ってはいけない。彼は運命の人かもしれないのだ。
私は背筋を伸ばして、改めて男の前に立った。
「あなたに話があって待っていました」
「え、そうなんだ。じゃあ、どこかで飲み直そうか。ゆっくり部屋で話すのも歓迎だ」
男が赤い顔でにやりと笑った。
そして手のひらまで赤い手で、自分のハゲ頭をつるりと撫でる。
また、この反応か。……この酔っ払いめ。
瞬間的に、私は殺意を抱いてしまった。
この程度で情けない。私はまだまだ未熟者のようだ。悪ガキ大将時代の血が騒いで拳を握りかけた手をこっそり背中に回し、男の視界から隠した。
いけないいけない。
深呼吸だ。
気を取り直した私は、そっと周囲の気配を探った。酒場から遠くないのに人の気配はない。こっそり人除けの結界を張っていたから当然だけれど、時々先天的に魔法を退けてしまう体質の人がいるから油断はできないのだ。
安全確認を終え、私は改めて男に向き直った。姿勢も正す。何事かと不審そうに見返す中年太り男の方に両手を伸ばし、手のひらを上に向けた。
「これを見てください」
私は手のひらに顔を寄せて、ふうっと息を吹きかける。すでに仕込んでいた魔法は吐息に合わせて発動し、世闇の中にキラキラと光る球形の結界が出現した。
球形の結界は、私が唱えた呪文によって大きくなっていく。片手の手のひらくらいだった球形は、すぐに両手よりも広がって、私の身長の二倍ほどの大きさになった。
「防護結界です。中にも入れますよ」
作った笑顔でそう言うと、ハゲ頭の中年は酔いが覚めたようなしっかりした目で球形結界を見つめた。体が前後左右に微妙に揺れているのは気付かないふりをする。
「こんな中に入れるのか?」
「大きくしておけば入れます。宮廷魔法使いレベルの術師の攻撃くらいは防げます」
「……物理的な攻撃にはどうだ?」
「普通の直接攻撃なら、傷一つつけられないでしょう」
「…………で、その結界はどのくらいの大きさまで作れるんだ?」
「理論上は限度はありません。まあ、私一人で結界を管理するなら、国一つ分なんて大きさは無理ですけど」
私はにっこり笑って両手をぱんと打ち合わせた。
空中に大きく広がっていた結界は、その音とともに跡形もなく消える。解除すれば、後始末の心配がないのは結界魔法のいいところだ。これが石の壁とか木製の塀とかなら、作るのも大変だけど後始末が大変だ。
「たぶんお城とその敷地分くらいなら、私一人で気楽に管理できると思いますよ」
「すばらしい! 俺にも運が向いてきたようだ!」
盛大にゲップをした男がふらふらと近づいてくる。強烈に酒臭かったけれど、私は笑顔を絶やさない。そんな私の肩に手を置いて、酔っ払い特有の無駄に大きな動きでウンウンと何度も頷いた。
「すごい魔力だ。それにかわいいし。いいね、ぜひとも部下になって欲しい」
「相応の待遇を約束してくれるのなら喜んで」
心の中では踊り回りたいくらいだったけれど、私は落ち着いて見える笑顔を貼り付けた。
「俺はドルゴスって言うんだ。あんたの名は?」
「……えーっと」
私は名乗る前に考え込んだ。
ターグは男の名だ。
最近名乗っていたマーディは、男でも女でもありそうな名前として重宝していた。
でも今後は私は魔王の部下になる。記念すべき最初の職場で名乗るのにふさわしい名と言えば……。
「シヴィルです」
「そうか、シヴィルちゃんか。よろしくな」
上司になったばかりの男は機嫌良く笑った。私も、ちょっと緊張しつつも笑顔を向けられたと思う。人間関係は大切だ。
でもその後は、気合で冷静な待遇交渉を試みた。酔っ払ったドルゴスさんは勢いのままに好条件を並べ立ててきたけれど、私はその一つ一つを書き留めた。
こう言う酔っ払いは、酒が入っている時は景気のいいことを並べるものだ。それを真に受けると、あとでそんな記憶はないとか、酒の勢いだからとか、そう言う言葉でなかったことにされてしまう。
だから、きちんと書き残しておいて、相手にも署名をさせねばならない。
こういうことは、魔獣商人と同行しているうちに覚えた。今まで全く役に立たなかったけれど、ようやく身につけた知識が役に立つ!
こうして、私はこれから魔王になるドルゴスという男の元で働くことになった。
契約を交わした私は、まず上司となった男の根城に赴いてみた。
一応下調べはしていたけれど、上司様はなかなかよい根城を持っていた。たぶん百年くらい前は、貴族とか大商人のための避難場所だったのではないかと思う。最近ではあまり見ない堅固な造りの古城だった。魔族が頻繁に姿を見せていた時代の名残だろう。
建築当時はたぶん今より魔獣の数が多くて、頻繁に襲ってきていた時代だったはずだ。石造りの壁は城壁並みの厚みがあり、立ち並ぶ柱も丈夫だ。さらに周囲には深い空堀があった。
私はその堀に水を引き、崩れかけた石壁は補強することを勧めた。私の新しい上司様は、その外見にあわずに資金力があり、魔法を使うまでもなく補修が終わる。その上で、私は魔法の結界を張り巡らせた。お遊びレベルの結界ではなく、魔獣飼育所にも匹敵する本気中の本気の結界だ。
出来上がった結界を見上げるたびに、私はうっとりとしてしまう。
我ながら、素晴らしい結界だ。
強くてしなやかで、根城の周囲を隙なく覆いつくし、それでいて一箇所だけ入口を作っている。
……正直なところ、我が上司殿は「魔王」を名乗るには全然物足りない。
少し腕が立って、恐ろしく丈夫で、妙に人懐っこくて、そこそこ人がついてくる人ではあるけれど、だからと言って魔王という格にふさわしいかといえば……どちらかと言えば地方の悪人の親玉止りだろう。
でも私がついたからには、上司殿には魔王を名乗ってもらった。
もっとも、魔王ドルゴス様本人は、玉座で踏ん反り返っているだけだ。
私が張り巡らせた結界は誰にも破られることはない。隙を見つけてすり抜けてきても、私が個人的に飼っている魔獣が軽く追い払ってくれる。
正面からくる度胸のいい御一行様は、私の魔法の罠がお迎えする。元野生児の罠は、たぶんへイン兄さん級でないとすり抜けることは難しいだろう。
腕自慢の男たちが青ざめて逃げ帰る光景を見ながら、私は悪女のような微笑みを練習する毎日だった。
そんな日々を続けているうちに、私の上司は周囲も認め、恐れられる魔王となった。
我が魔王ドルゴス様の討伐に来るなら、いつでも来い!
私が軽く追い返してやろう。何と言っても、私は魔王の第一の部下として恐れられる存在になったのだ!
魔王そのものになるにはまた先は長いけれど、大きな一歩だ。
いつも冷静なナイローグも、今の私を見れば驚愕を隠せないに違いない。もしかしたら、あの嫌味なほど整った顔が蒼白になってしまうかもしれない。考えるだけでワクワクする。
次に彼と会うときは、もしかしたら、私は魔王として何処かの地で君臨しているかもかもしれない。
見ているがいい、ナイローグ。遠くない日に、あなたは私の前にひれ伏すことになるだろう!
なのに、現実は。
「……シヴィル……?」
魔王の膝に座った姿を見られると言う、最悪の再会となってしまった。




