第18話 学園祭当日
朝の鐘が鳴ると同時に、学園の正門が大きく開け放たれた。
どっと押し寄せる人の波。生徒の家族、王都の貴族たち、招待を受けた商人や職人。色とりどりの衣装が石畳の上を埋め尽くし、あちこちから楽しげな声が上がっている。
二年三組の教室の前で、私は大きく息を吸い込んだ。
「いらっしゃいませー!手作り雑貨工房、開店でーす!」
声を張り上げると、通りがかった家族連れが何人か足を止めた。
接客と呼び込みは、私の担当だ。クラリスさんに「ミレットさんは声がよく通るし、誰とでもすぐ打ち解けるから」と任された。前世で、人と人の間に立つのは慣れている。
「見るだけでも大丈夫です!蝋燭作りと刺繍は体験もできますよー!」
教室の中は、昨日シリルが仕上げた灯りに照らされていた。網目の笠を通った光が、天井から柔らかく降り注いでいる。窓際には編み物と組紐。中央には蝋燭。奥には焼き物と、例のろくろ。
作業台の上には、二週間かけてクラス全員で作った品物が、所狭しと並べられていた。
色むらの毛糸で編んだ手袋は、波のような模様が浮かんでいる。端切れを継ぎ合わせた小物入れ。花びらを閉じ込めた琥珀色の蝋燭。素朴な形の湯呑み。どれも決して高価な材料ではない。でも、ひとつひとつにちゃんと手間がかかっていた。
最初のお客さんは、小さな女の子を連れた母親だった。
「まあ……これ、学生さんが作ったの?」
「はい! 全部このクラスで作りました!」
「この蝋燭、中に花が入ってるのね。素敵だわ」
母親が蝋燭を手に取っている間に、女の子が刺繍の作業台をじっと見つめていた。そこでは、エマさんが見本の刺繍を進めている。
「……それ、なあに?」
「し、刺繍よ。布に、糸で絵を描くの」
エマさんが緊張しながら答えると、女の子は目を輝かせた。
「わたしもやりたい!」
「えっ、あっ、じゃあ……一緒にやってみる?」
エマさんは女の子を自分の隣に座らせ、針の持ち方から教え始めた。紬に教わったとおりに。針を入れる角度でだいたい決まるの、と。
三週間前、刺繍が下手で家庭教師に叱られてばかりだと言っていた子だ。その子が今、誰かに教えている。
私は呼び込みの合間に、そっと目頭を拭った。
◇ ◇ ◇
異変が起きたのは、開店から一時間ほど経った頃だった。
廊下の向こうから、ざわめきが近づいてくる。最初は小さかったそれが、だんだん大きく、甲高くなっていく。
「本当にいらっしゃるの!?」
「見たって人がいるのよ、教室の奥で!」
「嘘でしょ、殿下が……?」
嫌な予感がした。
振り返ると、教室の一番奥。ろくろの前に、殿下が座っていた。
上着を脱いで袖をまくり、いつものように黙々と粘土を引いている。今日は学園祭だ。公務の合間に顔を出すとは聞いていたけれど、まさか開店早々に、しかも当然のようにろくろの前に座るなんて。
「殿下、本日は視察では……」
「視察だ。ろくろの調子を見ている」
クラリスさんの問いかけに、殿下は手を止めずに答えた。たぶん本気で言っている。
廊下のざわめきが、悲鳴に変わった。
「本当にいらっしゃるわ!」
「殿下が、泥だらけで……!」
「なんて真剣なお顔……!」
教室の入り口に、あっという間に人だかりができた。女子生徒、その母親たち、なぜか父親たちまで。王太子殿下がろくろを回している姿など、王都の誰も見たことがないのだ。
人だかりは見る間に膨れ上がり、廊下の端まで行列が伸びていく。
「押さないでください!順番に、順番にお願いします!」
私は必死に声を張り上げた。でも、誰も聞いていない。全員の視線が、教室の奥の殿下に釘付けになっている。
「下がれ」
低く、よく通る声が響いた。
人だかりがぴたりと静まる。振り返ると、廊下に騎士科の制服を着た一団が立っていた。先頭にいるのは、ユリウス先輩だ。
「風紀委員として、通路の確保を行う。入場は十人ずつ。待つ者は廊下の右側に一列で並ぶように」
先輩の後ろには、修繕教室に通っていた騎士たちがずらりと並んでいた。ロイド先輩の剣の柄頭には、蜂蜜色の飾り紐が揺れている。
「ウィンスレットの工房に迷惑はかけさせん。俺たちが列を整理する」
ロイド先輩が胸を叩いた。騎士たちが一斉にうなずき、手際よく行列を誘導し始める。恩返しのつもりらしい。
「先輩……!」
「借りを返しに来ただけだ」
ユリウス先輩はそれだけ言うと、行列の誘導に戻っていった。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎても、行列は途切れなかった。
殿下目当てのお客さんが、ついでに蝋燭や小物を手に取っていく。手に取ってみると、思ったよりずっと出来がいいことに驚いて、結局買って帰る。そんな流れが、いつの間にかできあがっていた。
「この蝋燭、どこの蝋を使っているのかしら。とても良い香りね」
身なりのいい婦人が、琥珀色の蝋燭を手に尋ねてきた。
私が答えるより早く、帳簿の机からレオンが立ち上がった。
「市場の外れにある、ブランシュ蝋燭店です」
レオンは婦人に一礼し、すらすらと続けた。
「王都で一番質のいい精霊樹の蝋を扱っている店で、ヴァレンシュタイン公爵家でも愛用しています。ぜひ一度、足をお運びください」
「まあ、公爵家の。それは確かね」
婦人は満足そうにうなずき、蝋燭を三つも買っていった。
レオンは帳簿の机に戻ると、何事もなかったかのようにペンを走らせ始めた。
「……約束、覚えてたんですね」
「当たり前だろ。俺が言い出したんだ」
ぶっきらぼうな声。でも、その横顔はどこか誇らしげだった。
それから少しして、教室の入り口にふたつの見覚えのある顔が現れた。
白い髭の頑固そうな老人と、ふくよかなおばさん。蝋燭屋の主人と、糸屋の店主だった。
「来てくださったんですか」
紬が作業台から顔を上げる。おばさんはにこにこと手を振り、老人はむすっとした顔のまま教室を見回した。
老人の目が、作業台に並んだ蝋燭に留まる。削りくずから作られた、琥珀色の蝋燭。花びらや木の葉や、細い組紐を閉じ込めたもの。
「……ふん」
老人は蝋燭をひとつ手に取り、光にかざした。長いこと、黙って見つめていた。
「削りくずも、こうなりゃ悪くねえな」
それだけ言って、蝋燭を元の場所に戻す。それから、ぼそりと付け加えた。
「来年も、削りくずは取っといてやる」
おばさんのほうは、色むらの毛糸で編んだ手袋を手に取って、目を潤ませていた。
「あの売り物にならない糸が、こんなに綺麗になるなんてねえ……」
「色むらが一番綺麗に出るように、編み方を変えました」
「そうかい、そうかい。ほんとよかった」
紬は、出来上がったら見せると約束していた。そして、ちゃんと見せたのだ。
◇ ◇ ◇
午後も半ばを過ぎた頃、私はひとりのお客さんに目を留めた。
灰色の外套を目深にかぶった男だった。背は高く、痩せている。教室の中に入ってきてから、ずっと組紐の作業台の前を動かない。
作業台の上には、紬が作ったブレスレットが並んでいた。霧山羊の毛糸の、色の変わるブレスレット。その中のいくつかには、あの結び目が編み込まれている。結界紐と同じ、途中で一度だけ裏に回る結び目が。
男は、そのブレスレットのひとつを手に取っていた。指先で、結び目をなぞるようにして。
「いらっしゃいませ。それ、魔力で色が変わるんですよ」
声をかけると、男がゆっくりと顔を上げた。
灰色の瞳が、外套の陰から私を見た。
「この結び方を考えたのは、誰だ」
訛りがあった。王都の言葉とは少しだけ違う、硬い響き。
背筋に、冷たいものが走る。
「え、えっと……クラスのみんなで、いろいろ工夫して……」
「この結び目は、誰が結んだ」
男の視線が、教室の中をさまよう。窓際の作業台で、紬がお客さんに組紐の作り方を教えていた。
男の目が、紬の手元に留まりかけた、そのときだった。
「やあ、いらっしゃい」
私と男の間に、すっと銀色の髪が割り込んだ。
ノアだった。
いつもの軽薄な笑みを浮かべている。けれど、紫の瞳だけは少しも笑っていなかった。
「そのブレスレット、気に入った?でも残念、それは見本なんだ。売り物じゃない」
ノアは男の手から、するりとブレスレットを抜き取った。
男とノアの視線がぶつかる。一瞬の沈黙。
男は何か言いかけて、口を閉じた。外套をさらに深くかぶり直し、無言で教室を出ていく。人混みの中に、灰色の背中があっという間に消えていった。
「……ノア様。今の人、知ってるんですか」
「さあ、どうだろうね」
ノアはブレスレットを指先でくるくると回しながら、にっこり笑った。
「ハンナ嬢。このブレスレット、今日はもう並べないでおいてくれる?エリシアには、僕から言っておくから」
それだけ言うと、ノアはひらひらと手を振って、紬のほうへ歩いていった。
私はその場に立ち尽くしていた。
あの訛り。ノアの話す言葉にも、ほんの少しだけ同じ響きがある。隣国の言葉の響きだ。
◇ ◇ ◇
夕方の鐘が鳴る頃には、作業台の上はほとんど空っぽになっていた。
蝋燭は完売。手袋も小物入れも、最後のひとつまで売れた。殿下の作った湯呑みは売り物ではなかったのに、どうしても欲しいという婦人が何人も現れて、最終的にクラリスさんの判断で「王太子殿下ご練習作」と札をつけて三つだけ出したら、一瞬で消えた。
「お疲れさまでした!」
クラリスさんの声に、教室中から歓声が上がった。
「来場者数は、学園祭の全出し物の中で一位です!売上も、予算の三倍を超えました!」
拍手と歓声。抱き合って喜ぶ女子たち。肩を叩き合う男子たち。エマさんは泣きながら、刺繍を教えた女の子にもらった小さな手紙を握りしめていた。
紬は、教室の隅で空っぽになった作業台を眺めていた。
「紬」
「陽菜」
「やったね!」
「うん」
紬は小さくうなずいた。それから、教室の中をゆっくりと見回す。
殿下がろくろの前で泥を拭っている。ユリウス先輩とロイド先輩たちが、廊下で片づけを手伝っている。レオンは帳簿を閉じて、伸びをしている。シリルは天井の灯りを見上げて、何か考え込んでいる。
「陽菜の呼び込み、すごかったね」
「え?」
「お客さん、陽菜の声で入ってくる人がたくさんいた。私だけだったら、誰も来なかったと思う」
紬はまっすぐに私を見ていた。
「ありがと」
何か言い返そうとして、うまく言葉が出てこなかった。
代わりに、私は紬の手をぎゅっと握った。紬も、当たり前のように握り返してくる。
「さあ、皆さん!」
クラリスさんが、手を叩いて注目を集めた。
「片づけが終わったら、後夜祭です!中庭で、篝火を囲んでダンスがありますからね!」
その言葉を聞いた瞬間。
私の視界に、ぽんと新しい枠が浮かび上がった。
『後夜祭イベント 発生条件を満たしました イベント名:すれ違い』
赤い文字だった。
ゲームで何度も見た、あの色。
誤解とすれ違いが起こる、バッドエンドへの分岐点を知らせる色だ。




