プロローグ 結び目の始まり
幼馴染の結城紬はちょっと変わっている。
初めて会ったのは幼稚園の年少組。みんながおままごとや鬼ごっこに夢中になっている中で、紬だけが教室の隅に座り込んでいた。手にしているのは毛糸の切れ端だ。先生が工作用に置いていたそれを、小さな指で黙々と結んでいる。
「なにしてるの?」
「むすんでる」
顔も上げずに返ってきた答えはそれだけ。
普通の子ならそこで離れていくのだろう。けれど私は彼女の隣にしゃがみ込んだ。
「ひなね、あさくらひな!あなたは?」
「……ゆうきつむぎ」
それきり紬はまた黙ってしまう。私はお迎えが来るまでその手元を眺め続けた。小さな結び目がひとつずつ増えていくのが、なぜだか魔法みたいに見えたから。
帰り際、紬は完成したそれを私の手首に巻きつけてくれた。
「あげる」
ぐるぐる巻きの少しいびつなブレスレット。それが私、朝倉陽菜と紬の始まりだ。
あれから十二年。私たちは高校二年生になっている。
◇ ◇ ◇
昼休みの教室はいつも騒がしい。
「ねえ見た?昨日の配信!」
「見た見た!レンくんのソロパート神すぎない?」
窓際の席ではクラスの女子たちがアイドルの話で盛り上がっている。私もさっきまでその輪にいて、一緒になってきゃあきゃあ言っていた。好きなものの話をしているときの人の顔って、見ていて楽しいのだ。
けれど、ふと振り返ると。
教室の一番うしろの席で紬はひとり黙々と手を動かしている。
机の上には生成りの紐の束。指先が紐を交差させてくぐらせ、きゅっと引き締める。そのたびに規則正しい模様がするすると伸びていく。マクラメ編み。紬がこの世でいちばん好きなものだ。
糸とそれを留めておくものさえあればどこでもできる。それが紬に言わせれば最高なのだそうだ。もちろん編み物も好きだし、ジェルワックスのキャンドルも樹脂粘土のミニチュアも作る。中学のときには陶芸教室にまで通っていた。手で作れるものは作る。作れなさそうなものは、どうやったら作れるかを考える。紬はそういう子だ。
「紬ー、また新作?」
「うん。ペンダントの土台」
「この前もそれ作ってなかった?」
「あれは平結び。これは巻き結びで石を包むの。全然違う」
全然違うらしい。私には同じに見える。
紬はいつもこうだ。周りがどんな話題で盛り上がっていても我関せず。かといって拒絶しているわけでもない。自分の興味のあることに全力で、それ以外に割く時間がもったいないと本気で思っているだけ。
おかげでクラスでは少し浮いていた。悪口を言われるほどではないけれど「結城さんってなんか近寄りがたいよね」くらいの距離感。
だから私は今日も絡みにいく。
「ねえみんな、紬の作ってるやつ見て。すごくない?」
手招きすると、アイドルの話をしていた子たちがおずおずと寄ってきた。
「え、これ手で編んでるの?」
「お店で売ってるやつみたい……」
「売ってるやつより丈夫」
紬は手を止めずに答える。愛想のかけらもない。でもそれが逆によかったのか、加奈ちゃんが「あっ」と声を上げた。
「ねえ、これでレンくんのメンカラのキーホルダーとか作れたりする?」
紬の手がぴたりと止まる。
「……何色?」
「えっと、水色と白!」
「作れる。三日ちょうだい」
「ほんと!? え、お金払う!」
「材料費だけでいい」
あっという間に話がまとまり、気づけば紬の机の周りには小さな人だかりができていた。注文は三件。紬は相変わらずの無表情だけど、口の端がほんの少しだけ上がっている。
私はそれを見てこっそり満足する。
紬は放っておけばひとりで平気な子だ。本当に平気なのだと思う。でも紬の作るものはこんなにすごいのに、誰にも知られないままなのはもったいない。だから私は繋ぐ。紬と世界の間に、ちょっとだけ橋をかけるのだ。
それが幼馴染としての私の役目なのだと、勝手に思っている。
◇ ◇ ◇
放課後、駅前のコンビニに寄るのは私たちの日課だ。
「でね!今アレクシス様のルートやってるんだけど、もう最高なの。星祭りの舞踏会のスチルが神で——」
「ふうん」
「紬、聞いてる?」
「聞いてる。王子が冷たいけど本当は優しいやつでしょ」
「ざっくりしすぎ!」
スマホの画面をぐいっと突きつける。私が今どっぷりハマっている乙女ゲーム『恋する魔法と王立学園』のスクリーンショット。金髪の王太子が主人公の手を取り、星空の下で踊っている一枚だ。
紬はちらりと画面を見て眉をひそめた。
「このドレスの裾の飾り、どうなってるの」
「そこ!?」
「普通のレースじゃない。タティングレース……いや、この立体感はボビンレースかも。拡大できる?」
「王子を見てよ王子を!」
これだから紬は。恋愛小説を貸せば「なんで告白の返事を保留するの。効率悪い」と言い出すし、少女漫画を読ませれば背景の小物ばかり見ている。紬の辞書に恋愛という単語は載っていないのかもしれない。
紬が手に取ったのはハンドメイド雑誌だった。表紙には『はじめてのジェルワックスキャンドル』の文字が躍っている。ぱらぱらとページをめくった紬は、特集の見開きでぴたりと手を止めた。
「これ、もうやった」
いつものことだ。百均に新しい手芸キットが並んだときも、雑誌で新しい技法が特集されたときも、紬の感想はたいていこれ。レジン、刺繍、ビーズ編み。世間が飛びつくころには紬はとっくにひと通り習得している。流行を追っているわけじゃない。紬の興味が勝手に流行の先を走っているだけ。
「陽菜、それ買うの?」
「うん、新作のポテチ。紬はその雑誌?」
「うん」
「もうやったって言ってなかった?」
「作り方は知ってる。でもこの人の配色、好きなの」
そう言って紬は雑誌を大事そうに胸に抱える。作れるものでも、誰かの作ったものはちゃんと見る。紬のそういうところが私は好きだ。
会計を済ませると、ガラス越しの空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「明日、加奈ちゃんたちに色見本持ってくね」
「うん」
「あとさ、今度の休み、ゲームの続き一緒に——」
言いかけたところで、外から甲高い音が響いた。
タイヤが悲鳴を上げるような音。反射的に顔を向けると、ガラスの向こうでヘッドライトがぐんぐん大きくなっていく。
止まらない。
こっちに来る。
「紬っ!」
考えるより先に手が伸びていた。紬の腕をつかんで引き寄せる。紬は驚いたように目を見開き、それから私の手を強く握り返した。
小さいころから何度も繋いできた手。毛糸の結び方を教えてくれた、器用で少しひんやりした指。
ガラスの砕ける音とともに、世界が真っ白に弾ける。
最後に感じたのは、ほどけないようにしっかりと握られた紬の手のぬくもりだった。
そして、すべてが暗転する。




