最終話:いつか
「人生、長かったようで短いし」
「短かったようで、まだ続くしね」
長い時間を超えて、二人の未来がほんの少しだけ、また動き始めていた。
コーヒーが運ばれてきても、二人はしばらく何も話さなかった。
目の前にいるのに、まだ現実じゃないみたいだった。
美香が先に口を開いた。
「本当に倒れたんだね」
太郎は苦笑した。
「うん」
「情けないけどな」
美香は少しだけ眉をひそめた。
「無理してたんじゃないの?」
その言い方が昔と同じで、太郎は少し笑った。
「相変わらずだな」
美香はコーヒーを一口飲んだ。
「太郎も」
静かな時間が流れる。
太郎は窓の外を見た。
駅前の景色は昔と変わっていた。
新しいビル。
知らない店。
でもこのカフェだけは、昔のままだった。
太郎はゆっくり言った。
「美香」
「うん?」
太郎は少しだけ迷った。
でも今日は逃げないと決めていた。
「今さらだけどさ」
美香が顔を上げる。
太郎は続けた。
「俺、まだお前のこと忘れてない」
美香は何も言わなかった。
ただ静かに聞いている。
太郎は苦笑した。
「こんな歳で言うことじゃないよな」
「でも死にかけて思ったんだ」
太郎はテーブルの上の手を見つめた。
少し震えている。
「このまま終わるのは嫌だって」
美香の視線が少し揺れた。
太郎は顔を上げた。
そしてまっすぐ言った。
「今すぐじゃなくていい」
店の中は静かだった。
「生活もあるし」
「子どももいるし」
「全部変える必要もない」
太郎はゆっくり言葉を選んだ。
「でもさ」
少しだけ笑った。
「いつか」
「いつか一緒になれたらいいなって思ってる」
その言葉を言ったあと、太郎は少し照れくさそうに笑った。
若い頃なら、もっと格好つけていたかもしれない。
でも今は、これが精一杯だった。
美香はしばらく黙っていた。
コーヒーカップを両手で持ったまま、テーブルを見つめている。
長い時間だった。
やがて美香は小さく息を吐いた。
そして太郎を見た。
目の奥に、少しだけ涙が浮かんでいる。
「太郎って」
少し笑った。
「昔からずるいよね」
太郎は困った顔をした。
「なんでだよ」
美香は肩をすくめた。
「そういうこと、もっと早く言えばよかったのに」
太郎は何も言えなかった。
それは本当に、その通りだったから。
美香はしばらく太郎を見ていた。
そして小さく言った。
「考えとく」
太郎の胸が少しだけ軽くなる。
「すぐ答えなくていい」
太郎は笑った。
「俺も、もう若くないけど」
「まだ少しは生きるつもりだから」
美香も少し笑った。
「そうだね」
そして窓の外を見ながら言った。
「人生、長かったようで短いし」
「短かったようで、まだ続くしね」
二人は静かにコーヒーを飲んだ。
答えはまだ出ていない。
でも――
長い時間を越えて、二人の未来がほんの少しだけ、また動き始めていた。




