第36話:虚無
夫婦の溝が深くなっていく。
気づけば完全にレスになっていた。
真美と太郎の夫婦関係が冷え切ったのは、いつからだったのか。
太郎自身にも、はっきりとは思い出せなかった。
結婚した当初は違った。
美容師として働く真美は相変わらず華やかで、周囲からも「自慢の奥さんだね」と言われるたびに、太郎はどこか誇らしい気持ちになっていた。
だが結婚生活は、思っていたよりも静かで、そして遠いものだった。
最初のきっかけは小さなすれ違いだった。
太郎の仕事は葬儀社。
支店長という立場になってからは、昼夜関係なく電話が鳴る。深夜に呼び出されることも珍しくない。
最初のうちは、真美も「大変だね」と笑って送り出してくれていた。
しかし次第にその言葉は減り、代わりにため息が増えていった。
「また仕事?」
ある夜、玄関で靴を履く太郎に真美が言った。
「しょうがないだろ。葬儀は待ってくれないんだ」
太郎はそう答えたが、真美は何も言わず、ただスマホを見つめていた。
それからだった。
二人の距離が、少しずつ開き始めたのは。
同じベッドで眠っていても、背中合わせ。
会話は必要最低限。
そして、いつからか夫婦として触れ合うこともなくなっていた。
最初の一年、太郎は気にしていなかった。
忙しさのせいだと思っていたからだ。
二年目、三年目。
さすがに違和感を覚え始めた。
「なあ真美」
ある晩、太郎は思い切って声をかけた。
「何?」
「最近さ……俺たち、夫婦としてちょっとおかしくないか?」
真美は少しだけ顔を上げた。
「何が?」
「その……夫婦仲っていうか……」
言葉に詰まる太郎に、真美はため息をついた。
「疲れてるの。仕事も忙しいし」
それだけだった。
太郎はそれ以上、何も言えなかった。




