第26話:帰り道
太郎と再会した後、美香は思う。
プロポーズがもっと早ければ。
浮気の前だったら。
「信頼が死んだ」
それだけで終わるには十分だった。
仕事が終わり。
美香は車に乗った。
エンジンをかける。
夜の駐車場。
静かな空気。
ハンドルを握ったまま、しばらく動けなかった。
(太郎)
久しぶりに心の中で名前を呼んだ。
声には出さない。
でも思い出は出てくる。
葬儀社で働いていた頃。
忙しい夜。
二人でコンビニのコーヒーを飲んだこと。
通夜の準備をしながら笑ったこと。
帰り道。
太郎がよく言っていた。
「この仕事、大変だけどさ」
「誰かの最後をちゃんと送る仕事って」
「悪くないよな」
その時の顔が好きだった。
真面目で。
優しくて。
少し不器用で。
だから――
好きになった。
三年間。
本気で愛していた。
美香はハンドルに額をつけた。
「……馬鹿だな」
小さく呟く。
もう終わったことなのに。
あの日。
浮気が分かった日。
美香は怒らなかった。
泣きもしなかった。
それは強かったからじゃない。
ショックが大きすぎたから。
感情が止まっただけだった。
太郎のスマホ。
「また会いたい」
その一行のメッセージ。
あれを見た瞬間。
世界の色が変わった気がした。
三年間。
信じていた。
太郎は浮気なんてしない人だと思っていた。
でも。
違った。
それだけだった。
美香はあの日のことを思い出す。
太郎が膝をついてプロポーズした夜。
「結婚しよう」
あの言葉。
あれがもっと早ければ。
浮気がバレる前だったら。
美香はきっと泣いて喜んでいた。
でも。
あのタイミングでは。
どうしても思ってしまった。
(失いたくないだけだ)
(私じゃなくてもいいんだ)
その瞬間。
心が冷めた。
愛は残っていた。
でも。
信頼が死んだ。
それだけで終わるには十分だった。




