77:ぶふーっ!
「坊ちゃま、冷たいお茶をお持ちしました」
「ありがとう、マーガレット」
懐かしの我が家。辺境の地ゼナス。
帰宅してすぐ、父上殿に呼ばれて居間へと向かった。
そこで父上殿から「この手紙を読みなさい」と言われ、一通の手紙を受け取る。
「既に開封された手紙ですが、父上宛てですよね? 僕が読んでもよろしいのですか?」
「半分はお前宛てだよ」
差出人は……公爵様?
俺が王都を出立してから書いたものだろうな。でなかったら、王都にいる間に渡していただろうし。
えー、なになに……。
「ぶふーっ!」
「きゃーっ。ぼ、坊ちゃま!?」
盛大にお茶をぶっ放した俺。
慌てたマーガレットからハンカチを渡され、ひとまずそれで口元を拭く。
「あぁ、すまないディルムット。お茶を飲んでから渡すべきだったね」
「ち、父上、これは……」
「見ての通り。公爵様のお孫さんとの婚約申請書、みたいなものだよ」
「み、みたいなもの……え、決定ではなく?」
「最後まで読んでみなさい」
そう言われ、とにかく手紙を最後まで読むことにした。
いやだって、一行目からいきなり『孫娘のエヴァンゼリンとの婚約を、皆の前で発表した』だもん。
お茶も噴き出すわ。
えぇっと、何々?
…………え。
王国財政会議の場で、ローズメイン侯爵が娘の婚約発表をしようとしたって……。
ローズメインって、あのローズメインだよな?
あ、クリスティーナって書いてある。ガクブル。
娘が婚約したい相手がいる。
侯爵が突然そう言いだし、会議の場を中断させた。
ハルテリウス公爵様はすぐにその相手が誰なのか理解し、そこで慌てて同じ話題を持ち出したのか。
「坊ちゃま、いったい何が書かれておいでなんです?」
「公爵様の孫娘、エヴァンゼリン嬢と僕が婚約するって内容です」
「まぁ、そうなのです……えぇ!?」
「それには理由があるんですよ。あのクリスティーナ嬢の父君が、財政会議の場で突然、娘が誰かと婚約したがっているなんてことを言い出したそうでね」
そんな強硬策に出た理由は、俺が今、幼い娘を持つ貴族の間で株が急上昇だということ。
どうしてそうなった……。
だからローズメイン侯爵は、大勢の有力貴族が集まる場で発表することで、既成事実を作れると踏んだのだろう。牽制にもなるし。
そのうえで周りの貴族が「ディルムットはクリスティーナ嬢と……」なんて噂が立てば、拒否し難くなってしまう。
いい迷惑だ。
「なんて酷い家門なのでしょう」
「うん。そもそも僕は、あの令嬢をまったく相手にしていないのだけどなぁ」
この二年間、一度も手紙の返事を書いていない。それなのに、よくもまぁ……。
と思うけど、昼食会に乗り込んできたのを見るに、自分の世界の妄想を現実として受け止めちゃうタイプかもしれないな。
怖い怖い。
「でも、どうしてエヴァンゼリン嬢との婚約に?」
「あぁ、それはね。ローズメイン侯爵家も、ハルテリウス公爵家が相手だと叶わないだろ? それで公爵様が僕を助けるために、エヴァンゼリン嬢との婚約を持ち出したんだよ」
たぶん、そういうことだろう。
俺と令嬢は手紙のやり取りもしているし、そのことも公表すれば、世間的に見て仲の良い文通友達だと思われるだろう。いや、実際そう思われているはずだ。
公爵様の手紙にも、そう書かれていた。
俺のため……でもそのために、エヴァンゼリン令嬢と俺の婚約を考えているなんて大勢の前で発表なんかしていいものなのか?
俺は男爵家の人間だ。対するエヴァンゼリン嬢はハルテリウス公爵家のお方。
ハルテリウス公爵家は王家とも血縁関係にあるほどの名門だ。そんな家門の令嬢が、下級貴族と婚約だなんて。
それに、一番大事なのは令嬢の気持ちだ。
まぁ、まだ幼いし、そういうのはよくわからないだろうけどさ。
「令嬢が成人する年齢までは、正式な婚約はしないとも書いてある。その間に、僕が心に決めた人ができたなら話はなかったことにするって」
「エヴァンゼリン令嬢が成人するまでといいますと、坊ちゃまは十八歳ですね」
「うん。八年後だね」
「坊ちゃまにそんな方、できますかね?」
マーガレット、なんか酷いこと言ってないかい?
まぁ……できないと思うけどね!
だから余計に困るんだよ。
逆にエヴァンゼリン嬢の方に好きな人ができても、このことが枷になるんじゃないかと心配だ。
でも……俺のことなんて気にせず、好きな人ができたら仰ってくださいね……とは言いにくい。
なんか上から目線みたいじゃないか!
「はぁ……」
「坊ちゃま。エヴァンゼリン令嬢のことは、どう思っていらっしゃるのですか?」
「どうって、いい子だと思うよ。辺境でのことを心配してくれて、だから特産品へのアドバイスを毎回してくれるんだし。僕もそれに甘えて、毎回新しいものを送って意見をもらい過ぎているんだけどさ」
だから直接会って、ちゃんとお礼がしたい。
はぁ……。でも公爵が婚約の話を持ち出してしまったし、三年後とはいえ、会うのが恥ずかしいなぁ。
気まずい気持ちにさせていたら、どうしよう。
そもそも一度だけ会ったのだって、俺が八歳、向こうは五歳だったんだからな。
色恋のことなんてわからない年齢だよ。
はは、はぁ……。
手紙……もう二度と来なかったりしてな。
なんて思っていたけど、そんなことはなかった。
ゼナスへ戻って来た翌日。フェアリーワイバーンがやって来て、なんとエヴァンゼリン嬢からの手紙を持ってきた。
婚約の件、父上殿からは公爵様からのご好意を受け取れと言われた。そうすることにしたけど、エヴァンゼリン嬢自ら「嫌です」って言われればなかったことにしてもらうつもりではいた。
その場合、ローズメイン侯爵家への対応策を考える必要もあったけど。
だからなのか、手紙を読むのに物凄く緊張した。
その手紙の内容は……。
「あ、竹の簪、気に入ってくれたんだな」
そしてさっそくのアドバイスだ。
以前、俺がお願いをして送ってもらった花の種。
さっそく庭に植えると良く育って、今では村の人にもお裾分けするほどになっている。
なんでも夏に咲く花だとか。
水色の、小さくてかわいらしい花だ。
何ていったかな……ネモ……ネモなんとかって花。あれに似ている気がする。
で、手紙には、いろんな花のバリエーションがあるといいって書いてあった。
令嬢方は他の子と同じものを身に着けたがらないので、花のデザインが同じでも色を変えるとか工夫すればいいと思うと。
なるほどねぇ。
一凛ものや複数にするのもアリだと。
参考になるなぁ。
で……最後には婚約の件が書かれていた。
ドキムネする。
――ディルムット様。おじい様が勝手にしたこと、どうかお許しください。
ディルムット様がお嫌でしたら、すぐにこのお話はなかったことにいたします。
でも、もしクリスティーナ嬢との婚約のことでお困りでしたら、私もディルムット様のお役に立ちたいと思います。どうか、ご協力させてください。
そう、書かれていた。
俺のために、協力してくれるなんて。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
幼い女の子に、ここまで気遣わせてしまうなんて。俺は情けないおじさんだな。
だからこそ、今は彼女の優しさに甘えよう。無下にするべきじゃないよな。




