75:婚約発表?
「ではこれより、下半期の王国財政会議を行う」
ディルムットが辺境への帰路へと就いたその日の午後。
秋、冬へ向けた財政予算会議が行われた。
「リーガル伯爵。今年も水害から免れたようだな」
「はっ、陛下。シュパンベルク男爵のご子息が、我が領内へ流れる水の一部をあちらへと引き入れてくれたおかげです。農作物への被害だけでなく、領民への被害がなくなったのには大変感謝しております」
「うむ。そなたも辺境の開拓には、惜しみない支援をしてくれておると聞く。子息がそう言っておったぞ」
「そんなっ。感謝しているのはこちらの方でございますよ。岩塩層の一部が我が領内にあるからと、利益の一部を送ってくださるのです。こちらは採掘に一切携わっていないにも関わらずですよ。いや、男爵はよきご子息に恵まれ、羨ましい限りです」
議事堂内に感嘆する声が漏れる。
この二年で辺境のゼナスの評判は随分と変わった。
作物が育たない不毛な地は、山からの水の流れを変えたことで十分な水が確保され、温かい土地でも育つものであれば十分栽培できるようになっている。
そしてゼナスから王都に送られる竹細工は、貴族たちの中でも人気になっていた。なかなか手に入らない、レアものとして。
そして採掘される岩塩だ。
良質な高級品から、味劣りする安価なものまで幅広く用意され、庶民の口にも届くようになっていた。
貴族は高級品を使うため、上手くすみ分けもできている。
リーガル伯爵は何もしていないというが、彼は利益をもらう分、労働力、そして木材や食料の支援を十分にしていた。故に、辺境の民も誰ひとり、隣人に対し不快感を抱かず、お互い良い関係を築けていた。
その功労者である男爵の息子ディルムットは十歳になっている。
同じ年頃の娘を持つ貴族たちにとって、ディルムットは今、最も良物件のひとりであった。
「うぉっほん。うぉっほん」
「……ローズメイン侯爵、お風邪ですか?」
「あー、いえ。実はその、予算会議を行う前にお知らせしたいことがありまして」
議事堂内がざわつく。
既に集まった貴族らの耳には届いているのだ。
ローズメイン侯爵の娘が、ディルムットに執着している――と。
しかもディルムット会いたさに、十歳未満の参加は禁止とされた昼食会にまで乗り込んできたことも噂になっていた。
「んんっ。実は我が娘クリスティーナがですな、婚約したい令息がいる……と」
そこでローズメイン侯爵は間を置いた。
後に侯爵は後悔することになる。
あの時、間を置かずに話していればよかったと。
何故なら。
「おおぉ、娘と言えばですな陛下!」
「うわっ。な、なんだ、バランシェット宰相。急に大きな声をだしおって」
「いやはや、申し訳ありません陛下。実は嬉しいお知らせがございまして」
「あ、あの、わたしの話を……」
「侯爵よ。すまぬが先に報告させてくれぬか? いやな、わしの孫娘エヴァンゼリンの婚約者に、ディルムットをと思っておるのだ」
「……え」
再び議事堂内がざわつく。そしてひとり、青ざめた表情を浮かべたローズメイン侯爵がいた。
「そうか。エヴァの婚約者にか。わしにとってもエヴァはかわいい姪。その姪があの少年の元へ嫁ぐというのであれば、全面的に応援しよう」
「し、しかし陛下っ。彼は男爵家。公爵家であるエヴァンゼリン嬢とは、あまりにも身分の差があるのでは?」
「本人がよいというのであれば、構わぬだろう。二人は以前から、手紙を通して交流しておる。余はお似合いの二人だと思うがの」
「そ、そんな……クリスティーナにブチ切れられる……」
消え入るような声で侯爵はそう言い、肩を落とした。
そして宰相でもあるハルテリウス公爵は、ほっと胸を撫でおろす。
(大勢の貴族の前で、娘がデイルムットを気に入って婚約を希望しているとかなんとかほざく気だったのだろう。相手は男爵家だ。外堀から固めて、婚約を断れない状況にする魂胆が見え見えじゃ。そうはさせんわ)
だが、それを阻止するためとはいえ、エヴァンゼリンの婚約を持ち出してしまった。
(許せ、エヴァンゼリン。しかしこれでディルムットの婚約者の座は、誰にも奪われぬぞ)
オルフォンス王国の貴族の中では最も権力を持ち、王族とは血縁者でもあるハルテリウス公爵に立てつく者などいない。
その公爵の孫娘の婚約者候補を搔っ攫えばどうなるか、少し考えればわかること。
うちの娘をディルムットに。
そう考えていた貴族たちは既に諦め、エヴァンゼリンの婚約に祝いの言葉を掛けた。
ただひとり、娘の暴力に怯えるローズメイン侯爵を覗いて。




