その二
中3になってまもなく、俺にも異性に対する興味が出て来た。ずいぶん遅いと思うだろう?
春の目覚めが遅かったんだから仕方のない事だった。しかも、他の連中のように生理的にムラムラするなんて種類じゃなかった。
大体、この時期は性ホルモンの分泌が最も多い時期だって言うじゃないか。猥雑な会話だけでも催して悶々とする筈だろう。
俺の場合は、この頃にやっと、男女の性差に気が付いたって段階だったな。
連日、自慰に励んでいたのに、異性との関連に思いが至らなかったって訳だ。
むろん生殖の仕組みは、知っていた。只、実感が伴わなかっただけの事さ。
隣のクラスに、佳奈っていう子がいた。苗字はハッキリ覚えちゃいない。みんなが『かな、カナ』って呼んでいたから名前は覚えた。
勝ち気で、ハッキリ物を言う子だった。
ついでに、目鼻立ちもハッキリしていた記憶がある。
同性にはナンとか話しかけられるようになっていた俺だが、女の子はまだ無理だった。それで、やって来た悠一に打ち明けた。
「気になる娘がいるんだが、どうしたらいい? 」とかなんとか。
悠一は即座に反応してくれた。
「そうか! 俺がキューピッドになってやる」
放課後、部活に行く前に、悠一が報告に来てくれて、
「明日には返事するって、言ってたよ」
俺は淡い期待を抱きながら、一日待った。
翌日、一時限目の授業が終わった休み時間に、さっそく佳奈が俺を呼び止めた。胸の動悸が速まるのが分かったよ。
返事? 返事は、こうさ。
「私には好きな人がいる。あなたとは付き合えない」
あれを初恋と言うなら、それこそ儚い思い出だな。たった一日で、泡沫のように霞んで消えた。
俺は自分から悠一のクラスに結果を告げに行った。折角、速攻で動いてくれた悠一に、申し訳ない気持ちが少なからずあったんだ。
恋焦がれていると言うほどでもなかったから、大して落ち込んじゃいなかったが、悠一は、真っすぐ俺の眼を見ながら、慰める様に、それでもキッパリと言ってくれた。
「おまえを振るなんて、アイツはバカだ! 」
俺は、部活に没頭した。暫くして、佳奈が悠一に絡みついているのを目撃した。
悠一は、いかにも迷惑そうだった。
俺は合点したね。佳奈が好きだったのは悠一だったんだ。当然と言えば当然だ。女の子のほとんどが悠一に、思いを寄せていたのは間違いないんだから。
そこへ、突然、当の本人が話し掛けて来たんだ。舞い上がって、俺の事なんか、迷惑以外の何物にも感じなかったはずだ。
後日、俺は悠一にチョッピリ卑屈な質問をしてしまった。
「佳奈の奴、お前の事が好きだったんだろう? 」
悠一はそれには答えず、俺をまじまじ見ながら
「俺、武の仇を取った。それでいいだろう? 」と答えたもんだ。
いいも悪いも俺の出る幕じゃない。悠一がどんな対応をしようと、悠一の自由だものな。
しかし、俺はやっぱりうれしかった。俺を大事に思ってくれている悠一を、俺も大切にしようと思った。
それ以降、卒業まで、俺は友情を最優先させた。晩熟だったのが幸いしたのか、異性への関心も大して進まなかった。
修学旅行の折に、皆が寝入った真夜中、淳平と悠一が俺たちの部屋へ忍んで来て、俺を誘い出した。三人で大浴場に行こうと言うんだ。
最近では、修学旅行も小グループに分かれて、好きに自分たちで立てたプランで行動出来る学校もあるそうだが、俺たちの頃はまだまだ団体行動一辺倒の時代だ。三人だけで真夜中に抜け出すなど、それなりに冒険だったんだ。
泊まっていた旅館の浴場が温泉だったかどうかなどは覚えちゃいないが、幸い湯は張られたままだった。但し、照明は最低限しか点いていなくて、俺たちは、ほのかな灯りだけを頼りに湯音を立てないよう静かに浴槽に浸かった。小学校以来の大中小トリオは昔のままだったが淳平との体格差は大分縮まっていた。身長差で5、6センチといったところだった。ただ、悠一は既に180を超えていたと思う。
小学校の時の記憶からか、二人は俺の身体を見てしきりに感心していた。ちびっこだった俺を思い出していたんだろうが、俺にしてみれば、やっと人並に近づいたと言うぐらいなもんだったがね。確かに、それなりに筋肉も付いてはいたが、水泳体型の滑らかで美しい二人のフォルムには敵わないと思った。
小突き合ってじゃれているように見える二人には、子供じみた仕草とは裏腹の、成人男子の艶めかしさみたいなものが感じられた。
部活でのキツイ練習を通しての絆の濃厚さも垣間見えた。
だとしても、その時の俺に動揺はなかった。淳平のひと言や、悠一の優しさのお陰で、俺は自分の立ち位置に自信が持てていたし、瑞々しく、頼もしい二人が自分の友達だと言う事に誇らしさすら感じていた。
いずれにせよ、俺たちは三者三様に、程度の差こそあれ、大人への階段を上っていたんだ。
あの日、ほの暗い湯殿で、心行くまで語り合った思い出は、今も鮮やかに蘇らせる事が出来る。
中学生が素っ裸で湯船に浸かっていると言うのに、下がかった話は一切出なかった。
俺たちは進路の話などをした。真面目に将来を語り合ったんだ。
淳平は『水泳に集中できる私立へ行きたい』と言った。
悠一は、そう言う訳にはいかない。アイツは医者を目指すべく運命付けられていたんだ。
元々、父の慎太郎さんが婿養子として松本医院に縁付いた時から決まっていた事なんだ。学力に問題はなかったから、学区一番の進学校、和田浦高校へ行くのは決まっていた様なものだった。
俺には彼らの様なビジョンがまるでなかった。そういう点でも一歩、出遅れていたな。親父もお袋も同じく関心が薄かった。と言うより放任だったからな。
親父はそれなりの私立大学を出ていたが、学生時代から遊び人で、家業のコネをフル活用して、花柳界などに入り浸っていた。
そこで座敷に出ていたお袋と懇ろになったって訳だ。お袋は、息子の俺が言うのもナンなんだが、売れっ子の芸妓でね。山村流名取で、地唄舞の名手なんだ。
おかげで俺も、小さい頃から男舞などを仕込まれたよ。ついでに、茶の湯、お花なども稽古させられたもんだ。今でこそ、それなりに役立っているが、子供の頃は嫌だったね。友だちにゃ言いたくもなかったよ。
そんなこんなで、テキヤだけは継がないって思いだけはあったが、さりとて、ナニをしたいとか、何になりたいとか、はっきりした物は見えていなかった。
俺は二人に、『まだ決めていない』と言った。
修学旅行から帰って来て、なん日か経った或る日、夜遅く、悠一がウチにやって来た。そして、俺に思いがけない事を言い出した。
「淳平は創世館高校を受ける事になっている。俺も和田浦と創世館を受ける。お前も和田浦と創世館、両方を受験して欲しい」
俺は、創世館進学を自分でもおおよそ決めていた。驚いたのは和田浦を受けろと言う話。俺の学力で、和田浦なんか、受かるはずはないもの。
「せめて、挑戦だけはして欲しい。もし、お前が和田浦に行けないなら、俺も創世館に行く」
奴の言葉に俺はこう返した。
「何故、そんな事言い出すんだ。医学部への進学はどうするんだ。それに、俺にゃ和田浦なんて高根の花だ」
今でこそ、創世館も国立大進学コースなんかも設けている様だが、当時はスポーツ名門校ではあっても、学業の方の評判は、必ずしも良いとは言えない状況だった。水泳に入れ込んでいる淳平や、サッカーぐらいしか能のない俺には相応しくても、医者を目指す悠一に、メリットはないはずなんだ。そう言ったんだが、
「そうでもないさ! 勉強ぐらい何処でだって出来るし、医学部に入るのに一浪や二浪は普通の事だ。俺も淳平と水泳で競えるし……。お前が和田浦に受かってくれれば、なお、有難いけどね」って言い張る。
「無茶な事を言わないでくれ。おれには無理だって、お前だって知ってるだろう」
幾分、情けなくなりながら、俺は言い返した。
しかし、奴の次の言葉で俺は固まった。
「俺は、お前と一緒にいたいんだ。少なくとも高校生活を一緒に過ごしたい。一番の親友と離ればなれになりたくない」
勉強も、スポーツも、身体も、遥かに上を行くスーパースターが、俺みたいな者に、こう言ってくれたんだ。返す言葉を無くしてしまったね。
「俺に、勉強の手伝いさせてくれないか。夏の大会が終わったら、部活を終える。夏休み中、毎日来るよ」
こうまで言われて、燃えない訳にはいかない。友達冥利に尽きると言うもんだ。幼少期からの無二の親友。離ればなれになりたくない気持ちは、むしろ、俺の方が強かっただろう。アイツの友情に応えなきゃ罰が当たる。俺は必死になった。正直、腹の底では受かるなんて思っちゃいなかったがね。そのうち、落ちたら、三人で創世館、それは、それで、望むところ。なんて、思い始めた。肩の力が抜けた。それが、かえって良かったのか、二学期からはグイグイ成績が上がった。
悠一は辛抱強く、脳タリンに付き合ってくれた。あれほど、勉強に真剣に取り組んだことは後にも先にもなかったね。
自分の、この意気込みを自分自身に刻みたいと思った。悠一にも分かって欲しいと思った。
当時、受験の申し込みは、中学で取りまとめ、一括して手配してくれるのが普通だったが、和田浦への手続きは、担任に頼んで、書式一式整えて、俺自身でやった。
受験申込初日、俺は、始発に乗って、和田浦高校の門前で校門が開くのを待った。
校門が開くと、今度は事務室受付の窓口が開くのを待った。事務員が出て来て『ナニをしているのか』不振がられた。理由を訊いて、事務員さんは呆れていた。それでも、受付を5分ばかり早めてくれたよ。
こうして、俺は、受験番号一番を取った。
アトで悠一も呆れていたね。
「言ってくれれば一緒に行ったのに」ってね!
しかし、これは俺自身の決意の問題でね。
合格発表は、校内の掲示板に張り出される。
ひと目で合否がわかる。自分の番号を探す手間も省ける。
そして、奇跡が現実になった。
俺は誇らしくも胸の高鳴りを抑えきれず、横にいた悠一の手を握りしめていた。悠一も力強く返してくれた。
俺は、俺の前途が開けていく予感を噛みしめた。周囲で飛び交う嬌声も耳に入らなかった。
手を繋ぎ合ったままの大小コンビは、長い時間、俺の一番を眺めていた。
掲示板の傍に立つ桜が、綻び始めた春のうららかな日だった。




