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背信 武と悠一  作者: マーチン中井
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その一

この作品は『ノクターンノベルス』に連載中の『直人と悠馬』のサイドストーリーですが、過激な描写はありません。悠一の悲壮な運命に普遍性もあるかと、あえて『なろう』に投稿しました。

 悠一は、(まばゆ)い存在だった。到底、追い付く事の出来ない憧れの対象だった。同級生の中では群を抜いて体格も優れ、文武両道、秀でた美丈夫だった。今風に言えば、スポーツも勉強もできるイケメンと言う事だ。

そんな悠一が、俺の様な者と親しくしてくれることは、俺にとって誇らしい限りだった。


医者の息子でもある悠一の友人たちも、やはりと言うか、類は友を呼ぶと言うか、それなりに品の有る連中が寄っていた。

俺の方は、勉強もスポーツも10人並み。引っ込み思案の人見知りのヘタレだった。家の稼業がテキヤと言う特殊な商売だったのも、なんだか引け目で、群れるのを避ける様なところが有った。


俺の父『博』と悠一の父親『慎太郎』さんは、市の行事や町内会の寄り合いなどで、よく顔を合わせた。若くして、村上組の暖簾を継いだ親父と、同じく、医師に成ったばかりで、松本医院を切り盛りしなくてはならない立場の慎太郎さんは、趣味も合い、色んなサークルにも参加していた。きっと、意気投合もしたんだろう。思えばオヤジたちも三十代。世界第二位の経済大国となって、自信が漲り始めた日本国さながら、高度成長の一翼を担う自負と覇気に溢れていた事だろう。


親父と囲碁や麻雀の勝負にやって来る慎太郎さんに連れられ、悠一は、小学校に上がる前から、よくウチへ遊びに来ていた。

同い年の俺がいるから、一緒に遊ばせておけば心置きなく勝負に没頭できると言った思惑だったんだろう。

同じ一人っ子同士。すぐに仲良くなった。と言うより悠一が、積極的に話し掛けてくれたからだけどね。とにかく、悠一がリードしてくれて、俺はそれに乗っかっているだけで楽しく遊べたのさ。


ウチはテキヤだから、倉庫などに、縁日や祭りなどの時に出店する屋台などが大量に保管されていたし、住み込みの若い衆や、得体や素性の定かでない流れ者の人たちもしょっちゅう出入りしていた。遊び道具にも遊び相手にも不自由はなかった。

水商売なども手広く手掛けていたから、スナックやバーのマダム、ホステス、料亭の仲居さんなど、老若男女の吹き溜まりみたいなところがあったのさ。刺青を入れた連中も多い。ナニをやらかして来たか知れたもんじゃない物騒な輩も中にゃ居ただろう。

並の子供なら、寄り付きたくない異世界だったと思う。今の村上興業じゃない。30年以上も前の話しだ。

そこで生まれ育ったにもかかわらず、俺は、そういう環境にどうも馴染めなかったんだ。俺が自分の家の有り様に抵抗がなくなったのは悠一のお陰さ。

 悠一はまるで平気でね。俺など怖気を振るって逃げ出す、如何にもって言う様な、極道丸出しの様な親父やにいさんたちでも、お構いなしに絡みに行く。


 悠一は幼少期から凛々しい見栄えのする容貌だった。既に辺りを払う剛毅な質が備わっていた。そのくせ人懐っこい。幼くして華があった。たちまち、人気者になって、可愛がってもらえた。横に居るパッとしない俺も、お陰で、ついでに相手してもらえるようになった。

 小学校に入った時、悠一には既に多くの友達が群れていた。情けない事に、俺には友達らしい友達は一人もいなかったなあ。もちろん、悠一を別にしてだよ。今、思うに、俺は幼心に、普通ではない自分の家の環境に後ろめたいものを感じて、閉鎖的になっていたんだろう。

 悠一は新しい環境でも変わることなく接してくれたんだが、俺の方がビビっちゃってさ。同級生たちの真ん中で、ひと際、輝いている悠一に、取り巻きたちを掻い潜ってまで、近付く度胸がなかったんだ。

 クラスも違ったもんで、遊び時間の時なんか、校庭でぼんやり、皆がサッカーなどをしているのを見ている事が多かった。

 校庭に悠一が出ている時は、そんな俺を、目ざとく見つけてくれて、駆け寄って来ては、尻込みする俺を、なかば強制的に仲間に引き込むんだ。遊び始めると、ぴったりとフォローしてくれて、手取り足取り指導してくれる。

運動音痴だった俺が、曲がりなりにも中学、高校とサッカー部で活躍できたのは、ひとえに悠一の指導と影響の賜物だな。悠一の存在無くして俺の今はなかったと言ってもよいだろう。

 悠一は少年サッカーの花形だったが、中学から陸上と水泳も加わった。つまり、奴は万能なのさ。部活は水泳を選んで、のちに、インターハイも水泳選手として出場したが、学校対抗の陸上競技などにも、しょっちゅう駆り出されて、並み居る陸上部の連中を蹴散らしていたよ。


 小学校に入って、丸4年は別々のクラスだったが、悠一はクラス横断的に人気者だったから、俺もおこぼれに預かって、仲間外れの憂き目は避けられた。取り巻きの一画を辛うじて占められたって事だ。例によって、悠一以外に特別親しいって友だちはこれと言っていなかったけれどね。

 今、振り返ってみれば、思春期になる前の、人の一生のうち最も屈託なく過ごせた期間がこの時期だと思える。明日を思い煩う事も、昨日の悲しみを引きずる事もない、その日その日を精一杯、楽しむ事だけに一所懸命になれた時代だ。言わばこの時期の子供は、一級のエピュキリアンと言えるかも知れない。

 特に、俺の様に、凡庸な人間にとっては、夢の様に起き、楽しみだけを探し、空想にまみれて眠る日々の繰り返しの時代だった。

 特別な才能や強い意志を持たない俺の様な一般人にとって、この時期は、漠として、取り立てて記憶に残る様な事がない。『楽しい時代だった』と大雑把に言う他はない。

人は、思春期を迎えて、苦悩を知り()めて人になる。少なくとも、俺はそう思っているんだ。

 俺は他人(ひと)より、かなり人になるのが遅かった。ボクちゃんの時代が長かった。

思春期への移行は、多分、悠一より3、4年は遅れただろう。とにかく肉体的変化の差は、はっきりしていた。二次性徴が肉体のみならず、精神的にも等しく、現れて来るものなら、悠一と俺は、大人と子供の関係を実に3、4年にわたって続けたと言う事になる。

今にして思えば、よく餓鬼の面倒を我慢して見てくれたもんだ。


 5年の時の組み替えで初めて悠一と同じクラスになった。

俺の世界が一気に広がった。悠一の大きな輪の中に自然と包み込まれたんだ。悠一の近くに居るだけで、安穏に過ごせた上に、いい友達も増えていった。

 席決めは、名前順で、俺の席の前に三浦淳平って子が座っていたんだが、この子も俺と同じように内気な大人しい子で、時々、後ろを振り返るんだが、話し掛けては来ない。俺は俺で、目が合うと(うつむ)いてしまうんだ。

で、三浦の前の席が悠一。松本、三浦、村上と言う順番さ。悠一は、積極的に淳平に話しかけ、あっという間に親しくなった。そして、わざわざ席を立って、俺を紹介してくれた。

「俺の一番の親友、村上武くん! 」ってね。

どれ程、嬉しかったか……。

苦も無く俺は新しい友達を得る事が出来た訳だ。

 学校内ではイジメも喧嘩もあった様だが、俺には無縁だった。それと言うのも悠一は群を抜いて優れた体格で背丈も学年一高かった。その上、『武道空手少年クラブ』に幼年期から所属していて、その事は、(みんな)にもよく知られていた。その一番の友達である俺に、絡んで来るような奴はいなかったって訳だ。


 俺たち三人は何時もつるんで遊んだ。大中小トリオって案配だ。小5の頃、俺は130センチそこそこ、淳平が145前後。そして、悠一は既に160を超えていた。

ずっとあとで聞いたんだが、悠一はこのころには精通を済ませて、自慰も知っていたそうだ。

普通、この時期は、人間関係に劇的変化が起こるものだ。誰だって、話の合う友達の方がいいに決まっているだろう。あの子が可愛いとか、下ネタとか、そんな話題が出始めて思春期突入って事になる。俺にはトンとその兆候はなかったね。

俺が悠一から自慰を教えて貰って、覚えたのが中2も終わりの頃だから、3年以上も、あの快楽を知らなかったと言う事になる。

連日のように下着が汚れるので、何かの病気かと思って悠一に相談したのが切っ掛けだった。しかも、アイツ、淳平には知り合ってすぐ、教えたって言うじゃないか。

「ひどい奴だ。どうして俺には教えてくれなかった」って訊いて見ると、

「おまえは、可愛いすぎて、とても、そんな話が出来る雰囲気じゃなかった」なんて言いやがった。

まあ、それほど、俺が見た目も中身もネンネだったっていう事だがね。

それから猿のように連日、励んだ。止まっていたかのような身体の成長も一気に加速した。

身体が先か自慰が先か、相関する物かどうかは分からないがね……。


小学生から中学生に掛けて、淳平も悠一も放課後は、よくウチで遊んだ。

彼らにとって、異世界でもあるウチは、ビックリ玉手箱みたいに、新たな発見があった様で、彼らも興味が尽きないって感じだった。俺が自分の家を再発見して、幼い頃感じていた違和感や嫌悪感を払拭出来たのはこの頃だったと思う。

それでも相変わらず人見知りは治らず、寡黙であかんたれは昔のままだった。古くからいる従業員などにはこう言われたものだ。

「若が、医者の子で、悠一の方がよっぽどテキヤの息子らしい」ってね!


 俺はオナニーに励み始めた頃から、身体的には、淳平たちを猛追し始めた。俄然、二次性徴が現れて来たと言う事だろう。悠一のお陰で少しばかり出来る様になっていたサッカーにも必死で食らい付いた。

元々、平均より身体の大きい淳平は、中学に入ってすぐ、悠一に誘われるまま水泳部に入り、この頃には結構よい記録を出すようになっていた。中学記録を連発する悠一に触発されて、北中水泳部は団体としても全国レベルで、脚光を浴びる様になっていた。

悠一と淳平が長時間、部活で一緒で、共に頭角を現していく様子に、俺は少しばかり、焦りの様なものを感じ出したものだ。


 特に、悠一は、まさに八面六臂の活躍で、陸上部の助っ人などにも駆り出され、短距離走の記録を塗り替えたりするもんだから、女生徒は言うに及ばず男生徒にも大人気だったし、勉強でも断トツの成績だったから、教職員の受けも大いによかった。

 さすがに俺も、桁違いの悠一にライバル心は起きなかったが、淳平には猛烈な対抗心が芽生えて来ていた。悠一に対する俺の立場が淳平に取って代わられるんじゃないかと言う、さもしい、嫉妬の様なものが湧きおこってきたんだ。


 俺も遅ればせながら、思春期を迎えて、少しは社交性も身に付き始め、サッカー部の連中のなかにも、親しく話ができる奴も、何人かは出来ていた。

それでも、ナンと言っても、悠一は格別だ。

皆の憧れでもある悠一の親友と言う立場は、俺の様な凡人にとって、得難い勲章みたいな物だからな。


 俺の方がそんなだから、たぶん、淳平も同じような気持ちを持っていたんじゃないかな。

悠一は幼い頃から、来慣れていたからかもしれないが、身体が空いた時など、ブラっと、一人でウチに来ることがよく有ったが、淳平が一人で来ることは決してなかった。

ある時、淳平と二人になる事があって、こう言ったんだ。

「たまには、一人で遊びに来ないか。悠一は、それでなくても忙しいんだ。二人で遊ぶのも、時にはいいんじゃないか! 」ってね。

淳平は、じつに、複雑な面持ちで困った様に答えた。

「……悠ちゃんが、良いと言えばね……。悠一の一番の親友は武で、……俺と武は、悠一を通じての友達だもの」

(オッ! こいつ、分かってるじゃん! )

その時、俺は溜飲が下がる思いだったね。


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