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Story8「卯月の鬼」

――ある女の手記より抜粋。


8月○日。

最近はめっきり食欲がない。

旦那が心配して私の好物である木苺をたくさん持って帰ってきた。



9月×○日。

吐き気と嘔吐がひどい。

物もろくに食べられない。

近所で助産師の仕事をしていらっしゃるお婆さんが悪阻ではないかという。

水分補給をしっかりしろと言われた。



10月△△日。

妊娠は確実のようだ。

苦しかった悪阻もだんだんと治まってきて、食欲も戻ってきた。



11月×日。

「もうお前だけの体じゃないんだから」

旦那は以前にもまして家事を手伝うようになった。

産まれてくる子供のためにと仕事も遅くまで頑張っているのに、本当に感謝している。

この人と結婚してよかった。



12月△○日。

お腹が随分と膨らんできた。

旦那は私のお腹を優しくなでながら元気に産まれて来いよと言う。

ご近所の皆さんが栄養をつけるようにと野菜や果物を届けてくれた。

うれしい。



1月××日。

赤ちゃんが中からお腹を蹴った。

「こんなに活発なら、男の子かもしれないわね」

友人が笑って言った。



2月△×日。

男の子かな。女の子かな。

名前は何にしよう。

初めての子供だから、名前は二人で決めようね。



3月○○日。

私の愛しい子。

早く会いたい。

幸せ。



4月  日。

黒く塗りつぶされているため解読不可能。



5月  日。

記載なし。



6月  日。

記載なし。



7月  日。

記載なし。



8月  日。

記載なし。



9月  日。

記載なし。










以降記載なしが続く。














4月●●日。

今日は2人のお墓参りに行ってきた。

あれからもう1年。

あの時、私が外に出たいなんて言わなければ今頃…。

どうして。どうして私だけが生き残ったの。

どうせなら私も一緒に死ねばよかった。

会いたかった。

この腕で抱いてあげたかった。

待っててあなた

私もす そっ に行  ら。

(以降文字のにじみやかすれがひどく解読不可能。)






「いらっしゃいませ、喫茶ポルボローネへようこそ」

 すっかり日も暮れた夜。

 店主の青年は突然の来訪だというのに眉ひとつ動かさずに私を店内へ招き入れた。

「すいません、こんな時間に…」

「構いませんよ、ハーブティーはお好きですか?」

「え?あ、でも私…」

「サービスです。代金は要りません」

 私がカウンター席に座るとまるで準備をしていたかのようにさっとカップが差し出された。

 甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。

「あの…」

「そろそろ来る時間だと思ったんですよ」

「え…?」

「ただの勘です」

 そういって青年はウインクをして見せた。

 遅い来店に私が申し訳なさを感じているとこを、気を遣って冗談を言ったのだろうか。

「どうなさったのですか」

 黙ったままの私に青年が問いかける。

「わたしに何か聞きたいことがあるのでしょう?」

 顔を上げると優しげな笑みを浮かべた青年と目があった。

 彼には、人の心を読む力でもあるのだろうか。

「子供を探しているんです。…男の子」

「お子さんですか」

「え、ええ…まぁ……」

 青年の言葉に思わず視線が泳ぐ。

「今日も朝からずっと探してて……。この店のことはその時教えてもらったんです!ここに来れば何か分かるかもしれないと」

「どなたからお聞きに?」

「お名前までは存じませんが…、すごく珍しい髪色でした。桃色の。」

「ああ…彼女ですか」

「お知合いですか?」

「ただの常連客ですよ」

 思えば、あの桃色の髪の女性はなぜこの店に来るように言ったのだろうか。

 ここはどう見ても普通の喫茶店だ。

 それとも、裏では情報屋でもしているのだろうか。

「あの、それで、その男の子のことなんですけど……」

 年齢、身長、髪の色、目の色…。

 私は思いつく限り子供の特徴を説明した。

「…写真でも一枚撮っておけばよかったんですが」

 不甲斐なさからつい溜息がこぼれる。

 青年は私の説明を聞いてしばらく思案したと思うと口を開いた。

「もしかしてその子の父親は……」

 殺人鬼ではありませんか。

 ああ、やっぱり…。

「この町に住んでいる人なら知ってますよね。当然です。あんなに大きな事件だったから」

 私はすぐに席を立つと青年に向かって言った。

「すいません、やっぱり帰ります」

「どうかなさりましたか」

 引き留めようと、声をかけてくる青年に向かって私は振り返った。

「殺人鬼の子供の話なんて聞きたくはないでしょう?いいんです。慣れてますから」

 この店に来るまでもそうだった。

 道行く人に声をかけては子供のことを尋ねた。

 皆口をそろえてこう答えた。

「殺人鬼の子供なんて知らない」と。

 そんなもの捨て置け。

 そんな言葉が私の胸に冷たく刺さった。

 青年が私の言葉に何も答えないとみると、私は再び彼に背を向けて扉へと足を向けた。

 ドアノブに手をかけたその時だった。

「…………ますよ」

 青年の声にドアノブに触れた手が止まる。

「その子供のこと、知っていますよ」

 青年は私の背中に向けて確かにそう言った。

「知っていることはすべて話しますので、どうぞお席へお戻りください」

 とても優しげな笑みだった。

「教えて…全部」

 私は吸い寄せられるように元の席へと帰った。

「その子供は、先月までここで働いていました」

 青年は話し始めた。

 頭に怪我をした男の子がやってきた日のこと。

 勉強熱心でよく働いていたこと。

 客からも可愛がられていたこと。

 無邪気に笑う姿。

 そして…。

 そして、父親に無実の罪をなすりつけ処刑した英雄を、殺して店を去った日のこと。

「…ですから、今現在の彼の所在地は知りません。知っていることはこれで全てです」

「そう…ありがとう」

 ハーブティーへと手を伸ばした。

 甘酸っぱい香り。昔食べた木苺を思い出す。

「質問してもよろしいですか?」

「何?」

「貴女は一体あの子供の何ですか?母親ではありませんよね。子供の実の母親は病気で既に他界しているはずです」

 そんなことまで知っているのね。

「私は…」

 本当の母親ではない。

 けれど…。

「私は…」

 父親が捕まり、行き場をなくしたまだ幼いあの子。

 一夜にして独りぼっちになったあの子の目は、旦那と…まだお腹の中にいた子供を同時に失ったあの時の私と同じだった。

 身寄りがないのなら家においで。

 何も言わずにただこくりと頷いた子の手を引いて家へと帰った。

 友人は大反対した。

 殺人鬼の子よ。きっと災いを呼ぶ。

 それでも私は子供の手を離すことはなかった。

 この子は産まれてこなかったあの子とは違う。

 そんなことは分かっていた。

 いいえ。そう思っていただけ。

「私は一度、あの子を捨てた」

 子供を引き取ってから私の生活は一変した。

 ご近所の人から陰口を言われているのに気付くのはすぐだった。

 私を見つけると遠ざかってはこそこそと様子を窺ってくるようになった。

 郵便受けに誹謗中傷の手紙が入っていた。

 その数は日に日に増していき、やがて郵便受けからあふれ出るまでになった。

 家の壁に落書きが増えた。

 消しても消しても翌日には倍に増えていた。

 子供は何も言わない。

 父親がいなくなったあの日と同じように死んだような目をしていた。

 それでも私は笑顔で話しかけ続けた。

 そんな日々が何週間か続いたころだった。

 いつものように汚れた壁を拭いた。

 いつものように誹謗中傷の手紙でいっぱいの郵便受けを開けた。

 いつものように。

 いつものように…。

 子供の精気のない目が私を見た。

 限界だった。

 私はあの時何と言ったのか覚えていない。

 何か喚いて、多分出て行けといったのだろう、そうしたら子供は黙って出ていった。

 我に返ったのは夜だった。

 子供はいなかった。

 それでもいいと思った。

「最低な女だと…罵ってくれてもいいのよ」

 力なく笑う私に、青年は優しい声で言う。

「仕方のないことでしょう」

 そう、仕方がなかった。

 辛かった。

 だけど、私があの子を捨てたのは事実だ。

「一度捨てたのに、どうしてまた探すのですか」

 青年が言った。

「偽善ですか?優しさですか?責任感?それとも、正義感からくるものですか?」

 違う。

「違う」

「では、なぜですか」

 どうして探そうと思うのか。

 どうしてそう考えたのか。

 どうして私は探すのか。

「愛よ」

 迷いなんていらない。

「愛よ。元は産まれてくる子供にあげるはずだったものよ」

 それは事故にあったときに、子供と一緒に流れて壊れて歪んでしまったものだけど。

「一方的で利己的で…それでも私のこれは愛よ」

「あの子供は亡くした貴女の子供ではありません」

「分かっているわ、ちゃんと」

 けれど私はあの子を見つけなくちゃならない。

「もう誰も…失いたくないの」

 見つけたら思いっきり抱きしめてあげよう。

 きっとお腹を空かせているだろうから、たくさん食べさせてあげよう。

 そうして二人でどこか遠くに行こう。

 私達のことを誰も知らないところへ。

 次は…次こそはちゃんと……。

「私は…あの子の母親よ」

 これは愛だ。

 青年はふわりと笑うと言った。

「分かりました…。どこにいるかは分かりませんが、きっと見つかりますよ」

 私は立ち上がった。

「ありがとう。貴女のおかげ…次こそちゃんと母親になれそう」

 扉へと歩を進める。

 今度は呼び止める声はない。

「またのお越しをお待ちしております」

 青年の声を背中に受けて、私は店の外に出た。

 街は夜の闇に包まれている。

「やぁ、また会いましたね。」

 声のするほうを向くと、桃色の髪の女性が街灯に照らされて立っていた。

「こんな時間に、まだ子供を探していたんですか?」

「ええ。」

「その様子では欲しい情報は手に入らなかったみたいですね」

 彼女の視線は私が今出たばかりの扉に向く。

「でも、来てよかった。紹介していただきありがとうございました」

 私は笑顔でお辞儀した。

 清々しい気分だった。

「それは良かった。にしても、最近は物騒なんですからご婦人も早く家に帰ったほうがいいですよ」

 彼女は内緒話でもするように私に言った。

「殺人鬼が処刑されたと思ったら、また殺人事件が起こるなんて最近は恐ろしい。ほら、英雄の部下の3人組のうち2人が殺されたでしょう?あれ、裏では鬼の呪いだとか言われてるんですよ」

 そんな訳ないのにね。

 彼女はおかしそうに笑う。

「部下が2人も殺されたというのに、英雄ときたらいまだ行方知れず…。一体どこに行ったんでしょうかね」

「さぁ、私にはさっぱり」

「残りの1人はいつ殺されるか気が気でないでしょう」

「…私もう帰るわね。確かに危ないし」

 彼女に対してなぜか私は恐怖を感じた。

 全てを見透かされているような、そんな風に感じた。

 その場を去ろうとする私に彼女は言った。

「あ~そうだ。私、さっき向こうでその部下の1人を見たんですよ」

 彼女は橋の向こうを指さして言った。

「殺されないといいですね」

 何もかも知っている。

 演技じみた口振りで確かに真実を語っている。

 そう思った。

 あの子はいる。

「すいません。用事を思い出しました」

 私は走った。

 彼女が指さした橋の向こうへ。

 見つけないと、私が。

 やがてたどり着いたのは大きな噴水のある広場だった。

 噴水の前で誰かが佇んでいる。

 街灯が壊れており、はっきりとは見えないが私には分かる。

 あれは確かに探し求めていた子供だ。

 私はゆっくりと子供の傍に近寄った。

「…探したのよ」

 子供は何も答えない。

「ごめんね。…一緒に帰ろう」

 握ろうとした私の手は子供によって振りほどかれた。

「…どうしたの?いいのよ。私は怒ってなんか…」

 ないわ、と言おうとした言葉は、月に照らされた死体を見て飲み込んだ。

 噴水の水は死体の血に染まっている。

「僕はもう帰れない」

 子供が消え入りそうな声で言った。

 月が隠れていた時には気づかなかったが、子供の体は沢山の返り血を浴びている。

「僕は鬼だ」

 ここで帰るわけにはいかない。

 もうこの子を離したりしない。

 私は鬼の子をしっかりと抱きしめた。

「貴方が鬼だというなら私だって鬼よ」

 やっぱり私は死んだ自らの子が忘れられない。

 その子に与えられなかった愛情を目の前の子供に押し付けようとしている。

 一度は捨てたのに…。

 そんな母親を鬼と言わず何というのか。

「……家族になろう。鬼同士、お似合いじゃない」

 笑った私の腕の中で子供は茫然と涙を流した。


 

 あれから1週間が経った。

 私は今日この街を出る。愛しい子と。

 不思議なことにあの喫茶店は探しても探しても見つからなかった。

 桃色の髪の女性にも二度と会うことはなかった。

「母さん、何してるの?もう船出ちゃうよ」

「うん、分かった。今行くわ」

 愛しい鬼の手を取って、私は船に乗り込んだ。

 そういえば今日は旦那と子供の命日だ。







「いらっしゃいませ、ロセウスさん」

「やあ、主人」

 桃色の髪の女はまっすぐカウンターの席に座った。

「知ってるかい。鬼の子のこと」

「見つかったんですか」

「ああ、親子そろって今朝街を出ていったよ。」

 主人と呼ばれた青年はロセウスの前にティーカップを差し出す。

 カップを手に取り、口に着ける。

「ところで主人。親子が乗った船だが、沈没したよ」

「…二人とも無事だといいですね」

 ロセウスは何も答えない。

 沈黙に包まれた店内は木苺の香りで満たされていた。


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