第八章 ある夜の物語
私は立ち止まるとポロポロと涙をこぼした。
切ない感情が胸を強烈に締め付けて苦しい。
「泣いているのかい? 泣かないで、亜子」
「だったら消えないで私の傍にいてよ。これからもずっとずーっと」
「亜子。人が傍にいるってのは幸せで、大切な事だね。だけどそれも心があってこそ。いくら誰かが傍にいてくれてもそこに心がなければいないのと一緒だよ。逆に考えてごらん。どれほど遠く離れていても想い合う心があればいつも傍にいるってことさ。僕はそれを知った。君と一緒にいて学んだんだ」
「キネム」
今日まで綺麗な物をたくさん見てきた。
それでもぼんやりと淡く輝くキネムの緑色の瞳ほど美しい物を見た記憶がない。
私は今、世界で最も美しい光を目にしている。
「僕は心を置いていくよ。君の胸の中へ置いていく。だから何も心配ない。僕たちはずっと一緒だ。それを忘れないで。お願い、亜子」
キネムの手が私の手のひらから雪が解けるように消えた。
背筋に冷たい物を感じながら辺りをまさぐるけど手には何も触れず、ただ宙をかくだけだった。
「キネム! キネム!」
呼んでも叫んでも返事はなくて、だけど心がじんわりと温かい。
泣かないでと言われても泣けてしまう。
だって本当に泣けてくるぐらいに、とんでもなく心が優しくて温かいから。
目を開いても目を閉じても変わらない暗闇にたった独り、すると視界の端に久しぶりの光が見えて、慌てて光を視界の中心に捕まえ、私は真っ暗で不確かな空間を恐る恐る、けれども光が消えるかもしれないから出来るだけ早く足を動かして見えない床を蹴った。
光は徐々に近づき、大きくなって。




