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「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 沈黙が続いた。

 男は、突きつけた人差し指を微動だにせず、俺を見降ろしている。

 俺は、人差し指の先っちょを見つめた。

 男は、指を伸ばしたまま、俺の反応を待っている。

 ぼんやりと、頭の隅を考えが巡る。

 どうりで。

 男の人差し指を見つめながら、ぼそぼそと声を出してみた。

「そうか。俺は死んだのか」

 自分の声を耳から聞くのも、どのぐらいぶりだったろうか。

「どうりで、眠くもないし、動きたくもないし、腹も減らないと思ったんだ」

まっすぐに俺を見降ろしていた男は、上半身を後ろへねじって おう、だとか ふう、だとか良くわからない言葉を発している。

小刻みに震えているようだ。

怒っている。

そう思った。

この男は、俺に死の宣告をしに来たのだ。

怒るのも当然か。

 死の宣告、いや死んだ宣告をするのが仕事なら、その世界でもまあまあ上の位置にいるのかもしれない。

 宣告を受けるのは、もっと厳粛であるべきなのだろう。

 俺の態度は、厳粛とは言いがたい。

 それを。こんな間抜けな反応をしてしまって、怒っているのだろう。

 あの震えは、怒りを抑えているためなんだろう。

 だが、怒らせたところで、俺は男に助けてもらいたいとは思わない。

 神の怒りに触れて、無限の地獄へ行くのも悪くは無いが、文字通りの地獄の責め苦と言うものがあるのなら、それに耐え忍ぶ根性は俺には無い。

 出来る事なら、このまま静かに、ほっといてくれるのが一番いい。

 人としての存在を失くしても、ぼんやりと海月のように漂い続けるのが性に合っている。

 暫らくの間、ぼんやりと震える男を眺めていた。

「いやあ、まったく」

 男は、ハンチングを片手で抑えながら俺に向き直った。

「無気力な人だ」

 男は口角をいっぱいに上げて、笑っていた。

「普通なら、もっとこう、驚くもんでしょう。お前はもう死んでいる的な事を宣告されたら」

 そうかもしれない。

「しかも、アナタは自分が死んだ事さえ忘れていた、いや、気がついていなかった」

男はようやく笑うのを止め、俺の隣に腰を降ろした。 

「いやね、アタシの仕事は、死んだ事に気付かずこの世を彷徨う魂を導くことなんすよ。アナタは肉体が死んだにも関らず、意識だけがこの世に残ってしまった。さっきも言ったように、意識体としてこの世に留まるうちに、生きていた時の記憶は薄れていき、やがて生きていた頃の事を全て忘れてしまう。それはそれで構わないんすけどね。大人しくしててくれたら」

「生きている者へ悪影響を及ぼす?」

「そう!」

 俺の質問に、男は指を鳴らして答えた。

「大抵、肉体が滅んだにも関らず魂だけがこの世に留まるのには理由がある。それは、強い妄執とでも言いますか。生前に起こった出来事や、この世に残していく相手への想いなんかが残っていると、すんなり成仏できないんすね。一番やっかいなのが恨みです。こいつはやたらと思いが強い上に、邪悪な念に影響されやすい。そして、生きる者の世界にへばりついて、隙あらば自分の仲間に引き入れようと、生者も死者もお構いなしに狙っている」

 恨み?

 俺は誰かを恨んでいるのだろうか。

 俺は誰かを恨むあまりに、身体を失くしてもこの世から離れる事ができないのだろうか。

 男の言い草ではないが、この無気力な俺に、誰かを恨む気力などあっただろうか。

 そんなに強い思いが、俺にあるのだろうか。

「ああ、アナタの場合はそうじゃない。恨みっていうのは、例えばの話ですよ。生前の出来事に影響されて成仏できないからといって、全てが恨みの念じゃないすよ」

この男は、さっきから俺が考えている事に勝手に答えを言う。

 俺の考えている事がわかるのか。

「そうすよ。アナタただの意識体ですもん。何度も言ってるでしょ。意識しかないんだから、考えている事なんてだだ漏れです」

 そうか。それならわざわざ声に出していう必要も無いか。

「どこまで無気力なんすか、アナタ」

 男はまた甲高い声で笑った。

「とにかく、アナタは何かの思いを残したまま死んだ。だから魂だけがこの世を去ることが出来ずに留まっている。アタシはアナタの思いを昇華させ、本来アナタが行くべき世界へアナタを導く為に来たんです」

この世に魂を縛り付けるほどの想い。そんなものが俺にあったのだろうか。

記憶は薄れているが、生きていた頃の俺は情熱を持って生を謳歌していたのか。

「それは、ちょっと違いますね。アナタは生前も今と変わらず無気力だったようだ」

 男は、胸ポケットから手帳を取り出して捲った。

 そうか。

 少し残念な気持ちになった。

 無気力なのは、記憶が薄れて熱意を失くしたわけではなかったのか。

 だが、無気力と言われても腹も立たないのは、怒る気力も持たないほど無気力に生きていたのだろう。

 俺はどんな生き方をしていたのだろう。

「気になりますか?」

 男は俺の顔を覗き込んだ。

「どんな生き方だったか。それを思い出すことで、アナタがどんな思いをどこに残してきたかがわかるでしょう」

 男は顔を傾けて、更に俺の眼を覗き込んだ。その顔は、静かに笑っている。

 この男は一体何者なんだろう。

 死んでいる俺に、死んだと告げに現れ、あの世に導くと言う。

「アタシの事は別に気にしなくてもいいんですけどねェ。まあ、死者の案内役ですよ。アナタの記憶を辿って、アナタが想いを残す時を探る。そして、アナタの思いをアナタが納得できる形に納める。アナタの思いが納まれば、アタシがアナタのいるべき世界へお連れする」

 死者の案内。死者を導く。

 つまりは、死神か。

「ま、好きに呼んで下さい」

 男―死神は言った。

 あの世か。俺は天国に行くのか。

「天国とか、地獄とか、そんなものアナタ達人間が作り上げた架空の世界でしかありませんよ。この生者が住む世界があれば、死者の魂が住む世界がある。それだけです。時も流れれば花も枯れる。死者は、魂の住まう国で穏やかに過ごし魂を浄化させ、次の輪廻の輪に加わる順番を待つ。それだけです。生者の世界と違うのは、争いごとが無いくらいですよ。アタシは、その世界に行かないといけないのに行く事が出来ない魂を見つけて、連れて行くのが仕事です。単なる役人みたいなモンです。だから、さっさと仕事を終わらせて家に帰って酒飲んで寝たいんすよ」

 争いが無い穏やかな世界か。そこに行けばこのまま、何も考えずに過ごせるのか。それもいいのかも知れない。

 それなら、さっさと連れて行ってくれ。

「だから、その為にアナタの残している思いを解消しないといけないんすよ、葛木さん」

 想い、思い。

 そんなことは、もういいじゃないか。

 俺は何も憶えていないし、この世に未練も無い。

「そうはいかないんすよ」

 死神は、真面目な顔をして、立ち上がった。

「ただ連れて行くだけじゃ、アタシの仕事にはならないんすよ。さあ」

 死神は、再び俺を見降ろした。

「思い出して下さい。アナタの想いを」

 そんな事を言われても。

 俺はついさっき、全てを捨てたことに気付いた。生きていた頃の記憶は、何も思い出せない。思い出す作業は、俺にとって既に苦しい事になりつつある。

 第一、俺の生前を知っているなら、俺の想いとやらはわかっているんだろう。それなら、そっちで俺の後悔だか、想いだかを勝手に解消してくれ。

「それじゃ、困るんすよ。アタシのこの手帳には、アナタの生きていた事から死ぬまでの行動が記録されている。アナタが何を考え、どんな行動がしたかをね。でもそれをアナタに読み聞かせたところで、何の意味も無いんすよ。アナタの真実の想いは、アナタ自身に見つけてもらわなきゃ、開放する事も解消する事も、昇華する事も出来ないんすよ」

 死神はため息をついた。

「じゃあ、こうしましょう」

 死神は右手の人差し指を俺の頭に向けてピン、と伸ばした。

「ばん!」

 ピストルを撃つ真似をした。

「アナタの死んだ状況を教えましょう。アナタはね、今みたいに撃たれたんすよ」

 うたれた。

 撃たれた?拳銃で?

 撃たれて死んだ?俺は撃たれて死んだのか?

「そうです。撃たれて死にました」

血―。

額から、ぬるぬるとした液体が流れ出てくる。

液体が左目の上を流れ、視界が半分、赤く染まった。

血が流れている。

俺は、撃たれた。

「即死だったから、痛みは殆ど感じていなかったでしょう」

 痛みはない。

 俺は。俺を撃ったのは誰だ。何故撃たれた。

 流れ出る血で赤く染まった視界に、突然誰かの顔が浮かんだ。

 若い男。

 なにか叫んでいる。驚愕した顔。

 あれは誰だ?

 俺を撃った奴か?

 何故俺を撃った?何故俺は撃たれた?何故俺は、撃たれて死んだ?

 俺はお前に撃たれたのか?

 俺は、殺されたのか?

違う。

 お前は俺を殺してなんかいない。

 そんな顔するな。

 俺が望んだ事だ。

 そうだ。俺が望んだ。

 銃を構えている奴を見た時、

 俺が死ねばいい。

 そう思った。だから。

 俺は、撃たれたかったんだ。

 俺は死にたかったんだ。

 俺は、死にたかった。全てを飲み込んだまま。

 お前の中で、凶悪な人間として、軽蔑されて死にたかった。

 それが、お前の為だと思った。

 だから俺は―。

 記憶が開放される。

 赤い視界の中で、驚愕するあいつの顔が鮮明になっていく。

 ああ、そうだ。

 それは、俺がこの世で最期に眼にした顔。

「ヨウヘイ・・・・・・」

 俺の唇がわずかに動き、微かに声が出た。

 その声は、震えていた。

「思い出しましたか?」

 ああ。あいつの名前は、俺と同じだ。

「どうして、撃たれてしまおう、なんて思ったんすか?」

 それは。

 記憶の塊が、奥底で頭をもたげている。

 思い出したように思えたのに、それは不確かでふわふわとしている。

「まあ、順を追っていきましょうか」

 そうだ。順を追って・・・。

 最初から。

「そうですね。夜はまだ長い。時間はたっぷりある。アナタの昔語りにお付き合いしましょうか」

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