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竜になれない竜姫と王子を強制された王妹は、政略結婚で家族を選び取る  作者: 卯月スズカ


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エピローグ

 離宮のリビングで、アンナリーゼは日光浴をする植物のようにぼんやりとしていた。心ここにあらずといった調子で窓から庭を眺め、日光を浴びて、時たま無意識に腕を動かして、腰に剣がないことを実感する。

 イウリィが用意していった茶菓子にも手をつけていない。帰還から数日経ち、離宮で匿われるようになってからも平穏の中でどう過ごすべきなのか一向に理解できないせいで、意識が迷子になっていた。

 

「拙は……拙は、どうすれば」

「働きすぎだ。いいから休め。寝ろ。食え。そのまま光合成でもしてれば十分だ」

 

 オドゥの声が唐突にやってきた。隠密時代の癖が未だに残っているせいで、オドゥはいつもいきなり現れる。

 そのうえナデシコに至っては、オドゥが離宮に滞在し始めてからというもの、どれだけ指摘しようが無意識で気配を殺して動く始末。とうとう離宮の人間は死角から急に師弟二人が現れてもそういうものだと受け入れるようになっていた。アンナリーゼも戦闘態勢には移らず、対面へのソファに腰掛けるオドゥをごく自然に迎える。


「オドゥ殿、拙は植物ではないのだが」

「今の姿を俯瞰してみろ。ま、それはともかく四女の姉さん。ちょっと見てくれ」


 オドゥが差し出したのは、ナデシコが走り書きで残したメモの数枚だった。アンナリーゼはメモを一瞥すると、首を横に振った。


「拙では何が書いてあるのかすら読み取れない。ただ、視点が常識から乖離している気配は感じる」

「やっぱりそうか……。くそ、危険性がすぐにわかるならまだマシだったんだが」


 オドゥは気疲れを隠すことなく、ソファに沈んで天井を仰ぐ。

 シュトラルに戻ってすぐ、オドゥはナデシコがどれだけの危険物を隠し持っているのか確認を始めて、絶句した。


 何よりもまず、理解できない。走り書きのメモですら、ナデシコが何を考えて書き記したのか読解できない。けれどたった数日の余暇で、本人は暇つぶしの感覚で世界を滅ぼせる技術を開発していた以上、ナデシコの着眼点一つだろうと決して流出させていけないことは確定している。

 オドゥ自身、弟子が世界を滅ぼす恐怖は無視できなかったから監督は行うつもりだった。そのうえウルミアとミラリスからも逃げ道をすべて塞ぐように、高待遇での監督業務を知らぬ間に押し付けられていたものだから、私的にも公的にも責任が降り注いでいる。とにかく胃が痛くて仕方ない。


 アンナリーゼはまだぼんやりとした雰囲気のまま、胃痛に苛まれるオドゥの姿に首を傾げる。

 アンナリーゼも十年近くを密偵として過ごしていたとはいえ、絶対に裏切りが露呈しないという前提があって成立していただけだ。情報戦の専門家ではないから、いまいちオドゥの絶望が掴みきれていなかった。


「ナデシコのメモなら、あなたが言っていた通りにすべて燃やせば済む話では?」

「まあ、それはそうなんだが。いくら俺が情報管理を徹底しようが、ナデシコが何かを思いつくことは止められないのが厄介でな……外部の魔術師が接触した瞬間すべて終わりかねん。あいつから魔術を取り上げるわけにもいかないし、どうすれば管理できるんだ……」


 ナデシコのメモが一枚も処分されていなかったのはこれ以上ない幸運だった。ナデシコが片付けはしていると主張していた実態は、魔術書は図書館に返してメモは適当な箱に押し込んでおくという実に雑すぎるもの。掃除を手伝っていたイウリィもメモが実質的にゴミ扱いされていることを知りつつも、重要性がわからないから触れずにいたと明言している。

 専門家でなければ内容も読み取れない、何がどんな危険に繋がるかわからない数千枚のメモの山という、見るだけで心臓が縮み上がる光景を見せられようと、世界崩壊の種は蒔かれていない。オドゥはどうにか現実を受け入れて、また虚空を見つめて日光を浴びるアンナリーゼを見た。


「ったく。四女の姉さん、あんたもそろそろ楽になっとけ。何すればいいかわからないなら鳥の姫さんでも構っていればいいだろ」

「拙もそうしたいのは山々なのだが──流石にハルピュイア相手に素手で挑む自信はなくて」

「……ん?」


 オドゥは今、どんな返答がやってきたのか理解できずに反射的な声だけを返す。アンナリーゼはオドゥの反応を気に留めず、肩を落として嘆き始めた。


「ネオンのそばにいると、ハルピュイアが挑みに来ては負けて、からかわれてムキになって、また挑みにくる繰り返しを見ることになるから、自由に戦えないことがもどかしくて仕方ない。剣があれば拙も混ざれるのに……」


 ハルピュイアの狩猟目標にされた妹が心配なのではなく、羨ましいという吐露だった。王冠なしでも実力の差が歴然だったことが安心して羨ましがれる理由の大半ではあるが、アンナリーゼの苦悩は純粋な武人ではないオドゥにはとても理解できない。

 オドゥは深々とため息を落とすと、ハルピュイアを楽しそうに撃退して、敗者を煽るネオンの姿を思い出す。

 いつ上空から襲われるかわからない状況を楽しんでいる妹と、その修羅場を羨んでいる姉。アンナリーゼの方が軍で仕込まれたおかげで幾分か理性的なだけで、この姉妹は根本がそっくりなのだと理解してしまった。


「女王陛下が武器まで取り上げるわけだよ、まったく。諸々の対応が終われば剣も戻ってくるだろうし、それまで耐えとけ。寝てろ」

「……眠ると、拙の剣を夢に見る。あの重みが恋しくて、起きると寂しい」

「人魚のお嬢ちゃんに寝かしつけてもらえ。どう考えても働きすぎた後遺症だ」


 オドゥは悲しみに暮れるアンナリーゼから意識を外して、窓の外に目を向ける。庭の片隅の水辺では、ナデシコとネオンに見守られながら、海から戻ってきたばかりのイウリィが歌っていた。

 




 大気がゆるやかに揺れていた。イウリィは地面に膝をつき、両の指を絡めて目を閉ざし、墓標代わりに植えた水辺の花に祈りの歌を捧げる。

 水面に波紋が広がる。水底揺籃の慰撫が水を通して海に運ばれていた。


「──ありがとうございました。ネオンさま、ナデシコさま」


 波が止んで、イウリィが立ち上がった。少女そのものの装いをしたネオンは目を穏やかに細めて尋ねる。


「もういいの?」

「はい。ここは私が満足するためだけの場所ですから。海でいっぱい、いっぱい歌ってきたから、もう平気です」

「うん、そっか。……海はみんな、優しいね」

「はい、とっても」


 深く、静かにイウリィは微笑む。

 水底揺籃の王冠は未だ、イウリィが預かっていた。シェスカへの祈りと王冠を戻すためにとアゥダーリーと共に海に戻ったイウリィだが、海は誰一人としてイウリィが王冠を返却することを良しとしなかったらしい。

 先代と邂逅し、悲痛に襲われながらも、その祈りを誇り高く受け継いだ心優しき人魚の子。彼の号令こそゆりかごの証なのだと、海の民は総意を告げたという。


 王は必ずしも海にあらずともいい。海を祈り、想い続けるのなら陸にいようとも変わらない。ネオンとアンナリーゼがいるから守りは盤石だというアゥダーリーの言葉も、イウリィが王冠を預かり続ける後押しになっていた。


「……私は、歌います。お母様の魂が水底で包まれるためにも、みんなが認めてくれた海のゆりかごであり続けるためにも。だからネオンさま、ナデシコさま、私の歌をこれからも、聴いてくれますか?」

「ええ、もちろん。なんならあたしたちにもイウリィの歌が聴こえるようにならないか、いくつか試してみるつもり」

「ふふっ。とっても嬉しいけど、またオドゥさまに叱られちゃいますよぅ」

「いいのよ。副作用が出ないように気をつけて、んでもって外に流出しないようにすれば。前と同じような失敗は起こさないわ」


 ナデシコがひらひらと手を振れば、イウリィは楽しそうに笑う。なら告げ口しちゃいますねと言い残して、頭を下げてから仕事に戻った。

 ナデシコとネオンは二人残される。ネオンは膝をついて、シェスカの墓標の花に触れた。


「リズ姉が言ってた。誇り高く、慈悲深く、何よりも美しい揺籃だったって」

「イウリィのお母上だものね。海にも任されたんだから、ちゃんと守りなさいよ?」

「もちろん。出会ってからずっと救われているんだ。何があっても守り通すよ」


 ネオンはもう男装をしていない。クエリが国家連盟すべてが集まる会議で真実を明かしたことと、ネオン自身の変化とで、離宮でも女性であることを受け入れられるようになっていた。オドゥが鳥の姫さんと呼ぼうと、不満を見せるのは鳥という形容だけ。すべてが直り切っていなくても、歪な欠けが埋まり始めているのは間違いない。

 ナデシコは腕を組みながら、じっとネオンの横顔を見つめる。少女と王妹と狩人とハルピュイアたちの目標と、並列しないはずの顔を保つ姿は可愛らしいものだった。


 ネオンはナデシコの視線を受けて、立ち上がる。そのまま何も言わずに、透き通ったガラスの鱗が生えた右腕を手に取った。


「ん? どうしたのよ、いきなり」

「ううん。綺麗だなって、それだけ」


 ネオンは笑ってナデシコの顔を覗き込む。すると痛みは与えず、けれど抵抗できない力加減でナデシコを引き寄せ、唇を軽く触れ合わせた。


「っ──!?」

「……ほら、フレアが勝手にしちゃったでしょ。バカ鳥だけがナデシコにキスするのは許せないし、私も嫌だし、ちゃんと責任取ろうと思って。……嫌だった?」


 ナデシコが顔を真っ赤にしているのに、ネオンは上目遣いになって見つめてくる。ナデシコは一方的に手玉に取られているのが認められなくて、ネオンの頭を自分の胸元に押し付けた。これで顔を見られるのは防げたけれど、心臓の音を聞かれていることにすぐさま思い至って、ぐうと歯噛みした。

 恥ずかしさで顔が熱い。けれどこれほどまでに求められていることが嬉しくて、自分の本音を無視できなかった。


「……嫌では、ないけど。不意打ちだけはやめなさいよ、まったく」

「なら、ちゃんと言えば許してくれる?」

「そのときの気分次第でね」


 ナデシコがぶっきらぼうに言えば、ネオンは満たされるように笑う。ナデシコは大仰にため息をつきながら胸元に抱えたままのネオンの髪をかき混ぜて、ほんのわずかに口元を緩めていた。

・本編完結となります。お付き合いありがとうございました

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