策謀の果てに答えを探す
ナデシコとネオンがドラキュリア派との会談を行ってから二日が経った。その間、二人は人目を避けての野営を続けながら、様子見に徹していた。
天導教の領内から脱出せずに留まっていたのは、二人の直感が一致したから。
アンナリーゼの襲撃が、ヴァーチェも予期していないものだったのは明らかだった。あの時の困惑が演技なら、情報戦で負けるのは当然だ──というのはネオンの意見。
竜との内通という背信はドラキュリア派にとっても決して知られてはいけなかったこと。ヴァーチェの反応は、その秘密が知られた時に相応のものだったとネオンは語る。
ネオンも狩人として修羅場を潜ってきた人間だ。実戦で磨かれた観察眼に、ナデシコも信用を置いた。
一方、ナデシコの判断は、違和感からの推測を重ねた末のものだった。
本来ならナデシコ一人で向かうはずだった会談にネオンが同行しているのは、クエリの有無を言わせない指示によるものだ。それだけでもクエリが何らかの図を描いているのは明らか。自ら指示を下したあたり、クエリも隠す気はないのだろう。
そして、どこかからの情報を元にアンナリーゼが──シュトラルの者が襲撃してきた。
もし、アンナリーゼがネオンの姿を見ても平然としていれば、ナデシコは即座の撤退を選んだだろう。
けれど、アンナリーゼはひどく動揺していた。ネオンがいることを一切想定していなかった。会談場所にいた正確な人数も容姿も把握していなかったらしきこと。そこから考えられるのは、会談は天導教に漏れていなかったという可能性。
アンナリーゼは天導教の悪魔祓いだが、天導教はドラキュリア派の背信を把握していなかった。その仮定が正しければ、襲撃を受けた理由はただ一つ。
アンナリーゼの行動は、クエリの指示によるものだとしか考えられない。
「……ネオン?」
明け方、まどろんでいたナデシコは物音に目を開けた。ぼんやりとする視界には、不意に立ち上がり、周囲を警戒するように見渡すネオンが見える。
ネオンが呼びかけに答えるまで、しばらくの間があった。ネオンは息を緩めると、厳しい目をしたまま、幹に背中を預けて腕を組む。
「羽ばたきが聞こえる。ハルピュイアか、それより大きいくらいかも」
「え?」
ナデシコも耳を澄ましてみるが、ネオンの言うような音は聞こえない。それでもネオンがここまで警戒しているのだから確かだろう、と眠気を払って立ち上がった。
ナデシコはネオンの顔を横目に見る。
武人としての力量を感じさせる表情。ナデシコにとっては、久しぶりに引け目を感じずにネオンを見つめられる時間だった。
「……ハルピュイアとは違う。なんだろう」
ネオンはナデシコの視線を気にすることなく、音の主を探っていた。ナデシコには音すら聞こえないほどの距離があるのに、羽ばたきの質すら聞き分けようとしているのだから恐ろしい。
ナデシコはしばらくぶりに見せつけられる、ネオンの常人離れした才覚に少々の呆れすら覚えながら、小さく吐息を落とした。
ネオンには、アンナリーゼにまつわる推測をほとんど伝えていなかった。ナデシコの直感はクエリとアンナリーゼの繋がりを確信しているが、状況からの推測を重ねただけで証拠は一つもないのだ。
天導教に尻尾を掴まれていないという推測が間違いなら。ネオンがヴァーチェの反応を見誤っていたら。クエリとアンナリーゼに繋がりがあるとしても、アンナリーゼが姉妹の味方でなかったら。
否定材料の方がよっぽど多い。ネオンにはアンナリーゼと過ごした記憶も残っていないのに、今も「リズ姉」と呼び慕って懐かしんでいたのだ。もしもの可能性を迂闊に伝えて動揺させるなんて、できるわけがなかった。
とはいえ、隠し事をしている事実はナデシコの言動をぎくしゃくさせる。ネオンも訝しがっていることは明らかで、そのうえで何も気付いていないように振る舞ってくれていることがなおさら申し訳なかった。
クエリはきっと、何かを仕掛ける。流れを見るべきだと判断したから敵地に留まるという悪手を選んだ。
それでも明確な期限を決めないで敵地に潜む疲労と、親しい相手と二人きりの状況で隠し事を続ける心労。二つの負荷で、ナデシコの呼吸はしばしば重いため息を吐き出すようになっていた。
「ナデシコ、大丈夫?」
「……ええ、問題ないわ。ごめんなさい、気にしないで」
ひらりと手を振れば、ネオンも納得したように頷く。ナデシコの耳にも、僅かながらに羽ばたきの摩擦音が聞こえるようになったのは、それからしばらくのことだった。
「ああ、聞こえた。聞こえたけど……なんでこんな小さな音が聞こえるのよ、まったく」
「ふふっ、これでも破暁だからね」
ネオンの固く結ばれていた唇が少しの間だけほころぶ。ナデシコは音がやってくる方角を見つめると改めて聴覚に意識を向けて。徐々に鮮明になるその音へ、強烈な既視感を覚えた。
「この音──」
思考が答えを出す前に、喉が確信めいた呟きをこぼしていた。呟きに反応して、ネオンの視線がナデシコにやってくる。
記憶を辿る。いつかどこかで耳に馴染んでいたはずの音を探す。答えが見つかりそうな、その直前。
空気が音に震える。音のない叫びが大気に響き渡る。ナデシコの本能が──竜の血脈が「呼ばれた」と直感する。ナデシコは反射的にその呼びかけに答えようとしたけれど、人の形では竜の咆哮を上げられるはずもない。
「っ、この──!」
竜としては返せない。なら自分なりの方法で返すだけ。ナデシコは魔術を編みながら、ネオンが尋ねてくるよりも先に疑問へ答えた。
「あたしが呼ばれてる! きっとお父さん!」
「……この前、イウリィが呼ばれたように?」
ナデシコは頷きだけで肯定すると、圧縮させた暴風を空めがけて打ち出す。
嵐に等しい風を作ったのだ。風の弾丸は放たれただけでも上空の流れを乱して、ほんのひととき狂わせる。
空にいる相手への返答には十分以上。向こうも目指すべき場所が明確になったからか、これまでよりも速度を上げて近付いてくる。
耳馴染んだ記憶に間違いはなく、羽ばたく音はやはり竜のものだった。どうしてもっと早くに思い出せなかったのかと、ナデシコは自分に呆れながら父の到着を待つ。
その傍らで、ネオンは敵意を鎮めつつも緊張を保っている。王族とはいえ、長く離宮に隠れ潜んでいたネオンは政治的な知識や駆け引きには明るくない。それでも何かのっぴきならないことが起こっていると察するのはあまりにも簡単だった。
「竜帝自ら天導教の領内に、か。ねえ、ナデシコ。もしかして今って洒落にならない状況かな?」
「絶対、確実に、間違いなく。竜が天導教の縄張りで同族を呼ぶなんて、お父さんじゃなくても喧嘩売ってるようなものよ」
「だよねぇ」
ナデシコが断言すればネオンも頷く。
父に呼ばれたと直感してすぐ、ナデシコの思考をよぎったのは、クエリが想定を遥かに超える手を打ったのでは、という疑惑だった。
エンラは政治が苦手だ。その様はもはや、させてはいけないと評価する方が正しいほどに。近くで過ごした時間は少なくても、これだけは娘として断言できる。
幸い、エンラ自身その弱点は理解しているし、リスクそのものは感じ取れるから最悪の事態は招いていなかった。これまでからすると、エンラは絶対にこんな手段は選べない。クエリの差し金と見て間違いないだろう。
ナデシコはその推測を伝えようかと口を開きかけて、やめた。あとほんの少しでエンラがやってくる。今ここで推測を伝えなくても、エンラ自身に尋ねればいいだけだ。
やがて、上空でも竜の影がはっきりと見えるようになる。白銀の竜は人目も憚らず、樹々を踏み倒しながら降り立った。
「──ナデシコ! ナデシコ、いるかい?」
「ここ! お父さん、クエリ陛下は何をしたの!?」
いきなり姉の名前が飛び出すとは思っていなかったのだろう。ネオンは驚いたように目を開く。
一方、エンラは話が早いとばかりに首を縦に振る。そうして口を開こうとした矢先、男の呆れ声がエンラの背中からやってきた。
「エンラ、お前……。それでいいのか、本当に……」
「え、師匠?」
思ってもいなかった姿に、ナデシコは思わず呆けた声をこぼす。オドゥは鷹揚に声を返すと、エンラの背中から飛び降りた。
「よう。いろいろ伝えにゃならんが、まずはこっちだ」
「……何これ、耳飾り?」
ナデシコはオドゥから放られた耳飾りを受け取って、首を傾げる。一瞥した限りでは何の変哲もない、ごくありふれた耳飾りだった。
ナデシコの疑問に対して、オドゥはできて当たり前だとでも言うような調子で、サイレンスでも苦戦するような要求を告げた。
「それの対を盗聴しろ。お前ならできるだろ」
「──は? なによその無茶振り!?」
告げられたのは、サイレンスの位階に達した魔術師としての自負を持つナデシコですら声を荒らげるのも当然なほどの難題だった。
どこにあるのかもわからない物品への、事前の仕込みすら一切ない状態での盗聴など考えたことすらない。それなのに、これだけヒントがあれば十分だろう、と言わんばかりの態度でぶっつけ本番を要求されている。ナデシコも状況が切迫しているから耐えているだけで、あと少し刺激が入ればいつものように攻撃を仕掛けるだろう。
オドゥも自分が常識外れの要求をしていることは重々承知のうえ。そのうえ十二年にわたってナデシコを育ててきた張本人なのだから、ナデシコの反応など手に取るように把握している。
だからこそ、オドゥの返事はさらなる挑発だった。
「はっ。まさかできないとは言わねえよな、ガラス娘。てめえの力不足で俺の仕込みをぶっ壊すなんて耐えられないもんな?」
「…………あとで呪うから首を洗って待ってなさい、無職野郎」
あまりにも見え透いた挑発に乗ったナデシコの姿に、ネオンとエンラは唖然と口を開く。オドゥは二人を制止するように首を横に振り、腕を組むと無言でナデシコを見守り始めた。
「こんっの、ボケ師匠が……! 確かに、逆探知を改造すれば、できなくはないけど……!」
ナデシコは怒りを魔術構築にぶつけながら作業を進める。
怒りと恨みつらみが言葉にもこぼれていたのは十分ほど。やがてナデシコの独り言は消えて、外から見てもわかるほどの極度の集中に入った。
「よし。あの分なら成功するだろ」
「……本当にナデシコのこと、理解しているんですね」
「まあな。チビの頃から面倒みてりゃ、多少はわかる」
オドゥの言葉に、エンラはぐぅと言葉を詰まらせて視線を下に落とす。竜の巨体だけに、落ち込む仕草もひどくわかりやすかった。
いくらエンラの負い目を抉ろうと、オドゥの皮肉はただの事実。ネオンもフォローは諦めて、オドゥと同じように、魔術へ没頭するナデシコへ視線を向けた。
白銀の玻璃竜。いくら見慣れたと思っても、やはりその姿は美しい。じっとナデシコの瞳を見つめるネオンへ、不意にオドゥが話しかけた。
「王子様。憎まれるのはわかってる。殴られても文句は言わないから好きにしろ」
「……オドゥさん?」
尋ね返しても返事はなかった。オドゥが何を言っているのか、ネオンにはまったく掴めない。
オドゥはそれ以上何も言わずに、ナデシコを待っている。視線の先のナデシコが動いたのは、それから数分後。
集中に入ってから、身じろぎ一つしていなかったナデシコが顔を上げた。ネオンはすぐさま声を上げそうになって、視界に映るナデシコの表情に立ち止まった。
「……師匠」
怒り。不安。動揺。ナデシコの顔は青ざめて、指先は震えている。
一体何を知ったのか。ナデシコが足を向けた先は、声をかけたオドゥではなく、尋ねようとして躊躇うネオンだった。
ネオンは武人だ。物理的な危険なら、考える前に身体が動く。ナデシコ相手に警戒の必要はまったくなかったから、戸惑う間にいとも容易く地面に押し倒されていた。
「ナ、ナデシコ……?」
「ネオン、落ち着いて聞いて」
耳もとで囁く声。ナデシコは、ネオンが簡単には振り解けないように全体重をかけながら、不安を押し殺した声で告げた。
「イウリィが教皇の前に──天導教の中枢にいる」




