竜・王子・人魚
ネオン・シラ・シュトラル。十七歳。天導教を中心とした宗教国家群と大陸の勢力を二分する、国家連盟の盟主を務める大国シュトラルの王子。シュトラルの先王が晩年にようやく得た長男だが、病弱で公務には耐えられないからと離宮で静養の日々を送っている。
ナデシコが事前に知っていたのは公表されているプロフィールだけ。だからまさか、夫が女性だという事実を想像できるはずもなくて、ネオンの肌に触れたナデシコは混乱の極みにあった。
「ぅな、な、な──」
「ごめん。てっきり姉上から聞いてるものかとばかり」
「ど──どうなってるのよ、この国は!? どうして女の子が王子やってるの!?」
「うーん、どうやって説明すればいいかな……。まず、私には四人の姉さんがいるんだけど」
人と竜は同盟を結んでいても、価値観は大きく異なっている。とりわけ竜は強靭な身体や力を生まれ持つために人を見下していることがほとんどで、文化にも興味を示さない。
そんな相手に過去の事情──先王の愚行をどう伝えればいいものか。ネオンが悩みながらも話し始めた矢先に、ナデシコは混乱からの興奮を一気に鎮めて頷いた。
「ああ、そういうこと。先王が男系継承を諦められなかったから、あなたを男の子にしたってことで合ってる?」
「……大正解。気分を悪くしないでほしいんだけれど、竜ってこんな考え方できるものだっけ?」
「そこらへんの奴らは無理ね。あたしは師匠が人間だったから、あなたたちの文化のこともちょっとは知ってるつもりよ」
それにナデシコが学んだ魔術はもともと、人間が作り出したものだ。大半の竜は魔術に対しても「弱者の小細工」と見做して侮っているが、ナデシコからすればその認識は驕りもはなはだしい。
オドゥと暮らした時間に、修めた魔術。ナデシコはむしろ、竜よりも人に近い価値観の中で生きている。
ネオンはナデシコに襲われ、はだけられたシャツを直しながら笑う。性別を明かしたときの曖昧な表情とは違う、楽しげな笑顔だった。
「竜なのに魔術を使う、とびっきりの変わり者。姉上から聞いていた通りだ。私のお嫁さんが君でよかった」
「それはどうも。……とはいえ、こうなったら色々聞かせてもらわないとね」
ナデシコは腕を組みながらため息を落とす。
宮殿のほど近くとはいえ、森林に隠された立地に、人の気配もない離宮。病弱という理由は建前でも、ネオンが隠れ潜んで過ごしているのは嫌でも理解できる。
誰が、どこまで、シュトラル王室の秘密を知っているのかと尋ねようとしたときに、ネオンの視線が壁越しの廊下に向けられた。
ナデシコもつられて目を向ける。とっとっと、と軽やかな足音と少女の声が聞こえたのはその直後だった。
「ネオンさま、失礼しますよぅ。お嫁さま、落ち着かれましたかぁ?」
「あ、イウリィ──」
ネオンの制止は間に合わなかった。イウリィと呼ばれた侍女は扉を開けて、ぴょこりと顔を覗かせる。
海のような薄藍色の髪と瞳に、やけに露出の多い衣装。まだ十代であろう少女がネオンに侍っているのも不思議だったが、それ以上にナデシコの目を引いたのは、イウリィの異常な容姿だった。
少女の可愛らしい容貌。けれど人の耳があるはずの場所には魚のヒレが生えていて、光を反射してキラキラと輝いている。剥き出しになった両腕には、同じく光で虹色にも見える鱗が生えていた。
ナデシコは思わず、ゆっくりと瞬きを繰り返しながらイウリィを見つめる。ネオンは顔を覆って天を仰いでいた。
一方のイウリィは二人の反応にも構わず、ネオンのそばへ近付くと、首を傾げながらまだ少し乱れていたシャツを直した。
「あ、ネオンさまダメですよぅ。お嫁さまとの初対面なんだから、外見はしっかりしなきゃ」
「うん、ちょっと油断してたね。ところでイウリィ、色々あってまだ君のことはナデシコに伝えていなかったんだ」
「……え?」
イウリィの瞳がナデシコを見つめる。イウリィは不思議そうにナデシコの表情を観察して、ネオンとの楽しげなやり取りとは一転した真面目な調子で頭を下げた。
「ごめんなさい、ナデシコさま。私を見ても驚いていなかったから、つい普段の癖で入っちゃいました」
「これでも驚いているんだけど、あたしってそんなに鉄面皮?」
「あら、そうだったんですか? 悲鳴もないからてっきり勘違いしちゃいました」
イウリィはにこにこと、嬉しそうに微笑む。自分の異形を理解していなければ出てこない言葉だった。
ナデシコが一瞬だけ苦い顔をする間に、イウリィは優雅なお辞儀をしていた。
「初めまして、ナデシコさま。私はネオンさまの身の回りのお世話をしております、イウリィです。ちなみに同僚はいないのでお仕事は大変です。母が人魚なので、この通りの半人魚でございます」
人魚。イウリィは自らが魔物に連なる存在であるとためらうことなく告げた。
魔物とは魔力を持つ獣の総称。害獣よりも遙かに危険で、時に人の言葉も操る個体すら現れる。その力は小型のものですら、放置してしまえば集落の一つや二つは壊滅するほど。そこでシュトラルを盟主にする国家連盟は、資金や人材を出し合って、魔物を狩る狩人たちをバックアップするギルドを立ち上げた。
狩人とは国家連盟が認める実力者たちだ。けれどそんな狩人たちですら、天導教に「悪魔」と認定された魔物には容易に手を出せない。普段は対立している国家連盟と天導教が手を組んで事に当たらざるをえないほどの厄災が、悪魔と呼ばれるものたち。
そしてナデシコの直感は、イウリィの親がただの魔物ではないことを感じ取っていた。
「イウリィ、一つ聞かせて。あなたの母君の名前は?」
ナデシコが尋ねる。ネオンは見守っている。イウリィは笑顔のまま、誇らしげに母の名前と悪魔の銘を伝えた。
「水底揺籃のシェスカ。大海の慈母、海の守護者、私たち海のゆりかご。天導教が何を言おうと、私の大切なお母様です」
「……まったく、あたしはとんでもないところに嫁いだみたいね。ねえ、旦那さま?」
「あはは、大丈夫。イウリィは良い子だから」
ナデシコがネオンを見れば、なぜかネオンもイウリィに負けず劣らず楽しそうな顔をしていた。ナデシコはもう一度ため息をついて、ソファから立ち上がると身体を伸ばす。
「悪いけど、移動で疲れたから休ませてもらうわ。口裏合わせも必要でしょうし、明日また話しましょ」
「うん、そうだね。また明日」
ナデシコはひらひらと片手を振って部屋から出て行く。ネオンも引き留めることなく、夫婦の初対面はあっさりと終わった。
ナデシコは一人、先に通されていた私室へ向かって歩く。その道すがら、考えるのはネオンのことだった。
「……あの身体、やけに引き締まってたような」
性別を知らせるためにと、一瞬だけ触った身体。伝わってきた感触は丹念に鍛えられたものだった。
隠棲しているはずなのに、どうして武人のような身体をしているのか。離宮に到着してから見聞きしたすべてがナデシコにとって衝撃で、悩ましくて、不可解で、頭が痛いほどだった。
◆
「私が女だってことを知っているのは、そうだね。姉上と、姉上の近衛の紅蓮隊の人たち。それと私が生まれる前から仕えてくれている重臣が数人くらいかな」
「そうなると、ここの外で迂闊なことは言わない方がいいか。で、もう一つ本題。イウリィはどうしてネオンの侍女をしているの?」
「あら、私ですかぁ?」
朝食の時間。一緒のテーブルに座っていたイウリィはこてんと首を傾げる。
イウリィはネオンの従者だが、離宮の外ではありえないほどに気安い関係の二人は普段から食事を一緒にとっていた。ナデシコも立場を意に介さないたちだから、イウリィの振る舞いも変わらなかった。
「ええ。悪魔の娘が人間の王宮にいるなんて、普通なら考えられないもの」
「ふふ、それはそうですねぇ。とはいってもシンプルな話ですよぅ。このイウリィ、お察しかもしれませんが天導教に狙われていまして。いろいろあってネオンさまに命を助けていただいた縁でお仕えしているんです」
「水底揺籃の娘ってだけで殺すんじゃ天導教と同じだし、だからといって海に帰してあげるには都合が悪くてね。ちょうどいいから一蓮托生になってもらったんだよ」
そういうことか、とナデシコは相づちを打つ。ネオンもイウリィも表に出られない存在だ。お互いの秘密と命を守る利害関係として、確かに二人の事情は「ちょうどいい」。
事情は理解した。ナデシコは水を飲みながら、この判断を受け入れたシュトラルの女王への感服の吐息を落とす。
「それにしても、クエリ陛下も肝が据わってるのね。下手したら天導教に攻撃されてもおかしくないでしょうに」
「うん、姉上に喧嘩を挑んじゃいけないって上姉さんと下姉さんにもよく言われた」
ネオンはどこか楽しそうに言う。その様子に、姉妹仲がいいのはなんとなく見て取れた。
ナデシコは喉を潤すと、勢いよく立ち上がって腰に両手を当てる。堂々とした立ち姿だが、ナデシコの心は高揚していた。
なにせ魔術を使うものがいない竜の領域では、魔術書を手に入れることにも大変な苦労が伴っていたのだ。それが一転、溢れんばかりの魔術書が所蔵されている環境が目の前にあれば、魔術師としての興奮は抑えられない。
「さて、旦那さま。あたしが王宮図書館を使うことに問題はある?」
「いいや、まったく。私もイウリィも引きこもりだから一人で行ってもらうことになるけど構わないかい?」
「あら、それはありがたいわね。図書館なんて自分で行かなきゃ楽しみがないもの」
ナデシコはうきうきとした足取りで部屋から出て行く。食堂に残ったネオンとイウリィはゆっくりと食後の休憩をしていた。
「ナデシコさま、変わったお方ですよねぇ。陛下から聞いていたけど、想像以上でしたぁ」
「うん、私も知り合いたちを想像してたからびっくり。竜帝の娘なのに竜になれないってことだし、ナデシコにもいろいろあったんだろうね」
魔術師というだけでなく、人間への偏見もないし、あっさりとイウリィの異形すら受け入れる。
ネオンもナデシコの価値観が竜からは外れていることをなんとなく察していて、それがナデシコへの好感につながっていたのだが、ナデシコの過去を想像するとどうにも気が重い。
当たり前から外れる。世間から外れる。世界への居心地の悪さは他ならぬネオン自身につきまとっていることだから、ナデシコのことを考えるとどうにも自分への違和感に思考が傾いてしまうのだ。
「――さて、私も出かけてくるよ。今日は夜までには戻ってくるつもりだから」
「はい、承知いたしました。でもネオンさま。お帰りを焦って危ない目に、なんて遭わないでくださいねぇ」
「ふふ、大丈夫だよ。これでも私、強いんだから」
「知っていますよぅ。ネオンさまの武力は比類なきもの。でも心配するのが私のお仕事でお役目なんです」
イウリィは真剣な顔で言う。ネオンは柔らかく微笑んで、イウリィの頭を撫でた。
「ありがとう、イウリィ。それじゃ、いってきます」
「はい。いってらっしゃいませ、ネオンさま」




