深層:地下七階(アリス視点)
わたしはダンジョンの恐ろしさを理解していませんでした。ここまで余りにも順調に、グリム様とペローナさんが突き進み続けたがために。
「さて、アリス。俺達から決して離れるなよ?」
地下七階からは深層と呼ばれる場所。これまでとは魔物の強さが桁違いだと聞かされていました。
わたしは地下七階に降り立ち、すぐにそれを理解します。体に纏わり付く濃厚な血の臭い。そして、こちらに集まる数多の殺気。
しかも、周囲は完全な暗闇。何も見えない闇の中で、殺意有る集団に囲まれている。わたしはその恐怖に、体の震えが止まりませんでした。
「ここの魔物は一種のみ。レッドキャップと呼ばれる魔物だ。血に染まった帽子を被り、手には斧を持っている。その速度と数が圧倒的な脅威だ。決して奴等に背中を見せるな」
「来るぞ、グリム!」
わたしの兎耳に、何かの駆ける足音が聞こえる。そちらに向かって、ペローナさんが行動に移る。
――ダンッ! ダンッ!
魔弾を放った直後に、足音の方向が変わります。ペローナさんの魔弾を、初見で見て回避したのです。
わたしはその事実に驚愕しますが、お二人に動揺はありません。グリム様は舌打ちと共に呟きました。
「チッ、鬱陶しい。相変わらず戦い慣れている……」
――ヒュンヒュン……! ブオォォォン……!!!
何かの飛来する音を感じた直後、わたし達の周囲に風が渦巻きます。恐らくは魔物の投擲に対して、グリム様が風の障壁で防いだのでしょう。
レッドキャップは強い殺意をこちらに向けている。けれど、勢いに任せて襲い掛かったりはしません。こちらの行動をじっくりと観察しているみたいでした。
「奴らはペローナ同様に夜目が効く。暗闇が自らのアドバンテージだと知っているのだ。それ故に、獲物が逃げ出さない限りは、じっくり時間を掛けて仕留めようとする」
わたしの目には何も映りません。辛うじて音を拾って、状況を確認している状況です。
しかし、レッドキャップは目でしっかり見えている。それは確かに、彼等にとって有利な環境だと言えるでしょう。
ただ、ペローナさんは闇の魔力で視力が補強され、グリム様は魔力の波動で周囲を確認出来る。それにより圧倒的なアドバンテージでは無くなっていますが……。
「そして、奴等の弱点は光だ。光があると眩し過ぎて、彼等の視力は著しく落ちる」
「えっ……?」
――シュバッ……!!!
急な明かりがダンジョン内を照らします。突然の光に、わたしは目がチカチカとしてしまいました。
ただ、それは良く見ればランタン程度の小さな明かり。決して太陽の様に全てを照らす程の輝きではありませんでした。
「「「ギャアァァァ……!!!」」」
けれど、レッドキャップにはそうでは無いようです。彼等は目を抑えて苦しみ出し、その内の何割かは地面をのた打ち回っています。
ランタン程の明るさでも、彼等にとっては耐えがたい光みたいです。グリム様は冷たい視線で彼等を見つめ、淡々とこう続けました。
「そして、耐えがたい苦痛を感じた愚者は、その後の行動が決まっている。理性を捨てて、怒りに身を任せる。その苦痛を取り除く事しか考えられなくなるのだ」
「「「グルアァァァ……!!!」」」
グリム様の言葉通りに、彼等は怒りの咆哮を上げます。そして、一目散にグリム様へと向かって襲い掛かります。
しかし、グリム様の側へと近寄る前に、彼等の速度がガクンと落ちます。急に体が重くなったみたいに、彼らはフラフラしながら立ち止まってしまったのです。
「殺れ、ペローナ! 周囲に『重力』の魔法を展開した!」
「わかった、グリム! 手早く仕留めて行く!」
グリム様の指示に従い、ペローナさんが魔弾を放ち続ける。数えきれない程のレッドキャップ達が、一撃を受ける度に消滅されられていきます。
ペローナさんの魔弾は本来ならば『弱体』の効果です。しかし、魔力で体を構成する魔物にとって、魔力の弾丸は致命的な弱点なのです。
圧縮された高濃度の魔力である魔弾は、魔物相手には致死性の攻撃手段。魔物にとってペローナさんは、天敵とも呼べる存在なのです。
「それにしても数が多い……。しばらく来て無かったせいか……」
徐々に数は減っていますが、それでもまだ何十と言うレッドキャップが存在します。ペローナさん一人では、どうしても時間が掛かるみたいです。
かといって、グリム様も『重力』の魔法で余裕が無さそうです。何十と言うレッドキャップの足止めは、それだけ魔力と集中力を要するのでしょう。
「……あの、グリム様。わたしも攻撃に加わりますか?」
「……やめておけ。あの状態でも、接近は危険だからな」
体が重くなり、身動きが取れないレッドキャップ達。けれど、良く見れば彼等は、ジリジリと僅かでも前へ出ようと進んでいました。
その瞳の殺意は衰えず、未だわたし達を殺す気でいるのです。わたしはゴクリと喉を鳴らし、グリム様の言葉に従う事にしました。
「今いる奴等を仕留めたら、今回の攻略は終了とする。大魔石は十分な量が確保出来る」
「はい、わかりました……」
これまで四日掛かって到達した地下七階。しかし、ここでの滞在は数時間で終わりとなりそうです。
ただ、その数時間でも十分に理解しました。深層はこれまでとまったく違う。まだ、わたしが手を出せる場所では無いのだと……。




