シスター・ルーナ
屋敷を出て町へ入る頃には、エレナの足取りも少し安定してきていた。
最初のうちは僕の手にかなり体重を預けていたが、今では支えがなくても歩けそうに見える。とはいえ、普段と比べれば明らかに遅い。隣を歩く僕も、それに合わせてゆっくり進んでいた。
しばらくすると、エレナがつないでいる手を見た。
「あの、アルト様」
「なに?」
「もう手をつながなくても大丈夫です」
「本当に?」
「はい。だいぶ慣れてきましたから。それに……」
そこで言葉を切ると、エレナは周囲へ目を向けた。
屋敷の近くではそれほど人もいなかったが、町の大通りまで来れば話は違う。店先には人が集まり、道を行き交う者も多い。その中を僕たちはずっと手をつないで歩いていた。
「少し恥ずかしいです」
「ああ」
言われてみれば、そう見えるかもしれない。
「それならいいよ。でも、無理はしないでね」
「はい」
エレナは少しほっとした顔で僕の手を離した。
そのまま何歩か歩く。特に問題はなさそうだったので、僕も前を向いた。
ところが、すぐ隣で足音が乱れた。
「あっ」
見ると、エレナの身体が横へ傾いている。
反射的に腕を伸ばし、その身体を抱き寄せた。エレナは僕の胸元へ片手をつき、なんとか転ばずに済んだものの、しばらくその姿勢のまま固まっていた。
「大丈夫?」
「……はい」
顔を上げたエレナの頬が赤くなっている。
「すみません」
「気にしなくていいよ」
まだ一人で歩くのは少し早かったらしい。
そう思って身体を支え直したところで、すぐ近くから女性の声がした。
「なんてふしだらなんでしょう。公衆の面前でそのようにイチャイチャするなんて」
かなりはっきり聞こえる声だった。
エレナが勢いよくそちらを見る。
「イチャイチャはしていません!」
道端に、一人の女性が立っていた。
年齢は僕たちより少し上だろうか。長い銀髪に、教会のシスターが着る黒い服。その組み合わせを見て、僕は神父から聞いた話を思い出した。
「その銀髪にシスターの格好ってことは、君がルーナさん?」
「いいえ」
女性は静かに首を振った。
「私はセラフィナと申します」
「えっ?」
隣でエレナが目を丸くした。
僕も女性の顔を見る。
いや、それは絶対に違う。
さすがにセラフィナのことはよく知っている。仮に僕と同じで転生したとしても、僕にはすぐわかる自信があった。
「親からもらった名前は?」
「ルーナです」
今度は僕の予想どおりの答えが返ってきた。
エレナが困惑した顔で僕とルーナを交互に見る。
「……どういうことですか?」
「なるほど。自認がセラフィナなんだね」
「はい」
ルーナは迷うことなく頷いた。
「私はセラフィナ様を心の底から敬愛しております。あまりにも好きすぎて、私自身をセラフィナ様だと考えることにしました」
「考えることにできるものなんですか?」
エレナが僕を見る。
「アルト様。この人大丈夫なんですか?」
「まあ、信仰心が篤いのは伝わってくるから」
「そこは疑ってません」
エレナはまだ納得していない様子だったが、ルーナの方はまったく気にしていない。
ただ、今日の用事は彼女の名前について話すことではない。
「それで、薬の売人の摘発は君と一緒ということでいいのかな?」
「異端者です」
「異端者?」
「はい」
ルーナの表情が変わった。
さっきまでと同じ穏やかな口調なのに、妙に真剣である。
「売人などという生易しいものではありません。セラフィナ様の教えに背き、教会の許しもなく薬を流通させる者たちです。異端者として断罪しなければなりません」
エレナが怪訝そうに眉を寄せた。
「でも、そもそもその薬の密売自体が国では違法ですよね?」
「はい」
「それなら教会が販売しているのも違法ですし、教会に薬の販売を独占する権利があるわけでもないと思うのですが」
ルーナがエレナを見た。
「一回です」
「……一回?」
「セラフィナ様は、どれほど腹が立つことがあっても三回までは相手を許すよう説かれています」
「はあ」
「ですから、今ので一回目です。セラフィナ様のお慈悲に感謝してください」
エレナが黙った。
僕は少し考える。
確かにセラフィナなら、三回までは許せと言いそうな気もする。
ただし、四回目に何をするのかまでは絶対に書いていないだろう。
「アルト様」
エレナが小さな声で僕を呼んだ。
「なに?」
「この人とはあまり関わらない方がいい気がします」
「まあまあ。教会とはこれからも協力関係でいたいからね。それに、彼女はかなり優秀らしいよ」
神父も腕については保証していた。
エレナはルーナを見た。露骨に疑っている。
「本当ですか?」
「親交を深めるのはこれくらいにして、そろそろ向かいますよ」
ルーナはその視線を気にすることもなく歩き出した。
「向かうって、どこへ?」
「異端者どものアジトです」
僕は足を止めた。
「アジトが分かってるの?」
「はい。すでにすべて把握しております」
ルーナは当然のことのように答えた。
「一か所ではありませんので、すべて潰すには何日かかかるでしょう。今日は近いところから始めます。徹底的に断罪しましょう」
「えー……何日もやるんですか?」
エレナが明らかに戸惑った声を漏らした。
「もちろんです。一人残らず見つけます」
ルーナは当然のように言い切る。
僕としては、売人を探すところから始めるつもりだった。すでに居場所まで分かっているなら、あとは順番に回るだけでいい。
「それなら話が早いね。頑張ろう!」
僕が歩き出すと、エレナはその場に少しだけ残った。
「アルト様、ずいぶん楽しそうですね……」
「せっかく魔力を使う相手まで見つけてくれたからね」
「私はまだ身体中が痛いんですけど」
「ゆっくりでいいよ」
「……本当にゆっくりお願いしますね」
今度は僕もエレナの歩調を確認しながら、先を行くルーナのあとを追った。




