8 ふるさとのにおい
古川先生の家はオンラインで見るよりずっと立派で大きく見えた。
家の真ん中にある大黒柱は太さが30センチ角もあって、石の上に乗った足元こそ少し傷んでいるもののつやつやとした輝きがあった。
「うわあ、すごぉい!」
イオがその大黒柱を抱えるようにしてウイルと古川先生を見る。
「太いだろう? この家でいちばん大事な柱なんだよ」
「煙たいような匂いがします」
「ははは。長年焚き込んだ囲炉裏の煙が染み込んでいるんだよ」
古川先生が目を細めてイオを眺めている。
連れてきてよかった。とウイルは思った。
イオには鼻から空気を吸い込んでその成分を解析する機能がつけてある。
できるだけ人間と同じように感じてもらいたい——というウイルの思いからだが、はたしてそれは人間と同じように感じているのだろうか。とウイルはときどき思う。
あくまでもイオが手にする情報は、成分の分析結果に過ぎないのだ。
それを、イオという意識がどのように感じているのかはウイルにも誰にもわからない。
なんとなれば「におい」は人間の、いや、生物の生存本能にとって極めて重要な情報なのだが、イオにとってはそれは必要な生存情報ではないはず。
生物である人間には食べ物を認識したり危険を避けたりするために好ましい匂いや好ましくない臭いがあるが、イオは「におい」をどのように捉えているのだろう?
「イオにとっては『煙たい』匂いは好ましい匂いかい?」
ウイルがそう尋ねると、イオはきょとんとした顔をした。
「煙のにおいは基本的に危険なにおいですが、焚き火の煙はそうでもありません。火災は危険ですが、熱を帯びてもいない柱から煙の匂いがしたので不思議に思ったんです」
ああ、なるほど。
という顔を古川先生がした。
「イソザキさん。その問題はいささか哲学的な問題でもあります。人間同士だって同じ言葉で表現していても、実際には同じように感じているかどうかは確かめようがありません。ましてイオは意識を持ったロボットだ」
イオが古川先生を見ている。
それから少しだけ首をかしげて考え込むようなそぶりを見せてから話し出した。
「焚き火の匂いはウイルと一緒に平和に過ごしているときのいい匂いです。火災の臭いはそれとは成分が違います。好きではありません。この柱は焚き火の匂いに似ていました」
「そうか。この家を好きになってもらえてよかった。イオは人造皮膚をつけてもらったんだね?」
古川先生が言うのはイオの顔のことだ。
「ああ、これは……」
とイオはあごの裏に指をかけて、ぺりりとマスクを剥がした。
「変装用のマスクなんです。銀色の顔のままだと目立つから」
そう言って帽子を脱ぐと、髪の毛は帽子にくっついていた。
「わたしはこっちの方が好きです」
「なあんだ、そうだったのか。私もこっちの方が好きだよ」
そう言って古川先生はイオの銀色の頭を軽く撫でた。
イオが満面の笑顔を見せる。あの岐阜産業大のキャンパスで見せていたような笑顔を。
「まずは靴を脱いで、上がってくつろいで。中津川の自慢のお菓子も用意してあるから、お茶にしよう。ああ、そうかイオは食べられないか。それともそういう機能も付けた?」
「いや、そこまでは……」
とウイルが少し情けない笑顔を見せる。
「イオは食べる必要がないし、食べたものを分解して排出する機能までつけるとなるとスペースが……。この大きさですから。涙の機能はつけてみようかと思ったんですが、イオが断ったので……」
「そんなのついたら、わたし泣いてばっかりいそうで……。水の補給も大変になります」
イオが少しだけ苦笑いする。
「それじゃあ、囲炉裏に火を入れようか。見たことないだろ、イオ? 囲炉裏が写るような監視カメラはないものね」
古川先生はそう言って薪と細かな焚き付けの柴を用意する。
囲炉裏に火が入ると、古川先生はお菓子とお茶を囲炉裏の周りに用意した。
古川先生が用意していたお菓子は、中津川でも有名な老舗の栗きんとんだった。ウイルが持ってきたE国のお菓子も一緒に皿に並べてくれたが、なんだかそれだけ場違いで浮いているように感じてウイルはちょっと赤面する。
イオには延長コードを持ってきて、囲炉裏端で充電できるようにしてくれた。
古川先生とウイルは日本茶とお菓子を、イオは電気を、それぞれゆっくり味わいながら囲炉裏の小さな火を眺めている。
静かな時間。
ちん、ちん、と音がして炭が少しずつ赤くなり、薪から漏れる小さな炎の先に細く青い煙が立ち上る。
それは天井のないやや薄暗い煙出しの空間の中へと吸い込まれていった。
イオが興味津々といった表情でそれを眺めている。
「いい匂いですね。焚き火ともまた少し成分が違います」
「炭も一緒にしているからね。薪だけだと早く燃えてしまって忙しいから」
古川先生がそう言って火ばしで灰の上に炭を置いてゆく。
イオはウイルや古川先生とこうした時間を持てるにおいを「いい匂い」と感じているのかもしれない。




