第一幕 夕凪の港
――疲れ果て、泥の如くに眠るかのような、長い一夜が明ける。
水軍崩れの海賊たちの巣穴から脱出したのち、間牛の漁村へと無事、帰還することが出来たナニガシたち。
村の宿に再び一泊し、大友一派との戦いで負った傷と疲労を、多少とも癒した。
未だ体力は回復しきってはいないが、しかし、手狭な漁村にいつまでも奄々としてもいられなかった。
彼女たち一行はその日の出と共に、重たげな身体を引き摺るように、元の旅路へと戻ってゆくのであった。
朝も早々に漁村を出航する。
漁船の船頭である間牛は隆々と太い腕で力強く、朝日で煌く水面を、丸太の様な大振りの櫂でぐいぐいと漕ぎ蹴ってゆく。
間牛は前日の大立ち回りで、襲い来る相当数のニラネギたちを、その豪腕で薙ぎ倒している。
ナニガシたちと共に、太刀を持った賊たちと、彼は櫂1本で渡り合ったのだ。
あまつさえ、命を懸けたやり取りであったというのに。
しかしまるでそんな出来事など露とも無かったかの如く、いつものようにぐんぐんと威勢良く海を進む船を見るに、まるでこの霊長類は、「疲労」という言葉を知らないかに思えた。
だがその一方では、同じく船上に在るナニガシたち4人はと言うと、朝の光と水面の輝きに、クマをつくった未だ眠たげな眼を眩しげに細めている。
そして「ガハハ」と豪快に笑う間牛のバカみたいにでかい声が疲れた頭に響くとばかりに、ただうんざりと、うな垂れているのみであった。
そんな操舵の下、船は海を往く。
波乱に満ちた先日とはまるでうって変わり、今日は何事も無く順調にその船旅は進み、穏やかな『鯨の口』の波間を、悠々と渡ってゆく。
乗客のナニガシたちはうとうとと微睡みながら、そして夕刻には無事、当初の目的地であった港町へと、到着しつつあったのだった。
「……ん?」
舳先に腰掛けていた美月が眼を細める。
「どうした美月?」
「あっ!皆、見て!船がいっぱい泊まってるよ!港町だ!」
燥ぐかに美月が、前方を指差した。
一行の漁船の行く手には遠く、陸地と共に、多くの船の姿が見えていた。
それはおそらく、船着場であろう。
そこには数多の帆船たちが、桟橋に縄を繋いでいるようであった。
陸に腰を下ろすそれらの真っ白い帆が遠目にも、夕空の朱を映す海面に映え、まるで、輝いて見えた。
ナニガシたちを乗せた船は徐々に、その港へと近づく。
そこで目に付くのは、海へと長々突き出した、いかにも頑強で堅固な造りの、幾つもの木造桟橋である。
そしてその橋にまるで挙って喰らい付くかに所狭しと係留される、大小多くの船たちで、船着場は、賑々しい活気を見せていたのであった。
桟橋に縄を繋ぐそれらのうち、小さな帆掛け船たちは、商人が輸送に用いるものであろうか。
それらは漏れ無く皆、多くの米俵や大きな葛籠が詰め込まれるかに載せられており、その積荷を船頭と人夫たちが船主である商人の指図の下、重たげに積み降ろしをしている。
数ある船の中でも、大多数がこの、商人たちの輸送船であった。
それ以外の帆船は幾つか、大きなものも在る。
それは皆、軍船であった。
かの大友の軍船よりかは大分小柄で、しかも鉄張りであったあの船とは異なり、これらは木造の船体剥き出しの船たちである。
がしかし、船首や舷側に備えられた大筒の黒い口を伸ばし、遠く海へ睨み構えるその姿は、まさに堂々としている。
小型ではあれど、遠目から見ても、それらは港を護るに相応しい威容と威風を、十分備えている様に思われた。
その一方で、間牛の船の様な、手漕ぎの小船も数多く見受けられた。
大きな船たちの周囲を小魚の如く取り巻き、互いに窮屈げに舳先を並べ、太い桟橋をまるで取り合うかの様に、そこに縄を繋いでいる。
おそらくこれらは、間牛と同様、旅人の渡し守たちが使うものであろう。
ナニガシらの乗る船は、白い帆たちで賑わうその船着場へと、進んでいく。
櫂を操る間牛は、雑然乱雑と泊まるそれら小船たちの間を、操舵巧みに掻き分けてゆく。
そして。
とうとう桟橋へと、その舳先を、着けたのであった。
「ぃよっしゃあ!さ、着いたぜ!ここが、『竜の尾』だ!」
――『竜の尾』。
ここは、数多の船と、旅人が集う港町。
「東部地方」の玄関口とも呼べる町であり、同時に、国内外への物資輸送の基点となっている港でもある。
遥か西方の『風待ちの海』を出発地とし、ここ『中原の国』を貫く様に東へと横断し伸び続いている、かの『竜骨街道』。
この『竜の尾』は、その延々来たる街道の、終着地点であった。
「北部地方」との往来を繋ぐ拠点でもあり、旅人が渡し船を用いて『鯨の口』を横断する際の、入出口となっている。
ゆえに間牛も含め、渡し守たちは、この港町を活動の根拠地としていた。
国内各地方への物資の輸送も、この町が大元となっている。
国内外から海路を使って運ばれた物資はこの港町にまず集約され、そしてその後に、『竜骨街道』を用いて、各地へと運ばれていく。
逆に、国外へと輸出される貿易品を積んだ船もまた、この町の波止場から出航してゆくのだ。
かつて周辺国との交流や交易が盛んであった頃は、それら貿易船で賑わっていたものだった。
『中原の国』最大規模の港町であり、流通経路における重要な役目を果たしている。
その役割から、戦における戦略の観点から見ても、兵站を確保する上での要衝ともなっていた。
故に、この『竜の尾』の防衛こそが、国の生命線の維持にも繋がっているのである。
さて、間牛に船から引き上げられ桟橋に降り立つと、美月は物珍しそうに、周囲の光景を眺め回した。
視界に入るのは、積荷を積んだ船の多さと、その周囲を忙しげに駆けずり回る人夫たち。
一方その横で桟橋に腰掛け、のんびりと煙管を燻らせながら雑談に興じる、渡し守たち。
そしてそれらを横目に見ながら、港内を巡回する、槍を携えた兵たちだった。
停泊する軍船たちは小ぶりであるとはいえ、間近で見るとなかなかに迫力がある。
小さな美月が、見上げる。
その舷側に備えられた黒光りする大筒の砲口は真っ直ぐと海へと向けられ、遥か陽の沈む朱色の水平線をじっと、身じろぎ無く見つめている。
その船上の甲板では、簡易な腹当胴を着けた兵たちが遠眼鏡で同じく、その視線を海の向こうへと向けていた。
……しかし、これら係留する船の中に、貿易船らしきものは見当たらない。
大型船といえば、これら軍船のみ。
その他は全て、外洋を渡るには適さない国内輸送用の、商人と渡し守の小型船だけであった。
周辺諸国との戦が激化する、昨今のこの情勢。
それぞれ国家間における交易は、最早途絶えて久しい。
その埋めがたい軋轢と対立は、こうして民たちの目に見える形でも、如実に表われていたのだった。
そのせいか。
……確かに行き交う人々で賑やかであるのに、だがしかしどこか、影を落としているかに思える。
見渡す美月の眼にはこの港町が、どこか、薄ら寂しく見えていたのであった。
海へと伸びる桟橋たちは大きく立派であるのに、しかしそこに縄を繋ぐのは、不釣合いなまでに小さな船ばかり。
それら貧弱な船にはとてもお誂え向きとは言えず、これでは桟橋が、まるで奢侈なものの様に見て取れた。
すでに傾きつつある夕の陽光は、港を朱に照らしている。
静かに吹く冬の海風が、『鯨の口』の凪を、冷たく小波立たせていた。
夕凪の海に佇むこの桟橋たちの姿は、淋しげである。
かつて、多くの諸国との交易によって、今よりも賑々しかった……
栄えていた在りし頃のそんな過ぎた日々を、まるで、波と共に惜しんでいるかの様であった。
「ぃよし!確かに、無事に送り届けたぜ!んじゃァ、俺は帰るからな!」
乗客のナニガシたち4人を桟橋へと引き上げ終わった後、間牛が笑い声と共に言った。
「え?間牛さん、まさか今の時分から、村へ帰るのかい?」
驚くナニガシに、間牛は大口を開け、「がはは」と笑う。
「あったぼうよ!もうこの夕暮れ時じゃあ、他に客も居ねえみたいだからな。道草食わずにさっさと帰って、母ちゃんのあったかい朝メシにありつくのよ!」
ニヤリと笑ったその白い歯が、彼の黒く日焼けした顔に輝いて見える。
そう答えた間牛に、ナニガシは頷いた。
「そうか……。間牛さん、色々と世話になったな。……ありがとう。達者でな」
彼女の礼に、間牛も応える。
「おう!こっちこそな!あんたらの旅の無事を、祈ってるぜ!」
美月や氷鶴、彩花たちも間牛に頭を下げ、別れを告げる。
「ありがとうございました。間牛さん、お元気で」
互いに手を振ると、間牛は櫂を手に取り、船の艫に立つ。
そして力強く、ぐいぐいと海へと、漕ぎ出していったのだった。
「あばよ、嬢ちゃんたち!達者でなァー!!」
間牛の威勢の良い大声が、港中に木霊した。
その声を後に残し、彼の船は次第に、遠ざかってゆく。
桟橋からナニガシたちが見送る、夕暮れの凪の中。
漢の船は後ろに穏やかな澪を引きながら、遠く、海を往くのであった。




