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第7皿 牛の胃袋カツレツ

この世界のゴブリンの生態

・一頭の雄を中心にしたハーレムを形成して群れをつくる(規模は30~60匹)

・形としては雌は雄に従っているが、他の群れのボスや野良の雄ともひっきりなしに交尾する

・一年で幼体は半成体となるので、雌だけ残して雄は放逐される

・放逐されたはぐれが人里を襲ったりする

「う~~む……」


 厨房で巨大な肉塊を前にして、純白のコック服を着た黒髪の青年が困惑もあらわに、腕組みをして唸っていた。


「どうしたんですかマスター……って、なんですかこのお肉は?!」


 水辺でクレソンを、他にも季節のハーブを摘んできた妖精族(エルフ)にして『森の隠れ家ビストロ・女神亭』の看板女給(ウエイトレス)その1(最近その2ができた)であるミュゼットが、厨房のテーブルの上に鎮座する巨大な骨付き肉を目にして、素っ頓狂な声を張り上げた。

 出かけるほんの一時間ほど前にはなかったはずの食材である。


 見たところ骨の一本がミュゼットの細い太腿ほどもある。

 かなり大型の動物のモモ肉だと思われるが、さすがに凄腕の料理人である目の前のマスターでも、この短時間に狩ってきてバラしたとは考えられない。


「いや、どうもさっき粉屋のベルナベさんが、老牛になって使えなくなった牛を潰したんで、お裾分けだって言ってツケの代金代わりに置いていったらしいんだが……」

「ああ、牛ですか」


 それならこのサイズも納得ですね、と頷くミュゼット。ちなみにこの辺りで飼っている牛は、主に農耕に使ったり、川から水を運んできたりするのに使う、いわゆる耕牛(こうぎゅう)がほとんどである。


 ミュゼットの相槌に頷きながらも、明らかに目の前にある肉の塊への対応に苦慮して、呻吟(しんぎん)しているマスター。

「牛だと困ることがあるんですか?」

 そもそもあまり獣肉を食べる習慣のない妖精族(エルフ)だけに、実のところミュゼットはこれまで牛の肉というものを、旅の途中で入った食堂のスープに辛うじて入っているかな? という程度でしか食べたことがなかった。


 問われたマスターは苦り切った表情では頷く。

「ああ、まだ若い仔牛か羚羊(カモシカ)あたりなら腕のふるいがいもあったんだが、廃棄された耕牛のしかも老牛となると、はっきり言って煮ても焼いても食えたもんじゃないんだ」

「そういうものなんですか……?」


 実にもってありがた迷惑な代物を置いていかれた、という表情で嘆息しながら肩をすくめるスポンタネ。


「まあな。もちろんベルナベさんが嫌がらせで置いていったわけじゃないのはわかっているし、タンパク質に乏しい開拓村じゃ、肉つーだけでご馳走だってのはわかるんだが、肉牛でもないパサパサの廃牛をお客に出すわけにはいかないからな~。かと言って(まかな)いに回すには量がありすぎるし」

 そりゃちゃんと管理しておけば、牛肉なら数カ月は()つが、こんなもん参考に一度喰えば十分だから、保存庫に吊るしておくにもスペースの無駄だとまで言い切る。


 じゃあなんで受け取ったんだろう? と首を傾げたミュゼットの視界に、厨房の片隅でヒキガエルみたいになって、床に直接座って頭をつけている同じ女給服を着た黒髪で、頭の上に茶色い毛の生えたケモノの耳が生えた看板女給(ウエイトレス)その2――豆狸の化けた姿である同僚――の志摩(シマ)の姿が映った。


「シマちゃん、なにやっているの?」

「……土下座ですぅ……」

 その姿勢のまま、くぐもった声で答える志摩。


「ドゲザ……?」

「諸島列島の習慣で、まあ最大限の謝罪や請願の意を表す行為だな。俺が目を離した隙に、勝手にベルナベさんが持ってきた肉を受け取っちまった償いだそうだ」

 言われて途端にいろいろと腑に落ちたミュゼットだった。

「ああ、それで伝聞形式で話をしていたんですね」


「……まあ、受け取ったものはしょうがない、一応は味見をしてみるか。――志摩もいつまでもクヨクヨしてないで、これに懲りたら食材に関しては勝手なことをしないように、今後は気を付ければいいことだ」

「ふ、ふぁい!」

 ぴょこんと志摩が立ち上がって――足が痺れてフラフラしているのを、ミュゼットが支えてやっているのを横目に見ながら――スポンタネは、包丁で肉の一部を苦労して切り取る。


「案の定、脂っけゼロで筋ばっかしか。包丁で木を削っているみたいな感触だな、おい……」

 早くもゲンナリしながら、魔導コンロではなく旧式の竈(店を始めた当時に、ありあわせの材料でスポンタネが造った「キャンプ用竈」)に火を熾して、直接火で炙って削り落とした肉を焼き始めた。

「なんか変な臭いですね」

 悪臭と言ってもいいその臭いに閉口して、竈から距離を置くミュゼットと志摩に対して、スポンタネは半ば自棄のように笑って答えた。


「……ちゃんと飼育した肉牛なら、香ばしい牛肉を焼いている香りがするんだけどな。臭いを嗅いでも俺も何を焼いているんだかわかんねーわ」

 得体の知れない肉に火が通ったところで、とりあえず一口齧り付く。

 恐ろしく硬くて、口に含んで唾でふやかしてもなお噛み切れないので、一度口から出して包丁で一口大に切って、改めて口に入れるスポンタネ。


 そのまま無言で噛んで。噛んで。噛みまくる。何十回か咀嚼したところで、ようやく喉の奥に流し込んで一言――。

「なんというか……一言でいうなら、臭いも味も歯ごたえもエゲツナイな」


 食い物とは思えん、畑の肥料にするのが関の山だな。と、いう総括の言葉に、ガックリと項垂れる志摩。


「マスターでも駄目なんですか?」

 意外そうなミュゼットの言葉に、

「ああ、そもそも脂っけはないわ、肉の部分がおかしな臭いがするわ、筋ばっかりだわ、骨も髄がなくてスカスカだわ……。これを喰うとなると、村の連中がやっているみたいに長時間煮込むか、料理するなら脂肪を縫い込んで、香りの強いハーブ類で臭いを誤魔化して、最後に香辛料(スパイス)大蒜(にんにく)をぶち込んで長時間グリルしないと無理だな」

「ははぁ……」


 そういう料理のやり方は、前に国境警備隊隊長のメイアさんが話していた、王都の貴族がよく食べているとかいう『香辛料ばっちり』で、『野菜も肉も原型をとどめない』ほど手を加えて、『甘いとか辛いとか味付けが極端』な料理に似ているなぁ、と漠然と思うミュゼット。

 そうして、そういうのは素材の良さを前面に押し立てた料理を身上とするマスターの好みからは外れているのだろうとも思う。


「手間暇かけても量が量だけに三十人前くらいになるぞ。あの三人組がいくら大飯食らいだからと言っても、さすがに十人前も喰えば限界だろうし、いきなり予定外の客が二十人も来るわきゃなし。肝心の料理を喰う相手がいなけりゃ、作る気にもならないってもんだ」

 ため息をつきながら、スポンタネは肩をすくめた。


「じゃあどうします? さすがに全部肥料にするのは勿体ないので、一部は煮込んで賄いにでもしますか?」

「いや、賄いにはもっといいものがあるので、そっちを使う」


 そう言って何やらふたつの桶に一杯入った内臓のようなものを指さすスポンタネ。


「うわぁ、グロテスク!? ――って、これもしかして臓物ですか……?」

「ああ、牛の胃袋(トリップ)だ。帰りがけに気付いた俺が、捨てるんならとベルナベさんから貰った」

「〝牛の胃袋(トリップ)”ですか。ハチの巣みたいな形ですね。美味しいんですか?」

「そっちは俗に『縁無し帽(ボネ)』と呼ばれる第二の胃だな。隣のは第一の胃のパンスだ。知っての通り牛には四つの胃があるんだが――」

「いや、知らないです」

 蘊蓄(うんちく)の途中で即答するミュゼットと、「へー」と目を丸くする志摩の様子に、スポンタネは鼻白んだ様子でトーンを落としながら、説明を続ける。

「……あるんだが、今回の料理に使えるのはこのふたつの部分だ。あと、牛の胃袋(トリップ)それ自体は味もそっけもない」


「はあ、そう……なんですか?」

 そんなものを食べさせられるのかー……と、明かにテンションが下がっているミュゼットと志摩の態度を眺めながら、

「とりあえずよく洗った後、熱めの湯に浸してからよくこすって汚れを落とすので、ふたりとも手伝ってもらうぞ。綺麗になったら最後に沸騰した湯でしめる。そこで初めて『グラ・ドゥーブル』――食える食材になるからな」

 そう腕まくりして指示を飛ばすのだった。


❖ ❖ ❖ ❖ ❖


 ンガアンボはファン・レイン王国(人間が決めた国名などは知らないが)西部に位置する森に住む、五十匹ほどが集まって群れをつくる、小鬼(ゴブリン)の族長ンガガの息子である。

 息子といっても誰がどの(タネ)かイマイチ不明な小鬼(ゴブリン)集落(コロニー)においてはまったく意味などなく、他の雄と同じく生まれて一年ほどたったところで、『独り立ち』という名の追放を受けた。


 まあ要するに群れの中に族長ンガガ以外の雄は邪魔だという自然の本能に従って、群れから追い払われたわけである。

 今後、群れに戻るには通過儀礼として、(いわお)のように強くて逞しいンガガを倒して新しい族長になるしか道はない。


 ともあれ、最初は数人の同い年の仲間たちと森の外に出たンガアンボであったが、程なく狼の魔獣に襲われて、仲間は散り散りになってしまった。

 咄嗟に近くに流れていた川に入って臭いを消したンガアンボと、なぜか一緒についてきた妹(といっても血のつながりがあるのかどうかは不明で、単に集落(コロニー)で後に生まれて自分に懐いていた)のルガルガが、水草の中で震えながら身を寄せ合って狼の追跡をやり過ごしていたその合間に、仲間たちの断末魔の絶叫と狼の唸り声とがそこかしこから聞こえてきたものである。


 ともかくも、この一件からよりいっそう慎重になったンガアンボは、ルガルガを伴ってなるべく水浴びをして、臭いを消すようにして、魔獣や野獣のテリトリーが重ならない、人里や人の歩く道の傍を歩くようにした。

 といって近づきすぎて人族に見つかれば、即座に叩き殺されるのは火を見るよりも明らかである。


 集落で一番強い族長のンガガならば、たまに見かける『(なた)』や『小鎌(シックル)』を持ったオスの人族相手にも一対一で引けを取らなかったが、どうも人族には強さにバラつきがあって、ンガガが苦戦する相手ですら、成体の中では弱い部類に入るらしい。


 実際、旅の間に目にした馬に乗って武器を持った人族の強さは、いままで持っていた人族に対する認識を根底からひっくり返されるほど一線を画していた。

 何しろンガアンボが出てきた群れは勿論のこと、周辺の小鬼(ゴブリン)たちの集落(コロニー)を力で束ねる豚鬼(オーク)――ンガガが全面的に恭順を誓うほど怪物――を、いともたやすく倒していたのだから。


 同時に、あれほど強く比類なく大きく感じていた族長(父親)にして暴君であったンガガが、この世界全体から見れば取るに足らないほど、ちっぽけで弱い……いや、自分たち小鬼(ゴブリン)という種族が、“強さ”という観点から見れば最底辺かそれに近いということをンガアンボは実感したのだった。


 そう理解したンガアンボの行動はより慎重に、一言で言えば「命大事に」という、小鬼(ゴブリン)としては異例の発想をするようになる。


 ちょっとでも危険や違和感を感じた場所や相手には必要以上に近づかず、狩りやすそうな人族の飼っている動物や植物には手を出さないようにして安全第一で、当てもなく行き場を求めて、なるべく人の少ない方向へと向かい――結果的に西へ西へと歩くことになった。


 そんなンガアンボの後を、ルガルガも文句を言わずについてくる。

「なんで俺についてきた、ルガルガ?」

 ふと、気になって尋ねたンガアンボだが、ルガルガの答えは「わからない」という、当人もわからない理由らしかった。

「でも兄ちゃん頭いい。頭いいから生き残れた。他の連中はオトコはバカで乱暴だからキライだ。オンナはオトコの顔色を窺ってビクビクしているからキライだ。だから一緒にいる」

 続けて告げられた言葉にンガアンボは首を捻った。

「そうか? 俺よりも強くて賢い族長(オヤジ)のところにいたほうが安全じゃなかったのか?」

 基本的に雄は息子であろうと追放されるが、雄よりも弱い雌は、族長のハーレム要員として残されるのが常である。ルガルガの決断はかなり思い切ったものと言えるだろう。


「強いといっても狼一匹にも勝てないし、賢いといっても近場の森の中の事しか知らない。いざという時に信用できない」


 にべもなく言い放つルガルガの言葉に、なるほどなぁと感心するンガアンボ。

 ルガルガはおそらく感覚で口にしているのだろうが、それで自分が長いこと(短い生涯の中では膨大な時間と経験である)かかって理解した、物事の本質をえぐるのだから大したものである。

 確かに小鬼(ゴブリン)同士で強いの弱いのといってもたかが知れているし、族長(オヤジ)が自分よりも物知りなのは、単に同じ場所や出来事の蓄積があって、それに照らし合わせているだけで、別に新しいことをやっているというわけではない。

 そう感心したところで、ルガルガの腹が小さく鳴った。


「兄ちゃん、お腹空いた。肉が食べたい」

「そうだな。ここのところずっと虫くらいしか食ってないからな」

 せめて長虫(蛇)でもいないかと、水場に沿って歩いていたンガアンボだが、ふと気が付くと不思議に静かな花畑のような広場に来ていた。

 広場の中央には大きな木があって、そこに寄り添うようにして一軒の家が建っている。


 無人の山小屋なら、もしかして非常食の干し肉とかあるかも知れない。

 期待に喉を鳴らすンガアンボ。

 だが、よく見ると建物とその周りは、明らかに人の手が入った掃除のされ方をしている。この生活臭からして、誰かが住んでいるのは確実だろう。なら危ない橋を渡るわけにはいかない。

 そう思ったところで、扉を開けてヒラヒラした服を着た人間(?)――獣のような尻尾と耳が生えていて、これまで嗅いだことのない臭いのする――の若い雌が、なにやら袋を担いで出てきた。


(人間は女子供なら、俺とルガルガのふたりがかりなら勝てるが、雌や子供がやられると雄が群れて、こっちを根絶やしにするまで血眼になるから厄介だ。仕方がない諦めるか……)


 考えなしの同族なら食欲に任せて襲い掛かるところだが、()を見るに(びん)なンガアンボは、人間の怖さを知っているので余計な手出しをしない。

 あっさりと諦めて、ルガルガを促してその場を後にしようとしたところで、耳と尻尾の生えた人間の雌が、背負っていた袋を置いて中身を取り出した。


 途端、香ばしい焼いた肉の香りが、花畑に身を伏せて隠れていたンガアンボとルガルガのところまで漂ってきた。


「よっこい……しょ、と。まったく、〝肉骨粉”だか知らないですけど、わざわざ焼いて、天日干しにするとか、たかだか肥料にご主人は凝り過ぎっすよ。埋めて腐らせれば面倒臭くないと思うんですけどねー」

 ブツブツ言いながら小分けして焼かれた肉や骨の塊を、弾力のある植物を使った枝編みで作られたらしい、四角い籠のような網のようなものの上に重ならないように並べ始める。

 言っている意味はほとんどわからないが、もしかしてあれは捨てるものなのだろうか? だったら拾っても文句はないのでは? いや、でも焼いた肉(あんなもの)を捨てるわけがない。干し肉にでもしているんだろう。


 そうンガアンボが結論を出したところで、

「肉、肉、肉ーーーっ!!」

 目の前に置かれた肉欲に負けたルガルガが、立ち上がって一目散に肉に向かって走り出した。

「ま、待て、ルガルガっ!」

 慌てたンガアンボも、咄嗟に立ち上がってこれを追いかける。


「へ……?」

 物音に気付いた黒髪の獣娘が振り返って、血相を変えて向かってくるふたりの小鬼(ゴブリン)に気付いた。

「ぎゃあああああああああああああッ!!?」

 襲われる――と思ったのだろう。魂消(たまげ)た悲鳴を上げて、尻尾の毛を逆立てた娘の姿が、次の瞬間煙のように消えて、ヒラヒラの服だけが地面に残った。

 と思いきや、モゾモゾ服が動いてその下からおかしな動物が現れて、脱兎のような勢いで一目散に木のところにある家へと逃げて行った。


 なんだありゃ……?


 思わずンガアンボが呆然と立ち竦む内に、先に肉のところにたどり着いたルガルガが、両手で肉を掴んですでに一心不乱に食べ始めている。


 ああ、やっちまった。よその縄張りで、他人の獲物に勝手に口をつけたら、どんなに言い訳しても完全に敵と思われる……。

 厳格な野生の掟を思い出して――狩りをしない雌であるルガルガは、そのあたりの良識に疎い――思わず頭を抱えるンガアンボ。


「兄ちゃん、この肉硬くて変な味だぞ」

「うるさい! とにかく、急いでこの場から逃げるんだ!」

 肉の硬さに悪戦苦闘しているルガルガの手を引いて、急いでこの場から逃げようとしたンガアンボだが、その前にさっきの動物の巣(?)の扉が開いて、そこから見たこともない格好をした、両手に鋼鉄製の武器と盾らしいもの――短めのナイフと取っ手付きの丸い鉄板を持ち、黒髪をした人族の青年が険しい顔つきで現れた。


 自分たちの倍ほどもある上背をして武器を持った人族(ヒューム)。ンガアンボの脳裏に豚鬼(オーク)をものともしない戦士の姿がありありと蘇った。


 同様にルガルガの手から齧りかけの肉が落ちて、その場でブルブルと震え出す。

 よくよく見れば震えているのはンガアンボも同様で、逃げようにも足が岩になったかのように言うことを聞かず――完全に腰が抜けている――瞬きすることもできずに、集落のおとぎ話で聞いたことのある死神みたいに、全身が真っ白な服を着た青年が、こっちに向かってやって来るのを見るしかできなかった。


 ああ、最悪だ。他の種族の縄張りで相手の獲物――それも巣の傍に並べてあった――を横取りしたとか、どうあっても許してもらえるわけがない……。


 青年が手にしたよく切れそうな刃物を視界の隅に留めながら、ンガアンボの心が絶望に塗り潰される。

 やがてふたりの目の前に立ち止まった青年は、地面に落ちている齧りかけの肉を見下ろし、難しい表情で嘆息した。


「……残飯ならまだしも、さすがに肥料にする代物を食わせたとあっては、料理人の沽券にかかわるな」

 ああ、相当に激怒しているんだな、と改めて観念するンガアンボ。

 青年はためすがめすンガアンボとルガルガを見比べて、「ふむ?」と、おとがいに手を当てて思案し出した。

小鬼(ゴブリン)にしては、意外と身綺麗にしているな。まだ子供みたいだし、妙に顔立ちも柔和だし……。――なあ、お前ら。ここへ来るまでの間に人間の畑を荒らしたり、家畜を襲ったりしたか?」

 なぜそんなことを聞かれるのか意味は不明ながら、慌てて首を横に何度も振るンガアンボとルガルガ。

「ふ~ん。ならお前ら、腹が減っているのか?」


 相手の真意が読めずに即答できなかったンガアンボの代わりに、ルガルガが素直に何度も頷く。

 それを見てニヤリと笑う人族の青年。


「なら飯を食っていけ。ちょうど従業員用の賄いができたところだ。金なんぞ持ってないんだろうから、今日のところは賄いで我慢しておけ」

「は……?」

 言っている意味がわからず呆けた声を発するンガアンボ。

「おら、付いてこい」

 それでも命令には逆らい難く、処刑台に連れて行かれる心持でルガルガと手を繋いで、青年の後について行くのだった。


❖ ❖ ❖ ❖ ❖


 下処理を終わらせてグラ・ドゥーブルにした牛の胃を水、香味野菜などで鍋で柔らかくなるまで煮込む。

 茹で上がったらパン粉をつけて、油を敷いたフライパンで焼いたら出来上がり。

 付け合わせは定番のジャガイモとキノコ、エシャロットを炒めた『ジャガイモのリヨン風(ポム・リヨネーズ)』で、ついでにミュゼットが採ってきたクレソンをヴィネグレット(塩、コショウ、赤ワインビネガーにオリーブオイルを入れて攪拌したもの)であえたサラダをつける。


「そして最後にグリビッシュソース(マヨネーズにマスタードを加えたもので、今回は芥子菜を刻んで代用している)を付ければ、タブリエ・ド・サプールの出来上がりだ。まあ、要するに牛の胃袋を使ったカツレツだな」

「はあ……」

 カツレツってなんだろうと思いながら、目の前の皿からあふれ出しているタブリエ・ド・サプールの大きさに目を見張るミュゼット。

「大きいですねぇ」

 化け直して着替え終えた志摩も目を丸くしていた。


「元がでかいからな。切り分けておいたので、遠慮せずに手づかみでグリビッシュソースを付けて食うといい。――ほら、お前らも食え」


 スポンタネに促されて、居心地悪そうに同じテーブルについて椅子に座っていた雄の小鬼(ゴブリン)――聞かれて『ンガアンボ』と自己紹介をしていた――が手を出していいものかどうか逡巡しながら、料理とスポンタネの顔とを見比べる。

 一方、その妹で『ルガルガ』と名乗った雌の小鬼(ゴブリン)の方は物怖じしない性格なのか、待ってましたとばかりタブリエ・ド・サプールを手に取って、そのまま何もつけずに丸齧りした。


「ん! んん!! んま~い! 兄ちゃん、凄い、こんな美味いモノ初めて食べたよ!」

 そう満面の笑みで屈託なく言われ、ンガアンボも観念したようにおっかなびっくりタブリエ・ド・サプールに手を伸ばして、周りの顔色を窺いつつ覚悟を決めた様子で齧りついた。

「!!!」

 その途端、掛け値なしに椅子から飛びあがるンガアンボ。

「ウマいッ!!」


「おう、そいつはよかった。あと、ソースをつけると一段と美味いぜ」

 ニヤリと笑ったスポンタネに促されて、恐る恐るグリビッシュソースを擦り付けて、

「なんだこれ!? 信じられないほど美味い!」

「兄ちゃん、このドロドロだけでも美味しいよ」

 山盛りにグリビッシュソースを付けて、口の端からこぼしながら食べまくるルガルガ。

 その様子に慌てて床に落ちたソースを手で拾って拭こうとするンガアンボだったが、

「ああ、気にするな。掃除はこっちでやっておくから、飯を食う時には飯に集中しろ」

 そうスポンタネに止められて、どこか所在なげに椅子に腰を下ろし直した。


 へ~~、ずいぶんと賢くて気の回る小鬼(ゴブリン)がいたものね。と、内心でミュゼットは感心した。

 小鬼(ゴブリン)といえば素っ裸の裸族で(目前のふたりは大きな草で編んだらしい衣服で胸や腰を隠している)棍棒もって、野生の猿みたいに襲い掛かって来るイメージしかなかったけど、こうして話してみると人間とほとんど変わらない。

 このふたりが変わり者なのかも知れないけれど、目から鱗が落ちた思いのミュゼットであった。

 志摩の方は、

「最初はビックリしたけど、この森へ来てからボクの常識なんて、どーでもいいくらいの非常識がまかり通っている世界があるって骨身に染みましたから、いまさら大人しい小鬼(ゴブリン)とか、大してインパクトありませんよ」

 という身も蓋もない感想である。


 暫時考え込んでいたンガアンボであったが、それから意を決したように、スポンタネに尋ねる。

「あの……なぜ、見ず知らずの、勝手に縄張りを荒らした俺たちに飯を食わせてくれるんですか?」


 やっぱりこの子(ンガアンボ)小鬼(ゴブリン)にしては頭がいいな、と思いながらサラダと付け合わせを口にするミュゼット。


「そりゃまあ、あんなもの食わせて、ここの料理人の腕はあんなもんだと思われちゃ恥だからな」

「でも、俺ら、盗んだわけで……」

「畑の肥料を喰ったからって盗人にはならんだろう。変なもの食わせたお詫びもあるしな」

「はあ……」

 明らかに不得要領の顔で相槌を打つンガアンボ。まあ、そうなるわよね~、と内心で彼の困惑に同情するミュゼットだった。


「――美味しかった!」

 その間にぺろりと自分の分の皿を空っぽにしたルガルガに、自分の分の残ったタブリエ・ド・サプールを渡そうとしたンガアンボに代わってミュゼットが、

「私はこんなに食べないから、良かったら食べる?」

「食べる~♪」

 半分ほど食べただけで、まだ随分と残っているタブリエ・ド・サプールを皿ごと渡した。


「スミマセン」

 妹の天真爛漫さに頭を下げる殊勝な兄の態度に、故郷の兄を思い出してミュゼットは微笑ましく思えた。


「まあ今回はそんなわけで、ただ飯を食わせたわけだが、次回からはちゃんと客として来れば、もっと美味いものを食わせてやるぜ」

「えっ、ここから逃がしてくれるんですか!?」


 愕然とするンガアンボ。

 てっきりこれが末期の御馳走で、死ぬまで働かされるとか考えていたらしい。


「当たり前だろう。いまんところ人手は足りているから、手伝ってもらうことはないし……ああ、そうだ。お前ら野の食える草とか、川の魚とか採ってきてここに卸す仕事をしてくれれば、報酬に応じた食事を食わせてやるぜ。最近は客が増えて、俺もなかなか手が離せないからな」


 スポンタネの提案に、さらに吃驚仰天するンガアンボ。


「え、それって、この森に住んでもいいってことですか、根無し草の俺たちが?!」

「そんなもん、勝手に住めばいいこった。ただこのあたりの森はいろいろとヤバい連中が多いから、あんまり奥には行かないことだ」

 そう言い含められた言葉に、志摩がウンウン頷いて思いっきり同意する。


「わ、わかりました。俺とルガルガとで、食える野草や何やらをとってきますので、また美味いモノ食わせてください!」

「おう、任せておけ」


 スポンタネが頷いた瞬間、聖樹の加護がふたりの小鬼(ゴブリン)に宿ったのを、妖精族(エルフ)であるミュゼットは逸早く感じ取った。

 スポンタネと契約を結んだことで、聖樹様が加護をくださったのだろう。これでよほどのことがない限り、このふたりの小鬼(ゴブリン)は危険な目に合わない筈。


 一心不乱に食事に没頭しているルガルガと、緊張が抜けて半ば弛緩しているンガアンボを眺めながら、ミュゼットは密かに安堵するのだった。

ご感想や評価ポイントをいただくと作者のやる気がもりもりわいてきますので、よろしくお願いいたします。


※養豚は中世ヨーロッパでは東部地方のドングリやトチの実が森で自然になっている地方では、基本的に森に放して勝手に落ちている実を食べさせ、冬になる前に種豚になる豚を残して、すべて肉にしました。

 ほとんどは保存食として、干し肉、ハム、ソーセージ、ベーコンなどに加工しました。冬の間は天然の冷蔵庫と化す納屋に入れておいた生肉を食べ、春になると他に比べて腐りやすい干し肉やベーコンを食べ、夏にはハム、ソーセージというサイクルだったようです。

 なお都市部では豚の人糞養豚をやっていたので、季節に関係なく豚は食べられていました。

 当時の豚は現在の豚より小型で60㎏。顔つきも細長く、短い牙が生えていて、全身黒い毛で覆われていたので、猪かイノブタに近い見た目でした。

 また遺跡を調査すると豚と同じくらいの割合で牛も見つかるので、意外と牛も食べられていたようです。


※ちなみにカモシカの肉は野生とは思えないほど癖がなく、プロでも「仔牛の肉」だと言われたら納得するくらい美味しいそうです(年に何回か生態調査のために狩れるカモシカの肉を、スタッフが美味しく……のノリで持ってこられたので、調理して食べた料理人曰く)。


※マヨネーズは18世紀半ばごろにイタリアの「サルサ・マオネーサ」(卵黄と塩とオリーブオイルのみを使ったソース)が、フランスへ伝わった説が有力ですが、それ以前、エジプトやローマ帝国時代から似たような調味料があったとも言われています(つまりローマ帝国のレシピが残っていた)。


※食堂や酒場では基本的に前払いですが、居残って酒を飲むような連中は飲んだ分を後から請求せざるを得ないので、必然的に食い逃げが多発しました。そのため亭主も事前にツケの元になるものを預かりました。多かったのはやはり衣服ですが、どういうわけか血まみれの服を持ってくる連中が増加したため、血まみれの服は受け取らなくてもいいように法律で定められました。



《一口メモ》

 牛の第二の胃袋は俗にいう「ハチノス」です、ヨーロッパではかなりポピュラーな素材ですが、今回ご紹介したタブリエ・ド・サプールは、高カロリーなこともあって、近年ではあまりメニューに載っていないそうです。

 あと、動物の内臓を使った料理としてはハギス(羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたもの)が有名ですが、スコットランドの伝統料理ですので、日本でいう長野のハチの子、群馬のしもつかれ、広島の味噌ピーナッツのような、地元民には愛された味なのでしょうが、他から来た人間は「う~~ん」と微妙な一部地域限定特産という認識になります。


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[気になる点] ・老牛 スジ肉調理の手順でも、こういうのはどうにもならないですか?  ゼラチン化しないものなのです? [一言] オーク設定の名残を見ると、こういう場面では、〈人間の異邦人〉では、やや…
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