後編
➅逆に束縛してやれ作戦
自分がされて嫌なことは人にやってはいけません。なんて。生きてきて何度か聞く言葉だろう。それが人類全員に適応されるかどうかは甚だ疑問ではあるが、今の私はなりふり構っていられないのだ。私がにゃーにされて嫌なことを今度は逆ににゃーにしてしまおうという目には目を歯には歯を作戦がこれから行うものである。嫌なことをしてくる相手に付き纏うなんて普通ありえない。おそらくすぐに「いい加減にしてくれ」とツンとそっぽ向かれるだろう今回の作戦。フフフフフフッちょろいな……はぁ
なに?ちょっとテンション低くないかって?そりゃあそうだろう。距離を置きたいと思っている相手に逆に『束縛してやろう』だなんて。やりたくないにきまっている。だけど、だけど……
「藁にも縋る思い……」
「どうしたのそんな重いため息ついて」
「なんでもない、こともない?」
「?」
下校時。いつものように隣を歩くにゃーをじっと見つめる。こういう自分の容姿が人より何倍も優れていると自覚している人間は大抵人間関係に冷めており、束縛をされることを嫌う。って昨日読んだ少女マンガに描いてあった。仕方がない。意を決してにゃーの腕を痛いくらいに鷲掴んで口を開いた。
「さっき隣のクラスの女の子と話してたよね」
「うん?ああ、そういえばそうだったかな。あんまり覚えてないけど」
「それに朝も可愛い女の子たちにいっぱい挨拶されてたし」
「そうだった?まありぃちゃんが言うならそうなんだろうけど。それよりどうしたの?何か嫌なことあった?」
「強いて言えばにゃーが他の人に愛想がいいのがやだ、かな」
「へぇ」
にんまり。そんな音が聞こえてきそうなくらいうっとりとした笑みを浮かべるにゃー。元々結構身長差はあったが、今は輪をかけて背の高いにゃーからの圧がすごい。
「アッ嘘ぴょーん」
「こら逃げないの」
見たことのない目の色に思わず掴んでいた腕を離して一歩下がる。が、それより早く動いたにゃーに両手をがっちり捕まれてしまった。そしてそのまま軽く腕を引かれ、にゃーはその熱っぽい顔を私の肩口に落とし自身の頬と私の頬をくっつけてきた。頬にあたるのは無機質マスクのはずなのに、奴の体温の近さにくらくらする。
「りぃちゃんそういうのやめて」
「オッヒョ!?束縛みたいなことを?なんで」
おっ?おっ?おーっ?なんだ効果あったんじゃないか!やめてと言われてやめるやつがおるかい!明日からも常に束縛しまくって、さっさとにゃーとおさらばして、
「すっっっごい興奮する」
「やめます」
「りぃちゃんの自由だからやってもいいけど」
「やめます」
やめます。この作戦は失敗です。二度とやりません。
⑦実力行使!全力で逃げてやるぜ作戦
もう分かっていると思うが、基本的に私の隣にはにゃーがいる。気が付かれないように席を立ち、そっと教室の戸に手をかけた瞬間「開けてあげるね」と微笑まれつつドアをあけられる程度には隣をキープされている。あの時は思わずヒッと声が出た。
そうだ。だったら不意打ちしてやればいいじゃないか!と思い立ったが故の今日の作戦。気配を消してこっそり逃げても、嘘をついて先に帰っても気が付いたら隣にいるのだから、いっそのことさくっと走って逃げてしまえばよかったのだ。決行は下校の直前。委員長が号令をかけ、先生が「はいさよなら」といった瞬間に走りだし教室から飛び出す。ここでおまぬけさんたちはおそらくそのまま家に帰るだろう。だが私は違う。今日は家のある方向とは真逆に位置する場所にある叔母の家に帰るのだ。もちろん連絡済み。
なんて天才的な作戦なのだろう。我ながら自分の才能が怖いぜふふふ。
明日の連絡事項を淡々と話している先生の言葉をワクワクしながら聞いていると遂にその時がきた。
「はいじゃあ皆気を付けて帰りなさいね」
「今です!」
脳内孔明の指示通り、ガタッと立ち上がり誰の目にも止まらぬ内に全速力で教室から出る。幸い校舎の中もローファーの高校のため、靴箱のような場所で足止めをくうこともなく教室を出た勢いのまま校舎を出ることができた。ちなみに今日は作戦遂行のため鞄や荷物の類はすべて置きっぱなしである。弁当箱はすでににゃーに返しているし、課題は昼休みにすべて終わらせているので問題なしなのだ。明日の小テスト?知らん!明日勉強する!
校舎を出たあたりでは後ろを誰かが追いかけてくるような気配は全くしなかった。きっと私の作戦の用意周到さによってにゃーを撒くことができたか、急に全力疾走だなんて奇行を見せる女にドン引いたかのどちらかだろうフフフフフフフッちょろいな!
そのまま校門を出て、しばらく走って完全にいつもの道と違う場所に来た辺りで、乱れに乱れた呼吸を整えるために一旦足を止めた。路地裏とまではいかないもののこの辺を知っている人間でないと通らないような道で大きく深呼吸をする。そして思わず笑みがこぼれ落ちた。これは大成功なんじゃないか。このまま叔母さんの家に行けばミッションコンプリートだ。やったぜ!と余裕ぶちかましコロンビアのポーズをとったのが私の間違いだった。
「あれ鬼ごっこはもうおしまい?」
「いや、いや、勝負は既について、ないっ!??」
近くはないが声の届く距離。目測20数メートル。その距離の所に私の荷物も持ったにゃーが目元を緩ませながら立っていた。みっともなく息を乱す私と対照的にマスクをしているはずのにゃーの呼吸は一切乱れていない。
「楽しかったな。逃げるりぃちゃんを追いかけるの。何か化け物にでも追いかけられてるみたいでちょっと可哀想だったけど」
未だ整わない呼吸。ゼェゼェ肩を揺らす私から目をそらさず、ゆっくりと、亀よりもずっと遅い速さで近づくにゃーの恐ろしい事。なんだこいつ。殺人鬼か。
「苦しい?かあわいいなぁ。どうする?もうあと7、8歩くらいで捕まえられちゃうけど?ほら逃げなくていいの?」
「に、げる、し!」
叔母の家に着きさえすればいい。それを救いにそれから数分走ってみたけれど、たいして運動なんてやってこなかった私の体力は早々に尽きてしまった。加えて後ろから意気揚々と追いかけてくるにゃーの笑顔が怖かったのでさっさと止めてしまいたかったというのもある。「ああー手が届いちゃうな」とか「さっきより距離が1メートル縮んだんだよ」とか後ろから聞こえてくる私の心境が理解できるだろうか。正直チビりそうだった。
「楽しかったね鬼ごっこ」
「どこ、がだ」
「必死に逃げるりぃちゃんをじわじわ追いつめるの。癖になりそう」
変な癖をつけられても困る。今回の作戦は失敗です!解散!
⑧嫌いな食べ物プレゼントで信用激落ち作戦
「はいこれ」
「ん?ヴッ……」
本当の意味で好き嫌いの無い人間は存在するのだろうか。「私好き嫌いないの」と言っていた人が数日後に「好き嫌いはないけど、レンコンとかは好んで食べないかなー」なんて言っていたのを目撃した私の永遠の論題である。割とどうでもいいので誰かと議論するつもりは欠片もないが。
そんな私がにゃーという昨日恐怖の鬼ごっこを繰り広げた幼馴染に渡しているのはこれ、お皿に切り分けられた『羊羹』だ。いやああの鬼ごっこしばらくは夢にみそう。殺人鬼と獲物、処刑人と罪人、鬼と子、楽しそうな男と可哀想な女。二度とやりたくない。
「こ、れなに、くれるの?僕に?」
「うん。スーパーで売ってた」
「のを買って、僕に?」
「そう。にゃーに」
「そ、っか……ようかん……」
マスクで見えないが十中八九口元はヒクついているだろう。それもそのはずにゃーは羊羹が大嫌いなのだ。元々甘いものを進んで食べるような性質ではないにゃーが言うには砂糖の凝り固まった汚泥のようで口に入れた瞬間吐き気を催すらしい。おい羊羹作る人に謝れ羊羹美味しいだろ。仕方ない私が謝っておくすみませんでした。
こうして心の内で誰かにあやまってでもこんな事をしているのはもちろん作戦の一つだからだ。今日の作戦は単純明快!『嫌いな食べ物プレゼント作戦』だ。この作戦で重要なのは一つ。私が知っているとにゃーが分かっているにゃーの嫌いな食べ物をプレゼントするという点。意味が分からない人に簡単に説明すると、普通自分が仲が良いと思っていて長い期間一緒にいるような人が自分の一番嫌いな食べ物を覚えていてくれなかった、というのはかなりショック!ということだ。これはどうころんでもにゃーの私に対する信用はがた落ちするだろう。
「りぃちゃん、僕これ嫌いなの知らなかったっけ」
「そうだったかな」
「知ってると思ってたのに……」
「ふふふ、そっか」
おっと危ない。作戦の上手く行き様に思わず笑いが出てしまった。だがこれできっとにゃーは「これだけ一緒にいる相手の嫌いな食べ物すら覚えてないなんて薄情な女だ」と背を向け優しい誰かの下に去ってゆくだろう。フフフフフフフフッちょろいな。
「分かった」
「は?なにがよ」
「りぃちゃんちょっと手。貸して」
「なんで、ていうかやだ」
「わがまま言わないのもー」
「ちょっ」
は?何言ってんだこいつ、と思った頃にはすでに私の片手は捕まえられていて、無理やりフォークを握らされた。そして私の手を握ったまま羊羹一欠片を刺し自身の口に持っていく。
え。食べた。にゃーが、羊羹を口に入れた。
にゃーの羊羹嫌いは相当なものだったのに。匂いだけで眉を顰める程だったのに。
過去、無理に口に羊羹を入れられ真っ青になり肩を震わすにゃーが脳をちらつき、言いようもない罪悪感が胃を絞める。違う、別に本当に食べさせようとか思っていたわけではないんだ。ちょっと嫌な気持ちになればいいなと思っていただけで。
にゃーよりもパニックになっている私をよそに、彼は静かに口を動かしている。その間も私にフォークを握らせたままにゃーはギュッと私の手を握っていた。そしてごくんと飲み込んだタイミングで思わず握られていない方の手で羊羹の乗った皿を引こうと手を伸ばすものの、なぜかそれすらも握りこまれてしまった。
「ちょっと離して、ていうかなに食べてんの!?うそ、ごめん、どうしよう、にゃー気持ち悪い?」
「んー」
「吐く?吐きそうなら保健室行く?洗面器持って来ようか?」
「いや、」
「違うの、本当に食べさせようと思ってたわけじゃなくって」
「あ、そうなの?いやでも聞いてりぃちゃん、僕りぃちゃんが手ずから食べさせてくれたら全然大丈夫っぽい本当に」
「…………はぁ?」
衝撃の展開に混乱と困惑で固まった私を知ってか知らずか、にゃーは「もう一個」と再度私の手を使って羊羹を一つ口に含んだ。もぐもぐ、ごくん。
「うん。りぃちゃんすごい!流石に美味しいとはまだ思えないけど、こうしてりぃちゃんがあーんしてくれたら平気だ羊羹!」
「よ、よかったね」
「これりぃちゃんから僕へのプレゼントなんでしょ?全部食べるよ」
その後は何度か「もう食べなくて良いよ」と言ったが聞き入れてもらえず、結局すべて私の手を使って食べてしまった。
聞こえるか聞こえないか。別に聞こえなくたって良かったので、小さく「ごめんなさい」と呟いてみたら「りぃちゃんのいたずらは可愛いから」と返事なのか独り言なのか分からない言葉が返ってきた。
今日の作戦は失敗、だけど失敗してよかったかもしれない。にゃーを苦しめたくはないのだから、今日のような悪逆非道な手段は使うべきではなかった。反省して次に生かそう。
⑨イメチェンして理想から外れてみよう作戦
そもそも、だ。なにがにゃーをそうさせるのだろう。私の何がにゃーの執着を引いているのだろう。自慢ではないが私は万人受けする性格はしていないし、両親は少々特殊な仕事をしているが家柄は取り立てて興味を引くものではない。見た目だって目も当てられないほどではないにしろ、にゃーと比べたら月とすっぽん、いや太陽とありんこだ。まあ見た目なんて初対面はともかく長く付き合うとしたら結局好みによるところが大きいのだが、ん、待てよ……好み……
「にゃーって私の見た目の事どう思う?」
「また急だね。うーん、客観的な意見なら、なんだろう、普通?悪く言えば地味かな」
「否定はしない。で、にゃー個人の意見は?」
そう問うと彼はしばらくうんうん悩み、最終的に行きついた答えは「好み、とか?ごめん僕あんまり語彙力なくって上手く言い表せないや」だった。いいや十分だ。私はにゃーに気が付かれないようこそりとにやけた。
「それでコレね。あんたさあ……いや前に『りぃはにゃーくんから離れられない』だなんて余計な事言った私が悪いのは私が一番分かってんだけどー、それでも言ってやる、無駄じゃね?」
「アコうるさい。これもにゃーの幸多からん人生と私の静かな安寧のためだ」
女子トイレのちょっと汚い鏡の前。私は滅多にしない濃いめの化粧を顔にかぶせ、前髪を簡単に手櫛で整えた。さっきスカートのウエスト部分を折り曲げて裾を短くしたせいでやけに足がスース―する。
「つってもねぇ、今更りぃがギャルコスしたところでにゃーくんが変わるとは思えないし」
「いいや!今度こそにゃーは『ギャル苦手なんだよね』てそっぽむくんだよ!完璧な作戦でしょ!」
「まーあんたがいいならいいけど。これ手伝ったの私だって死んでもにゃーくんに言わないでね」
「うん分かった」
そう。次の作戦はこれ『イメチェンしてしてにゃーの好みからはずれよう』だ。にゃーの好みというのが正直未だに量りかねているので、今回はにゃーがいつも「邪魔」と睨みつけるゴリゴリのギャルになっているのだけど。友人アコはいわば助っ人だ。今でこそ落ち着いた雰囲気を醸し出しているが、両親の離婚が原因で荒れに荒れていた中学生時代は屋上でヤンキーたちと煙草をふかしながらたむろしていたような子だった彼女にかかればコギャルなんてちょちょいのちょいなのだ。
「はい。これでおしまい。つってもにゃーくんが怖くてあんまりがっつり化粧できなかったけど」
「いやー!十分だよ!どこからどうみてもギャル!」
「はいはい分かったから。さっさと行ってこい。私も一緒に行ったら何されるか分からんから先行け」
了解の敬礼をして意気揚々と女子トイレを飛び出す。いつものようににゃーは女子トイレのすぐそばの壁に背中を預けこちらを見て笑顔を浮かべたがそれは一瞬で途端に真顔になった。すごい人間ってこんなにすぐ表情を変えられるんだ。
「り、ぃちゃ」
「なに」
「なにそれ、なんでそんな恰好……はは、やだな僕そんな、りぃちゃん僕それやだ、ははは」
ははははと乾いた笑い声をさせているが目は一切笑っていない。相当こういう恰好が嫌なのだろう。これはもう作戦は成功だろう!この後はにゃーが幻滅をして二度と私の前に顔を出さない予定になっている。まあ教室での席は隣同士だから顔は会うことにはなるんだけど。でもフフフフフフフフフッでも今度こそちょろいな!
「イメージチェンジ略してイメチェンしてみたの。ほらなんだっけ新しい自分探し、みたいな?」
「新しい自分探しでそれ、」
「嫌なら別にいいよ。にゃーは自分好みの子の所に行くべきだし、私は好きな恰好をしてもいいはずでしょ」
「はあ?」
おっと。なぜだ。なぜかにゃーが割と本気で怒りかけている。ガン無視したり、不味い弁当や嫌いな羊羹を食べさせた時でさえ全く怒りの感情を見せたりしなかったのに。いやそんなことは今はどうでもいい。私はこう謎のキレスイッチを押されたにゃーがちょこっと怖、いや苦手だったりする。ちょこっとだけねちょこっとだけ。
「りぃちゃん何を言ってんの。僕が他の女の所に行く?なんで?」
「だから、私のする恰好とかが気に食わないなら他のにゃーの理想の子の所に行ったら?ていう提案だよ」
「そんな恰好したりぃちゃん放ってどこか行けって?馬鹿じゃねぇの死んでも嫌」
「?なんか話通じてない?え何こんな格好した私を隣に幻滅したって話じゃないの」
そう口にするとにゃーは少し面食らったように固まり、そしてとてつもなくドデカいため息を吐いた。肩は気落ちしたように若干下がり、片手で額を押さえてぐしゃりと前髪を掴んでいる。ついでとばかりに聞こえないフリもできないくらいの舌打ちも鳴った。
「とりあえず、それ」
「これ?スカート?」
「僕の我慢の限界がきて周りの人間の眼球串刺しにするところを見たくなければさっさと降ろして」
「おろします」
「化粧は、……お化粧したかったのりぃちゃん」
「…………うん、ちょっとだけ」
そそくさとスカートの丈を戻していると刺々しさが若干薄らいだにゃーの柔い声が聞こえた。私も年頃の女の子だ。必要がないからとあまり念入りにしたことはなかったが、機会があれば自信を飾り立ててみたいと思うのは当然のことじゃないだろうか。
「はぁ……そっか」
「にゃー?」
「なら、分かった」
「なに?なにが分かったの」
「でもそれりぃちゃんに似合ってないから、僕の家かりぃちゃんのお家で僕がお化粧してあげる。だから今はまだ外でそんな可愛いりぃちゃんを見せたりしないで」
その後に続いた「隠したくなっちゃう」という言葉がやけに耳についた。
イメチェン作戦は失敗……はしていないような気もするけど成功には程遠い結果になった。イメチェンが、というよりもにゃー的にはスカートの丈が短いのが癇に障ったみたいだけど。
⑩「嫌い」作戦
おい嘘だろ。遂に今回で最後の作戦になってしまった。10個の作戦を打ち立てた当初、全ての作戦は穴のない完璧なものだと思っていただけに、この「今のところ全敗」な現状に驚きを隠せない。予定では一個目でにゃーの気持ちは離れ二個目でにゃーとの物理的距離ができると思っていたのに。
仕方ない。私は後悔しない女だ。嘆くのは最後の作戦を実行してからにしよう。最後の作戦『嫌い』を。作戦内容は今までのものの中で一番簡単で一番やりたくないもので、あのにゃーに一言「嫌い」と伝えるだけ。人間とは単純なもので自分を好いてくれる人に悪い感情は抱きにくい。反対に自分を嫌っている人には近づこうとも思わない。「俺の事嫌いだなんて面白い女だなお前」なんて現実にはないのだ。
さっさと終わらせてしまおうと下校途中で立ち止まり、同じく立ち止まってこちらを見るにゃーから目をそらして口を開く。
「にゃー、あのさ」
「ん、どうしたの?お菓子食べたい?」
「違う。そうじゃなくて、……いやなんでもない」
「そう?何か具合悪いとか?」
「ううん。悪くない。快調」
言いにくい!というか言いたくない!私は嘘をつけない人間ではない。正直で素直で可愛い性格の女の子ではない。自分にとって必要なら嘘を簡単についてしまえる人間なのだ。けれど、この「嫌い」と一言言うだけの嘘だけはつけない、つきたくない。なぜか。私にも分からないけど。
先ほど言ったようにこの作戦は一番やりたくないものだった。最終手段と言ってもいい。でも、それでも私はやらなければならない。初志貫徹。
どうせこの作戦だって失敗するんだ。うん?えらく殊勝だって?ふふん。いいか、こういう事を言っておけばフラグが立って逆に成功するんだぞ。じっちゃんが言ってた。自分のじっちゃん知らんけど。
もだもだもごもごしているとにゃーは私を近くの公園に連れていきベンチに座らせた。私の隣に腰を下ろしたにゃーは心配そうに私の片手を握って優しい声色で「大丈夫?やっぱり体調良くないんだろ?」なんて声をかけてくれる。やめてくれ、少ない良心が悲鳴を上げている。
でもこれはいい機会かもしれない。座って一息ついたことによって心に余裕もできた。丁度良く公園には人っ子一人いない。よし。私は意を決して言った。
「私、にゃーのこと、」
「嫌い?」
「え」
え。なに?にゃーって実はエスパーなの?
ぽかーんと口を開いて相当おまぬけな顔をしていたのだろう、目の前の男は恐ろしく整った顔を歪ませるように笑った。
「いやあ、最近りぃちゃん面白いことばっかやってるからさ。そろそろそういう事言い出すかなって」
「面白いことって、そんな風に」
「面白いことだろ。僕から離れたがるなんて」
歪。いびつ。ゆがみ。ひずみ。怒ってはいない、悲しんでもいない、ただにゃーは愉快そうだ。愉快そうに嗤っている。
分かっていた?私がにゃーから離れたがっていると分かっていてああして寛容に受け止めて甘い顔で見過ごしていたというのか。自分が仲良くしていて贔屓して可愛がっていた幼馴染という肩書きだけの凡人のただの女が身の程をわきまえず調子に乗って『美形の幼馴染から逃れたい』などと立てていた計画を分かっていて?それを理解していて侮蔑も軽蔑もせずに側にいたというのか。
「可愛いなりぃちゃんは」
私は早く気が付かなければならなかった。
「僕はりぃちゃんがどんな感情を持って何をやったとしても」
この男は、正気の沙汰ではない。
「絶対離れてなんかやらない」
「ひ、あ」
誰だ公園に誰もいないのが丁度いい!なんて言っていたのは!私か!
誰だにゃーが心配そうに手を握っていたなんて言っていたのは!私か!
人気のない公園だと都合がいいのはにゃーの方ではないのか。手を握ったのは私が逃げ出さないようにするためではないのか。いかようにも考えられるすべての物事がにゃーに関連して考えるだけで恐ろしく怖い。冷汗が止まらず呼吸が浅くなっていく。すべてはこの目の前の男の存在感とギラと煌めく瞳の美しさのせいだ。
とりあえず私は深く息を吸って、吸って、吐いた。
「オッケーお前の異常性は分かった。別に今は逃げたりしないから手、緩めて。ちょっと痛い」
「お、流石りぃちゃん理解力ぅ!」
「にゃーが異常だっていうのは否定しないんだ」
「うーん。僕は僕の事を普通だと思っているけど、僕が普通じゃないと思っている大勢の他人と僕は少しズレてるみたいだからね」
「へー」
かすかに握られた手の力は薄らいだものの一切離される様子はない。話を戻すのは気が進まないけどここまできたら後には引けないだろう。
「で、私はにゃーのことキライなんだけど」
「ふふ、昔からりぃちゃんは嘘が下手だね。でもまあいいか。それが本当だとしよう」
「うん」
「人間は理性とかいう鍵があるけど、基本自由だろ?欲のままに食べ物を食べて欲のままに寝て欲のままにセックスする。自由だ。不自由だ生き辛いだのと言う人間もいるけど、そうやって愚痴を言うのは結局自由。ね?」
「おっと哲学かな?」
「だからりぃちゃんが僕から離れたがるのも嫌いになるのも憎しみを抱くのも包丁で刺すのも自由。無視しようと彼氏をつくるのも短いスカートをはくのもぜーんぶ自由だ」
「それにしては全部にゃーに止められた気がするけど」
そうこぼすとにゃーは大事な教え子が100点の点数をとった家庭教師のような満面の笑みを浮かべた。
「そうだよ。だから言っただろう。自由なんだよ。僕も。無視されても無視されてるのを無視するし、彼氏なんかできても彼氏をなかったことにするし、短いスカートなんて他の人間に見せたくないものは隠しちゃうんだ。自由だから」
「だから私がにゃーから離れるのも嫌いっていうのも自由でにゃーが怒ることじゃなくて、でも」
「そ。だから僕から離れようとするりぃちゃんを地の果てまで追いかけるのも、嫌いっていうのを聞かなかった事にするのも僕の、自由さ」
「うへぇ。にゃーの理論で全ての人が生きたら法律なんてすぐ壊れるね」
「だから言っただろ、僕は僕の事を普通だと思ってるんだけど、他人の普通と僕の普通は違ってるらしい、って。ま、僕も法律は守った方が生きやすいのは分かってるから極力法は守るけど」
それからどれくらい無言でいたか分からない。私はにゃーの言葉を考えるのに時間が必要で、にゃーはそれを分かっていたようだった。何時間もそうしていたと思う。ハッと気が付くと辺りは真っ暗だった。
「にゃー、帰ろう」
「考えるのはもういいの?」
「うん。そもそも他人を理解しようなんて無理な話だったことに今気が付いた。もういい。にゃーが離れようが離れまいが、私は多分これからもずっとにゃーから離れるために嫌われようとするし、そして甘い幼馴染離れをしたら自立した女になるって決めたから」
「そっか。なら僕は死んでもりぃちゃんから離れないしどろどろに甘やかして可愛がって自分じゃ歩けない女の子にしてドン底に突き落としてあげるから」
どんな下衆野郎だよ。でも、私は十数年一緒にいた幼馴染と初めて会話をしたような奇妙な感覚を抱いていた。
私とにゃーの攻防はこれからも続くのだろう。次はにゃーですら勝てないような本物の彼氏をつくる作戦なんてどうだろうか。おそらくすぐににゃーは「僕より相応しい本当の彼氏がいるなら仕方ないか」と言って身を引くと思うフフフフフフフフフフッちょろいな。…………多分。
色々小難しいことを考えるアホ/篠崎里依/シノザキリイ
自分の幸せが最優先事項の下衆/縫猫丸/ヌイネコマル
今の所里依の笑った顔が見ることが幸福なだけ。彼の幸せの形が変わった時に彼らの形も変わると思う。