第28話 七つの借り心臓
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
前回、軍務局が前線そのものを外周工業区へ移そうとしていた計画は、ひとまず停止しました。
しかし黒い土から現れた敵国の少年は、背中の小型炉に七つの人間の心臓を収めています。
「エリスを返したら、私たちの国が死ぬ」
今回は、戦争の向こう側にある炉と、七つの心臓をめぐる選択へ進みます。
それでは、第28話をお楽しみください。
七つの心臓は、同じ速さで動いていなかった。
一つは速く。
一つは弱く。
二つは交互に。
残る三つは、少年が息をするたびに一拍だけ止まった。
背負い炉の蓋を閉じても、その音は第十三工廠の床を伝った。
どくん。
どくん。
七人が壁の向こうから扉を叩いているようだった。
「名前は」
俊平が尋ねる。
少年は答えない。
白い作業着は泥と血で汚れ、袖には敵国リュゼン工業連邦の歯車章が縫いつけられている。
年齢はリィンより少し上。
十五、六歳ほど。
右目だけが金色で、左目は炉と同じ青白い光を放っていた。
「ここでは捕虜として扱いません」
イザベラが顔を上げる。
「相模。軍務局に引き渡せば尋問される」
「だから共同監査下の設備持込者として保護します」
「敵兵かもしれない」
「軍服ではありません」
「工作員は軍服を着ない」
少年が片言の共通語で言った。
「工作員、違う。炉守り」
「では、名前を」
長い沈黙の後、少年は胸元から割れた名札を出した。
ニコ・セルヴァ。
リュゼン工業連邦、第五循環炉見習い。
所属年齢、十二歳。
現在年齢、十六歳。
四年間、炉から離れた記録がない。
「心臓は誰のものです」
ニコは背中を庇う。
「借りた」
「本人の同意は」
「ある」
「確認できますか」
「起こせば、一人死ぬ」
工廠が静まった。
一つの心臓へ問いかけるたび、残り六つが負担を分けられず、最も弱い一つが止まる。
同意を確認する行為そのものが、人質にされている。
「確認しなければ?」
「みんな少しずつ死ぬ」
ニコは淡々と答えた。
「あと、三日」
背負い炉は、帰還灯検査室へ運ばれた。
ただし取り外しはできない。
七本の管のうち一本が、ニコ自身の胸へつながっている。
少年の鼓動は炉の中にない。
胸には空洞があり、七つの心臓から一拍ずつ借りて生きていた。
「八人で七つを共有してる」
セナが計器を置く。
「誰か一人の拍動を止めても、全員が崩れる」
「外せる?」
リィンが問う。
ミルカは炉の継ぎ目を調べる。
「外すだけなら。でも、生きたまま分ける方法がない」
ニコが俊平の袖を掴んだ。
「エリス、必要」
「何に使うんです」
「白炉は、分けられる。七人を一人ずつに戻せる」
白炉エリスの本来の力。
帰還情報を熱へ変える炉ではなく、混ざったものを本来の持ち主へ返す装置。
敵国はそれを知っている。
「なぜ今まで来なかった」
グレンが問う。
「戦争が始まる前に、交渉できたはずだ」
「来た」
ニコは答えた。
「三回。使者、帰らない」
イザベラの顔が強張る。
「使者の名前は」
ニコが三人の名を言う。
一人目、エダ・セルヴァ。
二人目、モルン・キース。
三人目、幼名のみで記録なし。
ダリオが軍務記録を開いた。
該当なし。
ノアの黒い箱も反応しない。
死者としてすら記録されていない。
「消された」
イネスが包帯の下の文字へ触れる。
「軍務局ではなく、都市契約庫の消去形式です」
「誰が命令した」
イザベラの声が冷える。
イネスは答えられない。
記憶処置で失った空白が、また一つ口を開けていた。
俊平は検査項目を作った。
一、心臓の本人情報を採取しない。
二、帰還意思を熱源へ変換しない。
三、問いかけによる停止危険を避けるため、七名同時に確認する。
四、ニコを炉の一部として扱わない。
五、確認後に情報を本人へ返す。
「七人同時に起こす方法は?」
リゼットが問う。
「鐘を使います」
シーラの鐘機能は、遅れていた一拍を正しい時刻へ返した。
七つの心臓へ同じ一拍を渡せれば、負担の偏りをなくせる。
だがリィンは首を横に振った。
「同じ音じゃ起きない。みんな帰る場所が違う」
「では、七つの帰る音が必要です」
ニコが初めて俊平をまっすぐ見た。
「知ってる」
「あなたが?」
「四年、聞いた」
眠る心臓のそばで。
家族の声も、故郷の歌も、最後に見た景色も。
ニコは七人分を覚えていた。
「でも、言わない」
「なぜ」
「言ったら、あなたたち取る」
信用されていない。
当然だった。
使者を三人送り、全員を消された国から来た少年に、こちらを信じる理由はない。
「情報を聞かずに、音だけ作れますか」
俊平はリィンへ尋ねる。
「ニコが鐘を鳴らすなら」
「敵国の人間を鐘楼へ入れるのか」
ダリオが反対する。
「全市の避難路につながっている。奪われれば都市が終わる」
「では監査員を増やします」
「人数の問題ではない」
「信用の問題なら、俺たちも信用されていません」
俊平はニコを見る。
「お互いに信用しないまま、一回だけ共同作業をします」
少年は迷った末、頷いた。
鐘楼へ上がる前に、ニコは炉の蓋へ七つの記号を書いた。
花。
波。
針。
鳥。
椅子。
雪。
空白。
「名前ではない?」
リゼットが問う。
「帰る音」
花の心臓には、朝露を払う鎌の音。
波の心臓には、船底を叩く水音。
針には、工房の縫い機。
鳥には、屋根裏の羽ばたき。
椅子には、老いた母が腰掛ける軋み。
雪には、靴が白い道へ沈む音。
最後の空白だけ、ニコは説明しなかった。
「七つ目は?」
「帰る音、ない」
「帰還先がないんですか」
「帰りたくない」
その心臓だけは、本人が炉に残ることを望んでいる。
「理由は」
「聞けば死ぬ」
また同じ壁だった。
俊平は七つ目を空白のまま記録した。
帰還意思、拒否の可能性。
理由、未確認。
本人が安全に語れるまで保全。
鐘室で、リィンが撞木をニコへ渡す。
「一人で鳴らさないで」
かつて俊平がリィンへ言った言葉だった。
ニコは意味が分からない顔をする。
リィンが撞木の反対側を握った。
「一緒に鳴らす」
二人が鐘を引く。
一打目は、鎌が草を払う音。
二打目は、暗い船底の波。
三打目は、細い針の往復。
音は鐘楼から外へ広がらない。
背負い炉の中へだけ届いた。
四つ。
五つ。
六つ。
心臓が順に目を覚ます。
検査室の返還灯へ、六人の姿が映った。
畑仕事の女。
船乗りの男。
縫製工の少女。
鳥籠を抱いた老人。
足の悪い兵士。
雪国の医師。
誰も軍の志願者ではなかった。
税の減免。
家族の治療。
借金の帳消し。
帰還先を守るために、心臓を貸した。
「同意はあった」
リゼットが呟く。
「でも、断れる条件ではなかった」
六人が同時に言う。
帰りたい。
声が重なった瞬間、背負い炉が白く光った。
七つ目の心臓だけが、激しく脈打つ。
空白の帰る音。
ニコが撞木から手を離した。
「六人、起きた。もういい」
「七人目を確認します」
「だめ」
「本人が帰還を拒否するなら、その意思も守ります」
「だめ!」
ニコがリィンを突き飛ばした。
撞木を奪い、鐘の固定輪へ打ちつける。
鐘に亀裂が走った。
シーラの悲鳴が響く。
同時に、工廠の避難路がすべて閉じ始めた。
「何をした!」
ダリオが少年を押さえる。
ニコは抵抗しない。
「七つ目、起こせない」
「誰なんです」
俊平が問う。
少年の金色の目から涙が落ちた。
「姉」
ニコの姉、エダ・セルヴァ。
最初にこちらの都市へ送られ、帰らなかった使者。
消されたはずの女。
彼女の心臓だけが敵国へ戻され、第五循環炉の中核にされた。
「姉は帰りたくないと言った」
「どこへ」
「体へ」
エダの身体は、こちらの都市に残っている。
心臓だけが敵国にある。
身体へ戻れば、彼女は自分を消した者の支配下で目を覚ます。
だから帰還を拒んだ。
「エリスを返せば、白炉は七つを分ける。姉も体へ返される」
ニコは俊平を睨む。
「だから止める。鐘も、エリスも壊す」
少年は助けを求めに来たのではない。
第十三工廠へ入り、白炉返還工程を破壊するために来た。
六人を救いたい気持ちも本物。
姉を戻したくない気持ちも本物。
そのために鐘を壊した裏切りも、本物だった。
「姉の身体はどこです」
俊平が尋ねる。
「知らない」
「なら先に探します」
ニコが目を見開く。
「エリスの返還より先に、エダさんの身体を保全する。本人が安全に戻れる条件を作る」
「信じない」
「信じなくていい。でも鐘を壊した責任は記録します」
「捕まえる?」
「逃がしません。修理にも参加してください」
リィンが割れた鐘へ手を当てている。
泣いていた。
「鐘、痛いって」
ニコは顔を背ける。
「姉も痛い」
「だからって、別の人を痛くしていいの?」
「じゃあ、どうする!」
「分からない!」
リィンが叫び返した。
「分からないから一緒に直すの! 壊したら、聞こえなくなるだけで、痛いのは消えない!」
二人は睨み合った。
同じくらい幼く。
同じくらい、誰かの帰る音を背負わされていた。
ミルカが鐘の亀裂を測る。
「完全修理には三日。仮固定なら今夜まで」
「避難路は?」
「一本ずつ落ちてる」
前線から逃げている者たちがいる。
鐘を直せなければ、道の途中で消える。
ニコは背負い炉を外そうとした。
管が胸を引き裂き、血が流れる。
「何を」
「炉の固定環、使える。白い金属、鐘と同じ」
「外せばあなたが死ぬ」
「少しなら、六人が貸す」
俊平は六つの心臓を見る。
勝手に借りることはできない。
返還灯の六人へ同時に問う。
鐘の修理へ拍動を一時提供する意思があるか。
対価は取らない。
提供時間を一分以内に限定。
終了後、全拍動を本人へ返す。
六人は頷いた。
「本人同意、確認」
リゼットが記録する。
ミルカが固定環を外す。
ニコの身体が倒れる前に、グレンが支えた。
「軽すぎるぞ、お前」
「四年、食べない」
「終わったら食堂だ」
「敵だ」
「食堂で敵味方を分けるのはサマラだけだ」
「分けませんよ」
階段の下からサマラの声がした。
いつの間にか鍋を持って立っている。
「食べ残した人と、きれいに食べた人は分けますけどね」
固定環を鐘の亀裂へ当てる。
六つの心臓が一拍ずつ力を貸す。
ミルカが留め、リィンが音を確かめる。
ニコも反対側へ耳を当てた。
二人が同時に頷く。
「鳴らせる」
仮固定された鐘が響いた。
閉じかけた七本の避難路が開く。
前線の人々が再び歩き始める。
六つの拍動は、約束通り心臓へ戻された。
熱は発生しなかった。
返すために使い、余りを取らなかったからだ。
背負い炉をニコへ戻す。
七つの心臓が動く。
一つ。
二つ。
六つ。
最後の一つが動かない。
エダの心臓だった。
「姉さん」
ニコが炉へ縋りつく。
返還灯に、女の姿が浮かぶ。
胸に穴が開き、顔の半分が契約文字で隠れている。
エダ・セルヴァ。
彼女は目を開いた。
「ニコ」
「起きないで!」
「もう聞いた」
声は弱いが、はっきりしていた。
「私が帰りたくないのは、身体が怖いからじゃない」
「じゃあ、なぜ」
「私の身体には、オルヴィス・セヴェルがいる」
第九施療院主任医。
七人のうち、施療機能を担った男。
記録上は反転。
痛みを治す機能が、痛みを育てる工程へ変えられた人物。
「私へ戻れば、あの人も起きる」
エダの映像が乱れる。
「施療院を信じるな。オルド・セヴェルは、オルヴィスを治そうとしているんじゃない」
白い仮面の医師、オルド。
彼は黒炉を患者として扱おうとしていた。
「何をしようとしている」
俊平が問う。
エダは最後の力で答えた。
「自分の身体へ、帰そうとしている」
返還灯が消えた。
七つ目の心臓が再び動き始める。
どくん。
今度はその一拍が、第九施療院の方向へ響いた。
都市の中央で、施療鐘が鳴る。
患者の回復を告げる音ではない。
手術開始の鐘だった。
「優先順位を更新します」
リゼットが台帳を開く。
俊平はニコを見る。
「第一、エダ・セルヴァの身体を分類前保全」
「第二、オルヴィス・セヴェルの本人意思確認」
「第三、第九施療院の手術を停止」
「第四、七つの心臓を三日以内に分離」
「第五、ニコさんによる鐘破損を記録し、共同修理」
ニコが顔を上げる。
「敵でも、さん?」
「設備持込者です」
「変な人」
「よく言われます」
「第六は?」
俊平は施療院の白い塔を見る。
窓が一つずつ赤く染まっていく。
地下で巨大な心臓が動き始めたように、塔全体が脈打っていた。
「オルド・セヴェルが誰の帰還先になろうとしているのか、確認します」
施療鐘が二度目を鳴らす。
ニコの炉の七つの心臓が、同時に一拍だけ止まった。
第九施療院から白い管が地中を伸びてくる。
行き先は背負い炉ではない。
俊平の胸だった。
施療機能は、すでに新しい身体を選び始めていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
第28話では、敵国リュゼン工業連邦から来た炉守り、ニコ・セルヴァが登場しました。
背負い炉の七つの心臓は、借金や治療、家族を守る条件と引き換えに差し出されたもので、形式上の同意があっても自由な選択とは呼べないものでした。
ニコは姉エダを守るため、白炉返還工程を壊す目的で鐘を破損します。
裏切りは記録されますが、六人の同意を得た拍動で鐘を仮修理し、避難路を守ることができました。
そしてエダの身体には、七人の一人である施療機能オルヴィス・セヴェルが存在しています。
次回は第九施療院へ向かい、オルドとオルヴィス、そして俊平を新しい身体として狙う施療機能と対峙します。
引き続き読んでいただけたら嬉しいです。




