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異世界工場管理  作者: 好山 雪


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23/35

第23話 嘘つき鐘楼

いつも読んでくださり、ありがとうございます。


前回、返還差分を燃料として奪おうとする都市燃料局の企みは、ひとまず止められました。


しかし第十三工廠へ届いた黒い道標は、次の危機を告げます。


「シーラ・メイズを探せ」


「鐘楼は嘘をついている」


白炉エリスを運んだ七人のうち、鐘機能を担った女。


彼女を返すため、俊平たちは第十三工廠の鐘楼へ向かいます。


それでは、第23話をお楽しみください。



鐘楼の階段には、十三段ごとに名前のない踊り場がある。


誰が決めたのか。


何のためにあるのか。


工廠の古い設計図にも記録はなかった。


「ここでは立ち止まらないで」


先頭を登るリィンが言った。


「どうしてですか」


俊平が尋ねると、少女は振り返らずに答えた。


「鐘が、足音を覚えるから」


石壁の内側で、何かが低く震えた。


鐘はまだ鳴っていない。


それでも俊平には、巨大な金属の舌が頭上で揺れたように感じられた。


同行しているのは、リゼット、セナ、ミルカ、グレン。


そして死者会計局のノアだった。


ノアは黒い箱を胸に抱き、踊り場を通るたびに蓋の留め金を確認している。


「死者名簿が反応しています」


「どのくらい?」


リゼットが問う。


「一名ではありません。鐘が鳴るたび、複数の記録が箱の内側へ寄ってきます」


「死者を呼んでいる?」


「逆です」


ノアは青ざめた顔で上を見た。


「呼ばれた死者が、鐘に到着できていません」


階段の先で、リィンの足が止まった。


十三段目ではない。


立ち止まってもよい場所だった。


それなのに彼女の肩は震えていた。


「リィン」


俊平が名を呼ぶ。


少女は腰の工具袋から小さな鍵を取り出した。


「先に、言うことがある」


鐘室の扉は目の前だった。


古い青銅板に、第十三工廠鐘楼と刻まれている。


その下には、新しい燃料局の封印札が貼られていた。


調査開始予定、正午。


残り一時間。


「鐘が嘘をついてるの、私、知ってた」


グレンが眉を寄せた。


「いつからだ」


「三年前」


「お前、三年前からここにいたのか」


「いた。鐘守りの見習いだった」


リィンは鍵を握りしめた。


「前の鐘守りに言われたの。鐘は正しい時刻に鳴らすなって」


「どれだけずらした?」


セナの声は責めるより先に、測定者のものになっていた。


「一打ち目を、心臓一回ぶん遅く。帰還鐘だけは二回ぶん」


一秒にも満たない遅れ。


工廠の始業にも、食堂の配膳にも、ほとんど影響しない。


だから誰も気づかなかった。


「理由は聞きましたか」


俊平が尋ねる。


「聞いた。でも、教えてくれなかった」


リィンは唇を噛んだ。


「守らないと、鐘の中の女が起きる。それだけ」


鐘の中の女。


シーラ・メイズ。


白炉搬送七名の一人。


鐘機能、断続反応あり。


「前の鐘守りは?」


「死んだ」


ノアの黒い箱が、かちりと鳴った。


「名前は」


「ヨナス・ベル」


ノアが箱を開く。


黒い紙片が一枚、ひとりでに浮き上がった。


ヨナス・ベル。


第十三工廠鐘楼守。


死因、転落。


遺体、未帰還。


死亡鐘、未達。


「自分の死亡を告げる鐘に、到着できなかった」


ノアが呟く。


リィンは目を閉じた。


「私が鳴らした」


誰もすぐには言葉を返せなかった。


「師匠が落ちた日、私が死亡鐘を鳴らした。言われた通り、心臓二回ぶん遅らせた」


「それでヨナスさんの記録が鐘へ戻れなかったと?」


「分からない。でも、それから鐘の中で、師匠の足音もする」


十三段。


名前のない踊り場。


鐘が足音を覚える。


俊平は階段を見下ろした。


この鐘楼には、帰れなかった足音が積み重なっている。


「黙ってて、ごめんなさい」


リィンは鍵を俊平へ差し出した。


「管理官なら、私を外して」


俊平は受け取らなかった。


「あなたは命令された。けれど、鐘を遅らせたことも、三年間黙っていたことも記録します」


リゼットが静かに帳面を開く。


リィンの顔が歪んだ。


「罰は」


「記録の後です」


俊平は扉を見た。


「今は、一人で聞かせないと約束しました」


「まだ、約束は有効?」


「管理官の命令より有効です」


リィンは泣かなかった。


ただ何度も頷き、自分の鍵で鐘室を開けた。




鐘室の中央には、黒ずんだ大鐘が吊られていた。


外から見慣れた鐘とは、形が違って見えた。


表面に無数の名前が刻まれている。


だが、どの文字も最後の一画だけ欠けていた。


「未完了記録」


リゼットが指先を近づける。


「触らないで」


リィンが叫んだ。


その瞬間、鐘が鳴った。


誰も撞木を動かしていない。


音は外へ広がらず、鐘室の内側だけを満たした。


俊平の目の前が暗くなる。


聞こえたのは鐘の音ではなかった。


工場で潰れた男が、妻の名を呼ぶ声。


施療院で死んだ子供が、まだ帰りたくないと泣く声。


前線へ送られた兵士が、故郷を思い出せないと笑う声。


返されなかった賃金。


届けられなかった手紙。


告げられなかった死。


一打ちの中に、都市が遅らせたものが詰め込まれていた。


「測定値が出ない!」


セナが計器を叩く。


「音じゃない。これは時間の差分よ」


ミルカが鐘の固定輪を調べる。


「輪が二重になってる。外側は鐘楼の設備だけど、内側は炉鎖と同じ材質だ」


白炉エリスを都市へ固定した鎖。


ガルム・レダの鎖機能。


七つの機能は、別々ではなかった。


互いを縛り、互いを隠している。


ノアの黒い箱から、紙片が次々と飛び出した。


鐘の表面へ張りつき、欠けた名前の最後の一画を埋めていく。


一人。


十人。


百人。


「止めてください!」


ノアが箱を閉じようとする。


だが紙片は隙間からあふれ続けた。


「この鐘は死者会計を吸い上げています。未達の死亡通知を、自分の内側へ保管している!」


「保管していたのはシーラですか」


「違う」


声がした。


鐘の内側から。


女の声だった。


「私は、遅らせていた」


リィンが息を呑む。


「シーラ・メイズ?」


鐘の表面に刻まれた名前が、一斉に震えた。


「その名を、正午まで呼ぶな」


「なぜです」


俊平が問う。


「燃料局が聞いている」


セナが窓へ駆け寄った。


鐘楼の下に、灰色の荷車が三台止まっている。


荷台には金貨の箱。


側面には、都市燃料局認可・鐘楼資産回収班とあった。


先頭に立つ女が、こちらを見上げている。


白い外套。


赤い革手袋。


片目に、音の波形を読む銀の片眼鏡。


彼女は俊平たちと目が合うと、優雅に帽子を取った。


「カロナ・ヴィス」


リゼットが名簿を開く。


「燃料局契約鐘買い。貧困区の私設鐘を買い取り、熱導管へ転用した記録が十一件」


「買い取り?」


グレンが窓枠を握る。


「金を払えば、帰る音まで持っていっていいのかよ」


下でカロナが書類を掲げた。


正午を告げる小鐘が、遠くで鳴り始める。


一つ。


二つ。


どの鐘も、心臓一回ぶん遅い。


「時間です」


鐘楼の扉の外から、女の声がした。


カロナはいつの間にか階段を上っていた。


足音がしなかった。


十三段ごとの踊り場が、彼女の足音だけを覚えなかったのだ。


扉の隙間から、赤い革手袋が差し込まれる。


「都市燃料局の認可に基づき、第十三工廠鐘を熱効率測定のため差し押さえます」


「共同監査の保全対象です」


俊平が答える。


「保全申請は鐘機能に対するもの。こちらは物品としての鐘を買い取ります」


「同じものです」


「証明できますか?」


カロナは微笑んだ。


「シーラ・メイズという人格が、この鐘に存在すると」


俊平は鐘を見る。


返事はない。


先ほどの声を記録したのは、ここにいる者だけ。


燃料局はそれを待っている。


シーラの名を呼び、人格反応を引き出せば、今度は第九施療院が患者として収容を主張する。


反応がなければ、燃料局が物品として持ち去る。


どちらへ転んでも、七人の一人は第十三工廠から奪われる。


「管理官」


リィンが囁いた。


「鐘を正しい時間に戻して」


「戻したら、女が起きるんでしょう」


「うん」


「何が起きますか」


「分からない」


「それでも?」


リィンは鐘を見上げた。


「三年間、私が遅らせた。師匠も、その前の鐘守りも。正しい音が怖くて、ずっと嘘をつかせた」


少女は腰の工具袋から、短い鉄棒を取り出した。


鐘の振り子を遅らせる調整棒だった。


「これを外せば、次の鐘は正しい」


扉の外でカロナが告げる。


「差し押さえへの抵抗は、都市熱源保全法違反になります」


「開けるぞ」


グレンが扉の前に立った。


「俊平。決めろ」


俊平は台帳を開いた。


「工程名、鐘返還工程」


リゼットの筆が走る。


「目的は、鐘が預かっていた正しい時刻と未達記録を、本来の受取先へ返すこと」


「発生する熱は?」


セナが問う。


「副産物。燃料局による優先取得を認めない」


「危険性」


「未確認。だから、参加者全員の退避経路を確保。死亡記録はノアさん、機械制御はミルカさん、時間測定はセナさん。リゼットは全工程を記録」


「鐘守りは」


リィンが尋ねた。


「鐘守りは、正しい時刻を決めてください」


「私が決めていいの?」


「決めるんじゃありません」


俊平は自分の腕時計を外した。


異世界から持ち込んだ、もう動かない時計。


それを鐘の台座へ置く。


「返してもらうんです。この鐘が奪った時間を」


リィンは鉄棒を握った。


正午の最後の小鐘が、遠くで鳴る。


遅れて。


ほんの一拍、遅れて。


リィンが調整棒を引き抜いた。




音が消えた。




鐘は鳴ったはずだった。


だが鐘室にも、都市にも、何も聞こえない。


代わりに、階段から足音が上ってきた。


十三段。


踊り場。


十三段。


踊り場。


一人ではない。


何百人もの足音だった。


帰れなかった死者。


帰還先を売られた労働者。


名を炉へ投入された患者。


鐘が遅らせた一拍の隙間に閉じ込められていた者たちが、正しい時刻へ追いつこうとしている。


ノアが黒い箱を床へ置いた。


「死亡通知、返還開始!」


黒い紙片が鐘から剥がれ、箱へ戻る。


だが一枚だけ、戻らなかった。


ヨナス・ベル。


紙片はリィンの前へ降りた。


そこに新しい文字が浮かぶ。


鐘守り見習いへの最終指示。


嘘を守れ。


シーラを燃料局から隠せ。


「師匠……」


リィンの涙が紙片へ落ちた。


文字がにじみ、さらに下の記録が現れる。


ただし、返還優先を掲げる管理官が現れた時は、鐘を正せ。


それが最後の鐘守り命令である。


「知ってたんだ」


リィンは泣きながら笑った。


「師匠、ずっと待ってたんだ」


紙片の最後に、受取確認の空欄がある。


リィンは指先で自分の名を書いた。


受領、リィン・ベル。


同じ姓。


初めて明かされたその名を、リゼットが記録した。


「ヨナスさんは、あなたの」


「父親」


リィンは答えた。


「鐘守りの間は親子じゃないって言われてた。でも、もう返してもらう」


紙片が淡い光になった。


熱ではない。


冷たい朝のような光だった。


それは一度だけリィンの頬を撫で、鐘の外へ抜けていった。


ノアが黒い箱を閉じる。


「ヨナス・ベル。死亡通知、到達。遺族への記録返還、完了」


その瞬間、鐘が本当の音を鳴らした。


都市全体が震えた。


窓硝子が鳴り、炉の炎が低く伏せ、遠くの鐘が一斉に沈黙する。


第十三工廠の大鐘だけが、正しい正午を告げていた。


扉が破られる。


カロナが赤い手袋を掲げて踏み込んだ。


「工程を停止しなさい! その音は都市熱導管へ未登録の出力を発生させています!」


セナが計器を見た。


針は最大値を振り切っている。


だが導管へ流れた熱は、ゼロだった。


「出力じゃない」


セナは笑った。


「全部、持ち主へ帰ってる。燃料局に残る分なんて一粒もないわ」


カロナの片眼鏡に亀裂が入った。


正しい音を測るようには作られていなかった。


鐘の内側から、女の声がする。


今度は全員に聞こえた。


「鐘機能、シーラ・メイズ」


「本人意思を確認します」


俊平が鐘へ向き直る。


「あなたは帰還を望みますか」


長い沈黙。


やがて女は言った。


「望む」


鐘の表面にあった欠けた名前が、一つずつ完成していく。


「ただし、今は帰れない」


「理由は」


「七機能の順序が崩れている」


黒い道標は、鐘が最初だと告げた。


だがシーラは、違うと言っている。


「案内人が嘘を?」


「案内人は嘘をつかない」


鐘の声が震えた。


「嘘をつく必要がないから」


俊平の背中に冷たいものが走る。


「どういう意味です」


「道を選ばせればよい。選んだ者は、自分の意思で歩いたと思う」


黒い道標。


名を呼ぶなと警告しながら、シーラの名を示した案内人。


燃料局より先に、鐘を起こさせた存在。


「最初に返すべきものは鐘ではない」


シーラの声が弱くなる。


「では、何を」


「鐘が奪った一拍を返した。次は、その一拍で道を変えた者を探せ」


大鐘の下から、細い亀裂が伸びる。


石床が割れ、古い階段が現れた。


下へ向かう階段。


鐘楼の基礎より深く。


第十三工廠の地下へ。


そこから、足音が上ってくる。


十三段。


踊り場。


十三段。


踊り場。


「誰です」


リィンが問いかける。


足音は止まらない。


シーラが最後の力で告げた。


「七人目は、名を欠いたのではない」


暗闇の中に、白い仮面が浮かんだ。


第九施療院のものとも、燃料局のものとも違う。


道標と同じ黒い文字が、その額に刻まれている。


「名を返すたび、別の名を得た」


仮面の人物が一段ずつ上ってくる。


「案内機能は、もうこの工廠にいる」


カロナが後ずさった。


赤い手袋が震えている。


「そんなはずはない。案内人は外縁にいる。燃料局との契約では――」


彼女は口を押さえた。


遅かった。


リゼットの筆が、その言葉を記録していた。


「契約?」


俊平がカロナを見る。


鐘買いの女は答えない。


地下から来た仮面の人物が、最後の踊り場へ立つ。


鐘が、その足音だけを覚えない。


「返還優先を確認した」


仮面の奥から、男とも女ともつかない声がした。


「次は管理官、お前の一拍を返そう」


俊平の止まった腕時計が動いた。


秒針が、一度だけ。


逆向きに。


その瞬間、俊平は第十三工廠ではない場所に立っていた。


蛍光灯の白い光。


油のにおい。


遠くで鳴る、終業のチャイム。


元の世界の工場。


帰れないはずの場所。


誰かが背後から、相模主任、と呼んだ。


振り返る直前、リィンの声が俊平を引き戻した。


「管理官!」


鐘室へ戻った時、仮面の人物は消えていた。


地下階段も閉じている。


残っていたのは、俊平の腕時計だけ。


秒針は正しい方向へ進み始めていた。


一秒。


二秒。


三秒。


止まらない。


カロナも消えていた。


鐘楼資産回収班の荷車も、金貨の箱も、すべてなくなっている。


ただ赤い革手袋が片方、床に落ちていた。


内側には燃料局の契約印と、もう一つの印が押されていた。


外縁案内人。


契約対象、全市鐘楼。


契約報酬、帰還先一名分。


俊平は動き続ける腕時計を見た。


自分の帰還先が、誰かの報酬にされている。


それでも今は、喜ぶべきことが一つある。


鐘は正しい音を取り戻した。


ヨナスの死亡通知は、娘へ帰った。


シーラ・メイズの意思も確認できた。


だが同時に、案内人は工廠の内側へ入った。


燃料局はすでに契約していた。


そして、七人目は名を失った者ではない。


名前を取り替えながら、道を歩く者だった。


リゼットが新しい台帳を開く。


「優先順位を更新します」


俊平は頷いた。


「第一、全市鐘楼の差し押さえを停止」


「第二、シーラ・メイズの本人意思記録を保全」


「第三、カロナ・ヴィスと外縁案内人の契約を追跡」


「第四、鐘が遅らせた一拍で道を変えられた者を特定」


「第五は?」


俊平は動く腕時計を外せなかった。


留め金が皮膚に食い込んでいる。


まるで時計の方が、彼を所有しているようだった。


「俺の帰還先が、誰に売られたのか調べます」


正しい鐘が、もう一度鳴る。


今度は誰も遅らせない。


だがその音の向こうで、元の世界の終業チャイムが重なっていた。


帰る時間を知らせる音。


帰る場所を奪う音。


俊平は理解した。


嘘をついていたのは、鐘だけではない。


帰還先は二つある。


自分はそう記録した。


だが、どちらも本当に自分を待っているとは限らない。


そして案内人は、その迷いを道に変える。


第十三工廠の正しい時刻は、ここから始まった。


同時に、相模俊平の帰還までの時間も動き出した。


誰かに買われた秒針によって。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


第23話では、第十三工廠の鐘が長年わずかに時刻を遅らせ、未達となった死亡通知や帰還記録を隠していたことが明らかになりました。


リィンもその嘘に加担していましたが、亡き父ヨナスの最後の指示を受け取り、鐘を正しい時刻へ戻します。


シーラ・メイズの帰還意思を確認できた一方、案内人の警告そのものが俊平たちを誘導していた可能性も浮かびました。


さらに、燃料局の鐘買いカロナは外縁案内人と契約を結んでおり、その報酬には「帰還先一名分」が指定されています。


止まっていた俊平の腕時計が動き始め、元の世界の工場まで見えた理由は何なのか。


次回は、売られた帰還先と、名を取り替える七人目の正体へ踏み込みます。


引き続き読んでいただけたら嬉しいです。


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