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異世界工場管理  作者: 好山 雪


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第21話 白炉を運んだ七人

ここまで読んでくださりありがとうございます。


第21話では、メイラが持ち込んだ古い施療記録を開封します。


黒炉の名らしき「エリス」。


白い炉を運んだ七人。


死亡記録のない帰還不能者。


これらが、第十三工廠の中で新しい工程としてつながり始めます。


ただし、記録を開くということは、記録に開かれるということでもあります。


今回は、黒炉の過去に触れる一方で、身内側の情報漏洩も発覚します。



封筒は、机の上に置かれているだけだった。


ただそれだけで、第十三工廠の空気を重くしていた。


第九施療院の白い封蝋。


開封跡。


その上から、メイラの震える指で押された小さな記録庫印。


古い施療記録の写し。


白炉搬送七名。


帰還不能。


死亡記録なし。


俊平は封筒を見つめながら、まだ手を伸ばさなかった。


記録は助けになる。


同時に、罠にもなる。


この都市では、紙が人を殺す。


署名ひとつで移送される。


印章ひとつで痛みが債権になる。


記載漏れひとつで、死者が死者でなくなる。


だから、紙を開く時は、炉弁を開く時と同じ慎重さがいる。


「共同監査の立会人、揃いました」


リゼットが言った。


管理室には、俊平、リゼット、メイラ、ノア、セナ、ミルカ、ヘレナがいる。


ルカは隣の仮施療室で休んでいる。


グレンは扉の外。


サマラは廊下の先で温かい飲み物を用意しつつ、誰かが倒れた時のために待機している。


リィンは鐘楼ではなく、管理室の隅に座っていた。


鐘の写しを三つ、膝に置いている。


「黒炉の音が変わったら鳴らす」


彼女はそう言ってから、一度も席を立っていない。


ノアが黒い箱を机の横へ置いた。


「死者会計局、立会い」


リゼットが筆を構える。


「第十三工廠記録係、立会い」


セナが小型制御盤を開く。


「黒炉接続監視、立会い」


ミルカが帰還灯三号の固定環を握った。


「物理遮断、立会い」


メイラは両手を膝の上で握りしめている。


顔色が悪い。


「私も、立ち会っていいんですか」


「あなたが持ってきた記録です」


俊平は言った。


「それに、あなたの曾祖母の名前がある」


メイラは頷いた。


「はい」


「ただし、途中でつらくなったら離れてください」


「離れません」


即答だった。


その声の硬さに、ヘレナが少しだけ彼女を見た。


弟を守る姉と、曾祖母を探す少女。


二人の痛みは違う。


だが、同じ方向を向いている。


俊平は封筒に手を伸ばした。


「開封します」


リゼットが記録する。


封蝋を切る。


紙の匂いが広がった。


古い薬品。


乾いた血。


そして、白い灰。


封筒の中には、薄い紙が七枚と、黒い帯で留められた一枚の設計図が入っていた。


最初の紙には、こう書かれていた。


白炉搬送記録。


黒炉都市設置前夜。


搬送対象、白炉エリス。


搬送者、七名。


帰還不能処理。


死亡確認、未了。


「白炉エリス」


リゼットが読み上げる。


その瞬間、壁の管が低く鳴った。


リィンが小鐘を鳴らす。


リン。


音はすぐに管理室へ広がり、黒炉の低音を押し返した。


セナが制御盤を見る。


「黒炉反応、上昇。でも接続はしていません」


「続けます」


俊平は二枚目を開いた。


搬送者名簿。


一、エリシア・フォーン。記録庫技師。


二、ガルム・レダ。炉鎖職人。


三、シーラ・メイズ。鐘楼測量士。


四、オルヴィス・セヴェル。施療院主任医。


五、ナザロ・クライン。契約審理官。


六、ヴェント・ラウ。軍務護送官。


七、名欠け。外縁案内人。


部屋が静まり返った。


知っている姓が、いくつもあった。


フォーン。


セヴェル。


クライン。


ヴェント。


メイラの曾祖母。


オルドの血縁らしき名。


マグダの家名。


ダリオの家名。


そして、外縁案内人だけが名欠け。


ノアが黒い箱に手を置く。


「死者会計局に、この七名の正式死亡記録はありません」


「帰還不能処理とは」


俊平が問う。


メイラが震える声で答えた。


「第九施療院の古い分類です。死亡でも生存でもなく、帰還先との接続を失った状態」


「つまり」


「戻れない。けれど死者としても返せない」


ヘレナが唇を噛んだ。


「ルカみたいに?」


「近いです。でも、もっと古くて、もっと深い」


メイラは紙を見つめた。


「この分類は、今は使われていません。少なくとも表向きは」


「表向き」


「地下記録庫には、まだ棚があります」


その一言で、管理室の温度が下がった。


帰還不能処理。


死亡でも生存でもない棚。


黒炉都市が、返せない者をどこへ置いてきたのか。


俊平は三枚目を開く。


白炉搬送目的。


異界由来炉心を黒炉都市中枢へ固定し、痛覚燃料変換を安定化する。


白炉エリスは、自律帰還性を示す。


自律帰還性を抑制するため、七名による帰還鎖を施す。


「異界由来」


セナが呟いた。


俊平の背筋に冷たいものが走る。


異界。


元の世界とは限らない。


だが、この都市の外側。


黒炉は、ここで作られたものではない。


連れてこられたものだ。


「帰還鎖って何ですか」


ミルカが問う。


メイラは首を横に振る。


「私も初めて見ました」


ノアが言った。


「死者会計局の古語に似ています。帰ろうとする死者に、未練を結びつけて留める術式」


「七人が黒炉を留めている?」


俊平が言うと、リィンが耳を押さえた。


「鐘が嫌がってる」


壁の管が震える。


リン。


リィンが鐘を鳴らす。


紙が机の上でかすかに揺れた。


俊平は四枚目を見る。


帰還鎖構成。


記録。


鎖。


鐘。


施療。


契約。


護送。


案内。


七機能を七名に割当。


各人の帰還先を白炉へ接続し、白炉の自律帰還性を都市中枢へ転嫁する。


接続後、七名の帰還情報は白炉内へ保管。


返還予定、都市安定後。


返還実施記録、なし。


誰も言葉を発しなかった。


返還予定。


都市安定後。


返還実施記録、なし。


俊平は何度もその行を読んだ。


読み間違いではなかった。


七人は、黒炉をこの都市へ留めるために、自分の帰る場所を接続された。


いずれ返す予定だった。


返されなかった。


そのまま、黒炉は痛みを燃やす炉になった。


「だから」


リゼットの声が掠れた。


「黒炉は帰りたい。でも帰ろうとすると、七人の帰還先に引っかかる」


ノアが続ける。


「七人も帰れない。黒炉の中に保管されたまま」


「保管じゃない」


メイラが小さく言った。


「閉じ込めたんです」


その声には、涙より先に怒りがあった。


「返す予定だったなら、どうして返さなかったの」


誰も答えられない。


答えは紙の中にある。


都市安定後。


都市はいつも安定していない。


もっと熱が必要。


もっと工場が必要。


もっと前線が必要。


もっと外縁が必要。


もっと施療材が必要。


そうして、返す日は来なかった。


俊平は五枚目を開いた。


そこには、別の筆跡で追記があった。


警告。


白炉内帰還情報の長期保管により、炉心が黒化。


痛覚燃料への反応増大。


白炉エリス、黒炉化進行。


七名の帰還情報、分離困難。


分離を試みた場合、都市中枢停止の恐れ。


俊平は紙を握りしめた。


白炉は、黒炉になった。


最初から黒かったのではない。


返されない帰還情報を抱え、痛みを燃やされ続け、黒くなった。


それは黒炉の罪を消さない。


だが、罪の工程が見えた。


誰かが作った。


誰かが放置した。


誰かが利益に変えた。


「六枚目」


リゼットが促す。


俊平は頷き、紙をめくった。


七名状態記録。


エリシア・フォーン。


記録機能、継続反応あり。


黒炉内記録層にて、未返還記録の整理を継続している可能性。


ガルム・レダ。


鎖機能、硬化。


シーラ・メイズ。


鐘機能、断続。


オルヴィス・セヴェル。


施療機能、反転。


ナザロ・クライン。


契約機能、封鎖。


ヴェント・ラウ。


護送機能、外縁方向へ逸脱。


名欠け。


案内機能、所在不明。


メイラが息を呑んだ。


「記録機能、継続」


曾祖母は死んでいないのか。


生きているのか。


黒炉の中で、記録を整理し続けているのか。


百年近く。


あるいは、それ以上。


リゼットの手が震えていた。


記録係として、その一文の重さが分かるのだろう。


終わらない記録。


返せない記録。


黒炉の中で、ずっと帳簿をめくり続ける者。


「七枚目」


俊平は最後の紙を開いた。


そこには、短い文章だけが書かれていた。


返還手順案。


一、七機能の所在確認。


二、各機能から本人帰還情報を分離。


三、白炉エリスの自律帰還性を一時開放。


四、都市中枢代替熱源を確保。


五、七名および白炉の帰還意思を個別確認。


六、帰還鎖解除。


七、帰還または残留を本人意思により選択。


下に、赤い印が押されている。


実施不可。


都市維持に重大な支障。


俊平は紙を机に置いた。


「手順はある」


セナが言った。


「ありますね」


「でも、代替熱源がない」


「返還差分熱だけでは足りません」


「はい」


「つまり、七人を返すと都市が止まる」


誰も答えなかった。


壁の管が低く鳴る。


今までより弱い音だった。


まるで、聞かれたくないことを聞かれたように。


メイラが紙を見つめる。


「曾祖母を返すと、都市が止まるんですか」


俊平は答えるのがつらかった。


だが、嘘はつけない。


「今の記録では、その危険があります」


「じゃあ、返せないんですか」


「返す方法を作ります」


メイラは顔を上げた。


「それ、みんなに言ってるんですか」


「はい」


「本当に作れるんですか」


「分かりません」


メイラの目が揺れる。


怒り。


失望。


それでも、彼女は紙を握りしめなかった。


破かなかった。


「分からないって言うんですね」


「はい」


「第九施療院の人は、いつも言います。手順があります、施療できます、救えますって」


「僕は医者ではありません」


「管理官ですよね」


「はい」


「管理官なら、返せないって言うんじゃなくて、返す工程を作ってください」


その言葉は、まっすぐ刺さった。


俊平は頷いた。


「作ります」


今度は、逃げの言葉ではなかった。


作るしかない。


七人を返す工程。


黒炉を止めず。


人を材料にせず。


帰還意思を燃料にせず。


そんなものが可能かどうかは分からない。


だが、手順案の四番目に答えがある。


都市中枢代替熱源。


それを用意しなければ、七人は返せない。


「返還差分熱を増やす必要があります」


セナが言う。


「でも燃料目的で返還工程を作るのは禁止」


「はい。副産物原則を守ります」


「じゃあ、どこから熱を集めるんですか」


俊平は考える。


施療。


救助。


身元回復。


死者記録返還。


この都市には、返されていないものが多すぎる。


給与。


名前。


遺品。


休暇。


手紙。


死者の通知。


「小さな返還を増やします」


リゼットが目を上げた。


「都市全体で?」


「まず第十三工廠から」


俊平は台帳を開いた。


「未払い給与、未返却工具、未通知死亡記録、未処理休暇、未返還帰属記録。人から奪ったままになっている小さなものを返す。そこから差分熱を測る」


セナが眉を寄せる。


「それ、熱源開発というより、滞納処理では」


「はい」


「地味」


「地味でいいです」


ミルカが笑った。


「黒炉を救うために未返却工具を返すの、管理官っぽい」


「工具は返してください」


「私じゃない」


グレンが扉の外で咳払いした。


サマラの声が遠くから飛ぶ。


「食堂の皿も返してくださいね」


第十三工廠に、小さな笑いが戻った。


ほんの少し。


だが必要な笑いだった。


大きすぎる絶望は、小さすぎる作業へ分解する。


それが工場のやり方だ。


ノアが言った。


「死者会計局にも、未返還記録があります」


「協力してもらえますか」


「私の権限では一部だけです。ですが、試験なら」


「前線にもあります」


ヘレナが言った。


「帰ってこない人の荷物とか、手紙とか」


イザベラがいれば頷いただろう。


外縁にもある。


施療院にもある。


都市中が、返していないもので動いている。


なら、それを返すことが代替熱源になるかもしれない。


効率は悪い。


手間はかかる。


各機関は嫌がる。


だからこそ、正しい方向に近い。


「返還差分工程、第一試験」


リゼットが書いた。


「対象、第十三工廠内未返還物」


「目的、返還行為に伴う差分熱の測定」


「禁止事項、燃料目的の新規徴収」


「返還優先。熱回収は副産物」


俊平は頷いた。


「始めましょう」




最初の返還物は、工具だった。


ミルカのものではなかった。


正確には、ミルカが三週間前に借りたまま忘れていたセナの細口調整器だった。


「やっぱり私じゃん」


ミルカが呟く。


セナは腕を組んでいる。


「返してください」


「はい」


ミルカは工具を両手で差し出した。


「ごめん。借りっぱなしだった」


セナは受け取る。


「次から記録してください」


「はい」


帰還灯三号を通さず、小型測定器だけを置いた。


返還差分熱、極微量。


セナが数値を見る。


「出た」


「工具で?」


「工具で」


ミルカが複雑な顔をする。


「私のだらしなさが都市を救う?」


「救いません。補助にはなります」


「言い方」


次は、食堂の皿だった。


夜勤班が作業場へ持ち出し、洗わずに置いていたもの。


サマラが一枚ずつ受け取る。


「返ってきましたね」


皿はただの皿だ。


だが、食堂へ戻ると、食堂の記録が整う。


差分熱は、工具より少し大きかった。


リィンが耳を澄ませる。


「皿の音、戻った」


三つ目は、給与袋だった。


名前を書き間違えられ、保留になっていた古い未払い分。


受け取った労働者は、最初信じなかった。


「今さら?」


「今さらです」


俊平が答える。


「利子は」


「計算します」


「本当に?」


「はい」


労働者は給与袋を握りしめ、しばらく黙った。


「俺、もう諦めてた」


その一言の後、測定器が跳ねた。


返還差分熱、中。


セナが目を見開く。


「給与、強い」


サマラが冷静に言う。


「当然です。食べ物に変わりますから」


リゼットは記録する。


諦めていたものが返る時、差分熱が増大。


俊平はその行を見て、胸が詰まった。


この都市には、諦めさせられたものが多すぎる。


だから熱源になる。


その事実が、嬉しいはずなのに痛い。


熱が出るから返すのではない。


返すべきだから返す。


順番を間違えない。


何度も自分に言い聞かせた。


四つ目は、死者の手紙だった。


ノアの黒い箱から出された、煤けた封筒。


前線で死んだ工員が、妹へ送るはずだったもの。


宛先は鐘楼街。


配送記録は途中で止まっていた。


「これは今日中には届けられません」


リゼットが言う。


「写しではだめですか」


ノアは首を横に振る。


「死者の手紙は、本文だけではありません。封筒の汚れ、折り目、遅れた時間。それらも返還物です」


俊平は頷いた。


「正式に届けます」


「誰が」


ヘレナが手を上げた。


「私が行きます」


「ヘレナさん」


「ルカの移送凍結で、私は助けられました。今度は誰かに返す側に回りたい」


ルカは仮施療室の扉から、小さく言った。


「行って」


ヘレナは弟を見る。


「でも」


「僕、ここで待ってる。帰る場所、あるから」


ヘレナは泣きそうになりながら頷いた。


俊平はイザベラへ通信を送った。


前線から戻っていた彼女は、すぐに護衛を引き受けた。


死者の手紙返還。


小さな工程が、都市の別の場所へ伸びる。




返還差分工程の試験は、想像以上に効果があった。


熱量は小さい。


だが、発生源が多い。


第十三工廠だけでも、未返還物は山ほどあった。


工具。


皿。


給与。


休暇。


名前の訂正。


寝台の割当。


遺品。


謝罪。


最後のひとつは測定しにくかった。


だが、リゼットは記録した。


謝罪が返還物となる可能性。


セナは眉をしかめた。


「それ、数値化できます?」


「できないものを無視した結果が黒炉都市です」


リゼットが答える。


セナは黙った。


その頃、メイラは古い設計図を見ていた。


白炉エリスの構造図。


現在の黒炉と似ているが、いくつか違う。


最も大きな違いは、炉心の周りに七つの小室があることだった。


記録室。


鎖室。


鐘室。


施療室。


契約室。


護送室。


案内室。


七人の機能に対応している。


「今の黒炉にも、この小室はあるんですか」


メイラが問う。


セナが図を覗き込む。


「中枢図面は公開されていません。でも、配管の癖から見ると、似た空洞はあります」


「そこに七人が」


「可能性はあります」


メイラは記録室の位置を指でなぞった。


「曾祖母は、ここにいる」


「断定はできません」


「でも、可能性はある」


「はい」


メイラは目を閉じた。


「会いたい」


その言葉に、壁の管が小さく鳴った。


黒炉が反応した。


リィンがすぐに鐘を鳴らす。


リン。


メイラがびくりと肩を震わせる。


「ごめんなさい」


「謝らなくていいです」


俊平は言った。


「会いたいも、帰りたいの一部です」


「でも、黒炉が」


「燃料にさせません」


そう言った時、管理室の通信管が鳴った。


リゼットが受ける。


顔色が変わった。


「管理官」


「何ですか」


「都市燃料局が、第十三工廠の返還差分工程を緊急燃料試験として登録しました」


「勝手に?」


「はい。登録者は」


リゼットが息を詰める。


「第十三工廠内部署名です」


作業場が凍った。


内部署名。


誰かが、第十三工廠の名で、返還差分工程を燃料試験として外に出した。


副産物原則が外されていれば、終わりだ。


返還のためではなく、熱のために返せという命令が来る。


あるいは、熱のために「返すもの」を作れという命令が。


「署名者は」


俊平の声は、自分でも驚くほど低かった。


リゼットは通信紙を見つめる。


「労働者監査席補助記録員、エナ・ベル」


サマラが息を呑んだ。


「エナ?」


「知っていますか」


「食堂の記録整理を手伝っている子です。反対者除外の名簿も扱っていました」


グレンが扉を開けた。


「捕まえるか」


「待ってください」


俊平は言った。


「まず話を聞きます」


「裏切りだぞ」


「裏切りか、脅迫か、誤認か、まだ分かりません」


「結果は同じだ」


グレンの声には怒りがあった。


無理もない。


第十三工廠の共有記録を守るために、全員で危険を引き受けた。


その工程が、燃料局に渡った。


裏切りなら、許しがたい。


だが、俊平は知っている。


この都市では、裏切りにも工程がある。


誰かを追い詰め、選択肢を消し、最後に印章を押させる。


その工程を見ずに裏切り者だけを叩けば、次の裏切りがまた作られる。


「エナさんを呼んでください」


俊平は言った。


「逃げているかもしれません」


リゼットが通信管を確認する。


「いえ。食堂倉庫にいます」


「行きます」




食堂倉庫は、粉と乾燥豆の匂いがした。


エナ・ベルは、豆袋の間に座り込んでいた。


年は二十前後。


丸い眼鏡をかけ、膝の上に記録板を抱えている。


サマラを見ると、泣きそうな顔になった。


「すみません」


第一声がそれだった。


グレンが一歩前に出る。


俊平は手で止めた。


「何をしたか、分かっていますか」


エナは頷いた。


「返還差分工程を、都市燃料局の緊急燃料試験に登録しました」


「なぜ」


彼女は記録板を握りしめる。


「弟が、燃料局の下請け炉で働いています。黒炉の供給が不安定になると、下請け炉から先に切られるんです」


「脅されたんですか」


「脅しではありません」


エナは首を横に振った。


「通知が来ました。供給優先順位見直し。下位炉勤務者の生命保障低下。家族による代替燃料技術提供があれば、優先順位を維持するって」


サマラが低く言った。


「それを脅しと言うんです」


エナは泣き出した。


「分かっています。でも、弟が死ぬかもしれないと思ったら」


グレンの拳が震える。


「だから工廠を売ったのか」


「売るつもりじゃ」


「売ったんだよ」


エナは言い返せなかった。


俊平もすぐには口を挟まなかった。


裏切りだ。


同時に、作られた裏切りだ。


燃料局は、家族を人質にした。


エナは押印した。


結果として、返還差分工程が奪われかけている。


どこから裁くべきか。


誰を守るべきか。


俊平は息を吸った。


「エナさん。登録内容に、副産物原則は入れましたか」


彼女は顔を上げた。


「入れました」


「燃料目的の新規徴収禁止は」


「入れました」


「反対者除外は」


「入れました」


リゼットが通信紙を確認する。


「管理官、登録写しにはありません」


エナが青ざめる。


「そんな」


「原本は?」


「ここに」


彼女は記録板の裏から、控えを出した。


そこには確かに書かれていた。


副産物原則。


新規徴収禁止。


反対者除外。


返還優先。


燃料局へ渡った写しから、その部分だけが消されている。


俊平は控えをリゼットへ渡した。


「改ざんです」


リゼットの目が鋭くなる。


「はい。都市燃料局側で削除されています」


グレンが唸る。


「なら燃料局を殴ればいいんだな」


「殴る以外でお願いします」


「難しい注文だ」


エナは震えていた。


「私、どうすれば」


俊平は彼女を見た。


「証言してください」


「私、裏切ったんですよ」


「はい」


エナはびくりとした。


俊平は続けた。


「あなたは第十三工廠の工程を、外へ出しました。それは裏切りです」


サマラが目を伏せる。


エナは涙をこぼした。


「でも、同時に、燃料局が改ざんした証人でもあります」


俊平は言った。


「裏切ったから終わりではありません。どこで、誰に、どう押させられたのか。それを記録します」


エナは顔を覆った。


「弟を助けたかっただけなんです」


「その言葉も記録します」


「許してくれるんですか」


俊平はすぐに答えなかった。


許す。


簡単な言葉だ。


だが、許されたことにして処理すれば、傷ついた側の記録が消える。


「今は許すかどうかを決めません」


俊平は言った。


「まず、これ以上奪われないように止めます。その後、工廠内で処分と保護を分けて決めます」


「処分」


「はい。あなたがしたことは消えません。でも、あなたと弟さんを燃料局に差し出す理由にもなりません」


エナは泣きながら頷いた。


グレンは不満そうだった。


だが、反対はしなかった。


サマラがエナの肩に布をかける。


「まず温かいものを飲みなさい。泣くにも燃料がいります」


「すみません」


「謝罪は後で正式に。今は倒れないで」


それもまた、返還の工程なのかもしれない。


謝罪を、燃やさずに返す工程。




燃料局の改ざん通知に対する異議申立ては、すぐに作られた。


リゼットが原本控えを封印し、エナの証言を記録する。


ノアが死者会計局の立会い印を押す。


セナが登録時刻と改ざん時刻の差分を追う。


ミルカが通信管の物理経路を調べる。


グレンは「殴らない」という条件付きで燃料局使者の通行を監視する。


俊平は、基幹契約会議へ緊急提出する文面を書いた。


返還差分工程は、返還行為に付随する副産物熱の測定であり、燃料目的の新規徴収を含まない。


都市燃料局登録写しにおいて、禁止条項が削除された疑いがある。


削除された状態での燃料試験登録は無効。


原本確認まで、全市展開を停止すること。


書きながら、俊平は思った。


また紙だ。


紙が人を殺すなら、紙で止めるしかない。


ひどい都市だ。


だが、紙を諦めれば、もっとひどい者だけが紙を使う。


「管理官」


リゼットが声をかけた。


「もう一つ、気になることがあります」


「何ですか」


「エナさんが登録した直後、黒炉反応が一度上がっています」


「燃料局が登録したから?」


「いえ。登録内容の改ざん部分ではなく、原本側に反応しています」


「副産物原則に?」


「違います」


リゼットは記録を指した。


返還優先。


その四文字。


「黒炉は、返還優先という言葉に反応しました」


俊平は壁の管を見た。


低く、弱く、何かを待つ音。


白炉エリス。


七人を抱えたまま黒くなった炉。


返せないものを燃やし続けた心臓。


返還優先。


その言葉に反応した。


「黒炉は、返したいのかもしれない」


俊平が呟く。


リゼットは否定しなかった。


「でも、返し方を知らない」


「はい」


「だから、燃やす」


「そうかもしれません」


俊平は目を閉じた。


怪物を許す理由にはならない。


だが、怪物の動かし方が見えた。


返し方を知らない炉に、返す工程を教える。


それが、七人を返す道になるかもしれない。


その時、帰還灯三号が勝手に灯った。


ミルカが叫ぶ。


「触ってない!」


セナが制御盤へ飛びつく。


「黒炉接続、なし。内部記録反応!」


帰還灯三号の灯りの中に、文字が浮かぶ。


古い筆跡。


細く、几帳面な字。


メイラが息を止めた。


「曾祖母の字」


文字は、ゆっくりと形になった。


返還優先、確認。


記録室より応答。


未返還七名、分離手順の再開を求む。


ただし、案内機能欠落。


案内人の名を探せ。


最後に、もう一行。


外縁へ行くな。


行けば、案内人に見つかる。


管理室が凍った。


外縁へ行くな。


だが、外縁に行かなければ、案内人の名は見つからないかもしれない。


バルドの言葉が蘇る。


外縁では、「いずれ」は早く来ます。


俊平は帰還灯三号を見つめた。


黒炉の中から、記録係が返事をした。


エリシア・フォーン。


メイラの曾祖母。


白炉を運んだ七人の一人。


まだ、記録している。


まだ、返還を待っている。


そして、警告している。


案内人に見つかるな。


リゼットが震える筆で記録する。


「管理官」


「はい」


「次回会議まで、残り八時間です」


「はい」


「議題が増えました」


「増えましたね」


「白炉搬送七名の分離手順。燃料局改ざん。エナさんの証言保全。案内人の名。外縁への警告」


「全部は無理です」


リゼットが俊平を見た。


前なら、そこで「やります」と言ったかもしれない。


全部を抱え、全部を間に合わせると言ったかもしれない。


だが、それは危険だ。


一人を部品にしない。


自分も含めて。


俊平は台帳を開いた。


「優先順位を更新します」


ペンを走らせる。


第一、燃料局改ざんの停止。


第二、返還差分工程の副産物原則を会議記録へ固定。


第三、エリシア記録応答の共同監査提出。


第四、白炉搬送七名の保全。


第五、案内人の名の調査。


外縁調査は、現時点で凍結。


「外縁へは行きません」


メイラが顔を上げる。


「でも、案内人の名は」


「今行けば、こちらが見つかる」


俊平は言った。


「エリシアさんの警告を無視しません」


ノアが頷いた。


「死者の警告は、聞くべきです。特に、まだ死者になれていない者の警告は」


メイラは唇を噛んだ。


「曾祖母は、生きていますか」


ノアは少し考えた。


「死者会計局の言葉では、生きているとは言えません」


メイラの顔が歪む。


「でも、死んでいるとも言えません」


ノアは黒い箱に手を置く。


「記録を返そうとしている。少なくとも、それは意思です」


メイラは涙をこぼしながら頷いた。


俊平は、エリシアの文字が消えた帰還灯三号を見る。


炉にも名前はあるか。


その問いは、もう変わっていた。


炉の中に、人の名前がある。


返されなかった名前がある。


そして、その中の一人が、返還優先という言葉に応答した。


なら、工程はある。


まだ見えないだけだ。


「作業再開」


俊平は言った。


「返す順番を、こちらで決めます」


誰かが奪う順番ではなく。


誰かが燃やす順番でもなく。


返すための順番を。


第十三工廠の鐘が鳴った。


白い灰が、窓の外でまた降り始める。


その灰は、今度は夢ではなく、紙片のように見えた。


返されなかった記録の、細かい欠片。


俊平はペンを握る。


次の会議まで、残り八時間。


時間は足りない。


だが、足りないことを理由に、誰かの名前を燃やすつもりはない。


白炉を運んだ七人。


その最初の一人が、黒炉の中から返事をした。


第十三工廠の次の工程は、もう決まっている。


返還優先。


その四文字を、都市の心臓に刻み込むことだ。


ここまで読んでくださりありがとうございました。


第21話では、メイラの持ってきた古い施療記録を開封しました。


白炉エリスは異界由来の炉であり、黒炉都市に固定するために七人の帰還情報が「帰還鎖」として使われていたことが分かりました。


その七人は返還予定だったにもかかわらず、返されないまま黒炉の中に残っています。


メイラの曾祖母エリシア・フォーンは、その中で記録機能として応答し、案内人の名を探せ、外縁へ行くなと警告しました。


また今回は、第十三工廠内から返還差分工程が燃料局へ流れる裏切りも描きました。


エナは裏切りましたが、同時に燃料局に家族を握られ、登録内容を改ざんされた証人でもあります。


俊平が「許す」ではなく「処分と保護を分ける」としたのは、この物語らしい管理の答えとして書いています。


次回は、燃料局の改ざんを会議で止めつつ、エリシアの応答をどう扱うかが焦点になります。


引き続き読んでいただけたら嬉しいです。


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