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異世界工場管理  作者: 好山 雪


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16/34

第16話 九分の反証

いつも読んでくださりありがとうございます。


第16話では、第15話で生まれた「九分だけの救い」が、都市の帳簿にどう扱われるかを描きます。


無痛施療石一号は、ルカを完全には救えませんでした。


けれど、痛みを燃料にしなくても施療材は作れる、という反証にはなりました。


当然、第九施療院はそれを認めません。


今回は、試作二号の開発と、第九施療院側の反撃が同時に進みます。


俊平が作ろうとしているのは、ただの新製品ではありません。


痛みに値段をつける都市へ突きつける、不完全な反証です。



九分十二秒。


それが、無痛施療石一号の効果時間だった。


第十三工廠の会議室には、その数字だけが大きく書かれている。


九分十二秒。


ルカの石化を止めた時間。


痛みを燃やさずに、施療効果を出せた時間。


そして、第九施療院に笑われるには十分すぎるほど短い時間。


セナは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


「九分で制度を壊せたら、世の中もう少し楽なんですけどね」


「壊すのではなく、穴を開けます」


俊平は答えた。


「そこから広げる」


「言い方を変えても、やることは物騒です」


リゼットは記録簿をめくっていた。


「第九施療院から正式な反論書が届いています」


「早いですね」


「監査局医療契約課との連名です」


部屋の空気が沈んだ。


リゼットが読み上げる。


「無痛施療石一号は、効果時間が短く、患者の完全治療に至らず、既存施療材の代替とは認められない。痛覚成熟工程停止命令は、施療材供給を不当に妨げるものであり、即時撤回を求める」


グレンが低く唸った。


「つまり、九分じゃ話にならねえってか」


「そうです」


「で、再開しろと」


「はい」


サマラが杖を鳴らした。


「向こうは何人死なせれば満足なんだい」


「死者数ではありません」


俊平は壁の工程表を見た。


「向こうが守りたいのは、痛みを施療材として扱える仕組みです」


痛覚成熟工程。


無痛施療石試作工程。


二つの工程表が並んでいる。


片方は、人を苦しめるほど品質が上がる。


もう片方は、人が痛みから戻る瞬間を燃料にする。


どちらも工場の言葉で書かれている。


そのことが、俊平には嫌だった。


リィンは会議室の隅で耳を塞いでいる。


「第九の鐘、怒ってる」


「施療院の人たちですか」


「ううん。石。たくさんの石が、返せって鳴ってる」


「返せ」


「痛みを返せって」


ミルカが小さく震えた。


「黒炉も聞いてる。新しい音が好きみたい。でも、まだ食べ方がわからなくて、苛々してる」


俊平は自分の手首を押さえた。


黒い糸痕は、昨日より少しだけ濃い。


使っていない。


同調していない。


それでも黒炉適合率は上がっている。


回復差分を観測しただけで。


「二号の条件を決めます」


俊平は言った。


「一号は九分。二号は最低一時間。対象はルカさんだけではなく、他の石化患者にも使える汎用型にする」


セナが片手を上げる。


「はい、無茶です」


「知っています」


「一号はヘレナさんの記憶とルカ君の反応に依存していました。汎用化するには、誰にでも使える回復差分が必要です」


「候補は」


「名前です」


リゼットが顔を上げた。


セナは続ける。


「人によって思い出も安堵も違う。でも、名前を呼ばれて戻る反応は比較的共通している。死者会計局の怨霊鎮静でも、名前は強い」


ノア・フェルがいつの間にか部屋の入口に立っていた。


「呼ばれていませんが、来ました」


「呼ぶ前に来るの、やめてもらえますか」


セナがぼやく。


ノアは黒い算盤を鳴らした。


「名前を戻すことは、死者にも生者にも効果があります。ただし、名前だけでは足りない。名前に紐づく関係が必要です」


「関係」


「誰が呼ぶか。どこへ戻すか。何として扱うか」


ノアは炉心石の箱を見た。


「患者か、債務者か、材料か。それで名前の燃え方は変わります」


サマラが吐き捨てる。


「嫌な燃え方だね」


「都市全体がそうです」


俊平は壁に新しい紙を貼った。


無痛施療石二号。


燃料候補: 回復差分、名前復元、帰属記録。


禁止事項: 痛覚抽出、罪悪感利用、管理官同調。


最後の一行を書いた瞬間、コーデックスが赤く揺れた。


管理官同調禁止時、成功率低下。


俊平は無視した。


リゼットが小さく頷く。


「記録しました」


「ありがとうございます」


「守らせます」


「お願いします」


試作はすぐに始まった。


対象は、ルカを含む七人。


第九施療院から送られてきた、半石化した患者たち。


名前が残っている者は三人。


名前が削られている者は四人。


リィンが鐘を聞き、ミルカが石の軋みを聞く。


サマラは灰の組合から集めた証言を読み上げる。


リゼットは名前の候補を台帳に照合する。


ノアは死者会計局の記録から、消された名札を探す。


俊平は、そのすべてを工程に落とし込む。


名前確認。


呼称反応。


帰属先設定。


回復差分抽出。


施療石転写。


持続試験。


グレンは試作炉の前で腕を組んだ。


「なあ、管理官」


「はい」


「これ、治療ってより、迷子を呼び戻してるみたいだな」


俊平は手を止めた。


「そうかもしれません」


「なら、炉じゃなくて灯台がいるんじゃねえか」


「灯台」


セナが目を細めた。


「面白いですね。痛みを燃やす炉じゃなく、戻る場所を示す灯り」


「俺は適当に言っただけだぞ」


「現場の適当は、たまに設計者を殴ります」


俊平は工程表を書き換えた。


無痛施療石二号。


別名。


帰還灯。


ミルカがその言葉を聞いて、少し笑った。


「機械、それ好きだって」


リィンも頷く。


「鐘も、少し落ち着いた」


その時、搬入口の警報鐘が鳴った。


短く三回。


監査局ではない。


商会でもない。


第九施療院でもない。


軍務局の鐘だった。


イザベラ・ロークが、二人の衛生兵を連れて入ってきた。


銀の短髪に、前線の煤がまだ残っている。


「管理官。前線の負傷兵が、施療材不足で死に始めた」


会議室が凍った。


「何人ですか」


「今朝までに十二。今日中にさらに二十は危ない」


セナが低く言う。


「第九施療院が在庫を絞ったな」


イザベラは頷いた。


「公式には、痛覚成熟工程停止による供給不足だそうだ」


「責任をこちらに寄せてきましたか」


リゼットの声は冷たかった。


イザベラは俊平を見た。


「私は前線仕様の甲冑改修を求めた。兵士を材料にする設計を潰せと言った。だが、治療材がなければ兵士は死ぬ」


「わかっています」


「本当にわかっているか?」


その問いは、責めているだけではなかった。


前線で死ぬ兵士の顔を見てきた者の声だった。


「あなたが止めた工程が悪いことはわかる。だが、止めた後の空白で人が死ぬなら、それもまた責任だ」


俊平は頷いた。


「はい」


「では、答えを出せ」


イザベラは血のついた布袋を机に置いた。


中には、名札が入っていた。


「前線の負傷兵の名だ。まだ生きている者も、死んだ者もいる。使えるなら使え」


ノアが算盤を鳴らす。


「生者と死者の名が混じっています」


「分けている時間がない」


イザベラの声は硬い。


「戦場では、息をしているかどうかでしか分けられない」


俊平は名札を見た。


血と泥。


名前。


帰る場所。


待つ人。


それらが、布袋の中で重なっている。


コーデックスが計算を始めた。


前線名札使用時。

帰還灯出力: 上昇。

兵士生存率: 上昇。

死者記録混入リスク: 高。

怨霊化危険: 中。


「使います」


リゼットが確認する。


「死者の名も含まれています」


「分けます。完全には無理でも、分けます」


ノアが前に出た。


「死者の名は、私が見る」


サマラが杖を鳴らす。


「生きてる奴の名は、こっちで読む」


イザベラが言った。


「前線の名は、私が保証する」


グレンが炉前班へ怒鳴る。


「帰還灯の外枠を組め! 炉じゃねえ、灯台だ!」


「班長、それで通じるんですか」


「通じさせろ!」


工廠が動き始めた。


痛みを育てる工程ではない。


名前を戻す工程。


帰る場所を示す工程。


それでも、工程であることに変わりはない。


俊平はその事実を忘れないように、台帳の端に書いた。


人間を工程に入れる時は、必ず戻る出口を作る。


試作二号、帰還灯の起動は夕刻だった。


炉前区画の中央に、小さな灯台のような装置が立つ。


黒炉の熱を直接使わず、回復差分を蓄える炉心石を中心に据えた。


その周囲に、名札を吊るす。


ルカ。


名のある患者三人。


名を削られた四人。


前線の負傷兵たち。


そして、死者の名。


リィンが鐘を聞く。


ミルカが機械の音を聞く。


ヘレナがルカの名を呼ぶ。


イザベラが前線兵の名を読む。


サマラが灰の中から戻した名を読む。


ノアが死者の名を分ける。


リゼットが記録する。


俊平は、全員の声を台帳へ結ぶ。


帰還灯、起動。


灯りは、黒ではなかった。


白でもなかった。


炉の火というより、遠い窓明かりのような色だった。


ルカの石化が、ゆっくり剥がれ始める。


他の患者たちの呼吸も、少しずつ深くなる。


セナが数値を叫んだ。


「一号超えました! 十分、十五分、二十分!」


ヘレナは祈るようにルカの名を呼び続けている。


俊平はコーデックスを見た。


持続時間予測: 64分。

痛覚使用率: 0%。

回復差分使用率: 72%。

名前復元負荷: 高。

死者記録混入: 発生。


最後の一行が赤く光った。


灯りの周囲に、影が立ち始める。


前線で死んだ兵士。


名前を削られた患者。


施療院の地下で痛みだけになった者。


彼らが、灯りに集まっている。


イザベラが銃を構える。


ノアが止めた。


「撃たないでください。戻りたいだけです」


「どこへ」


「名前へ」


影の一つが、ルカの石に手を伸ばす。


ヘレナが悲鳴を上げた。


俊平は台帳を開く。


死者記録が生者の回復先を奪おうとしている。


処理推奨。


死者名分離。


失敗時、患者怨霊化。


「ノアさん!」


「見えています」


ノアは算盤を弾いた。


「死者には死者の帰還先を。生者には生者の帰還先を」


サマラが叫ぶ。


「名前を読め! 混ざる前に!」


イザベラが名札を掴んだ。


「トマ・リベル! 生存! 前線第五塹壕! 母親、マナ・リベル!」


リィンが続ける。


「その鐘、生きてる!」


ノアが別の名を読む。


「ガルド・ネイ。死亡。帰還先、死者会計局記録棚二十七」


ミルカが泣きながら言う。


「機械が混ざらないように踏ん張ってる!」


グレンが炉を押さえる。


「踏ん張れ、こいつは炉じゃねえ、灯台だ!」


灯りが揺れる。


俊平の手首が焼けるように痛んだ。


コーデックスが表示する。


管理官同調で分離可能。

魂摩耗: 3%。


リゼットが叫ぶ。


「使わないでください!」


俊平は歯を食いしばった。


使えば簡単だ。


また自分を少し部品にすれば、分離できる。


だが、それでは帰還灯ではなく、俊平という部品に頼る装置になる。


それは、第九施療院と同じだ。


誰かを材料にした治療だ。


「使いません」


俊平は台帳を床に置いた。


「全員で分けます。僕一人ではなく」


リゼットがすぐに記録を読み上げる。


サマラが生者の名を読む。


ノアが死者の名を読む。


イザベラが前線の所属を叫ぶ。


ヘレナがルカの帰る場所を語る。


ミルカが機械の復旧音を追う。


リィンが鐘の生死を聞き分ける。


セナが回路を手動で切り替える。


グレンが灯台の外枠を支える。


第十三工廠が、ひとつの装置になった。


だが、誰か一人を材料にはしなかった。


灯りが安定する。


影は、少しずつ分かれていった。


生者は呼吸へ。


死者は名前へ。


痛みは、記録へ。


帰還灯は六十四分を超えた。


七十二分。


八十分。


ルカの石化は胸元まで剥がれ、彼は自分の声で姉を呼んだ。


「姉さん」


ヘレナは泣きながら返事をした。


「ここにいる」


セナが倒れ込むように椅子へ座った。


「持続時間、八十一分二十秒。二号、成功と言っていいんじゃないですか」


俊平は首を振った。


「まだです」


「厳しい」


「前線の患者に使えるか確認するまで、治療材ではありません」


イザベラが頷いた。


「二基、前線へ持っていく」


「まだ試作品です」


「試作品でも、何もないよりいい」


リゼットが記録を閉じた。


「第九施療院への反論には十分です。少なくとも、痛覚成熟工程が唯一の方法ではないと証明できます」


その時、搬入口から拍手が聞こえた。


白い仮面のオルド・セヴェルが立っていた。


誰も通した覚えはない。


セナが青ざめる。


「いつから」


「灯りがともった頃から」


オルドは帰還灯を見つめていた。


「素晴らしい」


その声には、怒りではなく感嘆があった。


俊平は嫌な予感がした。


「何をしに来たんです」


「確認です。第十三工廠が本当に代替施療材を作れるのかどうか」


「見た通りです」


「ええ。痛みを使わず、名前と帰還先で施療効果を出す。実に美しい」


オルドは仮面の下で笑った。


「量産しましょう」


部屋の空気が凍った。


「量産」


「当然でしょう。前線にも施療院にも必要です。帰還灯を標準化し、患者から名前と帰還先を徴収すれば、痛覚成熟工程より効率が良いかもしれない」


俊平の胃が冷たくなる。


名前と帰還先を徴収する。


痛みではなくなっただけで、また奪う気だ。


オルドは続ける。


「痛みよりも安定した燃料かもしれませんね。家族、故郷、帰属、希望。これらを施療材として保存できれば、患者の苦痛負担は減る」


「代わりに、帰る場所を奪う」


「奪うのではありません。資産化です」


グレンが一歩前へ出た。


「もう一回言ってみろ」


オルドは怯まない。


「あなた方が証明したのです。痛み以外も燃料になると」


俊平は何も言えなかった。


そうだ。


証明した。


だから、奪われる。


黒炉都市は、救いさえ資産に変える。


ミルカが震えている。


「黒炉が、今の聞いた」


リィンの顔色も悪い。


「鐘が増えた。帰りたい鐘が、たくさん」


オルドは俊平へ一礼した。


「正式な共同開発申請を出します。第九施療院は、帰還灯の医療転用に協力しましょう」


「協力ではありません」


俊平はようやく言った。


「あなたたちは、また人を材料にする気だ」


「材料ではありません。患者の帰還情報です」


「同じです」


「違います。痛みより優しい」


「優しければ奪っていいわけではない」


オルドは首を傾げた。


「では、どう量産するのです」


その問いが、痛かった。


量産。


標準化。


供給。


俊平の得意な言葉だ。


一人を救う試作では足りない。


前線の患者も、施療院の患者も、救うには数がいる。


数を作るには、仕組みがいる。


仕組みにすれば、必ず誰かがそれを利用する。


リゼットが低く言った。


「管理官。答えなくていいです」


「いえ」


俊平は帰還灯を見た。


灯りはまだ揺れている。


小さく、暖かく、危うい。


「量産はします」


全員が俊平を見た。


オルドの仮面が少し上がる。


「賢明です」


「ただし、帰還情報の徴収は禁止。本人の同意と、使用後の返還を必須にします」


「返還?」


「名前も、帰る場所も、燃料ではなく貸与情報です。使ったら本人へ戻す。戻せないものは使わない」


オルドが笑う。


「そんな非効率な」


「非効率で結構です」


俊平は台帳を開いた。


帰還灯量産試験。

基本原則。

一、痛覚抽出禁止。

二、帰還情報の無断採取禁止。

三、本人同意必須。

四、使用後の記録返還。

五、管理官単独判断禁止。

六、労働者監査席、死者会計局、前線軍務局の三者監査。


コーデックスが警告を出す。


量産効率: 低。

運用負荷: 高。

不正防止率: 上昇。

都市採用可能性: 低。


俊平は頷いた。


「これで進めます」


オルドは静かに言った。


「それでは、間に合いませんよ」


「間に合わせます」


「できなければ患者が死ぬ」


「知っています」


「その責任を負うと?」


俊平は答えた。


「負います。ただし、誰かを材料にして逃げる責任ではありません」


オルドはしばらく黙っていた。


やがて、仮面の奥から小さな笑い声が漏れた。


「あなたは医者ではない。管理官だ」


「はい」


「だから恐ろしい。医者は目の前の患者に負ける。あなたは仕組みに負ける」


「負けないようにします」


「負けますよ」


オルドは踵を返した。


「三十六時間後、医療契約課の審問で会いましょう。帰還灯が制度として成立するか、そこで判断されます」


彼は去った。


灯りだけが残った。


帰還灯二号。


痛みを使わない施療材。


救いの証明。


そして、新しい搾取の種。


俊平は台帳を閉じた。


閉じても、数字は消えなかった。


期限まで、残り三十六時間。


彼らは九分の反証を、制度に耐える治療へ変えなければならない。


しかも、黒炉都市に食べられない形で。



ここまで読んでくださりありがとうございました。


第16話では、無痛施療石二号として「帰還灯」を作りました。


痛みそのものではなく、名前や帰る場所、回復差分を使って人を戻す施療材です。


一号の九分から、二号では八十分以上へ伸びました。


けれど、そこで終わらないのが黒炉都市です。


痛みを使わない救いを作れば、今度は「名前」や「帰る場所」を資産化しようとする者が出てくる。


俊平が新しい仕組みを作るたび、それは誰かを救う道具にも、誰かを奪う道具にもなります。


次回は、医療契約課の審問です。


帰還灯を制度として通すために、俊平は「非効率な安全装置」をどこまで守れるのか。


そして、オルドが言った通り、仕組みに負けずにいられるのか。


引き続き読んでいただけたら嬉しいです。


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