第4話 砂漠の苛烈 後編
「……っ、がはっ、はぁっ!」
むせ返りながら、カイレッドは目を覚ました。
全身を押し潰していた砂の圧迫感は消え、冷たい石の感触が背中にある。
跳ね起き、真っ先に背負い袋の無事を確認する。水、食料、予備の武器、すべて無事だ。
「……助かった……のか? いや、ここは……」
視界が暗順応するにつれ、目の前に広がる光景に絶句した。
そこは、果てしなく広大な『地下空洞』だった。
見上げるほど高い天井。
そこから柱のように連なる精緻な彫刻群。
壁面には、淡く発光する魔素のラインと、古代文明オルム=ディアのものと思しき幾何学的な文様が刻まれている。
完全に、人の手が介入した『地下ダンジョン』だ。
(ヴェルナーさんたちは……無事だろうか)
焦燥が胸を焼く。
すべての生命線である荷物は、今、自分が持っている。
長期間合流できなければ、上に残された仲間たちの命が危ない。
(出口を探す。どんな手を使ってでも)
カイレッドは立ち上がり、周囲を観察した。
空間の中央には、天を貫くようにそびえ立つ巨大な石柱――いや、崩れかけた螺旋状の回廊が、遥か上部へと続いている。
だが、そこへ至る道は崩落しており、直接登ることは不可能だ。
唯一のルートは、むき出しになった荒々しい岩肌の『壁』を登り、上層の足場へ飛び移ること。
カイレッドは荷物を漁り、補助装備として入れていた『クライムピッケル』と『金属楔』を取り出した。
以前、ゴルドンが「そんなガラクタ、何の役にも立たねえよ」と鼻で嗤った装備だ。
だが、孤児院時代に山岳の荷運びで叩き込まれた技術が、今ここで命綱となる。
「……よし」
壁に近づき、ピッケルを振りかぶる。
――ガンッ!!
乾いた音が響き、刃が岩肌に深く突き刺さる。
そのまま身体を引き上げ、手際よく楔を打ち込み、ロープを通す。
動作は恐ろしいほど正確だった。だが――。
――ガリッ、ボロッ。
「うわっ!」
古代の石材は、想像以上に劣化していた。
体重をかけた瞬間、足場の岩がボロボロと崩れ落ちる。
落下しかけた身体を、カイレッドは咄嗟に片腕のピッケルだけで支えた。
超重量の荷物を背負い、片腕一本で宙ぶらりんになる。
本来なら、腕の関節が外れてもおかしくない負荷だ。
(……あれ?)
痛くない。
どころか、信じられないほど『軽い』。
――ゴォォォォォォ……ッ!
頭上から、不気味な地鳴りが響いた。
見上げれば、壁の亀裂から滝のような大量の砂が流れ落ちてくる。
直撃すれば、荷物の重さも相まって一気に底まで叩き落とされる。
(避ける……!)
思考よりも先に、肉体が躍動した。
岩壁の微かな凸凹を瞬時に見極め、空いた手で次のピッケルを打ち込む。
ガツン! ガツン!
驚くほど深く、的確に刃が刺さる。
常人なら届くはずのない高所へ、関節がバネのように伸びて届く。
砂の滝が迫るコンマ一秒前。
カイレッドは壁を蹴り、水平方向へありえない跳躍を見せた。
ザァァァァァッ!!
耳元を凄まじい質量の砂が掠めていくが、カイレッドの身体は既に安全圏の岩肌に張り付いていた。
荒い息を吐きながら、彼は自分の両手を見つめる。
(……僕の身体、どうなってるんだ?)
視力、筋力、跳躍力、そして空間把握能力。
そのすべてが、昨日までの自分とは次元が違う。
極限の環境と超重量の枷が、彼の内に眠っていた潜在能力のタガを完全に外していたのだ。
「……これなら、行ける!」
確信と共に、カイレッドは壁を駆け上がる。
砂の流れを読み、崩れる岩肌を蹴り飛び、まるで重力を無視した忍者のように、一直線に上層を目指した。
* * *
ついに最上部の足場に辿り着いたカイレッドは、壁を乗り越え、立ち上がった。
だが、その眼前に広がる光景を見て、彼は呆然と立ち尽くした。
「……なんだ、これ……?」
奇妙だった。
彼が立っている空間の『上』――つまり天井に、巨大な蟻地獄のような魔獣が『張り付いて』いたのだ。
魔獣は必死にもがいているが、天井の中心にある古代魔装置から放たれる青白い光の引力に捕らわれ、宙吊りになっている。
カイレッドは壁際に刻まれたオルム=ディアの文字を見た。
文字が、上下逆さまになっている。
――ぞくり、と背筋に電流が走った。
(まさか……僕が『床』だと思っていた場所が『天井』で……今立っているこの場所が、本来の『床』……?)
視界がぐにゃりと歪み、天地が反転する感覚。
この空間は、反重力を発生させる魔装置によって空間の上下がねじ曲げられていたのだ。
魔獣だけを天井(本来の床)に引き寄せて捕縛するトラップ。
それが経年劣化で暴走し、地上の砂漠に流砂を引き起こしていた元凶。
その真実に気づいた瞬間。
――ギィィィィィィィィィィッ!!
天井に捕らわれていた巨大な砂の魔獣――『スゥルガー』が、狂乱の叫びを上げた。
魔装置の引力に抗い、己の身体を砂粒へと分解し、引力の網の目をすり抜けて『落下(本来の重力方向への突進)』してきたのだ。
「来るッ……!!」
空間の上下が入り乱れる狂気のフィールド。
カイレッドは背中の荷物を強く結び直し、両手にピッケルを構えた。
スゥルガーの巨体が、頭上から隕石のように迫る。
――ドドドドドドッ!!
砂塊の鉤爪が、カイレッドを串刺しにせんと振り下ろされた。
「ふっ……!」
カイレッドは回避しない。
自らの足元(床)にピッケルを打ち込み、それを支点にして超重量の荷物の遠心力を利用し、アクロバティックに身体を横回転させた。
ズガァァァンッ!!
直前までカイレッドがいた空間を、鉤爪が虚しく粉砕する。
(重力も、この荷物の重さも……全部『利用』する!!)
反重力の影響で、スゥルガーの動きには一瞬の「浮き」が生じる。
そのコンマ数秒の隙を、覚醒したカイレッドの動体視力は見逃さなかった。
壁を蹴り、反重力の波に乗って空間を斜めに飛翔する。
手にしたピッケルを逆手に構え、スゥルガーの装甲の薄い脳天――砂塊のコアに向けて、渾身の力を込めて振り下ろした。
「そこだああああっ!!」
――ガツゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
硬質な破砕音。
ピッケルの刃がコアを正確に撃ち抜き、膨大な運動エネルギーがスゥルガーの内部構造を一撃で粉砕した。
「ギャ、ガァァァァァ…………ッ」
断末魔と共に、スゥルガーの巨体がボロボロと崩れ落ち、再び魔装置の引力に引かれて天井へと吸い込まれ、砂の雨となって消滅した。
――カランッ。
静寂を取り戻した空間に、硬質な音が響く。
砂の残骸の中から転がり出たのは、淡い琥珀色の魔紋が脈動する『砂色のダガー』だった。
「これって……スゥルガーの牙……?」
柄を握りしめると、刃から微かな砂の波紋が広がり、使い手の魔力と呼応するように手に馴染んだ。
ただの素材ではない。明らかな『魔装武器』だ。
荷物持ちの彼が、己の実力で手に入れた初めての戦利品。
刃の冷たい感触に、カイレッドの胸の奥で、静かな誇りが熱を帯びた。
***
魔装置のトラップコアが破壊されたことで、空間のねじれはゆっくりと正常化していった。
カイレッドはダガーを腰に帯び、本来の重力を取り戻した螺旋の回廊を、確かな足取りで登っていく。
視界の先に、眩い陽光と、吹き込む熱風が見えた。
――地上の砂漠。
突然、流砂の穴が盛り上がり、崩壊した入り口から一つの影が姿を現した。
「……あれ、流砂が消えた?」
警戒していたティアナが目を丸くする。
土煙を払いのけ、太陽を背にして現れたのは――傷だらけになりながらも、微塵も姿勢を崩さず、超重量の荷物を背負ったままのカイレッドだった。
「カイレッド!!」
セフィラスが驚愕に目を見開き、ヴェルナーが安堵の息を吐く。
彼らは信じられないものを見る目で、生還した青年を見つめていた。
あの絶望的な流砂から、どうやってほとんど無傷で(傷はあるが、致命傷は一つもない)戻ってきたのか。
「……やっと、戻ってこれました」
カイレッドは短く笑い、背中の荷物を少しだけ揺らした。
その声には、かつての頼りなさはない。
死地を単独で乗り越え、己の規格外の力に自覚を持ち始めた者特有の、静かな凄みが宿っていた。
「……なんだ、その面構えは。中で一体何があった?」
セフィラスが、どこか嬉しそうに口元を歪める。
「色々と、天地がひっくり返るような体験をしました。……でも、悪くない収穫もありましたよ」
腰のダガーに手を触れ、カイレッドは砂漠の風を真正面から受け止めた。
太陽はまだ高く、砂漠の過酷さは何一つ変わらない。
だが、もう恐れることはない。
荷物持ちとして。
冒険者として。
覚醒の兆しを見せた青年の背中を、熱帯の風が力強く押し出した。




