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第3話 砂漠の苛烈 前編

 ――ジリジリと、世界が焦げる音がする。


 砂漠の太陽は、まるで天空に開いた地獄の釜だった。


 容赦なく降り注ぐ熱線が大地を焼き尽くし、見渡す限りの砂海は陽炎に歪んで揺らめいている。


 砂丘を越えるたび、足元の砂は灼熱の刃となって靴底を焼き、剥き出しの肌を削り取っていく。


 巨大な荷物を背負ったカイレッドの身体は、とっくに限界を超えていた。


「――はぁっ、はぁ……っ」


 気管を焼くような乾いた呼吸。


 塩辛い汗が目に入り、視界が滲む。


 ただでさえ常軌を逸した重さの荷物が、昼の熱気と絶望的な乾燥によって、まるで鉛の塊のようにカイレッドの肩と腰を押し潰そうとしていた。


 水筒の水分はぬるま湯と化し、金属製の道具は触れるだけで火傷しそうなほどの熱を帯びている。


 筋肉の繊維一本一本が、悲鳴を通り越して断末魔を上げている感覚。


 対して――前を歩くセフィラスたちの足取りは、ひどく軽やかだった。


 体術を極めたセフィラスの動きには、一切の無駄がない。


 砂丘の傾斜に合わせて滑らかに重心を移動させ、まるで砂の表面を撫でるように歩を進めている。


 過酷な大自然の法則に逆らうのではなく、完全に同化する洗練された所作。


「荷物の重さに引きずられるな、カイレッド」


 乾いた風を切り裂き、セフィラスの鋭い声が飛ぶ。


「重心を低く保て。足の裏全体で砂を『押す』んじゃない、『乗る』んだ。砂漠では、力んだ者から順に砂に喰われるぞ」


 言うは易し、だ。


 カイレッドは必死にその体捌きを真似ようとするが、理不尽な荷の重みと極限の疲労がそれを許さない。


 ずるり、と足が砂に沈み込むたび、引き抜くために余分な体力を根こそぎ奪われる。


(……くそっ、足が……上がらない……!)


 奥歯を噛み割りそうなほど食いしばり、それでも彼は、決して足を止めなかった。


***


 地平線の彼方に夕陽が沈み、空が毒々しい赤から深い群青へと染まり始める頃。


 砂漠は、その『第二の牙』を剥いた。


 ――ヒュウゥゥゥゥ……ッ。


 昼間の灼熱が嘘のように、空気が急速に凍りついていく。


 熱を溜め込まない砂漠の大地は、太陽が消えると共に絶対零度の冷気を放ち始める。


 昼の熱風で開いた毛穴に、氷の刃のような夜風が容赦なく突き刺さった。


「くそっ……今度は、寒さ、か……っ」


 ガチガチと歯の根を鳴らしながら、カイレッドは荷物の紐を強く握りしめた。


 極限の暑さから、極限の寒さへ。


 疲労は肉体だけでなく、精神の根幹までをも蝕んでいく。


 「もう無理だ」「荷物を捨ててしまいたい」という甘い囁きが、何度も脳裏を掠める。


 そんな限界寸前のカイレッドの足元に、ふわり、と温かな光が灯った。


「無理はしなくていい。今日はここまでだ、カイレッド」


 魔術師ヴェルナーが、慈愛に満ちた笑みを浮かべて杖を掲げていた。


 彼の杖の先端から、淡い黄金色の魔素が溢れ出す。


「――『砂漠の星霜、我が呼び声に応えよ。大地のかいなにて、我らを護れ』」


 朗々とした詠唱と共に、周囲の砂がまるで生き物のように蠢き始めた。


 ――ゴゴゴゴゴ……ッ!


 宙に浮かび上がった無数の砂粒が瞬時に結合し、分厚く強固な『砂の防壁』を形成していく。


 さらには壁の四隅に、人型の砂ゴーレムが顕現し、外敵と冷気を遮断する完璧なキャンプ地が、わずか数秒で完成したのだ。


「これで少しは楽になる。さあ、休むといい」


 ヴェルナーの言葉に、カイレッドは文字通り崩れ落ちた。


 ドサァッ、と重い荷物が砂に沈む音が、この世の何よりも心地よい音楽に聞こえた。


 だが、安息の時間は長くは続かなかった。


「休むのは結構だが、身体が冷え切る前に感覚を叩き込むぞ、カイレッド」


「……え?」


 見上げれば、外套を羽織ったセフィラスが、鬼のような笑みを浮かべて見下ろしていた。


 それからの数時間は、まさに地獄だった。


 星明かりの下、荷物を背負った状態での『砂丘ダッシュ』。


「重心が浮いている! 腰を落とせ! 肩の力を抜け!」


「はいっ……!!」


 ザザザッ、と砂が崩れ、何度も転倒する。


 肺は凍りつき、手足の感覚はとうに消え失せている。


 それでも、セフィラスの厳しい檄に応えるべく、カイレッドは何度でも立ち上がった。


 不思議な感覚だった。


 無心で斜面を駆け上がるうち、ふと、砂の抵抗が『ふっ』と消える瞬間がある。


 力任せに踏み込むのではなく、砂の流動に身を任せ、反発力だけを推進力に変える感覚。


「……ッ!」


 疲労で揺れる視界の中、カイレッドはついに、足を取られることなく砂丘の頂上へと駆け上がった。


 その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは――。


「…………あっ」


 満天の星空だった。


 空気が澄み切り、光害の一切ない砂漠の夜空。


 天の川がまるでこぼれ落ちる宝石のように、漆黒の天蓋を埋め尽くしている。


 息を呑むほどの美しさ。


 大自然の苛烈さと、この圧倒的な美しさは、決して矛盾しない。


 この死と隣り合わせの過酷さがあるからこそ、星はこれほどまでに輝くのだ。


「……美しい……けど、やっぱり過酷です」


「ふっ。それが砂漠だ。……よくやったな、今日は休め」


 背後でセフィラスが短く笑う気配がした。


 カイレッドは荒い息を吐きながら、確かな『手応え』をその足裏に感じていた。


***


 翌朝。


 水平線から朝日が顔を出す頃、カイレッドたちは既に歩みを再開していた。


(……軽い)


 カイレッドは、自身の身体の変化に驚愕していた。


 昨夜の地獄の特訓で全身の筋肉が断裂寸前だったはずが、疲労感がまるで嘘のように消え去っているのだ。


 それどころか、昨日まであんなに苦しめられていた『異常な重さの荷物』が、今は背中の一部になったかのようにフィットしている。


 夜の間にヴェルナーが施してくれた《大地の癒手》の効果も大きいだろう。


 だが、それだけではない。


 極限状態での負荷と、それを癒やす強力な魔法のサイクルが、カイレッドの肉体を『無自覚な超人領域』へと強制的に引き上げていたのだ。


「油断するなよ。砂漠は気まぐれだ、いつ足元が牙を剥くか分からないからな」


「水分補給はこまめにね。乾きを感じてからじゃ遅いわよ」


 セフィラスと、斥候役のティアナが前衛から注意を促す。


 その直後だった。


 ――ザワリ。


 カイレッドの足元の砂が、不自然に波打った。


 風ではない。


 地中深くから、途方もない質量が迫り上がってくる明確な気配。


「下だッ!!」


 ――ドガァァァァァァァァッッ!!!


 砂丘が爆発した。


 もうもうと舞い上がる砂煙の中から姿を現したのは、体長三メートルを超える巨大な四つ足の魔獣だった。


 鋼のような筋肉の鎧、刃のように鋭い牙と、血走った凶悪な眼球。


「――『守護よ、我らを護れ!』」


 即座にヴェルナーが反応し、砂の防壁を魔獣との間に展開する。


 ゴォォッ! と立ち上がった壁に魔獣が激突し、凄まじい衝撃波が周囲の砂を吹き飛ばす。


 セフィラスが体術で懐に潜り込み、ティアナが剣を抜いて側面へ回り込む。


 一瞬にして開戦した死闘。


 カイレッドは最後尾で荷物を守るため、素早く後方へ跳躍した――はずだった。


「……え?」


 着地した瞬間、足元にあるはずの『砂』がなかった。


 否、砂はある。


 だが、それは硬い地面ではなく、すり鉢状に渦を巻く『巨大な流砂の穴』へと変貌していたのだ。


 魔獣の出現によって地盤が崩壊し、隠されていた地下空洞への蟻地獄が開いたのだ。


「カイレッド!!」


 セフィラスの絶叫と、ティアナの悲鳴が遠ざかる。


 抗う間など、一秒たりともなかった。


 凄まじい砂の奔流がカイレッドの全身に絡みつき、巨大な荷物の重さが命取りとなって、彼は一瞬にして真っ暗な奈落の底へと飲み込まれていった。


 視界が白濁し、息が詰まる。


 砂の圧力が全身の骨を軋ませ、意識が急速に遠のいていく――。


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