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第18話 死者の声

 視界が黒く閉じた瞬間、カイレッドは"落ちている"感覚に包まれた。


 上下が曖昧で、体の境界がぼやけていく。足場も空気も存在しない。


 ただ、影の川のようなものの中に沈んでいく。


 重さがない。


 いや、重さの方向が"逆"なのかもしれない。


 身体が浮遊し、意識が溶けていく。


(……ここが、サリヴェルの言う"夢"か?)


 次の瞬間――ドサッ――世界に"地面らしきもの"が現れた。


 柔らかい。


 土とも違う。


 踏みしめると、かすかに鼓動のような振動が返ってくる。


 まるで、生きた大地。


 目の前には、森が広がっていた。


 だが――すべてが歪んでいる。


 木々は背が高いのに根の位置が揺れ、幹が脈打つように大小を変え、葉は風もないのに震えている。


「……変な森だな」


 声が吸い込まれた。


 音が木々に触れた瞬間、飲まれるように消えていく。


 エコーもなく、ただ無音の中に消失する。


 サリヴェルの声が脳裏に蘇った。


『声が聞こえても振り返っちゃダメよ。あれは"死者の声"じゃないから』


 嫌な予感が背筋を走る。


 何かが、この森には潜んでいる。


 奥へ進むと、森の"色"が変化した。


 緑から黒、黒から灰色へ。


 境界線は無く、ただ少しずつ、確実に。


(ここは……本当に夢か?)


 突然――ヒソヒソ……――耳の横で囁き声がした。


「……カイレッド……きこえる……?」


 女の声。


 弱く、かすれて、触れれば壊れそうな音。


 しかし――違う。


(おかしい。ミラの声じゃない)


 口調も、響き方も違う。


 なにより、その声は近すぎる。


 まるで、耳元で直接囁いているような。


 カイレッドは振り返らない。


 サリヴェルの忠告が脳裏で強く灯る。


 ――あれは"死者の声"じゃないから。


 すると――ボコッ――足元の地面が"膨らんだ"。


 土が盛り上がる。


 そのまま裂け、黒い腕が生えた。


「……っ!」


 カイレッドは即座に後退。


 しかし腕は追尾するように伸びてくる。


 触手のように、意志を持って動く黒い腕。


 よく見ると、腕ではなかった。


 形だけが"人の腕らしい何か"。触れれば影に溶け、また別の場所から現れる。


(攻撃が"実体"じゃない……)


 殴っても切っても意味がないタイプだと本能が告げる。


「なら――力任せに突破するしかない!」


 ダッ!


 カイレッドは地面を蹴り、影の腕を横に弾き飛ばすように走った。


 夢の地面は不安定だが、身体能力は現実と変わらない。


 影は追ってくるが、深追いはしてこない。


 やがて、森の奥に"白い空間"が見えた。


 そこだけ、木々が一本も生えていない。


 まるで、世界に開いた穴のような、異質な空間。


 中心には、石碑のようなものが立っていた。


 古代文字らしき刻印。


 黒ずんだ痕跡。


 そして――ドクン、ドクン――静かな脈動。


「……これは……?」


 夢世界とは明らかに異質な質感。


 触れた瞬間――バァッ!――視界が"光に染まった"。


 ――ゴゴゴゴゴ……


 白光に包まれた瞬間、カイレッドの足元から"世界の重心"が傾いた。


 立っているはずなのに、沈む感覚。


 身体の境界が揺らぎ、視界が重なり、分裂し――気づけば彼は、別の場所にいた。


 石造りの広間だった。


 高い天井に刻まれた魔法陣。

 壁一面に並ぶ、黒い水晶板。


 中央には、奇妙な装置が鎮座している。


(……魔装置?)


 しかし形が明らかに"おかしい"。


 柱のようで柱ではなく、箱のようで箱として完成しておらず、円環のように見えて実は断片を欠いている。


 ひとことで言えば――"壊れた神殿の模型を無理に立たせたような、歪で不完全な魔装置"。


 それを囲むように6人の術者が並んでいた。


 全員、顔が影に覆われていて見えない。


 ローブの下から伸びる手だけが、かろうじて人間らしさを保っている。


 彼らは低く呟いていた。


「――声ヲ、固定スル……」

「――記憶ヲ、封ジル……」

「――魂ノ痕跡ヲ、残ス……」


 誰の声でもない。


 老いも若さも混じった、奇妙に濁った響き。


 まるで、複数の声が重なり合っているような、不協和音。


 その瞬間。


 背後で女の声がした。


「……カイレッド……?」


 振り返らない。


 サリヴェルの忠告が反射的に脳裏を叩く。


 ――"死者の声"じゃないから。


 しかし。


 今回は"消えなかった"。


「……あなた、戻ってきて……。寒いの……こわいの……」


 声の震え。

 息の弱さ。


 消え入りそうな命の気配。


 カイレッドは拳を握り、奥歯を噛みしめた。


(……行けるか。いや、違う。これは……)


 その"声"が、石碑に共鳴した。


 ゴォォォォォ……


 魔装置が青白く光る。


 術者たちの呟きが重なり、ノイズのように空間を軋ませる。


「――死者ノ声ハ……記録デアリ……断片デアリ……道標デアル」

「――残響ハ迷イ……ソレハ正体ナキ叫ビ……」

「――誰モガ耳ヲ貸セバ……道ハ開ク……」


 そして最後に、ひとつだけ明確な言葉。


「"魂塔コンダクト・スパイア"ニ……行ケ……」


 ――バキィィィィン!


 次の瞬間、広間が"割れた"。


 床が砕け、影が奔流となって押し寄せる。


 装置が奇声のような音を上げ、天井がねじれる。


(まずい!)


 カイレッドは反射的に後退――だが、夢の地面は"手"になって彼の足を掴んだ。


 影の森で見たものと同じ、"人の形を真似た影"。


(……魂塔……魔装置と関係があるのか?)


 バリッ!


 影の手を振り払うと、世界そのものが白く弾け――視界が"森"へと戻っていく。


 だがその森も、もう崩壊していた。


 木々が逆さに吊られ、根が空に突き刺さり、空気がひび割れ始めている。


 ミシミシミシ……


(そろそろ限界か……!)


 サリヴェルも言っていた。


「夢は、長く滞在すると"本当の自分"を溶かしていくから気をつけて」


 森が裂ける。

 地面が抜ける。


 そして――シュゥゥゥゥ……――カイレッドの意識は、現実へ引き戻されていった。


 ――ハァッ、ハァッ……!


 視界を覆う白光が揺れ――やがて、天井の木枠が浮かび上がった。


 カイレッドは息を荒げながら、跳ね起きた。


 胸の鼓動がやけに強い。


 夢の中で走り回った疲労が、そのまま身体に残っている。


「……戻った、のか?」


 額には汗。

 手のひらには、細かい木片の感触。


 夢の中ではなかったはずの"石片"が、握りしめられていた。


「おかえりなさい」


 サリヴェルが、椅子に腰掛けていた。


 細い指で金の髪飾りを回しながら、いつもの飄々とした笑顔……かと思えば。


 瞳の奥に"興奮"があった。


 まるで、長年探し求めていた答えを、ようやく見つけたような。


「……ずいぶん、彷徨ったようね。空間の崩壊に巻き込まれる前に戻ったのは、正解よ」


「巻き込まれる……? あれは、そういう……」


「ええ。"夢のかい"はあなたが思っている以上に危険。私の言葉、ちゃんと覚えていたようで何より」


 サリヴェルは、ゆっくり立ち上がり、カイレッドの手に握られた石片を見つめた。


 ――キュッ……


 ほんの一瞬、瞳孔が細くなった。


「……持ち帰ったのね。それ、"夢の中だけに存在するはず"の残響よ?」


「……そうなのか?」


「そうよ。普通は、意志が弱い人から失われていく。あなたの場合はその逆。夢の残りカスを"掴んで"現実に引き戻した」


 サリヴェルは石片に触れず、ただ観察した。


「で? 何を見たの?」


 カイレッドは深呼吸をひとつ置き、夢の断片を思い出す。


「……壊れた魔装置があった。形は歪で……何かを"記録"していたような……死者の声の残響のような……いや、もっと……薄い……記憶、みたいなものが」


 言いながら、自分でも整理が追いつかない。


 夢の記憶は曖昧で、輪郭がぼやけている。


「場所は?」


「名前を、聞いた。"魂塔コンダクト・スパイア"……って」


 ――ピタリ


 その言葉を口にした瞬間――サリヴェルの肩が、目に見えて震えた。


「……言ったのね。魂塔と」


 声に"期待"と"恐れ"が混じる。


「サリヴェル。魂塔って、何なんだ?」


「…………」


 長い沈黙。


 やがて、彼女は薄く微笑んだ。


 けれど――それは、今までで一番"本心を隠した笑顔"だった。


 まるで、仮面を被ったような、作られた笑み。


「――それを知るのは、もっと先よ。でも安心して。あなたなら、辿り着けるわ」


 意味深な答え。


 そして突然、彼女がカイレッドの胸に指を当てた。


 トン


「夢の中で拾った声――"あれ"に惑わされないで。死者でも、神でも、幻でもない。ただの"残響"。あなたの良心につけ込めば、いくらでも姿を変えるわ」


「……わかってる。あれに手を伸ばしたら戻れなかった」


「そう。だから――"今はまだ"触らないこと」


 その言葉は、警告でもあり、祈りでもあった。


 そしてサリヴェルは、ひとつひとつ確かめるように言う。


「カイレッド。あなたが夢から"魂塔"の名を持ち帰った時点で、もう運命は動いた。私の占いは成功。あなたは私を目的地へ導く"鍵"になった」


「……最初から、そのために呼んだのか」


「もちろん。隠してたけどね」


 サリヴェルは悪びれもせずにっこり笑い、いつもの軽い調子に戻った。


 夢の残響を抱えたまま、カイレッドは深く息をついた。


 手の中に握られていた石片をそっとテーブルに置いた。


「……で、僕はもう行くけど。魔鉱石のことは結局わからなかったんだよな?」


 そう確認した瞬間――パン!――サリヴェルは手を打った。


「そうだった。言うの忘れてたわ」


「……え?」


「あなたが夢を彷徨ってる間、こっちはめちゃくちゃ暇でね。だから占い、勝手にやっちゃったのよ。ごめんね?」


「勝手に!? というか……できたのか?」


「"気分が乗らなかったから嫌"ってだけで、技術的にはいつでもできるのよ。占い師だもの」


 悪びれもせず言う。


 だが彼女の瞳には、いつもの悪ふざけの色はない。


 どこか"慎重に言葉を選んでいる"気配があった。


「で、何が分かったんだ?」


 サリヴェルはテーブルに置いてあった魔鉱石の欠片を拾い、光にかざした。


 キラリ……


 小さく、歪で、不規則な脈動を見せる石片。


「結論から言うとね――この魔鉱石は、物体が持つ"引力"に干渉する性質を持ってる」


「引力に干渉……?」


「そう。落とせばすぐ沈むし、引けば強く引っ張られる。他の魔力より、"物体そのもの"が直接及ぼす魔力の影響を受けやすいの」


 サリヴェルは淡々と言った。


「ただ、それだけよ。本来なら書物にもほとんど載っていない超マイナー属性。誰も研究してこなかった、価値の薄い系統ね」


「……それだけ?」


「ええ。でも、それがあなたの最初の質問"この石は何?"への答えよ。この世界では、利用不可能な魔性なんてほぼ無価値。だから、誰も気にしないし、解析もされてない」


 それは明らかな事実の列挙だった。


 少なくとも嘘ではない。


 だが――


(……なんで、急にこんな"まとも"なんだ?)


 カイレッドは眉をひそめた。


 さっきまで夢の異界やら魂塔やら、不可思議な話ばかりだったのに。


 一転して、"合理的で冷静な説明"をしている。


「あの……本当にそれだけなんだな?」


「ええ。それ以上のものは見えなかった」


 即答。


 だがその声には、どこか"何かを隠している"気配が混じる。


「……そうか」


 カイレッドは言葉に詰まる。


(……なんなんだ、この人は本当に……)


 信用できるのか、できないのか。

 敵なのか、味方なのか。


 彼女の言葉は常に"本音と嘘の境界"を揺らしてくる。


「さあ、続きはあなたが歩きながら考えてね。運命は自分で確かめるものだから」


 サリヴェルは手をひらひらと振った。


 今度は確かに送り出す言い方だった。


 カイレッドは石片を握り、扉に手をかける。


(……魔鉱石が"物体の引力に影響される"ってだけで、本当に終わりなのか? 絶対、何か隠してる)


 そう思いながらも、その答えを確かめるのは――もう少し先の話になる。


 ギィィィ……


 扉が開き、外の光が差し込む。


 カイレッドは一歩を踏み出し――振り返らずに、六花館を後にした。


 部屋に残されたサリヴェルは、静かに窓辺に立った。


 カイレッドの背中が、人混みの中へ消えていく。


「……最後まで面白い子」


 彼女は小さく呟いた。

「引力魔性。物質干渉。……ふふ、嘘じゃないわよ? でも――」


 サリヴェルの瞳が、鋭く細まる。


「――それが"何に使われるか"は、まだ教えてあげない」


 彼女は手のひらに、小さな水晶玉を浮かべた。


 その中には、魂塔の映像が揺らめいている。


「カイレッド。あなたは私の"鍵"。そして――"あの場所"へ辿り着くための、最後のピース」


 キラキラ……


 水晶玉が光を放ち、やがて消えた。


 サリヴェルは、ソファに身を沈める。


「さあ、運命の歯車は回り始めた――次は、どんな景色を見せてくれるのかしら?」


 彼女の笑みは、美しく、そして――どこまでも狂気を孕んでいた。




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