Scene 8:囁きの追跡
熊にはご用心を
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Scene 8:囁きの追跡
ヘッドフォンの“声”から一夜明けても、
教授の研究室は静寂の氷に閉ざされていた。
朝日が薄く差し込む中、秋山教授は手帳を開き、
黒い細字ペンで数式と音波パターンを重ねていく。
梨田は隣で、モニターに映る波形ログを凝視していた。
「昨夜のデータ、これ……普通の脳波じゃありません。
人間の周波数帯を外れてます」
「人間の意志を操るのに、必ずしも“人の音”を使う必要はない。
むしろ人外の波形である方が純度は高い」
教授は淡々と語るが、声には火が宿っている。
「Black Signは、恐怖と依存を同時に作っている。
“従いたくなる優しさ”と“逃れられない冷たさ”だ」
梨田は背筋をこわばらせた。
「これ……もう犯罪とかテロとかじゃなくて、
もっと……概念的な侵略ですよ」
「人類史に名を刻む支配の形だろうな」
教授は立ち上がり、コートを手に取る。
「行くぞ」
「どこへ?」
「“声の出所”へ」
***
大学の外に出ると、冬の空気は乾き、
都市のざわめきが不自然に遠かった。
教授はスマート端末を起動し、特殊アプリを開く。
それは“音ではなく、意志の揺れ”を追跡するツール。
画面に微弱な揺らぎが現れ、
一つの方向を指し示す。
“中央線沿い、旧病院跡地”
梨田は青ざめた。
「教授……あそこ、以前、精神実験の噂が……」
「偶然だとは思えん」
二人は無言で歩き出す。
街の雑踏はあるはずなのに、
音が遠い。
まるで、世界が息を潜めているかのようだ。
駅へ向かう途中、
すれ違う人々が一瞬だけ耳を押さえ、
そしてまた歩き出す。
梨田は囁く。
「聞こえてる……んですか?
“あの声”が」
教授は目を細める。
「薄く侵入している。
彼らはまだ気付けていないだけだ」
やがて駅前に到着すると、
掲示板の大型モニターが不意にノイズを走らせた。
ザザ……ザ……
画面に、黒い紋章。
Black Sign の印。
──追いつけるか
──秋山 亮一
梨田の喉が凍る。
「……教授、挑発されてます」
「構わん。追うと決めたのは私だ」
教授の足取りは揺るがない。
まるで、自分の恐怖を燃料に変えて歩いているかのように。
だが梨田は気付いていた。
教授の指先が、微かに震えていることを。
人の心を守ろうとする者ほど、
最初に傷つくのは、いつも自分の心だ。
その覚悟と脆さが、
静かに、しかし確実に戦いを始めていた。
熊にはご用心を…




