同窓生の原稿 ― 教授を描くという試み ―
長年にわたって秋山教授が紡いできた推理と香料の物語。
その中で交わる人々の思い、事件の残響、香りに秘められた心理の微妙な動き――
今回の章では、教授の同級生であり作家として活躍する崎山笙子との再会を描く。
過去の記憶と推理の経験が交錯する中、教授という人物が新たな視点で語られる物語の始まりである。
同窓生の原稿 ― 教授を描くという試み ―
雨上がりの午後、大学の古びた図書館前に、ひとりの青年が立っていた。
秋山教授の同級生、ー崎山笙子―いまは小説家として活躍している。
彼は大学時代、教授と同じ香料心理学研究室で学び、時には議論し、時には静かに競い合った仲だった。
崎山君は軽く手を振りながら、教授に声をかける。
「秋山君、久しぶりだね」
教授は微笑み、ゆっくりと手を差し出した。
「崎山君、予想より早く来たね」
「ええ、今日はお願いがあって。ちょっと相談に乗ってくれる?」
二人は図書館の静かな閲覧室に座る。
崎山君はカバンから分厚いノートを取り出し、ページを開く。
「実は新作小説の題材に、あなたを描きたいんだ」
教授は眉を上げた。
「僕を……?」
「そう。香料心理学と推理の世界を組み合わせた物語にしたいんだ。
でも、君をそのまま写すのではなく、“人物像”として描きたい」
教授は椅子にもたれ、静かに考える。
「なるほど。つまり僕の性格や研究手法を参考にした登場人物、ということだね」
「そう。香りで人の心理を読む探偵教授――それを主人公にしたいんだ」
教授は軽く笑った。
「君、小説家なのに、だいぶ大胆だね」
崎山君は目を輝かせ、ノートにペンを走らせる。
「大胆じゃないと、小説は書けないんだ。
それに、君の研究と推理は魅力的すぎて、見過ごせない」
教授は机の上の香水瓶を指差した。
「では条件がひとつある。僕を描くなら、嘘の匂いを嗅ぎ取る部分は正確に」
崎山君は笑った。
「もちろん。推理の精度も、香りの描写もリアルにするよ」
その日、二人は午後いっぱい議論を重ねた。
教授が研究室で培った“心を読む香りの理論”の解説、
そして推理小説の登場人物としての振る舞いのポイント。
「君は僕を“魅力的な教授”にしたいんだろう?」
教授は柔らかく問いかける。
「ええ、でも同時に人間らしい弱さも描きたい。
完璧な探偵じゃなく、悩み、迷い、香りに翻弄される教授として」
教授は視線を遠くに向けた。
「人間らしさ……か。面白いテーマだね。
実際、僕自身も事件の度に迷い、悩んでいる。
だが、その迷いがあるからこそ、香りの微かな変化を見逃さない」
崎山君はペンを止め、静かに頷く。
「やっぱり、君の迷いも含めて書くのが一番リアルだ。
それに読者は、推理だけじゃなく、教授の心の旅も楽しむと思う」
二人はそのまま夜まで話し込み、ノートには次々とメモが増えていった。
教授が語る過去の事件、コーヒーショップの心理推理、動物園やライブハウス、オペラ事件の香りの描写――
崎山君は丁寧に書き留め、それを物語として組み立てる準備をしていた。
夜も更け、図書館のランプが一つずつ消える中、教授は最後に呟いた。
「君の小説で、僕の香りが読者に届くのか……楽しみだ」
崎山君は笑った。
「もちろん。あなたの推理も、迷いも、すべての“香り”を届けるよ」
その夜、教授の香料研究室には、静かにノートのページをめくる音と、遠くで響く雨のリズムだけが残った。
新たな物語の幕は、こうして静かに上がったのだった。
夜の図書館で交わされた議論と笑いは、単なる回想ではなく、次なる物語への伏線でもある。
崎山笙子が紡ぐ小説の中で、教授の迷いや推理の鋭さは読者の心に刻まれるだろう。
香り、心理、そして人間らしさ――それらがひとつに結ばれ、新たな章が静かに幕を開けたのである。




