秋山教授 ― 休憩ホットタイム ―
秋山教授
午後三時。大学の研究棟の中は、いつもよりも静かだった。
冷たい薬瓶が並ぶ棚の奥で、白衣の袖をまくった秋山教授が、電気ポットのスイッチを押す。
コポコポ、と湧き上がる音が室内に響く。
香ばしいコーヒーの香りが、薬品と紙の匂いが混ざる空気の中に、やわらかく広がっていく。
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「……ふう。やっと一区切りだな」
「教授、今日も徹夜明けですよね」
助手の水城が、試験管を片づけながら心配そうに言った。
秋山は軽く笑い、マグカップを掲げた。
「年を取ると、徹夜は身体にこたえる。だが――研究に“もう少し”って思うと、止まらんのだよ」
「その“もう少し”が、毎回夜明けまでになるんですよね」
「はは、耳が痛いな」
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教授はデスクに腰を下ろし、書きかけの資料を脇へ寄せた。
机の上には、クッキーの缶がひとつ。学生からの差し入れらしい。
「ほら、水城くん。甘いものでも食べろ。脳が糖分を欲してる」
「ありがとうございます。……教授は食べないんですか?」
「私はブラックコーヒーで十分だ」
マグカップを軽く傾け、苦味の深い香りを楽しむように目を細める。
その姿は、研究の鬼というよりも、どこか少年のようだった。
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「教授って……こういう時間、好きですよね」
「ん? どういう意味だ?」
「静かで、誰もいなくて。コーヒーとノートだけがある時間」
「……ああ、そうだな。昔からだ」
秋山は、窓の外を眺めた。
キャンパスの木々が秋風に揺れ、葉が一枚、窓辺をかすめて落ちた。
「若いころはね、研究室に寝袋を持ち込んで過ごした。
論文を一本書き上げるたびに、缶コーヒーで乾杯したものだ」
「へえ……教授にも、そんな学生時代があったんですね」
「馬鹿にしてるのか?」
「いえ、ちょっと意外で」
秋山は軽く笑い、コーヒーをもう一口。
深い苦味が喉を通るたびに、心のどこかの埃が払われていくようだった。
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「教授」
「ん?」
「……僕、教授の研究を見てると、未来って近い気がするんです」
「未来、か」
「はい。たとえば“星降草”の研究。
人の心を癒す薬なんて、まるで夢みたいですけど……
本当に実現したら、きっと誰かの人生を変える」
「――そうだな」
秋山は小さく頷いた。
その表情には、かつて失ったものを思い出すような影が差していた。
「だがな、水城。未来というのは、夢を見てるだけでは掴めん。
人は、少しの勇気と、少しの諦めが要る」
「諦め……ですか?」
「そう。
何かを得るために、何かを手放す覚悟。
それを知らんうちは、研究者にも、大人にもなれん」
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言葉の余韻が静かに残る。
湯気の上がるマグカップの向こうで、秋山の瞳は穏やかに輝いていた。
「……ま、説教くさくなったな。年寄りの悪い癖だ」
「いえ、嫌いじゃないです。教授の“ホットタイム”」
「ほう、そんな名前をつけたのか」
「だって教授、休憩のたびに必ずコーヒーを淹れるじゃないですか。
学生の間では、“秋山教授のホットタイム”って呼ばれてますよ」
「ははは……まったく、洒落たことを言う」
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時計の針が、午後四時を指した。
研究棟の廊下からは学生たちの笑い声が聞こえる。
秋山は立ち上がり、カップの底を見つめながら呟いた。
「水城くん、もう少ししたら戻るぞ。サンプルの確認も頼む」
「了解です、教授」
「それと――」
「はい?」
「今度のホットタイムは、君が淹れてみろ」
「えっ、僕が?」
「研究には、味覚のセンスも大事だ。
どんなコーヒーを淹れるかで、その人間がわかる」
「うわ、ハードル高い……」
「はは、心配するな。
失敗しても、私が飲み干すさ」
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研究室に笑い声が響く。
夕陽が差し込む窓辺で、二人の影が重なり合う。
それは、研究という名の孤独の中に灯った、ささやかな休息の時間だった。
――秋山教授の「休憩ホットタイム」。
その香りは、今日も静かに心を温めていた。
のホットタイムはどうでしたか?




