秋山教授と助手 ― 忘れられた研究室 ―
ジャムはお好き…??
黄昏の光が古びた研究棟の窓を淡く染めていた。大学の裏手にひっそりと建つ生物薬学研究室――そこは、かつて数々の論文と発見を生んだ場所だったが、今は静寂が支配していた。
扉を押し開けると、薬草と試薬の入り混じった香りが微かに鼻をくすぐる。机の上には乾燥させたハーブ、分厚い資料、そして一冊の古びたノート。そこにペンを走らせるのは、白衣を羽織った壮年の男――秋山教授であった。
「助手くん、例の植物サンプルはどうなった?」
「はい、標本室から持ってきました。あの“星降草”です」
若い助手が慎重に箱を置く。箱の中には、淡い銀色の葉をもつ植物が収められていた。光に当たると、まるで夜空の星屑が散るように輝く。
「美しいだろう」
秋山は目を細め、まるで昔の恋人でも見るような穏やかな声を漏らした。
「この草は、もう数百年前に絶滅したと思われていた。だが、君が偶然採取した標本の中に、芽吹いていた――奇跡に近いことだ」
助手は頬を赤らめた。彼――名を**水城**という。まだ大学院を出たばかりの青年だった。彼の心は研究への情熱と、教授への尊敬と、そして少しの憧れで満ちていた。
「教授、この草は一体……?」
「古文書によれば、“魂を癒す”とある。薬学的には、神経伝達に影響を与える未知の成分を含んでいるらしい。だが――」
秋山はペンを止め、水城をまっすぐに見つめた。
「この研究は、もう公にできない。上層部からも止められている。あまりにも“人の心”に干渉しすぎる可能性がある」
「でも……教授、それってつまり、人を救える薬かもしれないってことですよね?」
「救う、か……」
秋山は小さく笑い、窓の外に目をやる。沈みゆく夕陽が、まるで長年閉ざされた記憶を呼び起こすようだった。
彼には一人の妻がいた。十年前、心の病に苦しみ、静かに息を引き取った。
“もし、あのときこの草があれば”――そんな思いが、秋山を今も研究に駆り立てていた。
「水城くん。研究というのは、必ずしも正義じゃない。だが、真実を求める者にしか見えない世界がある。君には、その目がある」
「教授……僕、教授の夢を一緒に叶えたいです」
その言葉に、秋山は微かに目を細めた。
「では、続けよう。今夜は眠れそうにないな」
二人は夜を徹して作業を続けた。薬液の香り、静かな時計の音、試験管の中で揺らめく青い光。
その瞬間――世界で初めて、“星降草”の抽出液が完成した。
秋山は試験管を掲げ、その輝きを見つめた。
「これが……魂を癒す光か」
「教授……本当に、人を救えると思いますか?」
「わからん。だが、誰か一人の心を取り戻せるなら、それでいい」
その夜、研究室の窓から見上げた空には、淡い流星がいくつも流れていた。
まるで、失われた魂たちが静かに笑っているかのように。
翌朝。研究棟の扉の前に、大学の封印通知が貼られていた。
――「この研究は危険性が高いため、活動を停止する」
秋山は無言でそれを見つめ、水城の肩に手を置いた。
「水城くん、研究は終わりじゃない。場所がなくとも、志は消えない。覚えておけ」
「……はい、教授」
秋山教授は、微かに笑った。
その笑みには、失われた過去と、未来への灯火が宿っていた。
こうして、“星降草”の研究は闇に葬られた。
だが、その記録は助手・水城の手により、密かに受け継がれていく。
やがてそれは――“薬師ルイ”が触れる伝説の始まりとなるのだった。
薬師ルイ




