EXサイド:『ヒロイン』
最後の一話です。
「エレーミア!」
「お嬢さん!」
逼迫した声で、落下した少女の元に駆け付ける人々。
少女は頭を切ったらしく、出血で顔の半分が赤く染まっている。
朦朧とした様子で起き上がろうとするが、周りの者が止めて担架に乗せられる。
棟梁である父親が付き添い、医者へ運ばれて行った。
王都北側の水道橋が老朽化した事により、二年前から新しい水道橋を元々あった水道橋の隣に建築をしている。
その設計・建築を請け負っているのが、王領のお抱え技術者であるウルメルスバッハ家である。
ウルメルスバッハ家は、主に街道や上下水道などの正確な測量と距離や勾配など、緻密な計算を必要とする設備の設計・建築を専門に扱う土木工事業者の棟梁である。武具鍛冶などと同様、貴族お抱えのエリート職である。
人口が多ければ多いほど、生活に密接なインフラを造る場合は専門の知識と技術が必要になる。街道一つ造るだけでも利便性と施設可能な地形の選択、街道同士を繋ぐための測量と計算、排水のために勾配や、水捌けを行う土台の層構造など、ただ路面を固めるだけではないのだ。
地方の学校にある土が剥き出しの校庭なども、実は排水機能がある。校庭の下には、木の葉の葉脈状に砂利の層を造ることで、水捌けを良くしているのだ。
上下水道なども水源から水を引くための勾配、排水のための勾配計算が必要になる。特に都市クラスの下水道は、全体の勾配を計算し、汚水が所定の位置に流れるように設計しなければ、途中で汚水が溜まって仕舞うのだ。
新水道橋の工事も完了間近の時に事件が起こった。
棟梁の娘であるエレーミアは、半年後に控えたハーノヴァ学園入学までの期間で、後学のため工事現場を見学に来ていた。王都内を横切る高架橋から一段下がった第一貯水池の構造を実際に測量しながら設計と計算式の結果通りであるか確認中、熱中のあまり脚を滑らして落下したのだ。
貯水池は濾過装置用の砂利が敷き詰める作業に入っており、五メートルの高さを残すところまで工事が進んでいたのが救いか。
帝国式武術の護身法を修めており、身体能力が高いエレーミアは通常ならば安全に着地出来た高さである。しかし、他の事に気を取られていたため対応が遅れた。落下中に、貯水池側面――膠灰と金属系固着剤を用いたコンクリート――に頭をぶつけて仕舞い、着地を失敗したのだ。
エレーミアは頭部から流血し、気を失い医者に担ぎ込まれたが、外傷のみで命に別状がなかったのは幸いだった。
しかし、高熱が三日三晩続き、意識不明であったのだ。
「ちょっと、ここどこよ!」
目を覚ましたエレーミアは、気怠い身体をベッドから起こしながら自分の部屋を見回し違和感を口にする。
暫くして、ここが自分の部屋であるのだとエレーミアの記憶から特定した。
「なんで知らない記憶があるのよ! エレーミアの記憶? 私はエレーミアだった? 誰よ、それ!」
部屋に姿見の鏡があるのを見つける。平民であるが裕福な家庭のため、高価な鏡が娘に買い与えられている。
降って湧いたような記憶に不安を覚え、自分の姿を確認するエレーミア。
そこにはオレンジに近い金髪の愛らしい少女の姿が映る。
「ええ⁉ これが私? どうなってんの⁉ エレーミア? 冗談じゃないわ! 私は坂木香よ!」
香は自分の記憶を振り返る。
しかし、記憶とは自分が生きて来た中で、日常生活に必要な記憶や、印象に残った事柄程度しか思い出せないものだ。極めつけは自分の歳が幾つで、一番新しい記憶がどれであるか判別出来ないことに不安を掻き立てる。
次に、エレーミアの記憶を漁る。この身体の記憶だろうが、まるで映画を見ているようだ。香が記憶と共に経験したことではないため、あくまで情報として知る事が出来るものである。記憶から言葉の知識があったのは僥倖だった。記憶を漁った時、海外の映画を吹き替えなく理解出来るようなものだからだ。
「うそ! 本当に私、転生出来たの⁉ アレはやっぱり神様だったんだ!」
徐々に自分の事を思い出した香は、恐らくは自分の死後、認識が覚束ない空間で魂の底から畏怖する強大な存在と出会った記憶に辿り着いた。
その時に幾つか遣り取りをした事は朧気ながらに覚えているが、内容は思い出せない。
ただ、「この私のまま転生させなさい」と言った事だけはハッキリ覚えている。
それが叶ったのだ。
内から湧き出る愉悦に高揚しながらエレーミアの記憶を再び漁る。ある程度の年齢で蘇ったので、この入れ物が何であったか現状を確認するためだ。
漁った記憶の中で気になる単語がある。エレーミアの両親は、貴族お抱えで土木工事業者の棟梁であるウルメルスバッハである事。一番新しい記憶は、貯水池に落下し頭を打ったこと。
「平民の特待生でハーノヴァ学園に半年後入学って、あのエレーミアなの⁉ つまり、ここは乙女ゲームの世界じゃない? エレーミアはゲームそのまんまの設定だもの」
香には、他は忘れてもこれだけは絶対に忘れない記憶がある。自分が死ぬほど熱中し、全シナリオとイベントフラグの立て方、台詞やフレーバーテキストまで全て覚えたゲームがある。所謂、乙女ゲームであるが成人指定。人生を掛けるかのように数百回クリアするほどやり込んだ。そのゲーム名は『ストーリーレジスト 貴族の優雅な午後』であり、台詞のわざとらしさに賛否両論があったが、コアなファンが多いゲームだった。ゲームの舞台はハーノヴァ学園の四年間を過ごすものだが、他のゲームとの違いは、四桁を超える莫大なイベント数。そのゲームでプレイヤーはヒロイン、エレーミア・ウルメルスバッハとなって学園で攻略対象者と日々を共に過ごし、恋に落ちて結ばれる事を目的にプレイするのだ。
「アレかしら、頭打って前世を思い出したヤツ。私はエレーミアになったのか。リアルだとキャラデザの印象は残ってるけど美少女よね」
まだ十三歳の少女であり、幼さが残る容姿だ。
「学園入学前よね。今の内にイベントを書き出さなくちゃ。メインは逆ハールートで、フラグ失敗しても一番イケメンのキャラとゴール出来るように練らないとね。リアルの攻略キャラがイケメンだとイイんだけど」
香は、ゲームの知識から予定を立て始める。四年間、自分の掌の中で物語を進め、望む形でエンディングを迎えるのだ。しかし、ゲームと言いつつ、リアルな世界をプレイする必要がある。この世界については、エレーミアの記憶から補完するつもりだ。香は口角を吊り上げて嗤う。
前世の自分がどう終わったのか判らないが、今世の自分は望む思い通りのエンディングを迎えてやる、と決意した。
前世を思い出しただけでは、それは過去の記憶と言う情報に過ぎない。
経験が伴っていないからだ。
今のエレーミアは入れ物だけで中身は香と言う別人だ。
たとえ、同じ魂の持つ前世であったとしても。
人格とは、経験と共に記憶が積み重ねられ、形作られていくものである。
前世の人格で塗り潰す事は即ち、エレーミアが生きて来た人生を消す事である。
彼女が過ごし、成長と共に育まれた想いは……全て消し去られた。
記憶はただの情報となり、都合良く使われるだけになって仕舞った。
十三年間生きて来たエレーミア。
明るく活発で笑顔を絶やず、人当たりの良い皆から愛された娘。
たった今、ここで死んだ。
前世に殺されたのだ。
これが「自分のまま転生」した結果だ。
香は、エレーミアを殺した事すら気付いていない。
彼女は、この世界をゲーム世界だと認識した。この世界の人々も、彼女にとっては生きているゲームキャラクターと言う物に過ぎないのだ。
だから、物へ人に対する感情を向ける事はなく。
香――今はエレーミア――が目覚めてから半年間。
まるで、人が変わったエレーミアに親しかった者も眉を顰める。
事故で打ち所が悪かったのだろうと、皆が心配の目を向ける。
いつか元のエレーミアに戻るようにと、家族も甲斐甲斐しく世話をする。
皆が変わらぬ愛情を注ぐ。
だが。
彼等の知るエレーミアは、二度と戻って来る事はないのだった。
――ハーノヴァ学園入学当日早朝
香は、最初のプロローグイベントを発生させるための行動を開始した。学園寮住まいであるが、一度学園の外まで赴き、パンを咥えて走り出す。
後は覚えている通りに台詞を言えば良い。
ストーリーが画面に見られない状態でコントローラー入力していた事を実際の身体を使って行った場合、ちゃんとイベントが発生するか賭けであった。
しかし、予定通り侯爵子息ジョルジオーリのイベントが発生したのだ。
香は内心で「勝った!」と腹の底から笑い出しそうになるのを押さえ、イベント終了まで熟す。ジョルジオーリの好感度が画面に表示されないのが不便だが、どのイベントで幾つ好感度が上がるのかは熟知しているため、手帳に記録して管理すれば良いだろうと、ほくそ笑んだ。
イベントを熟していく内に、壁に突き当たる。王太子のガルシアとイベントが進んでいく内に発生する、悪役令嬢ミネルヴァのイベントが予定通りに進まないのだ。
本来なら教室でエレーミアの姿を見つけたミネルヴァが近寄り、ガルシアとの距離感をチクチクと言うのだが、ミネルヴァは微笑みながら軽い会釈をしてすれ違い教室を出ていった。
イベントが発生失敗したのかが判らない。ここで『ヒロインへの誹謗中傷』イベントが発生しなければ、後々のイベントに問題が出る。結果さえあれば最後の婚約破棄イベントは発生出来るので、香はミネルヴァの誹謗中傷イベントを目撃する筈だったクラスメイトが教室に入って来たため演技しだした。ミネルヴァが、ガルシアの婚約者である立場を笠に着て自分を虐めたのだと。
それ以降、ミネルヴァのイベントは上手く発生しないため、香はイベントの結果だけを自作自演してでっち上げる。フラグさえ立てば良いので、面倒くさくとも手を抜くことは出来なかった。
「せっかくヒロインに転生したのに!」
その鬱憤は、自作自演の作業中にグチグチと文句を垂れ流す事で晴らしていた。
「なんでミネルヴァの奴はゲーム通りチクチク言ってこないのよ! おかげで手間かかったじゃない! ほんと、クソ女ね! チッ、リアルだとイベント調整が面倒だわ。ゲームと同じ選択式にしてくれりゃあ楽なのに」
その声を聞いている者がいるとは知らずに。
イベントは面白いように順調な進み具合だった。香が危惧していた、ミネルヴァの悪役令嬢イベントが全て自作自演をする羽目になったが、自分が流した噂でイベント通りにミネルヴァの悪評が広まっていった事に満足していた。
香が満足したのは階段落ちイベントである。普通だったら大怪我をしそうなものだが、エレーミアの記憶に体術を修めていた事が幸いした。大怪我をしそうな落ち方でもしっかり受け身をとりながら、身体に全く怪我を負わないのだ。
階段を落ちる時にミネルヴァを触れたので、ミネルヴァに落とされた――、と吹聴出来る。
余談だが、エレーミアの身体運用が鍛えられていたからこそ、怪我もなく終えられた事に香は気付かない。
例えば、前世の香が武術の達人で、エレーミアは素人であった場合、身体の使い方が鍛えられていない状態では武術の技など出せないのである。技で使う筋肉や骨が動かないからだ。
自分を中心に、本来の常識がゲームの常識に塗り替えられていくのだが、香は気付く事がない。ゲームの常識で考えているからだ。エレーミアの記憶があるとしても、自分で思い起こさなければ情報は手に入らないのだ。
だから、現実が破綻していく事を彼女が気にするなぞ一度もなかった。
順調に見えたイベント攻略の中で、一度だけ香の知らない事が起こった。
名前も立ち絵すらなく、台詞も用意されていない筈のモブキャラクターがイベントの最中にミネルヴァの擁護に出たのだ。このイベントに、擁護などは発生しない筈なのは確かであった。考えられるのは、ミネルヴァのイベントが発生せずに、結果だけを用意した事か。それがバグを引き起こし、本来シナリオから省かれたフラグがオンになり、没イベントが実行されたのではないかと。その証拠に、擁護キャラの台詞は無視されたままイベントが問題なく終了したからだ。
バグがシナリオにどう影響するか判らない。今後の事を考えると、このNPCを始末するのが安全だが、それ自体がシナリオに影響を与える可能性があるやもしれない。このゲームはどのルートでも、学園生の人死にはなかったのだから。
香は、腹立たしく思いながらNPCを放置する事に決めた。順調に逆ハーレムルートを開放するフラグを回収しており、やり直しが効くか判らないのに余分な事をして失敗するのは馬鹿らしい、と。
どの道、立ち絵もストーリーの背景にも描かれていないモブなど顔すら覚えていないので、誰を始末すれば良いか判らなかったと言うこともあるが。
香は、イベントを着々と熟していくが、この世界はリアルタイム進行である。面倒な日常生活もスキップ機能を使える筈もなく、次第に攻略と直接関係しないサブイベントは無視するようになった。イベントが簡単で報酬を貰えたり、攻略対象の好感度が上がるものだけを選り好みして実施した。
年に一、二度発生する住人に影響する危機イベントは同じ理由で、攻略対象の好感度に影響するもの以外は無視した。これはゲーム内でイベントを選択しなくとも、後日ちゃんと終息したテキストが流れるので、手を出さなくても勝手に進むタイプであるからだ。
――現実は、マルグリットとミネルヴァが奔走していたのであるが。
「やったわ! 逆ハールート解禁よ!」
香は、逆ハーレムルートに入った時、一番最初となるイベントを発生させられて思わずガッツポーズを取る。ここに来るまで三年掛かった。卒業までの一年は、攻略対象四名それぞれで複数連携するイベントが頻発するので、忙しくなる。これから肉体関係も頻繁に結ぶことになる。特にフェストイベントなどは、朝昼夕夜で四人それぞれと逢って互いの肉体を貪ると言っても良いハードな内容が組み込まれた慌ただしいものまである。
香は、最後の一年を楽しんだ。
いよいよ卒業パーティの開催日である。
逆ハーレムルートの最終イベントは、王太子ガルシアのミネルヴァへ婚約破棄イベントに、追放イベントが追加されるのだ。
香は笑いが止まらない。
ミネルヴァが追放され、衛兵に連れていかれる。
漸くグランドフィナーレの時間である。
ここまで四年かかったことを思えば感慨も一入である。
ラストのご褒美イベントである「博愛の交わり」は、パーティー会場の中央で四人と交わるのだが、所詮周りを囲むのはNPCであるため、羞恥もなく香は乱れに乱れ、楽しんだ。
二時間後、精根尽き果て全裸のまま五人で重なるように倒れ込むと、エンディングの音楽が何処からともなく流れて来た。
音楽が終わる。
ゲームは終了したのだ。
NPC達が次々に香達を祝福する声を上げる。
そして、ザワザワと卒業パーティーが再開される。
香は、恋人四人と着衣しながら睦み合い、卒業パーティーの続きを楽しんだ。
今後の事に思いを馳せながら。
それは地位と権力もある四人を侍らし、自堕落に過ごしていく生活だ。
「これぞ、人生勝ち組よね。なんたって、ハーレムに王子がいるんだもの! 国のトップよ!」
自分の恋人達は、香――エレーミア――の言う事を何でも聞いてくれるのだ。
香は、これから好き勝手に思い通り出来る生活に笑いが止まらない。
一時間ほど経っただろうか。
卒業パーティーが終了した。
楽しい時間は終わったのだ。
これからは、夢で望んだ現実が始まるのだ。
しかし、香は知らない。
――ここからは、今まで楽しんだ分のツケを払う時間が始まる事を。
パーティーの終わりを合図に騎士が雪崩れ込む。
「全員、一歩も動くな! 動きを見せた者は容赦なく斬り捨てる!」
指揮官であろうか。
他の騎士と比べ、一目で上位者と判る装飾を纏った騎士が声を上げた。
「私は神聖マーロマユ帝国親衛隊第一師団師団長のアンゼルム・フォン・シュトゥーベン侯爵である! 皆の者、良く聞けい!」
シュトゥーベン侯爵は、手元の書状を広げて皆に見えるように掲げる。
「皇帝陛下の勅命である! これより、この場にいる王家、並びに貴族家の者全員を移送する! これから其々の騎士が出す指示に従い給え!」
王太子であるガルシアが、その声に反論する。
「どこの騎士であるか! 私を王太子と知っての狼藉か! 不敬なるぞ! 今すぐ膝を付け!」
先ほど名乗られている事すら最早判っていないのだろう。
この場に居る騎士は皆、神聖マーロマユ帝国親衛隊の紋章を背負い、紋章旗を掲げる騎士もいるのだ。貴族であれば誰でも知っている筈の紋章が。
「貴様こそ不敬であるぞ! 高々、属国の王太子如きが皇帝陛下の勅命に意を唱えるとは何事ぞ!」
「バカを言うな! ここはハーノヴァ王国であるぞ! 王太子である私の命令が優先されるに決まっておろう!」
そうだ、そうだと側近のユミール、ジョルジオーリ、ダルタリアスが同調する。
ガルシアの在り得ない言葉は帝国に謀反ありと、この場で斬り捨てられてもおかしく無い。
既に常識が壊れている事を雄弁に物語っていた。
「哀れを通り越して滑稽だな。すでにハーノヴァ王国は解体され、国など残っていない事すら判らないとは」
会話すら真面に出来なくなっている元王太子に憐憫の目を向けたシュトゥーベン侯爵は、これ以上の問答は無用と部隊に指示を出す。
「作戦開始!」
一斉に動き出す騎士。成す術なく捕まえられ、グループ毎に分けられる学園生達。貴族家の者と平民を分けているのだ。
「……なによこれ。私、こんなの知らない! なんで捕まんなきゃなんないのよ! おかしいわよ!」
香は目の前で起こっている事が信じられなかった。
先ほどまで幸せの絶頂にいたのだ。
ゲームの終了後にこんなイベントなんてある筈もない。
何百回と繰り返してプレイしたゲームだ。
攻略本や情報サイト、掲示板で公開されたバグ技や隠しシナリオまで全て網羅して知っている。
なのに、これは何だ。
続編など無かったゲームだ。
知らない、こんなの知らない。
ガクガクと震える手脚が嫌に現実味を引き立てる。
「貴殿がエレーミア・ウルメルスバッハ殿であるか。貴殿の身柄を最優先で確保する命令が発令されている。おとなしく同行頂こう」
完全武装をした騎士が香の目前に立ち塞がる。
威風堂々なその姿が自分に向けられたとなれば恐怖でしかない。
「い、嫌! 助けてガルシア!」
香が助けを求めて恋人達を見ると、皆、騎士に後ろ手で取り押さえられ、ガルシアなどは組み伏せられて縄まで打たれている。
絶望感が香を襲う。
恐怖に震え、蒼白になりながら怯えた目を騎士に向ける。
抵抗は無駄だと理解してしまったのだ。
――こうして二時間も掛からない内に、パーティー会場は制圧され、ガルシアを筆頭に貴族家の子女が連行されていった。
エレーミア、いや、香は一人だけ別の馬車で連行されていた。
自分一人だけが別で連行されるのは、何らかの事情があるとしか思えない。
しかし、それが何か判らず、漠然と不安だけが大きくなる。
馬車は王都の外を目指しているのが窓を流れる景色から判る。
そして、王都の最外壁を越えた。
どこに連れていかれるか判らない恐怖に耐えられず、窓の外を凝視する。
そこには絶望があった。
辺りを埋め尽くす、騎士、騎士、騎士。
自分がどうされるのか判らない。
だが、香は今日、王都が無くなる事だけは判った。
帝国騎士団を筆頭にした混成軍は、予定通り二日間で王都の貴族達の身柄を確保し、各地に建設された隔離療養所へ送って行った。
――ドイッチェラント王国首都デュッセルブルク
旧ハーノヴァ王国の西に位置する神聖マーロマユ帝国の中枢国であり、特別な隔離療養所が建設されている場所でもある。
そこに、四年間に渡るハーノヴァ王国王都の渦中にいた人物、エレーミア・ウルメルスバッハが厳重な監視下の元、収容されている。
「私はゲームが用意したシナリオ通りにイベントをしただけです! 私がこんな状況にしたんじゃありません!」
エレーミア――香――の言葉は理解し難いものばかりだった。
尋問官が根気強く尋問を繰り返した結果、驚くべき事実が判明する。
一つは、エレーミアが転生者と言う事だ。
落下事故により人が変わったと幾つもの証言があったが、実際に前世の別人格、坂木香へ摺り替わっていたのだ。
話を聞けば、前世の常識が現在の常識とは全く異なるものであり、本人は非常識だと思っていなかったからこそ、ここまでの異常事態に発展したと判断される。
二つ目は、ハーノヴァ王国がゲームに基づいた人物がおり、事件は事前に用意されていた事である。
ゲーム――遊戯――については、明らかに認識が違う世界の話であったため、仕組みを理解する迄には至らなかった。
実際の遊戯内容を現代の遊戯に置き換えてみると、テーブルズと演劇を組み合わせたようなものと判断された。
演劇の章なり節なりでサイコロを振った出目を駒が移動し、その先の升目に書かれた行動指示の通りに劇をする、と言った内容だ。
しかし、現実は遊戯ではない。
ハーノヴァ王都のみが影響されたが、以前より報告に上がっていた【天の声(仮)】について、エレーミアは全く知る由もなかった。
むしろ[イベント]の開始を伝える【天の声(仮)】が聞こえていた人物が居ると聞いて、何故自分に聞こえなかったのか、聞こえていれば苦労しなかった、などと供述していた。罪について我々と捉え方に違いがある、と審問官は報告書に記述している。
三つめは坂木香なる人物が王都の毒に侵されていなかった事である。
前世の常識が異なるため、現在の常識を一つずつ擦り合わせたが、それをちゃんと認識していった。不条理を常識であると認識したままの貴族家の子女とは明らかに違う。毒が抜ける一年を過ぎても香は変わらなかったからである。
香が経験して来たことは非常識の範疇だと少しずつ認識させると、自分が仕出かした事の大きさに怖れおののき、恐怖から嗚咽が止まらない日々を過ごしている。
現代であれば、いつ処刑されてもおかしくない事柄ばかりだったからだ。
四つ目は坂木香が神と呼ぶ、転生させたと思われる存在。
今回の事件に係わっていると思われるが、転生した本人の香自身が全くと言っていいほど情報を持っていない。
判っている事は、「認識が覚束ない空間」「魂の底から畏怖する強大な存在」だけである。香は印象で「神」と思っただけで、そもそも名乗った訳でも無いのだ。
その強大な存在は、神ではなく悪魔だったのでは、と法王庁の見解である。
国や人を巻き込んだ悪意に満ちた遊戯を強いるのだから。
そして、この事件は彼女が意図して引き起こした訳ではなく、これから起こる演目を前もって知っていたために、その脚本をなぞるように役を熟していたに過ぎなかったと結論付けられた。
しかし、彼女は無罪とはならなかった。彼女の行動で得られた結果が現状であるため、どのような理由があったとしても実行犯である事には変わりないからだ。
刑を科した時の坂木香は、心労で憔悴しきっており、幽鬼と見間違えるほどだった。
そして刑の執行を待つことはなかった。
――遺族には、エレーミア・ウルメルスバッハが、あの落下事故で既に亡くなっていたのだ、と伝えられた。
ナゾはナゾのまま残して終了です




