あまりに幸せな思い出だったので
死んだ目をしているザックと、その横にぴたりとくっ付く伝通人に、フィンは首を傾げた。どうして買い出しに行かせただけでこんなわけのわからない事態になるのだろうか。
とりあえずハリエットとアーロンにいつもの場所でいいので買い出しをお願いし、フィンは突然の来客に対応することにした。
ロレインと名乗る女性は幸せ一杯といった様子だが、彼女がザックが匂わせていた伝通人であることに違いないだろう。だがどうしてあんなに好いてくれているのに逃げ、トラウマになっているのかはさっぱりだった。
ヒントを求めてスピカに視線を向けた。
「ロレインのこと、何か知ってる?」
「知ってる。ロレインは伝通人の中でも有数のお嬢様。大切に育てられてた」
「……お嬢様? 何、有名なの?」
貴族のようなものを想像しながら聞くと、スピカは深刻そうに頷いた。
「悪い意味で」
「ふふ、そこから先は私が話します」
ロレインはぎゅっとザックの腕を抱きしめながらも、話は聞いていた。ザックに夢中のあまり聞こえてないだろうと思っていたフィンは驚いたが、話を聞くためにロレインに向き直った。
使い物になりそうにないザックに聞いても仕方ないだろうし、スピカは必要以上に話さない性格なので重要な要素が抜けそう。それに対して一方的な話にはなるだろうが、彼女から聞いた方が分かりやすそうだった。
「お願いします」
「あれはそう、星がよく見える暑い夜でした───」
ロレインはメイドがいるような裕福な家庭で育った。両親から愛情たっぷりと、蝶よ花よと愛でられて育った。
ある時、彼女は妖精の森でのみ咲くサーバという花の存在を知り、是非とも見たいと考えた。希少かつあまりの美しさから見た者には幸せが訪れると言われている花だ。
だがいくら愛娘の願いとはいえ、両親は難しい顔をした。というのも、サーバの咲く妖精の森は霧に覆われた別名迷いの森といわれるほどの自然の迷宮で、森に満ちている不思議な魔力のせいで伝通人のネットワークも乱されて繋がらないからだ。
準備をしていればそう簡単には迷わないとはいえ、軽い気持ちで入れる場所ではない。
しかし我が儘だった14歳の少女は、箱入り娘のくせにはいそうですかと諦めなかった。夜、皆が寝静まっている間に家を飛び出し、森に一人で入ったのだ。
ロレインは長い間探し続けたが、ついにサーバを見つけられなかった。そこでロレインは、一度帰ることにした。家を抜け出したことをばれる前に戻れば、またチャンスがあると考えたのだ。
『今日は駄目でしたが、明日もあります。絶対に諦めません』
しかしロレインは足元を疎かにしていた。いくら魔術による照明を用意していても、夜であったことと、霧が出ていたこと、そして初めての探検であったことなど、たくさんの理由があったが、ロレインはすぐ傍にあった崖に気づかず落ちてしまった。
咄嗟に魔術で自身を保護することはできたが、完璧ではなかった。着地した際、落下の衝撃を結界は受け止めきれず、激痛が足に走り、ロレインは悲鳴を上げた。
初めてだった、これほどの痛みを感じたことは。
ゆっくりと立ち上がろう足に力を込めるだけで、足は痛みを訴えた。これでは動くことは出来ない。帰ることは出来ない。
ここにきて、初めてロレインの胸に不安がどっと押し寄せた。
『もしかして、私このまま死んじゃうの?』
ロレインは助けを大声で呼んだが、誰も来ない。いつも誰かと繋がっているネットワークは、存在すら感じられない。
完全な孤独を前に、ロレインは冷たい手で心臓を鷲掴みされたような息苦しさを覚え、涙が溢れた。次から次へと押し寄せる感情の濁流を前にして、泣き叫ぶことしかできなかった。
そんな時、彼女の前にふらっと白い羽が舞った。
『お嬢さん、こんなところで何をしてるんだ?』
目を丸くしたロレインの前に舞い降りたのは、一人の翼人だった。
『怪我してるのか』
翼人が青い刀身のナイフを振ると、黄緑色の光がふわっとロレインの足に近づき、包み込んだ。するとさっきまでが嘘のように痛みが引いた。
『痛みを和らげただけだから動かすなよ』
『あの! あなたはどうしてここに?』
違う、先に感謝の言葉を言うべきだ。
ロレインは言ってから自分が感謝も言えない人間なのかと落ち込んだが、そんな彼女のことを気にすることもなく、翼人はナイフを持つ手とは逆の手に握っていた一輪の花を見せた。
その花を見て、ロレインはあっと声を漏らした。それは彼女が森に入った目的、サーバと呼ばれる花だった。
青い茎に、その翼人のような白い花。淡い光を纏っていて、どこか神秘的な雰囲気を持っていた。
『これはサーバって言う珍しい花で、魔術触媒としても女性へのプレゼントとしても一級品なんだ。でも全然見つからなくてな、それで見つけた頃には夜になっちゃったってわけ』
お茶目に笑った。
『それでお嬢さんはどうしてここに? よかったら聞かせてくれないか?』
『わ、私は……私もサーバが見たくて……』
『それで一人で森に? お嬢さん、凄いな』
感心した様子を見せる翼人を前に、ロレインは恥ずかしくなった。自分の無茶を指摘されたような気がしたのだ。
なので誤魔化すように語気を強めた。
『お嬢さんではありません! 私はロレインです! 冬には15歳になる立派なレディです!』
『ははっそれは悪い』
悪びれた様子を見せずに笑った翼人は、気づけばロレインのすぐ目の前まで近寄っていた。そしてそっと優しい手つきで涙を拭った。
かぁと顔が熱くなる。
『さてと、それじゃあ森を出るぞ、ロレイン』
トクントクンと熱い音が聞こえた。
『おっとその前に。名前を一方的に知ってるってものあれだな。俺の名前は───』
「それがザック様との出会いでした」
「……それで? ザックとの出会いと悪い意味で有名なことにどう繋がりがあるの? 出来れば短く」
うっとりとした表情のロレインに、軌道を元に戻すように催促した。こんなに長くなるなら、スピカにさっさと聞けばよかったかもしれない。
「ザック様に助け出された私は、家出に気づいて私を探していたメイドの一人によって保護されました。ですがそれからの私は何度も家を抜け出しました。そういえば抜け出すたびに警備が厳しくなるから魔術の腕もこの時に磨いたんですよ。ふふ。そしてその度にザック様のもとへ向かいました。たくさんの話をして、デートをしました。
そして! 私が15歳になって三日後の夜、私たちは愛をふふふふ」
キャー!! とロレインは興奮し、スピカのザックを見る目が一段と冷たくなった。
「おっと失礼、あまりに幸せな思い出だったので」
艶やかに微笑むロレインにフィンは顔が赤くなるのを感じた。さっきまでザックに向いていた冷たい視線が横から突き刺さるのを感じながら、フィンは続きを促した。
「それで?」
「私、あまりに嬉しかったものですから、ついついネットワークにそのことを書き込んでしまったのです」
「……それって問題? 彼氏が出来ましたーなんて珍しいの?」
「私の場合は、親に溺愛されてましたので。お父様はすぐにザック様の素性を調べ上げて、その女癖の悪さを突き止めました」
「おぅ……」
その後どうなったかを想像することは難くない。
「覚悟を試すとか言って、お父様は自分の知る限りの仲間を呼び集め、ザック様が泊まっていた宿を襲撃。ザック様は命からがら逃げだしたのです。そして一人残された私は悲しみのあまり妄想癖がついてしまい、アカウント停止処分を受けました」
「あかうんと? 何それ?」
伝通人のネットワーク用語は多く、中々その全貌を知ることは出来ていないフィンは、当然ながら知らない単語もある。スピカと会ってから理解が進んでいるも、まだまだだ。
そこで今まで沈黙を保っていたスピカが説明した。
「アカウントは言ってみればネットワークを利用するための最低限の権利。これがないと伝通人の最大の特徴であるネットワークを使えない」
恥ずかしそうに顔を赤くしているロレインをスピカは呆れた目で見た。
「ロレインはある時からネットワークに純情なものから卑猥なものまで妄想を垂れ流し続けた。その結果がアカウント停止。そこまでする伝通人も珍しい。だから悪い意味で有名」
「ふふ、若気の至りです」
伝通人にとっては死活問題だと思うが、ロレインは大したことではないかのように言った。もしかすると永遠に停止処分を受けるわけではないのかもしれない、軽犯罪を起こしたから少しの間留置場に入れられた程度の認識なのかな、とフィンは思った。
ザックは死んだ目で天井を見つめて微動だにしないが、フィンは厳しい目で見た。こいつ面倒事を持ち込んでおいて何してるんだ。
(女遊びを繰り返していたらいつかはこうなることくらいわかっていただろ)
背中をいきなり刺されなかっただけマシだ。
ロレインはぶっ飛んでいるところこそあるが、話は通じそうなので、運がいいとフィンは思った。とにかく自分で解決してほしい。
「おいザック、いつまで現実逃避してるんだ?」
「……フィン、俺死ぬ」
虚ろな瞳で死を覚悟していた。驚いて黙ってしまったフィンをよそに、ロレインは動揺していた。
「ザック様そんな!? ようやく会えたのに、一体何があなたを死に追いやるというのです? 私に話してください! そうすればこのロレインがザック様の矛となって立ちふさがる死を全て打ち壊し、盾となって襲い掛かる死を防いで見せます! さあ教えてください、一体私は何と戦えばいいのです?」
この狂乱っぷりを見ると、話は通じると思っていたが怪しいかもしれない。
「……ちょっとフィンと話す」
「ザック様!?」
「頼むから!」
「……はい」
ロレインは泣きそうな顔でザックの腕を静かに離した。




