番外編 あたしメリーさん。いまミノタウロス迷宮にいるの……。(金玉編)
「とりあえず紀伊國屋書店本店から新宿御苑、西新宿の煎餅屋、都庁と……」
俺のと同じだけど色違いのスマホのルート検索で観光案内を表示しながら、足取りも軽く駅の構内を歩き出す真季。
さすがは新宿駅だけあって「見ろ、人がゴミのようだ!」と言いたくなるほどウジャウジャしていて、中にはベージュ色の全身タイツを着た男とか(遠目にはほぼ全裸)、昔の男子トイレマークみたいなシルクハットに燕尾服、モノクル眼鏡に先端をカールさせたカイゼル髭のオッサン、モコモコの毛皮の帽子に防寒綿入れジャケット、防寒ブーツを履いて「ハラショー!」を連呼している推定ロシア人、身長190㎝と俺とほぼ同程度だけど、目方は倍以上ありそうな白スーツに顔面傷だらけの筋者らしい大男、さらにはそれよりもさらに頭一つ大きい直立歩行した熊が、スニーカー穿いて眼鏡をかけて新聞読みながら通り過ぎていった。
都会にも熊がいるんだなあ。
「……つーか、あれが噂に聞いたアーバンベアって奴か?」
勝手に窓開けて出て行ったり、水道の蛇口ひねって水のむとかで問題になってるニュースは見たけど、さすがは新宿。何でもいる。
ついでに『ぶつかりオジサン』という奴だろう。うだつの上がらない中年男性が、明らかにあり得ない進路変更をして、田舎者丸出しの真季に向かってツッコんできた――刹那。
すれ違いざまのコンマ5秒。「ドン」という鈍い音の代わりに、「パン、パン、パパァン!」という手拍子のような乾いた打撃音が響き、気が付けば冴えない風情の中年男性が、通路にゴミ袋のように転がっていた。
「「???」」
電光石火の早業に、ワタナベとドロンパは何があったか視認できなかったようだが、俺の目にはニヤニヤ笑いながら男が体当たりしてきたその瞬間、真季の片足が神速で跳ね上がり、相手の胸骨のド真ん中に、蹴りではなく足裏で相手の突進を完璧に止める「ストッピング」をかまし、突進のエネルギーをそのまま相手に跳ね返した――結果、男は自分からダンプカーにぶつかったかのような衝撃を受け(自業自得)、息が詰まった状態でその場に硬直。
で、即座に真季の地面を擦るような超高速のローキックを相手の前足の足首に叩き込まれ、男を軽々と完全に無防備な空中へと放り出したのと同時に――。
「――ふっ」
という息とともに、真季は宙に浮いて仰向けにひっくり返りかけた男の両膝の皿に向けて、ミシン針のような速度で左右のチェンジキックを叩き込きこんだ。
けど、これは肉体を壊す技ではなく、神経を麻痺させる打突に過ぎない。
フィニッシュとして、完全にバランスを崩して地面に激突する寸前の中年男の顔面すれすれに、真季の本来の得意技である「首刈り」の軌道を描く後ろ回し蹴りが閃光のように走り……顎の皮一枚下を爆風と共に通り抜けていった。
男は肉体的にはほぼ無傷ではあったけれど、あまりの速度と風圧、そして「今、首を刈られて死んでいた」という目の当たりにした本能的恐怖で、立ち上がることもできずにチワワみたいにプルプル震え、よく見ると股間を濡らしスクラップと化している。
「あ、すいません、足が滑っちゃって」
と冷たい目でぶつかりオジサンを一瞥すると、真季はローファーの先をトントンと地面に打ち付けて何事もなかったかのように先に進む。
「――黒のレギンスか。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね」
思わず独り言ちる俺がいた。
田舎にいた時は平気でパンツ丸出しにして足技使っていた義妹だが、上京するにあたって多少なりとも慎みを覚えたようで何よりである。
さて、新宿駅東口の名物といえば、ライオンの像が有名らしい(あとなんか隠れた場所にフクロウの像もあるらしいけど)。
せっかくなので見物したいという真李を先頭に、俺たちがゾロゾロと歩いているとメリーさんから着信があった。
「――つーことで、ライオンのところに向かっている。あと聞いた話では正式名称は『みらいおん』というらしい」
『ボル○ロン……?』
「ちょっと待て! ボケるにしても、そこは『ゴラ○オン』のワンクッション置いてからボケるもんだろうが!!」
高度なボケかましやがって。
「こ……ここまで敵のミスが多いとは!! 知略が……知略がまるで通用しない!!」
何だろう、この絶望感は? ハイパーインフレーションの「敵が馬鹿すぎて論理的に行動しないせいで対策できない」みたいな言動を、常時アクティブにかましやがるからな、この幼女は。
『あたしメリーさん。みらいのライオンだったら、どっちかというと、元祖胸ライオンロボな未来ロボじゃないかしら? 最近は全然再放送されないけど……』
「ヤマザキ曰く、アレは利権が面倒くさいので放送できないらしい。いや、アニメ専用チャンネルとかだと放送されているとか聞いてるけど」
なお、「『奴隷』とか『カニバリズム』が放送NGワードに引っ掛かって再放送できない」というのは都市伝説に過ぎず、単なる版権の問題らしい。
『「マク○ス」と「サザ○クロス」と「モス○゜ーダ」を全部合わせて、アメリカで「ロボテック」にしたのはギリ許せるけど、「ゴラ○オン」と「ダイ○ガー」を悪魔合体させて「ボルトロン」にしたのは、さすがのメリーさんでも無茶が過ぎると思うの。5体合体+15体合体で20体合体なの。おまけに誰も死なないし、ガラル星人名物奴隷鍋もカットされるわ、アメカスの放送倫理でヌルい改悪されたし……』
「何の話をしている、何の!?」
『夏コミにおけるオタクの高齢化問題と熱中症の死亡リスク。ついでに、ウルフショートのオタク女子は高確率でコスプレイヤーという話だったかしら……?』
「そんな話はしていないし、やめろ。――それ以上いけない」
なぜだろう。‟この話題は触れてはいけない”というような危機感が唐突に胸の奥から湧き出した。
同時に『タイベック製カラーバンド』『アーリー枠』『午前枠』『バンドの色による階級社会』という、不穏なワードも去来する。
と――。
『出店で「牡蠣のフライ&チップ」が売ってたから買ってきたわ。こんな内陸部でも牡蠣が食べられるのね』
そこへ出店で買い食いしていたらしいオリーヴたちが戻ってきた。
ガサゴソと紙の音がするのは、新聞紙で作った袋に入った「牡蠣のフライ&チップ」を手で漁ってる音だろう。
『牡蠣なんですか? なんか匂いが名古屋名物の手羽先か串カツみたいな、油で揚げた動物っぽかったので、お肉のフライなのかと思ってましたけど』
スズカが軽く鼻をクンクンと嗅ぎながら、若干釈然としない口調で独白する。
『牡蠣……ですか? ちなみにですが、何という種類の牡蠣なのでしょうか?」
ローラも不信感丸出しでオリーヴに尋ねた。
『ン?』もぐもぐとその牡蠣フライを頬張りながらオリーヴはうろ覚えな感じで、『詳しい種類はわからないけど、看板には「名物・ロッキーマウンテン・オイスター」って書いてあったから、流行りのアメリカンBBQ文化の一種なんじゃない?』
無頓着に聞き返す、オリーヴに対して元飲食店経験者である、ローラとエマ姉妹が微妙に引いた口調で、
『あの、それって牡蠣貝でもなければ、海産物ですらない、よく似た形をした牛のとある特徴的な器官をフライにしたものですよ』
『‟牛の特徴的なとある器官?”』
意地汚くその「ロッキーマウンテン・オイスター」とやらを頬張りながら小首をかしげるオリーヴ。
追及され口ごもるローラに代わって、妹のエマがあっけらかんと種明かしをした。
『牛の去勢したキ●タマのことっ』
『ぶふぁーーーーっ!!!』
途端、「インド人もビックリ」ばりに食っていた‟キン●マ&フライ”を、オリーヴが豪快に噴出したような音が響きわたる。
『あたしメリーさん。別に牛のベロ食べるのも、キンタ●食うのも大して違わないの。だいたい千葉県民なら、あのでっかくて重いクジラの玉と竿を、珍味と言って居酒屋で食ってるくらいだし、それに比べたら今更なの……』
『全然違うわよぉぉ!!! あと、あれ食べてるのは南房総の和田町くらいで、千葉でひとくくりにするんじゃないわよ! 我が魂、無限の輝きを宿すこの身は、海の純白なる宝石を求めただけなのに……! この山の双玉……禁断なる黒き源泉を、欺瞞の名『オイスター』で我が聖域に押し入れたなんて……』
『本気で号泣してますね。……まあ、言うなれば「名古屋観光で下呂温泉と白川郷に行った」と一緒くたされるようなもので、全力で否定したい気持ちは分からなくもないですけど』
ガシガシと「ロッキーマウンテン・オイスター」の残りを、地面にぶちまけて踏みつけけているらしいオリーヴの醜態を傍観しながら、気の毒そうな口調でオリーヴに同情するスズカだが。
『その割には、あの小さなおむすびに海老天が入ったやつ。三重発祥の筈なのに、当然のように名古屋名物にカウントしているのは、メリーさん釈然としないの……』
混ぜっ返されたスズカがバツが悪そうに、そっと視線を逸らす気配がした。
「それ以前に、異世界に‟ロッキーマウンテン・オイスター”というネーミングの食物があることがおかしいと思うんだがなあ。雑な設定してるとすぐに『サンドウィッチ警察』や『ハンバーグ警察』が湧くぞ」
『あたしメリーさん。これを最初に考えたのが「ロッキー」だったの。「ロッキーはつむじ風」と呼ばれた女子供のあだ名だとか、拳闘士ギルドに所属している拳闘士だったとか、山ネズミの獣人だったとか、諸説あるらしいけど……』
「全部胡散臭すぎるっ!」
『てゆーか、魚介類と牛と間違えるのかなあ?』
元飲食店(家族経営)の手伝いで給仕をしていたエマが、どうにも腑に落ちないという口調で傍らにいるであろう姉のローラに水を向ける。
『料理の仕方次第でしょうね』
何やら思案しつつ、ローラがそれに答える声がした。
『素材そのものの味を第一にした料理ならともかく、油で揚げて香辛料を付けられたら、結構誤魔化せると思うわ。ほら、以前うちのお店に「フグの白子」を食べたいってお客様が来たので、季節外れだったから代用品で豚の脳味噌をカツにして提供したことがあったでしょう?』
『ああ、やたら「女将を呼べ!」って怒鳴る陶芸家と、「この料理は出来損ないだ、食べられたもんじゃない。1週間後に本物のナポリタンを食べさせますよ」という究極のイキり新聞記者の親子ね』
何だよ『本物のナポリタン』って? そもそもイタリアのナポリにはナポリタンは存在しないぞ。
『あれがポン酢とかで半生で食べたら、どう逆立ちしても豚の脳味噌とフグの精巣は完全に別物だけど、油で揚げて香辛料つければ……』
「なるほど」
と思ったのもつかの間、
『というか異世界で河豚食べるんですかぁ……? テトロドトキシンとか大丈夫なんでしょうか?』
メチャクチャドン引きしているスズカの真っ当な問いかけに、ローラが平常運転で答えた。
『あのピリピリした感触が病みつきになると言って、貴族や富豪がこぞって‟解毒剤”でチャンポンしながら食べるのが通らしいですよ』
『ああ、そっか。ここって「飲めば一瞬でどんな毒でも消えるポーション」とか、なんなら「死んでも生き返る万能薬」とかが普通にある世界でした!』
とはいえ、まさかその希少な薬品を、「フグの猛毒で全身麻痺する寸前まで痺れを楽しみ、死ぬ直前に最高級のポーションを飲み干す」というイカれたデスゲーム的グルメや、「毒の痺れと解毒の瞬間を同時に味わう」ような、狂気の高級料理で無意味に消耗するとは、思いもしなかったのだろう。
『気にすることないのオリーヴ……』
と、がっくり項垂れて滂沱と涙を流すオリーヴの肩を、メリーさんがポンポンと叩いて慰める。
『メリーさんもこの間、冒険者ポイントが貯まったので「時間停止能力(10秒)とズワイガニ食べ放題ならどっちを取る」という究極の選択で、蟹を選んだけど。やっぱり時間停止能力の方が良かったかも、とたまに後悔するの。あとここの「ロッキーマウンテン・オイスター」の材料は牛じゃなくて、ミノタウロスの○ンタマらしいからセーフなの……』
『慰めに見せかけた追い討ちかけるんじゃないわよ!! 許さぬ! 闇の力、解き放て! 境界を越えて、進め! 今この胃の中で獣欲が暴れ狂っている……! この欺瞞の名物を作った者どもよ、聖なる報復の光を浴びよ! 我が魂の守護神アブラクサスよ、ヤルダバオトよ、どうかこの穢れを浄化したまえ……!!』
「つーか、その『ミノタウロス』ってネーミングおかしくないか? 大学の世界史で習ったギリシア神話の講義では、『ミノタウロス』は、クレタ島にあるダイダロスが作った迷宮に封印された『ミノス王の牛』っていう特定の個体名だぞ。そこらへんの迷宮にいる牛頭のモンスターを、ひとまとめに『ミノタウロス』って呼ぶのは、すべての犬を『ポチ』って呼ぶくらい変なんだよ! 正しく言うならバイコーンとかになるだろう!?」
『なに興奮しているのか、よくわからないけど。ここの迷宮にいる牛は、ミノ・タン・ロースが特に美味いので、ミノ+タン+ロース≒略して『ミノタウロス』って呼ばれているの……』
あっさりと俺の蘊蓄を、バカみたいな焼肉起源で論破するメリーさんがいた。
そうこうするうちに俺たちは紀伊国屋本店にたどり着き、メリーさんたちの方も『ミノタウロス迷宮』を管理するポッチ・キンタコアトル伯爵(略したら絶対アカンやつだろう)の開会の挨拶が始まった。
『男として生まれたからには、誰だって一度は金玉を強打して悶絶するものだッ! ある時は球技の球がまともに当たり、ある時は柵を飛び越えようとして失敗し、ある時は友達とふざけて……。――金玉の痛みをなど一度も受けたことがないッ、そんな男は一人としてこの迷宮に存在しないッ! 今夜、耐えがたき痛みを耐えきった者がいるッ! 偉大なバカヤロウ共がッ! この世界で誰よりも、誰よりもッ、金玉の耐久力と強靭さを飢え望んだ者どもがここに集ったッ! さあ、ミノタウロス迷宮レース……スタートだァァァァッ!!!』
「……なんで金○に固執するんだ、ここの領地は?」
『あたしメリーさん。キンタコアトル伯爵領ってアステカ風の街並みなの。アステカの星なの……!』
「ほう。それで?」
『アステカといえば出産の痛みを夫婦で分かち合うために、夫が「アステカ式タマ引っ張り」を耐え抜く儀式で有名なの……』
「……なんか聞く前から嫌な予感がするのだが。ナンダソレハ?」
【アステカ式タマ引っ張り】
①妊婦は床に低くしゃがみ込む、あるいは膝をついている。
②旦那は、梁にぶら下がり、妊婦のちょうど「斜め上」か「真上」に位置する。
③旦那の両方の玉にロープか紐を結わえ付け、端を妊婦の手の届く範囲まで垂らす。
④妊婦が陣痛のたびに、上から垂れ下がっているロープ(※父親の急所に直結)を、全体重をかけて「掴み、引きずり下ろす」ようにして踏ん張る。
妻が陣痛の痛みに耐え、同時に夫もキ●タマが千切れる痛みに耐えるという、出産時の共同作業であった。
『だから、妻帯者で子供がいるキンタコアトル伯爵領の男って、キ●タマの痛みに耐えきった勇者ばかりなの。キン●マには一家言あるの……』
「そんな阿呆な伝統があってたまるか!!」
つーか、武術やってたからわかるけど、たとえどんだけ鍛えても根性とか気合でどうにかなるもんじゃないぞ、幼女に言ったところで理解できんと思うから、グダグダ言わんけどさ。
ふと気が付けば、『あたしメリーさん。いま異世界にいるの……。』第一話(読み切り)が2018年5月公開でしたので、8年以上経過していたわけで、その間、いつも支えてくれた読者様には感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございます。
ずっと応援してくれている人たちと一緒に完走したいと思っています(どんな形になるかは知らんけど)。
【補足】
『アステカ式タマ引っ張り』は史実ではありません。ネットミームです。
平和が言っているように、どれほど鍛え上げたアステカの戦士(ジャガー戦士やワシ戦士など、当時のエリート兵)であっても、あそこの神経の構造は全人類共通であり、人体の構造的に耐えられません。
①精巣への強烈な牽引痛は、脊髄レベルで最優先の痛み信号として脳に到達。
前頭葉や運動野が「握り続けろ!」と命令を出していても、痛みによる反射的筋弛緩が勝つ。
一瞬で脱力 → 梁から手が離れる。
「耐えろ精神論」は生物学的には完全に無力。
②タマに一定以上の衝撃が加わると、体は防衛反応で「迷走神経反射」を起こし、血圧が急激に低下→心拍数が激減→冷や汗、過呼吸→一瞬での意識喪失(精神論や根性が1ミリも通用しない、生物学的な強制シャットダウン)。
気合でどうにかなるという話ではなく、仮にこの「アステカ式出産」が実際に行われたら、ほぼ100%妊婦の上に夫が失神して落下して大惨事となりますので、そんなもん産婆が許可するわけありません。




