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愛情と憎悪

 ハインツにそれを尋ねられたのは、数年経ってからだった。


「エーミールは父上の愛人なんだね」


 行事の場では何度か顔を合わせていた。常にローデリヒの傍らに控える姿を少し離れた場所から物言いたげな目で見ていた少年は、骨筋張っていた手足には肉がつき、頬はふっくらとして赤みがさし、健康的な体を手に入れていた。

 病弱だった頃の面影がなくなったハインツは、物がわかる年頃になっていた。ただ言葉の響きだけではなく、その意味がわかるようになっていた。


「お嫌……ですか?」

 身長差が縮まり、頭一つ分下にある瞳をエミーリオは見つめる。


 髪色も瞳の色も父親とは違う。しかし、真剣な表情を浮かべた時の顔つきは、エミーリオの愛する男によく似ている。


「父上が愛人を持つのは悪いことではないと思う。エーミールは僕から見てもきれいだし……それなら、父上がエーミールをお側に置いているのも無理ないかな……」

 言葉を選びながら自分の考えを口にするハインツに、エミーリオは微笑んだ。少年はエミーリオが傷つかないように気遣ってくれている。


「……でも、エーミールをよく思わない者もいるから……」

「オティーリエ様のことですね」

 こともなげにその名前を出されて、ハインツは言葉を詰まらせた。


 ローデリヒの二人目の后の名はオティーリエ。現在、ローデリヒとの間にできた四人目の子を身籠っている。


 彼女がローデリヒの隣にエミーリオを見る機会はハインツとそう変わらない。その数少ない機会に皇后がエミーリオに向ける視線は、気の弱い者なら卒倒してしまいそうなほどに鋭いが、風切る矢のような威力にもエミーリオはまったく痛みを感じていなかった。


 ハインツは今や、自分の母が罪人だったことを知っている。それでも、現在の皇后に対する父の態度に鑑みると、はたして生前の母に対する父の態度はどのようなものだったか疑問が湧く。

 まだ幼い潔癖な心根を持つ少年には、あまりにも妻をないがしろにする父に咎があるとしか思えなかった。

 ただ、エミーリオに罪があるとは露ほども思わなかった。


「僕はエーミールと父上のことは反対する気はないんだ。でも、オティーリエはそうじゃない。あの方は父上の寵愛を受けているエーミールを憎んでいる。気をつけたほうがいいよ」

「ご心配ありがとうございます。ハインツ様、僕なら大丈夫です」

 懸念を訴える少年に、エミーリオは微笑む。


 すると、ハインツが頬に血を上らせた。






 その晩、ローデリヒの寝室で、エミーリオは昼間のやりとりを彼に伝えた。


「やはり血を分けた息子だな。好みが一緒のようだ」

 ローデリヒは納得したという様子でうなずいている。

「え?」

「わからんか。ハインツもおまえに惚れている」

「まさか」

 エミーリオは首を振り小さく笑う。


 ローデリヒはその顎に手をかけ上向かせると、正面から目を覗き込んだ。

「昔、方々で散々誘われてきただろうに、自分の魅力には疎いのだな」

「どちらの方も、美しいものを好まれる方ばかりでした」

「ハインツも同様だと?」

「それは僕にはわかりません」


「まあ、どちらでもかまわない。今更誰がおまえに懸想しようがおまえは俺のものだ、エーミール」

「ええ、ローデリヒ様。どうか僕を永遠にあなたのお側に……」

 エミーリオがローデリヒにしなだれかかれば、ローデリヒは華奢な体を腕の中に抱き込んだ。


 そしてその晩も、二人の目には互いしか映らなくなる。






 産まれたばかりの赤ん坊が遠くで泣いている。


 オティーリエは疲労困憊した体をベッドに沈め、額に浮かぶ汗を拭き取られながら我が子の声を聞いていた。

 嫁して四年。四度目の出産だった。


 先に産んだ三人の子はいずれも健やかに育っている。既に乳母の手に委ねられている四人目の子も、あの泣き声なら直近の心配はないと判断された。


 しかし、オティーリエの心は空ろだった。


 皇帝に嫁ぐのだと聞かされた時、どれだけ心弾んだことか。愛溢れる薔薇色の結婚生活を夢見たことか。


 ところがいざ宮殿に来てみれば、皇帝の愛情は第一王子の亡き母にそっくりだという青年に一身に注がれていた。元は場末の劇場で歌手をしながら娼婦まがいのことをしていたという青年は、表向きは皇帝の相談役を務めている公妾だ。


 夫は義務とばかりに妻を抱き、身篭ったことがわかれば遠去かり、ただひたすら青年と時を過ごす。婚礼の儀以降、寝室と公務以外の場で夫の顔を見たことがない。

 母へ手紙を送って結婚生活について相談してみても、上に立つ者、愛人の一人や二人抱えているのは当然のことという返答。どうもオティーリエの結婚以前から青年の存在を知っていた節がある。


 しかも、自分と皇帝の結婚はその青年が決めたという。


 実際にエミーリオがオティーリエを選定したわけではなく、ローデリヒが再婚を承諾したので新たな后となる姫君を探して欲しいと宰相に話を回し、決定した相手の家柄と名前を最後に確認しただけだった。しかしオティーリエがそこまで知る由はなく。


 せめて華やかな環境であればまた違っていたかもしれないが、この宮殿は装飾もドレスのセンスも人の性質も、オティーリエが生まれ育った城に比べるとどれも地味で堅苦しかった。


 結婚した意味は。自分の存在意義は。

 国と皇帝との繋がりを持つために嫁がされ、子供を産むためだけに宮殿に閉じこめられ。オティーリエの心は段々と鬱屈していった。


 彼女が産んだ子は一人目、二人目、三人目と女が続いた。それでは己に課せられた務めが果たせていないことはわかっていた。年を重ねるにつれ、寝室に訪う夫の気配が険しくなっていくのが蝋燭の光越しにもわかるのが苦痛だった。


 そして今日。

「おめでとうございます。産まれた御子は男の子でございます、オティーリエ様」

 やっと、待ち望んでいた言葉を耳にすることができた。


 自分が王子を産んだと知った時、オティーリエは暗い目でほくそ笑んだ。

 これでようやく、復讐ができると。

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