後編
――灯りがひとつ
灯りの中になにが見える?
夜の闇に光る想い出
リーヌ 優しく美しい娘
ジョルジュが歌う。
――灯りが消えてしまったら
私の中になにが残る?
消すことのできない想い出
リーヌ 夏のように輝く娘
帝都を南北に走るペリューズ通りの北の終着点、ピガント広場の噴水の前だった。ジョルジュはわたしを横に座らせて、甘くかすれた声で歌う。
――灯りを増やそう
ひとつふたつ
みっつよっつ……
灯源郷
リーヌよ 美しくあれ
灯源郷
リーヌよ 美しくあれ
ピガント広場の周囲には不夜街の眠らぬ灯りが輝いていて、男が、女が、光と影をまとって夜の街を行きかっている。歌の名前は『灯源郷』。不夜の街に似つかわしい恋歌ねと、わたしは麦酒の瓶を傾けながら思うのだった。
ジョルジュのエスコートは賭場の享楽よりも、夜会の享楽だった。話し、飲み、歌う。不夜街に連綿と煌めくガス灯の下で、八方に影を引き連れながら二人して恋人の役を演じて交わす言葉には、とても優雅な嘘がある。
わたしは途中、夜店で麦酒を二本買った。ジョルジュと麦酒の瓶をコンと当て鳴らし、二人で呷る。酩酊は夜の輝きを強く濃く滲ませる。それもまた、とても優雅な嘘である。
そして今はジョルジュが恋歌を歌っている。
「これも灯りのひとつ?」
わたしが訊くと、彼は歌いながら答えた。
「エカテーナよ、美しくあれ――」
その顎に手を添え、わたしはそっと彼の唇をふさぐ。
「よい夜になりましたか?」
離した唇にそう訊ねる彼の息がかかる。彼の目がわたしの瞳をのぞく。
「二回も答えを求めるなんて、欲張りな人」
もう一度わたしに唇をふさがれながら、彼はわたしの背を抱いた。
彼は優しく、穏やかで、慈しみに満ちていた。背中を抱く手は、決してわたしになにかを求めることなく、ただわたしを包んでいた。だからわたしは思っていたことを口にした。
「あなた、長くないの?」
彼は答えずに言う。
「街の灯りが美しいのです」
不夜の街には死の匂いがよく似合う。口づけにかすかに混じっていた匂いは、死病に冒されたもののそれだった。
「そうね」
死の色は黒いから、人はこの街に光を求めるのだろうか。そんな男たちの姿を、わたしは幾度となく目にしてきた。自棄を起こすものも、諦めに笑うものもいた。そして自棄も諦めも、退廃の影を負う。
「美しいわね」
たとえそこに、どれほどの嘘があったとしても。わたしの言葉にジョルジュが静かにうなずく。
「私にはなにもかもが美しい。だから、絶望するしかないのです」
穏やかな絶望は甘美な退廃である。わたしはそんな退廃を自分の部屋に招き入れる。
「エカテーナ、君は美しい人だ」
ベッドの中でジョルジュが言う。だからわたしは訊き返す。
「わたしでも?」
身の上を話す。わたしの母は娘を愛せない娼婦で、自分もこんな生き方しかできていないことを。
「美しいです」
ジョルジュはそう答えてわたしの背中を腕で包み、
「美しい」
耳元で、何度も、何度も、そう言った。
その後、南洋諸島に置かれたヴァンシール家の商館に、兄のはからいで療養へと赴いたジョルジュが腫病で死んだと聞いたのは、それから一年を過ぎた頃だった。
一度だけ手紙が届いた。その頃には住む家を変えていたわたしの手元に届くまでに、酷くくたびれてしまったその手紙にはこう書かれていた。
――ここでは、すべてが色鮮やかに見えます。
光、光、光。すべてを光が埋め尽くしています。
海も、空も、緑も、船も、家も、人も、心も。
ここでは何もかもが美しく、私のすべてを埋め尽くしていきます。
エカテーナ。あなたも一度、こちらに来てみてください。
美しくある人に、この光を見てもらいたい。
美しさにすべてを埋め尽くされた、私の今を見てもらいたい――
“退廃”のジョルジュ・ルド・ヴァンシールより
“美しき人”エカテーナへ
二十年が過ぎ、わたしは南洋諸島へ行く機会を得た。
そこにはもうジョルジュの姿はなかったけれど、彼が手紙に書いた光は、色鮮やかにすべてを埋め尽くしていた。
きっと彼はこの光と一緒になったのだろう。
白いさざ波をきらめかす青い海は寄せては返し、静かな音だけを残して光の中にたゆたっている。