セッション18 THE CALL OF CTHULHU1
食屍鬼と呼ばれる種族がいる。
人間とよく似た姿を持つ彼らだが、人の摂理に当てはまらない異形の者であり、怪物や魔物に分類される存在だ。異形といえば既に深きものどもが登場しているが、食屍鬼と深きものどもとの最大の違いは、深きものどもは血統によって生まれるが、食屍鬼は後天的な要因で人間から変身する事もあるという点だ。深きものどもは深きものどもの血を引く者からしか生まれないが、食屍鬼は何者かに呪われたり、彼らと長期間共に過ごしたりする事で人間から食屍鬼になる事がある。一方で、生まれた時から食屍鬼という純血の者もいる。
食屍鬼は二種に分かれる。下位種族は獣型と呼ばれる種だ。犬と人間の中間のような容姿で、鉤爪を持ち、食屍鬼の名に恥じず屍肉を貪る。頼姫はその獣型とは異なる上位種族――この島国で多く生息し、酒呑童子や土蜘蛛という名で古来より畏怖されてきた怪物達――鬼型だ。獣型よりも一層人間に近い姿をしているが、額から雄々しく尖った角が彼らが異形である事を明確に語っている。
頼姫はある鬼型の名家の出身だった。
◇
頼姫が今、腰掛けているのは斗霊のブリッジだ。正面には巨大モニタを中心に複数のモニタが並び、モニタの前に設置されたいくつもの機器を乗員達が操作している。ブリッジには乗員としての海賊達以外に、鮫島菖蒲、琵琶弾樹、今屯灰夜――それと、気絶した九頭竜流譜が乗っていた。
「まずはファーストミッションおめでとうと言わせてもらおうか、牛鬼船長」
灰夜が頼姫に笑みを向ける。
「やーですよ、灰夜さん。牛鬼なんて名前で呼んじゃダメですよー。ちゃんと飯綱って呼んでください」
「これは失礼した。改めておめでとう、飯綱船長」
飯綱頼姫。それが彼女の本名だった。
彼女がこれまで名乗っていた牛鬼の姓は身分を詐称する為の偽名だ。朱無市の市民を欺く為の、他国の目から隠れる為の――朱無市自警団の皆を騙す為の仮面だ。
「いえいえ、灰夜さんあってこその成功じゃないですかー」
頼姫が灰夜に微笑みを返す。
「魚鱗の軍勢・外部顧問、今屯灰夜。ニャルラトテップ。チクタクマン。ええもう、本当にいい仕事をしてくれましたー。灰夜さんがいなかったら今回の勝利はありませんでしたよー」
勿論、琵琶さん達皆さんも素晴らしい働きでした、と頼姫は付け加える。
今屯灰夜は正確には海賊の一員ではない。外部顧問の名称の通り、異なる組織から魚鱗の軍勢をサポートする為に送られてきた部外者だ。彼女は参謀として作戦を立案するだけではなく、武器の提供までしてくれた。術式機械『機装式神・陽』、『機装式神・陰』、戦艦・斗霊は彼女からもたらせたものなのだ。
「飯綱船長こそ、一年間のスパイ活動ご苦労だったね」
「ええ。刀矢さんが流譜ちゃんと別行動を取る機会を調査してたんですけど……なかなか離れないんですよねー、あの二人。いっつもべったりいちゃいちゃくっついてて、離れたと思ったら流譜ちゃん、すぐ刀矢さんの所に戻ってきちゃうんですよねー。本当、戦闘時くらいでしたねー、あの二人が完全に別行動取るのって」
頼姫の視線が床に向く。そこにはぐったりと横たわる流譜の姿があった。目を閉じて、浅く息を繰り返している。邪神の瘴気をまともに受けたのだ。しばらく意識は戻らない。彼らはそれを確信している為、拘束の必要も無いと連れ去った姿のまま彼女を床に転がしてあるのだ。
「刀矢さんは迂闊でしたねー。そりゃ戦闘時には刀矢さんは足手纏いになりますから、一緒に行動する事は出来ませんけど、流譜さんから目を離してしまうなんて。この娘、馬鹿なんだから、誰かが傍にいないといけませんのに」
刀矢と流譜は自分達が常に行動を共にしているのは流譜が刀矢を守る為だと言っていたが、実際はそうではない。むしろ逆――刀矢が流譜を守る為に一緒に行動していたのだ。勢い任せで騙されやすい流譜が何者かにさらわれないように、ブレインとして刀矢が彼女の隣にいたのだ。
「けどぉ……『夷半』を空港に置いてきてしまったのは、よかった、んでしょうか……? そりゃあ朱無市自警団に随分……部下を潰されちゃったせいでぇ……斗霊だけで全員乗れちゃいました、けどぉ……」
菖蒲が言う『夷半』とは一週間前、菖蒲が乗ってきた一六〇メートル級軽空母の事だ。生き残った海賊団全員が斗霊に乗船してしまった為、夷半に動かせる者がおらず、無人のまま空港に捨て置いてきてしまった。
「いいですよー。今は斗霊だけで充分なんですから、それでいいんですー。後々艦が足りなくなった時は、他所から奪えばいいんです。私達は海賊なんですから」
「くくきくききき、言うねえ、頼姫。とても新参者の台詞とは思えないぜェ? 分かっているじゃねえか――――ッ!」
頼姫の返しに琵琶が嬉しそうに笑う。
「元々はァ、幹部は私と琵琶の二人だけでした、からねぇ……魚鱗の軍勢はァ……」
「俺が船長で、菖蒲が副船長でなァ。細々と海賊事業してたところを頼姫と灰夜が来たんだよなァ。『パトロンになってやるから私に従え』っつってよ――――ッ! ったく、犯罪者相手にいい度胸してるぜ――――ッ!」
「まあ……初めてではありませんでしたからね、海賊相手に交渉というのは」
頼姫は実のところ、魚鱗の軍勢幹部の中では一番の新参者だ。菖蒲と琵琶、灰夜の三人が海賊団として活動していたところ、灰夜の手引きで船長に収まったのだ。新参が、しかも女性が頭になるなど海賊達の反発も強く、一悶着あったが、最終的には彼女の実力と財力に屈服して解決した。
「さてさて、皆さん。気を緩めるのはまだ早いですよー。まだファーストミッションしか終わっていません。セカンドミッションがこれからあるんですから」
「船長、見えてきました! 朱無市です!」
言われて視線を上げれば、巨大モニタに朱無市の街並みが映っていた。時刻は5時を過ぎており、モニタの中でも日が傾きかけている。今はまだ青い空ももうすぐ朱色に変わるだろう。モニタに映るほど近付いたとはいえ戦艦はまだ遠くにある。その為、住人の様子までは見えないが、恐らく普段通りの長閑な生活を送っているだろう。
その生活がまもなく崩壊する。それを思うと悪党共は笑みを隠せなかった。
「魚鱗の軍勢各員に伝達。船長命令ですー」
頼姫が『冒険者教典』を通して海賊達に声を伝える。
「さあ始めましょう。今日は復活祭ですー。存分に楽しもうじゃないですか、皆さん」
頼姫の口端が吊り上がった。
◇
午後六時七分。
「見つけたぜ! 奴らだ、魚鱗の軍勢の艦だ!」
朱無市自警団が敵艦に追いついたのは一時間も後の事だった。頼姫に行動不能にされてから刀矢に回復してもらうまでかかった一時間の分、遅れた事になる。
「流譜殿はどこでありますか?」
元海賊船の軽空母・夷半のブリッジにいるのはセラ、アリエッタ、亜理紗、來霧の四人と数人の乗員だ。刀矢の姿はない。貧血で気を失っている彼は現在、医務室で横になっている。ギルバートの姿もない。彼は甲板へと上がっている。
「いたよ、屋上だ! 校舎の屋上に流譜先輩がいます!」
敵は私立ミスカトニック極東大学付属高校を占領していた。屋上には流譜と頼姫の二人がいた。何かの儀式を行うつもりなのか頼姫は赤いラインで屋上に魔法陣を描いている。流譜はその魔法陣の中央にいた。彼女は横たわったまま動かない。死んではいない筈だ。海賊団は流譜がどういう存在なのか分かってその身を狙って襲って来た筈なのだから。校舎の上空には二人を守るように二〇〇メートル級の戦艦が浮いていた。他の幹部の姿は見えない。戦艦内にいるのか、それとも別の場所を警護しているのか。
『アリエッタ! 皆! 生きてる!?』
突如、アリエッタの『冒険者教典』に通信が届いた。この声の主をアリエッタは知っている。ミス高教師の蓮田黄美だ。
『どういう事か説明してくれる!? 頼姫が見知らぬ戦艦に乗って帰って来たと思ったら自分は海賊団の船長だっていうし、いきなりミス高に陣取っちゃうし、頼姫以外の皆は帰って来ないし! 一体何なのよコレ。あんた達無事な訳? 誰か説明してくれる?』
「あー……とりあえず落ち着いてくれや、先生。市民連中はどうしたんだ?」
『朱無市の皆なら全員、シェルターに避難して貰ったわよ。大戦から十年間、生き延びてきた逃げ足は伊達じゃないわよ』
「そうか。なら、安心だ。こっちも心配ねえよ、先生。牛鬼さんがちょっとおふざけが過ぎちまったんでな。灸を据えてやるだけさ」
『……とにかく皆、無事なのね?』
よかった、と通信越しに黄美が溜息をつく。
『うちの教え子達に何かあったらどうしようと思ってたのよ、先生としてはね。頼姫だけ帰って来て、皆に何かあったんじゃないかって……』
「そいつはどーも。実は結構心配性だったんだな、黄美先生って」
茶化すように、内心は恩師の気遣いに感謝しながら、アリエッタはにやつく。
「まあ、とにかくこっちやるから先生達は手ェ出さないで――」
と、そこでアリエッタが言葉を切った。モニタの中で敵艦が複数の砲門をこちらに向けているのに気付いたからだ。火を噴く砲門。砲弾が夷半へと迫る。
「マーシュ!」
『うむ!』
アリエッタに言われるまでもなくギルバートは気付いていた。船首に立った彼はマントの裏側から光の膜を広げると戦艦を覆い、防御とする。直後、命中する砲撃。大きく揺さぶられる艦内。膜で殺し切れなかった砲弾の衝撃に、墜落とまではいかなかったが艦体のあちこちが破損する。
「おいおい、いつもの鉄壁っぷりはどうしたよ!? ダメージ受けてんじゃねえか!」
『仕方あるまい。いつもは艦から魔力のバックアップを受けていたのだ。黒卯よりも小さいとはいえ、こんな巨大なものを守るのは私一人の魔力では不可能だ!』
さあ役立たずと罵ってくれたまえ、とギルバートがモニター越しにのたまうが、当然のようにアリエッタ達は無視して話を進める事にした。
「……っつー訳だ。悪ィな、先生。今、忙しいから通信切るわ」
『――オッケー。無茶はすんじゃないわよ。いざとなったら先生を頼りなさい。ルール無視して行ってあげるから』
黄美との通信を終わらせたアリエッタは、改めて自警団達に向き直った。装甲越しに艦内に砲撃音と衝突音が響いている。
「で、どーするんだ? 向こうに戦艦がある以上、地上戦は無理だ。上空から砲撃で狙い撃ちにされちまう。この戦艦だって何発も砲撃喰らってらんないぜ? なんせ向こうは二〇〇メートル級戦艦、対するこっちは一六〇メートル級だ。単純計算で四〇メートル分は武装に差があるぜ」
「そう単純な計算ではありませんわよ……。すぐに墜ちるとも決まった訳ではないでしょう。その前に敵戦艦を墜とせば、少なくとも砲撃はもう喰らいませんわ」
「じゃあ、ぼくが行ってこよっか? いつもみたいに巨大弓で飛んでって」
「飛ぶのなら自分も行けるであります」
來霧とセラが立候補する。この二人は朱無市自警団でも数少ない飛行能力を持っている。來霧の場合は飛ぶというより飛ばされるというべきだが。障害物を飛び越えて上空から急襲するのが常套手段の二人だ。だが、亜理紗は首を横に振る。
「いいえ、二人とも先の戦いで随分と体力を削られてしまったでしょう。特攻かまして雑魚散らしなんて長期戦はさせられませんわ。それに……」
イメージの問題がありますわ、と亜理紗は語る。
「イメージ、でありますか?」
「ええ。二人とも生きて帰ってきたとはいえ、敗北した上での帰還です。このままでは市民や他の勢力の方々に、朱無市自警団の防衛力に疑いを持たれてしまいますわ。そうなればこの戦いをしのいだとしても、また次の襲撃者が現れるやもしれません。『自警団、恐るるに足らず』と」
故にリベンジマッチが必要なのです、と亜理紗は言う。
「セラさんは琵琶弾樹に、來霧さんは鮫島菖蒲にそれぞれ再度勝負を挑んでください。そして勝ってください。そうすれば我々は他の勢力に声高にこう叫べるのですわ。――『世界、恐るるに足らず』と」
そう言って亜理紗は二人を見つめる。亜理紗の言葉を肝に刻み込んだ二人は、
「了解であります、総司令」
「了解したよ、亜理紗先輩」
そう力強く頷いた。既に戦意は充分だったが、より一層の熱を持ったようだ。
「――で、実際問題どうすんだ? 二人を行かせないとなると、あの戦艦をどう潰す?」
「何を言っているんですの? 貴女にはアレがあるじゃないですの」
首をかしげるアリエッタに亜理紗は、
「朱無市自警団総司令・網帝寺亜理紗の名において宣言します。『バルザイの偃月刀』の使用許可を出しますわ」
「……え、おい……マジでか?」
彼女の言葉にアリエッタは目を丸くし、笑みを引き攣らせた。




